駅で野宿の思い出
駅で野宿を何度もしました
野宿という言葉を聞いてどんなことを思い浮かべますか?
大体以下のようなものでしょうか。
・キャンプ(テントで寝る)
・車の中で寝る
・山に行ったときに洞窟や岩の陰で寝る(寝袋併用)
まあ以上が王道だと思います。
私は上記のうち「車の中で寝る」しか経験がありません。
キャンプは無いけど駅での野宿は何度もあります。
ちょっと変ですね。
私が駅で野宿をしたのは19~22歳ころですべて夏の北海道です。
時代的には1980年前後となります。
お金がないから、節約するためではなくて【単なる若気の至り/面白そうだから】という理由だけです。
多分私以外の人達も同じような理由だったと思います。
夏の北海道はすごく長い期間旅行する人も多いのでそういう人は純粋に宿代の節約だと思いますが、でも「貧乏」が理由で野宿をしていた人はいないと思います。
だって本当の貧乏だったら旅行なんて行きませんからね。
寝袋だってけっこうよい値段ですし。
ところで今は駅で野宿なんて出来ません。それどころか直ぐに警察に通報されてしまいます。
1980年前後、或いはもっと前の時代は駅で野宿をしていた人はたくさんいます。
でも当時でもスムーズに問題なくというわけではありませんでした。
関連記事:ヒッチハイクの思い出
私が野宿をした駅をご紹介
記憶の範囲で書くと以下の駅で野宿をしました。
特記事項が無ければすべて駅舎外の軒下で寝ました。
写真はすべてクリックで拡大します。
●旭川駅
言わずと知れた都会(大都会と言ってもよいと思う)。よくもまあこんなところで寝たというか寝かせてもらえたと思いますが、寝ている人がたくさんいましたので逆に安心しました。
旭川は今は全面ガラス貼りの近代的なビル形式の駅ですが以前は以下のような駅でした。
(2010年撮影。新駅舎建設中の旧駅)
●稚内駅
今はとてもきれいな近代的な駅ですが以前の駅は写真のような駅でした。
撮影は2008年です。この駅もたくさん野宿組がいましたね。早朝の利尻/礼文行きフェリーに乗るのかもしれません。
なお木でできた「日本最北端」と「稚内駅」のプレートは新駅にも引き継がれています。
●根室駅
写真は2003年撮影で、工事中なのかカバーがかかっていますね。
●深名線 湖畔駅(既廃止線)
1980年8月です。
函館本線の深川駅から深名線(しんめいせん)の最終列車に乗って当該列車の終点である朱鞠内(しゅまりない)駅で野宿する予定でした。
たった1両の古ぼけた気動車に乗り、私以外は殆ど乗客は限りなくゼロに近い車内で、運転席を覗きに行ったら車掌さんも運転席にいて何やら世間話をしていました。
当時はJRではなくて日本国有鉄道(JNR)で、1両の普通列車でも車掌さんが乗っていました。
車掌さん、運転手さんからすれば私がもの欲しそうな顔に見えたのでしょうか?
