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練馬区石神井台にあった「しのだやストア」

とても小さな最寄のスーパーの「しのだやストア」

私が練馬の石神井に住んでいたときに、家から一番近いスーパーは「しのだやストア」でした。

これは昭和43~45年(1968~1970年)ごろのお話しです。

2016年4月現在の住居表記だと「東京都練馬区石神井台2-14」付近となります。

旧早稲田通り沿いにあったんです。

「しのだやストア」のあった場所(Google map)

お店があった場所の様子は以下です。

(クリックで拡大します。ブラウザの「戻る」ボタンで記事にお戻り下さい。)

Shinodaya-store

 

石神井公園にもほど近い場所でとても小さなスーパーでしたがいつも多くの人で賑わっていました。

普段使うスーパーは「しのだやストア」を筆頭に上石神井北小学校近くの「よろずやストア」の2店でした。

本当に「しのだやストア」は小さかったんです。

昔ながらの薄茶色と灰色が混じったような色で当時でもかなり暗い色の建物でした。

狭い間口と奥手方向に色々なお店が入っていて、通路も狭く子供の私でも「狭いなあ~」といつも思っていました。

でも近隣にスーパーがなく、しかも当時は今のような大型店が無かった時代ですから、住民にはとても重宝されていたんです。

まあ私が行くのはお菓子売り場だけだったんですけどね。

売り場で覚えているのは唯一なんですが、正面右側手前が八百屋だったんです。

でもこの八百屋さんの思い出で・・・

唯一悲しい思い出のある「しのだやストア」

いつも日常的に使っていて愛着のあった「しのだやストア」ですが、一つだけ悲しい思い出があります。

それはある日の夕方母に頼まれて「トマト(だったと思う)を買ってきて」と言われたんです。

そして当然のことのように「しのだやストア」にダッシュ。

夕方の買い物客で狭い店内はごった返していました。

そして八百屋で「トマトください」と言ったら、店主は「一人で買いに来たの?」と言うので

私: そうです。

店主:悪いけれどトマトはあと一皿(更に3つくらい乗って売っている)だけなんで子供のお使いには売れないな。

私: え~!!!

 

あまりの衝撃に私は泣くこともなく家に帰って親に話しました。

それを聞いた母と祖母は大激怒でした。

(父はまだ仕事から帰ってきていない時間だった)

特に普段物静かな祖母の怒りは大変なものでした。

その直後に私と母、祖母の三人で「しのだやストア」殴りこみ?に出かけたのです。

八百屋の店主は両腕を組んで「売らないのは当然!」みたいな顔をしてちょっと怒っていました。

しかし母と祖母の激しい責めにあってか店主は段々おとなしくなったんですが、結局謝罪は無かったと記憶しています。

その時点でトマトは売り切れていたので買えなかったんですが、私は特に傷付いたという感じはなくて、「すっきりした」という思いでした。

でもそれをきっかけに私はお菓子を買うにも一番近い「しのだやストア」には行かずにちょっと離れた「よろずやストア」にしか行かなくなりました。

「よろずやストア」記事はこちらです。

 

こんなこと今では大問題になってクチコミはもとよりネットで書かれて、そのお店は倒産するかもしれないでしょう。

まあ例え子供のお使いでもそんなことをする店主は皆無に等しいとは思いますけれど。

 

あと地図にも書いたんですけれど、「しのだやストア」斜め前の蕎麦屋は当時、母や友人と何回か入りましたが、ストリートビューで見ると未だにやっているようでびっくりでした。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
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