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帯広ユースホステルとその後 (北海道帯広市)

帯広ユースホステルの思い出

帯広駅から徒歩で10分弱に【帯広ユースホステル】(以下、帯広YH)がありました。

帯広YHのあった場所(Googleマップが開きます)

このユースは数え切れないほど泊まりました。

駅から近く(駅も交通の拠点なのでどこに行くのも便利)、収容人数が多いので真夏でも泊まれる可能性が高い、ラウンジでゆっくりできるなどビジネスライクではありましたが大変に気に入っていました。
今は付近のJR根室本線は高架になってしまいましたが、昔はYH前に踏切のある地上の線路で、毎朝この線路際で【見送り】をするのが夏季の恒例行事でした。

 

誰を見送るのか?ですが、朝やや早く出発する列車に乗る人を見送るのです。

大体が8時前後の釧路方面の列車でした。

どういう風に見送るかというと、シーツ(YHでは封筒状のスリーピングシーツというもの)に「再会を期す」と大きく書いてそれを数人で持って列車と共に走ったり騒いだりするんです。

そして見送られ側は列車の窓を開けて身を出して「行ってきます~」と叫ぶんです。

中には列車からお菓子やバナナを線路に向かって投げる人もいました。

もちろん直ぐに線路に落ちたものは回収に行って食べます。

列車の運転手もわざと徐行してくれたり、危なくなくても警笛を鳴らしてくれたり大サービスでした。

印象に残っている見送る列車は「帯広発釧路行きの急行ぬさまい」(後に快速)と「足寄・陸別経由の北見行きの急行地北(ちほく)」の併結編成、そしてまだ廃線前の広尾線の広尾行きでした。

今思うととんでもなく危険だし、許されないですね。

見送り風景の写真も探せばあるかもしれません。

出てきたらここにアップしたいと思います。

私が泊まりはじめた時の名称は「帯広YH」でしたが、その前は「平原荘」と言っていたそうです。

その後私の記憶が間違っていなければ、帯広YH→ホリックスビル(オフィス?)→ホテルホリデー→閉館となっています。

 

【2016年11月9日追記】

私のPCのHDDの奥底から現役時代の帯広YHの見送りなどの写真が出てきました。

しかしこれは私が撮影したものではなくて、だいぶ前にどなたかのサイトよりダウンロードさせて頂いたものです。

この写真の大元の持ち主様のサイトをご存知の方、または持ち主様は本サイトの上部にあります「お問合わせ」からご連絡頂ければ本サイトで引用元のサイト様への謝辞及びご紹介を書かせて頂きます。

以下の写真は線路際での毎朝恒例の見送り風景です。恐らく1970年代後半~1980年代前半ではと思います。

(クリックで少しだけ拡大します)

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2014年5月現在の旧帯広ユースホステル

帯広YHを知る人は、これを見て懐かしさと悲しさを覚えるのではないでしょうか?

約2年前の写真ですが、ストリートビューで2015年8月撮影の写真を見ると緑のカバーが掛けられていて、カバーの隙間から反対側の風景や足場が見れるので多分もう取り壊されているのでしょうね・・・。

その後私は帯広に行っていないので最新の状況はわかりません。

なおYHをはさんで反対側のレストラン「四季屋」は建物はありますが営業しているかは判りませんでした。

 

写真で高架の線路の手前に広い空き地がありますが、ここが毎朝見送りをしていた場所です。

(クリックで拡大します。)

 

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【2018年11月7日 追記】

当サイトのご訪問者様でおられる「素人さま」より跡地の最新情報と、大変懐かしい写真をご提供して頂きました。
(いずれもクリックで拡大します。)

2018年10月の状況
↓「YKK AP」の建物の場所が帯広YHがあった場所です。

↓毎日朝見送りをした場所です。YHの玄関前付近から見ています。↓

1986年8月6日の朝の見送り風景
上記写真の丁度高架下付近となります。ホステラーの顔にはあえてモザイク処理をしておりません。
32年も経過しているから、と当方で勝手に判断させて頂きました。

これらの写真を見ると私も胸にこみ上げてくるものがあります。
私もこの日の数日後に帯広YHに泊まっています。


 

その他、素人さまよりの情報

・YH前にあった和食レストラン「四季屋」は無くなり更地になっていた。

・YH裏にあった倉庫(バイクの駐車場)も無くなり賃貸アパートになっていた。

・ペアレントさんが通われていた「アサヒ湯」は健在。リニューアルされて綺麗になっていた。

・「アサヒ湯」の隣 海羽(アマハ)商店。もう ずいぶん前に閉店したようだが、建物や看板は当時のままのようだった。

 