「中に入れよ」と言って運転席に入れてくれました。
これは驚きましたが大そう感動しましたね。「どこから来たの?どこ行くの?」と話しかけてくれました。
でもさすがに「ちょっと運転してみるか?」とは言われませんでしたけどね。
そして22時過ぎ頃に終着の朱鞠内駅に到着。
この駅まで乗ったのは私一人でした。
少しでも就寝時刻を遅くするために(注:寝袋を使っても硬いコンクリートの上では長時間眠れないので)駅待合室で置いてある漫画を読んでいたら駅員さんが「閉めるので出て行ってくれ!」とぶっきらぼうな言い方・・・。
私一人しかいない駅で周辺には民家がポツポツとあるだけで明かりも殆どない場所です。
私が駅員さんに「すみません、駅外の軒下で寝ていいですか?」と聞くと、「ダメ! 線路沿いに沿って歩いていくと湖の方に出るからそちらに行けば旅館とかあるからそっち行って!」と冷たくかつごもっともなお言葉で追い出されてしまいました。
街灯もろくにない道をトボトボと歩いていきます。
湖(朱鞠内湖)の方って確か5~8kmくらいあったはずです。
でも当時は若さとパワーと好奇心が有り余っていたので真っ暗闇で殆ど車も通らない道でも平気のへっちゃらでした。
小さい懐中電灯も持っていましたし、雨が降らなかっただけでもラッキーでした。
途中円形状の不思議な建物が見えてきました。
これは朱鞠内小学校なんです。今でも建物は残っていて「ふれあいの家まどか」という宿泊施設として使われています。
軽い山越えをして下ると線路が見えてきて待合室のある無人駅が見えました。
ここは「湖畔乗降場」という簡易な駅なのです。
この乗降場があった場所はこちらです。(Google map)
板張りの【台】という言い方がぴったりのホームと、ホーム上に【小屋】と言ってよい簡素な待合室があります。
今日はここで野宿しよう!と決めて早速待合室中へ。
するとなんと先客がいるではありませんか!
二十歳くらいの男性が寝袋に包ってびっくりしてこちらを見ています。
「相部屋にさせてください」(??)とあいさつして私も寝袋を出して狭い長椅子の上で寝ます。
先客の方は大阪から来た学生で、私と同じく朱鞠内駅を追い出されてきたそうです。
周辺は真っ暗で車も殆ど通らない漆黒の闇なので先客がいて安心しました。彼もきっとそう思ったでしょう。
次の日は6時代だったと思いますが、始発の名寄行きに乗って名寄方面に行きました。
でも先客の彼は深川に行くのか、のんびりするのか覚えていませんが始発には乗らずに寝ていました。
この湖畔乗降場での野宿が一番思い出に残っています。
駅で野宿をするリスクなど
とにかく今の時代は駅で野宿など絶対に考えてはいけません。
通報の他に場所によっては荷物などを盗まれる可能性も高いからです。
当時も荷物や貴重品を守るために私はいつもリュックを枕にして寝ていました。
財布などの貴重品は寝袋の足元の方に入れて寝ます。
このようにしておけば財布を盗まれることはまずありえませんし、リュックも枕替わりなので誰かが悪戯すればすぐに目が覚めます。
幸い一度も物騒な目にはあいませんでしたが、それは「たまたま」だったと今でも自分に言い聞かせています。
なお寝袋と枕(リュックなど)を使っても地面で寝るというのは大変に寝心地が悪く、腰などが痛くなります。
また旭川などの大きな駅で寝ると深夜まで人の歩く音がもろに脳みそに伝わってくる感じでうるさくてたまりませんでした。
「だったらユースホステルや旅館で寝ろよ!」と怒られそうですが。
まあ良き青春の思い出でしたね。
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自転車をかじってた(食い物ではない)自分とゆたかは
(会員になる前は)野宿・駅寝・軒下寝は当たり前で、
親に「好きなことやっていいから、せめてYHの会員になってくれや!」
と懇願されたいきさつがあるので、下記のことや「会員になれ!」と言える資格はないですが、
よき思い出として独断と偏見でいたずらくがきします。
(今じゃ、親の気持ちが本当によ~くわかります)
野宿・駅寝等で必要なのは、水と便所・テント持たないときは、
雨風(雪の場合は保温も)しのげる場所です。
内地の駅は、当時は東北でも駅前に水道があったのですが、
北海道にはトイレがあっても水場がなかったことが多かったので、
