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恐怖のボットン便所

今なお存在するボットン便所

ボットン便所をご存知でしょうか?

使ったことのないお若い方でも「知ってはいる」という方は多いようですね。

水洗トイレの前の世代のトイレで和式便器ですが、恐いほど大きな穴が開いている便器です。

便器の下、かなり深い場所(1.5~2mくらい)に便槽とでもいうのでしょうか?便をためる場所があるのです。

↓こんな感じです。

この↑写真で便器奥の右側にある小さな箱は「お尻を拭く紙」を入れておくものです。

ボットン便所が一般的だった時代はロール式のトイレットペーパーは殆ど普及しておらず、20㎝四方くらいの薄茶色のやや硬めの紙を使っていたのです。

硬めの紙でお尻を拭いたら大変なことになってしまいますので、拭く前に軽く手で揉んで柔らかくしてから使うのです。

また上記の写真では便器の前方、つまり奥の壁は完全にふさがっていますが、座った目線のやや下側に小さな窓が付いているトイレが多かったのです。

殆どのこの「窓」は横にスライドして開けることが出来ました。

 

なぜこのような「窓」が付いていたかは分かりませんが、目線のやや下側なので採光と匂いの排出の為ではないかと思います。

昔のトイレはどこも薄暗くて40Wくらいの裸電球一つとかが普通でした。

だから採光を兼ねた窓を付けていたと思います。別に100Wとかの明るい電球が無かったわけではありません。

恐らく、ですが昔は「トイレはむやみに明るくする場所ではない」という考えがあったのではと思うのです。

 

排泄行為は人間の生命活動の一つであり、大変に尊い行為ですが昔は「汚らしいもの」と取られていたのでしょう。

その証拠にトイレは使いやすい場所ではなくて家の一番端の奥まったところに設置したり、戦前くらいまで遡ると(特に田舎などは)トイレだけは一旦外に出て(雨に濡れる場所)数m歩いた場所にポツンと設置されていたりとかもあったようです。

大昔の離れになっていたボットン便所は電球など無かったところもあったようです。

もちろん家には電球はあっても「便所にはいらん!」みたいな考えもあったのでしょう。夜には行けませんね。恐くて。

 

また一部のご年配の方はトイレの事を「御不浄」と言う方もいらっしゃいました。

御不浄=つまり汚らしいもの、という意味なんでしょうね。

今はこんな考えは少なくても日本にはないと思います。トイレが憩いの場所になったりしていますものね。

 

さてボットン便所の便槽に溜まった汚物は月に1度又は数度業者がくみ取りに来ます。

関連記事: おわいや

くみ取る時は便器からホースを入れるのではありませんよ。トイレの外にくみ取りようのホースを差し込むマンホールのような穴があるのです。

(もちろん蓋付き)

 

くみ取る車両はバキュームカーと言って、2トンくらいのトラックの荷台の部分にくみ取った汚物をためる大きなタンクが付いています。

一見すると石油を売りに来る車両と外観は殆ど変わりません。

 

ボットン便所について「今時そんな原始的なものなどない!」とおっしゃるお若い方もいらっしゃるかもしれません。

でもあるところにはあるんですね。(私の今の家ではありませんよ。)

高い確率である場所として、「あまり管理されていない公園のトイレ」、「駅舎がボロボロの田舎の無人駅」などです。

とんでもない田舎に行かなくても首都圏でも割とあちこちにあります。

 

個人宅でも現在もお使いのところもあるかと思います。

でも個人宅では田舎に行っても滅多に見れないかもしれません。考えられる理由として、

 

衛生面、匂いの面、物を落とす危険などから敬遠される。

くみ取り業者の減少→これは地方でも同じでしょう。

 

などがあるのではないでしょうか?