「ビックマン」4ℓ(←お分かりと思いますが)、または2ℓ×2に、
主に小・中学校でお願いして(無人だったら黙って)
給水して、駅または理解が得られればその学校で、
泊まらせてもらいました。申しあげておきますが、
今じゃ完全に不審者確定です、検挙ものです。
むかしとは言え、よくそのようなことに応じていただいたと感謝です。
そういったものの名残っていうか、地図の「文」マークには目が行きますし、
道楽・性癖?としての閉校した場所めぐりとなっている…みたいです。
・・・「廃墟めぐり」とはちょび違いますはじめっち他一匹
盛岡とか夜行が通る大規模駅では24時間営業で待合室が開いてたんすが、
当たり前すが、保安上の問題から帯広とか一時閉鎖する駅が増えていったのす。
真冬の帯広の外2時間はホントにキツかったでんす。
それでも道北のある駅では24時間施錠せずに、凍結防止用の暖房がたいてあって、
わるいなぁと思いながら、休ませてもらったこともあったっす。
一番初めに駅寝したのが、備後落合というところで、
始発の列車に乗るために待合・仮眠をとるために待合室にいたら、
泊めてはくれたけど、ストーブの火は消されて待合室が5℃くらいに下がったのには参ったす。
(外は-5℃以下だから、感謝ものっすけど)
当初、夜行が1時台~3時近くまで停車するんで、
24時間ストーブつけてるのかなと思ったすが、
乗降客0の実質上運転停車扱いで列車来た時だけ部屋が明るくなっただけ…甘かったっす。
警察にも2度関わられて、米原ではホームレスさんたちと寝ていたら、
警察さんに尋問されてコインロッカーの荷物全部見せられて…
その時の滋賀県警の警察手帳がテレビで見るのと違って縄で結わえてある手帳(なのかアレ?)で
偽造?ニセ警官・刑事と思ったのす。コインロッカー代払ってくれたから本物かもす?
鳥取の福部という駅は駅舎の駅の窓ガラスがほとんど割れていて、
(今急速になくなりつつある)ホームの待合室で寝ていたら、
午前3時ごろに警察に尋問されて自転車荷物の確認を要求されて、最後に
「ここは暴走族が来るから気をつけなさいよ」・・・
それで窓ガラスがなかったんすか…そのあと眠れなくて早朝即出発したっす。
・・・まさか警察に2度守られてたっすか?ゆたか
上記あほの2匹は危ないことはしていなさそうですが、
酔うとよく、「白老駅舎前で野宿したとき、
朝の通学時に短いスカートの女子高生たちが寝てる前を気にせず歩いてくのっす、
見えちゃわないのかと心配したけど見えなかったのす。」と自慢?すっけど、
見えないようにできてるし、短いレギンスか
見えていいパンツ(下着じゃないよ!短パンみたいの)はいてんだよ!
中年ってば、ホントどうしようもないです。
・・・このばか!みならいかのん今なら通報もんです!
あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、
まだあたいらが「やみにかーくれて生きる」妖怪〇〇だったころ、
島ノ下という駅の「駅ノート」っていうものを見に行った時、
駅寝しているチャリダーに遭遇しちゃったのだ。
マイナーな性癖なんで人のいない深夜に「駅ノート」徘徊してたら、
熊みたいな塊(寝袋と自転車・荷物)さ暗闇に見つけて思わず声「わーっ!」なのだ。
起こしちゃったみたいだども、いろんな意味で怖くって怖くって、
「ごめんなさい」も言わずに出てきてしまったのだ。
・・・・・
…んでも待てなのだ、お互い列車に乗らない「本来の駅利用者」じゃないのだ。
「寝てるチャリダーに失礼だろ!」って言いそうな
はじめっち・ゆたかはどういう見解なんだろなのだ。
闇の住人のあたいらよか、クマに似たチャリダーのほうが地域住民に迷惑なんでないだろかなのだ。
・・・広い心が持てないつるみんなのだ
はじめっち&ゆたか&みならいかのん&つるみん様
コメントありがとうございます。
皆様がご経験されたことを読むと「プッ」と噴出すと共に自分の思い出と重なり懐かしいです。
野宿=地面で寝るというのは不思議な世界が見えてきますよね。
そして人通りがある場所だとちょっぴり罪悪感も感じたりして・・・。
でも様々なことがありましたがかけがえのない思い出ですし、今の自分に多少でもプラスにはなっていると思います。
皆様の楽しいお話ありがとうございました。
また来てくださいね。
今更コメントすみません。
自分は大学生なのですが、駅寝旅を絶賛満喫中ですよ!
冬の北海道の駅で寝てたら、除雪作業員の方がストーブと毛布と敷布団持ってきてくれたり、別の駅では、「貧乏旅で寝場所が無くて…。泊めてくださいませんか?」と聞いたら、一晩中待合室を開放してくれたり…。色々ありました。
まあ、今もそんなに冷たい時代では無いという事をお伝えさせて下さい。
ぎんりん様
コメントありがとうございます。
今でも駅で寝たりもされているんですね。
例え田舎駅であってもやっている方がいることに驚きです。
安全で、親切な方がいる駅もまだあるのですね。
さすがに都会の駅だと通報されるでしょうけど。
また当サイトにお越しくださいね。
テレビもラジオも「おりんぴっこ」しかやってないんで、すんげぇヒマだから、
貴ブログを「やりだま精査中~精査中~…」してたら、つい最近のコメントがあった~…っす。
すげぇな!そういう方もいるんすね。今のご時世、積極的に「やれ!」とは言えないっすし、
野宿・ヒッチハイクは施設の人・ドライバーにも迷惑かけっし、危険を伴うこともあるんで、
(特に自分の肉親には)推奨しないっすけど、うちらもそういうことやった世代っすから、
大人になっても過去の素性を隠してまで、…ふっ…強く言えないっす。
・・・ヒッチはやんなかったっすが…ゆたか
あほのゆたか様
コメントありがとうございます。
そして当サイトへのご訪問とご愛顧に感謝いたします。
強く言えない、はそうですね。でもやはり強く「やってはダメ」と言わないといけませんね。
ヒッチハイクも同様ですが。危険ですし、危険が無くても今の時代は様々な人に迷惑を掛けてしまいますから。
もし職質されて「なんで旅館やホテル行かないの?」と聞かれて「これが青春の旅なんです!」と主張して
全く理解されないでしょう。「頭大丈夫か?」と言われるかも?
札幌出身大阪在住です
今も実家は札幌なので、ちょくちょく帰省兼ねあちこちバイクや汽車で回ったりしてます、内地でも
今も北海道の特に夏はバス停、無人駅、道の駅、公園、公民館などで、テント張ってたり、寝袋で寝てる旅人多いですね、文化なのか昔から寛容です^^
お菓子とか差し入れてくれる人もいたりと
また無人ですが、駅によっては寒さ凌ぎにどうぞと新聞紙を置いていてくれてるとこなどもあります
90年代くらいまでは札幌、旭川、岩見沢など大きな駅でも目の前にバイク、自転車止めて寝袋、テント張って寝てる人たちが邪魔になるくらいいましたが、流石に大きい駅には2000年代以降はいませんね
それこそ昔は小さな駅とかでも駅員居て、親切に駅事務室に入れてくれたり、お茶出してくれたり、ストーブつけっぱなしにしてくれたり
それこそ、留置してる客車開けちゃっから、そこで寝ろなんてことも、今はコンプラ的に絶対無理ですが^^;
今年の6月には福井の勝原駅で寝ました
九頭龍湖からの折り返し最終で、運転手さんとあれこれ喋ってて、どこまで行くの?って聞かれて、勝原でおりますって言ったら、今日はここで泊まりかい?と、マットとゴザもあるから寝やすいし、たまに登山の人が寝てるね〜、使うといいよって言われました
ちなみに登山基地的な役割もあるようで、駅内に登山届けボックスもありました
駅に張り紙で、駅隣の公民館にはトイレや水をどうぞ、お湯も使えます、温かいお茶も飲めます、お気軽にご利用下さいと書いてました^^
理詰めにしていけば、事業者もダメとしか言えませんが、禁止場所でやらない、駅で火を使わない、ゴミは出さない、前より綺麗にする、最終後に寝袋とか準備して、始発30分前には片付け終わる、利用者に迷惑をかけない、鉄道を利用して行く、少額でも地域の店など少しでも利用する、乗らなくても記念に切符を買ったりとお金を落とすようにしています