 

諸事情で水洗に変えられなくても今の時代は「簡易水洗トイレ」というものがあります。

これは便器の見た目は水洗トイレと変わらないのですが、少量の水を使い便槽に流すのです。

便器の底部には大きな穴など開いておらず、小さめの穴もしくは水を流す時だけ開く弁が付いていたりします。

ですので不快な便槽を見たり匂いに悩まされることはありません。



ブラックホールのようなボットン便所

私が産まれた家はボットン便所でした。

当時でも大変に古い木造家屋で狭い家でしたが厨房から庭に沿ってやや長めの廊下の突き当りにトイレがありました。

まず扉を開けると男性用の小便器があり、その奥の扉を開けるとボットン便所があったのです。

しかも小便器の部屋とボットン便所の部屋の仕切りの上部に穴が開いていて、そこに40Wくらいの裸電球が一つだけ付いていました。

ただでさえ暗い40Wの電球一つで2つの個室を照らしていたのです。夜は薄暗くてまるでお化け屋敷でした。

 

ボットン便所の便器には大きく分けて2種類あるのをご存知ですか?

それは穴の大きさなのです。この穴が「便器の半分くらいの大きさ」と「ほぼ便器と同じ大きさの穴」の2種類があるのです。

私が産まれた家の便器は確か後者、つまり便器と同じ大きな穴がぽっかり空いていました。

それはもう恐ろしいとかのレベルではありません。吸い込まれるような、小さな子供だと体がそのまま落ちてしまうような大きな穴でした。

イメージ的にはこんな↓かな?と。

地の底に落ちていく感じでした。

スリッパを落としたことはありましたが、幸い体が落ちたことはありません。

世間では小さな子供一人は危険なので、親がそばにいたりして使わせていたようなので子供が落ちたという話しはほとんど聞いたことはありません。

でも皆無では無かったようですが、体が完全に便槽に落ちる前に手をつけば引っかかって下まで落ちることは殆ど無いと思います。

しかし危険であることに変わりはないので、小さな子供が安全に使えるようにボットン便所に被せて使うオマルのようなものが売られていた記憶があります。うちでは買いませんでしたけど。

 

当時も今でも「なぜあんなに大きな穴が必要なのだろう?」と思います。

ボットン便所で水を流すのはトイレ掃除の時だけですが、それにしてもあんなに大きな穴は不要のはずです。

せめて便器の1/4~1/3の大きさで十分だったのでは?と今も思うのです。

小さな子供、いや大人になってもあのボットン便所の穴の恐怖は今風に言えばまるでブラックホールに吸い込まれるような恐ろしさでした。

とにかく下を見ないように、1秒でも早くトイレから出るようにしか考えていませんでした。

でも色々と調べると海外、特にアジアはボットン便所どころか便器さえ無くて穴が開いているだけ、しかも恐ろしく深くて大きな穴のトイレもまだまだたくさん使われているようですね。

北国では大変だったボットン便所

私は今でこそ北海道に住んでいますが、もちろんボットン便所ではありません。

ずーっと東京と横浜で暮らしていましたので昔の北海道の暮らしは分かりません。

でも最近興味深い記事を読んだので書いてみます。

それは昔、ボットン便所全盛時代の冬の北海道でのことです。

 

あるお宅は北海道でも特に雪が深い場所にあり、トイレはボットン便所でした。

昔の北海道の住宅は木造であり、窓も1重の家が多かったようです。

今でこそどの家も北海道は2重窓ですが、1重窓の古い家は冬は窓の外側にビニールを貼って疑似的な二重窓にしたりして寒さを凌いでいたのです。

そのような古い住宅ではトイレの寒さは想像を絶するほどだと思います。個室内の気温は当然氷点下になります。

つまり、ボットン便所だと便槽に溜まった汚物がカチカチに凍ることがあるそうです。

 

ある年の冬、記録的な大雪になったそうで除雪車も遅れたり、バキュームカーも来るのが困難になるほどの状態だったそうです。

くみ取らなければ便槽の中の便の山はどんどん標高を増して行きます。

単に標高が増すだけでも大変なことですが、凍結してカチカチになるそうです。

その街では除雪車の出動もままならない状況だったので、当然バキュームカーなんてもっと出動出来なくなります。

業者さんもバキュームカーを出すための除雪に大わらわだったようです。

 

でもその間も「山」はどんどん標高を増して行きます。

冗談みたいな話ですが、あともう少しで「山の剣ヶ峰」がお尻に届いてしまう、という状況になった時にそこのお宅のお父様はハンマーかツルハシなどで山を砕き始めたそうです。

バキュームカーも来ない、山も凍結して簡単に崩せないとなると氷を叩き割るようにして標高を下げないとなりません。

ビックリする話ですが実際あり得る話です。

 