駅寝に限らず、なんでもそうなんですが、許可は?申請は?ごみ、トイレは?となると日本一周旅や山岳縦走などもそもそも成り立たなくなりますね、山登りやマリンスポーツなども事故で迷惑を掛ける可能性があるになんでやるんだ!となれば、際限なく全て許可申請して無い事、事故や迷惑をかける可能性のものは全て禁止と世知辛いものです
SNSからの過度なコンプラで、色々と厳しくなりましたが、ご安全に、ご寛容にの気持ちが少しでも広がっていけばいいなと思っています
TTFN様
コメントありがとうございます。
北海道では駅前とかにテント貼る人はいますね。確かに今も。
1980年代とかまではあらゆる面で寛容でした。
もちろん当時も厳しい人もいて面食らってしまった事もありますが、でも一呼吸置けば「悪いのは自分」と
納得はするのですが。
今はあれもダメ、これもダメ、すぐにSNSで炎上の時代になりましたが、すぐに炎上はともかくとして
多くはよく考えると人間社会、先進国の社会としては当然と思うことも多いです。
でもおっしゃられるように山登り、マリンスポーツ、はたまた日常の電車内でのマナーなどおかしい部分と
正しい部分が両極端になっているのも現代ですね。
何が良いか悪いか分からなくなってきてしまいますが、一番大事なのは他人に迷惑を掛けないことですね。
でも昔の自由気ままな旅、社会が寛容だったころの旅をしてみたいな、と思ったりもします。
ご返答ありがとうございます
>何が良いか悪いか分からなくなってきてしまいますが、一番大事なのは他人に迷惑を掛けないことですね。
でも昔の自由気ままな旅、社会が寛容だったころの旅をしてみたいな、と思ったりもします。
ホントそうですね
極めて一部の指摘や意見がSNS、ニュースで取り上げられるだけで、本質的には昔と実は変わらないのだと思います
山菜キノコ取りなんかもある意味、国有地や市有地への不法侵入窃盗ですし、車中泊のゴミトイレ駐車問題、子供用の花火をするにもどこにもできる場所がない、厳しく指摘する側もグレーゾンの中で日常生活を送ったり、趣味を楽しんだりする部分も多いと思います
厳格にするのであれば、ただ歩いていてもここは私有地なのか確認申請、公園でシェードを張って子供と遊ぶのは許可がいるのかなど^^;;;
公共性の高い場所では他人や事業者自治体などに迷惑が掛からない前提ですが、一過性、一時的な事は許容寛容範囲と、所謂遊び部分がとても大事と思います
ルールとして決められる前の、マナーの部分でとどめ、楽しんでいきたいですね
TTFN様
再訪ありがとうございます。
今はちょっとしたことで直ぐにSNSなどで騒ぎ立てますが触法行為はともかく騒ぎ立てる内容の過半数は触法行為でもマナー違反でも無いものが多いです。
私は当サイト以外にもブログを持っており、YouTubeチャンネルもありますがおかしな(不快な)コメントを書いて来る人のほぼ100%は「当方の何が悪いのか?」を的確に指摘している人はいません。
特にYouTubeでの不快コメントで呆れるのは、そういう人のチャンネルには投稿動画が一つもないのです。
自分の経験に限って言えば100%そうでした。
つまり他人に不快コメントを書きたいが故にIDを取っているのです。
自分は動画をあげるつもりなどないのにです。
SNSは匿名という事はありません。
多くの人が訴訟などを起こして身元がバレて謝罪や罰金の支払いになっています。
それにしても世知辛いというか、ネットは便利な反面弱い者いじめのツールになっている事は悲しいです。
こういう気持ちを払拭するためにも各駅停車の旅でも出たいな、としみじみ思います。