冬の北海道の厳寒期は本当に何でもかんでも凍ってしまいます。

今のような良い時代になっても例えば車の車内に水物を置いておくだけで翌朝にはカチコチになっています。

私はトランクにウオッシャー液の希釈(夏しかやらないが)やちょっとした車体の洗浄用に2Lのボトルに水を入れているのですが、冬は見事に凍ります。

ボトルいっぱいに水を入れたら車内で破裂してしまいます。

スーパーで買ったシャンプーを持って帰るのを忘れて車内に放置したら凍っていました。

だからボットン便所の便槽の汚物は凍結した山になるのも理解できます。

 

今は田舎に行っても一般家庭ではボットン便所はほんのごく一部だけだと思います。

水洗が当たり前になる時代はあのような原始的なトイレから始まるのは理解出来ますが、でも先に述べたように「穴の大きさ」だけは未だに理解出来ません。

便器の寸法なんて今でも規格品ではありますが、ボットン便所の穴の大きさが理論的に決められたとはとても思えません。

 

古き良き時代という言葉がありますが今後どこに引っ越してもボットン便所だけは勘弁願いたい、と切に思っております。

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10 Responses to “恐怖のボットン便所”

  1. 左馬之助 より:

    私の今の住まいはボットンですー苦笑。大は出来るだけ水洗トイレのある仕事場でしております、ハイ。

    • kaikoshumi より:

      左馬之助様

      こんにちは。コメントありがとうございます。
      そうですか。ボットン便所ですか。今となっては貴重ですね。
      私が大人(思春期以降)になってからボットン便所の家に住んでいたらやはり極力「大」は外の水洗ですると思います。

      また夜や夜中に「大」に行きたくなるのはイヤなので食事も気を付けて健康的な生活を心がけるかもしれません(笑)

      • 左馬之助 より:

        どもです。ボットンといえども一応プラスチック製の洋式便座を設置してはいます。あと強制排気筒がついてるので昔のような匂いは気にはなりませんが…。水洗に慣れてしまうと、やはり抵抗はありますね。またこの排気筒のファンが故障したり停電すると悲惨…家中呼吸出来ない程臭いです(笑)

        父の実家が山形なんですけど、私が幼少の頃は外の、しかも馬小屋に併設(勿論ボットン)でした(笑)夜中に用足しに行くと馬が「ブヒヒヒーン」とかいなないてにゅっと顔出すんですよねー、ちびるどころかおしっこ止まっちゃいましたね苦笑

        • kaikoshumi より:

          左馬之助さま

          こんにちは。コメントありがとうございます。
          洋式便座&排気筒付きとは言っても「実はこの下にはあの恐ろしい穴が開いている」と思うと私はビビッてしまいます。

          夢にも出そうです。

          山形のお父様のご実家はすごいですね。
          やはり離れのトイレだったんですね。これって絶対に恐いですよね。でも馬が横で守ってくれていると思えば大丈夫かな?

  2. より:

    ボットントイレですか?
    私は今年で40ですが一回も使ったことないです。
    これからも絶対使いたくないです。
    私の家がもしボットンだったら・・・、百歩譲って洋式ならいいです。和式は勘弁ものです。

    • kaikoshumi より:

      花さま
      コメントありがとうございます。
      一回も、というのはラッキーだと思います。

      私ももうこりごりです。
      でも今は田舎に行っても無人駅のトイレとかでなければまず「ぼっとん」を見かけることはなくなりました。

      アジア諸国ではまだまだ当たり前で、日本以上に穴が大きいみたいですね。

  3. より:

    いやあ~。ラッキーなんて言われても・・・(笑)
    ただ私の場合潔癖のせいか公共の場のウオシュレットは何となく不潔ぽっくて使いません。(普通に便座には座りますが)
    和式は嫌ですねともかく本当に。
    ちなみに西武ドーム行ったときに通りがかりの20代中盤の中日ファンの人が車でバスツアーで名古屋から所沢ま行く際のトイレ休憩で個室が10個あってその際運悪く用をしたくなり和式を素通りして9個目で洋式があってほっとしたと言ってました。でも今時和式が大部分のサービスエリアなんて珍しいと思いますが管理人さんはどう思いますか?
    長々と失礼しました。

    • kaikoshumi より:

      花さま
      こんにちは。再訪とコメントありがとうございます。

      >・・・今時和式が大部分のサービスエリアなんて珍しい・・

      →私もそう思います。
      SAは最近は改修工事が早いので殆ど洋式で和式は申し訳程度に残っているだけという認識でおりました。

      でも田舎の道の駅に行くと和式が多かったりすることもあるようです。

      また近年学校、特に小中学校の洋式化が速いペースで進んでいます。
      我が子の学校のトイレもあっという間にオール洋式になりました。

      今は家が洋式なので和式の使い方を知らない、もしくは足腰が痛くて使いたくないという子供が多いそうです。

      そういう子供がいるので和式ばかりだと「学校ではトイレに行かず我慢する」という子供が増えてしまうので積極的に洋式便所化を進めているようです。

      学校によっては耐震工事よりも洋式の方が先だとか。

  4. はじめっち&ゆたか&みならいかのん&つるみん より:

    藤沢市は今現在はおそらく100%水洗に近いと思いますが、
    40年前の北部のほうはもちろん汲み取り式の便所がほとんどでした。
    学校ではご存知の通り、あまり「大」はしなかったのですが、いざというときは、
    ポケットにいろいろなものを詰めてると、和式便所では「奈落の底」に落としてしまうこともあったので、
    全部ポケットから取り出してから、ゆっくりと用を足していました。
    ・・・でも「我慢」してるから切羽詰まってることが多かったはじめっち

    むかし「トイレット博士」っていう漫画さあって、
    「トイレット博士」、「うんこちゃん」や「ダラビチ博士」といっしょに
    レギュラー張ってたのが、「タメやん」っした。
    ギャグマンガっしたけど、「バカ」にした笑いではなかったんで、
    子どもたちはみんな、格好いいと思ってたし、「なりたい職業」の
    学校アンケートじゃ男子部門上位だったし、自転車に
    ゴムホース付けて「汲み取り屋さんごっこ」して遊んだのもいい思い出っす。
    ・・・「バケツに水一杯」も喜んでやったっすゆたか

    今はトイレットペーパーですが、昔はお菓子の箱なんかを代用して、
    「花吹雪?」とか言う銘柄のおしりふき紙を置いて、
    2枚を半分に折って使ってました…
    って、はじめっちは教えてくれました。
    すごく柔らかくって、お尻の穴にやさしかったそうです。
    ・・・いま売ってないですみならいかのん

    あたいむずかしいことはよくわかんないけども、
    雪の多い時の汲み取りってば大変だったと、ゆたかは言ってるのだ。
    藤沢だと月一で契約して回ってくれたけど、根室管内(北海道はおそらくすべて)は
    溜まってきたら、こちらから清掃業者さんに電話して
    予約しないといけないと
    初めて知ったりしたとも言っているのだ。
    ・・・そんな苦労は知らなかったのだつるみん

    • kaikoshumi より:

      はじめっち&ゆたか&みならいかのん&つるみん様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      >40年前の北部のほうは・・・
      →なんとなく判ります。これって藤沢~厚木の間くらいの地域ですね。一部の地元の方は「湘北 しょうほく」というと聞いたことがあります。
      この言い方は横浜市に30年以上いても知り合いは誰も言わなかったのですが、過去にTVで「TUBE」(歌のグループ)のボーカルの前田さんが「学生の頃、湘南地域の連中に『お前湘北なんだろ?』と馬鹿にされた」みたいなことを言っていました。

      >「トイレット博士」・・・
      →うわぁ~!懐かしすぎ!記憶から完全に飛んでいました。下品な下らないマンガでしたね。

      >昔はお菓子の箱なんかを代用して、
      >「花吹雪?」とか言う銘柄のおしりふき紙・・・

      →「花吹雪」ってなんとなく覚えています。ペラペラのビニールに包んであったと思います。
      あのようなおしり拭き紙ってどこかに売っていて、
      「これしかない!」って使っている人は今でもいるのでしょうね。

      >冬の北海道のくみとり
      →やはり苦労があったのですね。北海道でも特に地方は大変だったと思います。
      それを乗り越えて皆大きくなった・・・、ということですね。

      ご訪問ありがとうございました。
      またお出でくださいませ。

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管理人について

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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