以上です。「素人さま」、ご協力どうもありがとうございました。

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30 Responses to “帯広ユースホステルとその後 (北海道帯広市)”

  1. じーぼう より:

    はじめまして。最初はホステラーとして、その後ヘルパーとして帯広ユースホステルにお世話になった者です。多くの方と出会い、親切にしてもらった記憶は大切な心の宝物になっています。複雑な気持ちをもって画像を拝見しました。「再会を期す」の白いシーツと旗をもって、毎日「お見送り」をしていたこと、「海のトリトン」の音楽に合わせて「お見送りの踊り」をしていたことが、リアルによみがえってきました。ありがとうございます。

    • kaikoshumi より:

      じーぼう様
      こんにちは。コメントありがとうございます。そうでしたかヘルパーもおやりになっていらっしゃったんですね。
      (もしかしたらお会いしているかも?)

      立地もよいので夏はものすごい人の数でしたね。
      私も思い出すたびに胸が熱くなります。青春の素晴らしい思い出です。
      「海のトリトン」覚えています。ヘルパーさんの眼差しが物凄く真剣で、踊りもキレキレでした。

      当サイトでは別のユースや北海道の思い出なども書いていますのでぜひまた訪れてくださいね。
      ありがとうございました。

  2. なるむ より:

    はじめまして、私はツーリングライダーです。
    去年の夏ホテルホリデーに訪問した所、建物撤去中で大変ショックでした。
    宿の主人には大変お世話になり、かけがえのない思い出の場所でした。
    近年ではライダーハウスとしても営業されており、
    千円で洗い立てのシーツの布団と大浴場の宿に泊まれオアシスのような場所でした。
    YHとしての過去があったのですね、
    記事大変興味深く読ませて頂きました。
    建物の最後の写真が見れて本当に嬉しかったです。
    是非過去の写真等有りましたら拝見させて頂きたく思います。

    • kaikoshumi より:

      なるむさま
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      ホリデー時代にご利用されていたんですね。
      私はYHしか知らないんです。

      でも多くの旅行者に愛された憩いの宿だったと思います。
      過去の写真探してみます。たぶんフィルムで押し入れの奥にあるはずです。

      なお本サイトでは他にも北海道や旅行関連の記事もありますのでぜひご覧ください。
      では。ありがとうございました。

  3. 通行人 より:

    懐かしい記事をありがとうございました。お見送りのシーンで車窓から投げられた缶ビールが線路の砂利にあたり噴き出したのをヘルパーさんが慌てて飲んでいたのを思い出しました。近くの朝日湯に行き、タオルが凍り棒になったこと、この木何の木おどりでへとへとになるまで楽しんだこと、良き時代でした。ユースのスタンプが沢山あり、集めるために何度も泊まりました。何酒類スタンプがあったのでしょうか?

    • kaikoshumi より:

      通行人さま

      こんにちは。コメントありがとうございます。
      確かに車窓からいろんなものが飛んできましたね。
      悪乗りした人はスリーピングシーツにお菓子などを包んでシーツごと車窓から投げた人がいました。

      つまりシーツの返却です。

      スタンプの種類は私も分からないです。
      確かに何種類もあったのだけは覚えていますが。

      ご訪問ありがとうございました。
      またお越し下さいませ。

  4. 素人 より:

    ネットサーフィン中に、偶然 見つけました。今から31年前 1986年8月4日 帯広ユースに初めて泊りました。当時
    高校2年生 自転車一人旅の途中でした。夜のミーティングは、衝撃的で今でも鮮明に覚えております。「この木なんの木」 「落陽」 「旅の終わり」の大熱唱。朝は、盛大な「お見送りの儀式」・・・。途中から居候となり、ヘルパーさんはもちろん、父さん・母さんにも大変お世話になりました。滞在が思いのほか長くなったので、アサヒ湯や近くに当時あった「ペンギン」というラーメン屋に行ったり、コンビニのような「あまは商店」に行ったり・・・・。今でも 毎年 8月来ると、あの頃を思い出します。

    • kaikoshumi より:

      素人さま
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      やはり私と同じ経験をされていらっしゃいますね。
      当時も一見ビジネスホテル風でしたが、中身は正統派YHだったと思います。
      旅の終わりは北海道YHの定番ですが、落陽も絶叫しました。

      青春というよりも人生の一ページというほど素晴らしい経験をしたと今でも思っています。

      この度のご訪問ありがとうございました。
      またお出で下さいませ。

  5. 通りすがり より:

    偶然お邪魔します

    あの頃を思い出します 懐かしいですね
    写真の シェ~ を している方ですが 
    たぶんですが80年前半だと思います
    カター あいうえお が 居た頃の写真じゃないですかね?

    当時のYHスタンプ とか 探せばあるかな?
    周遊券は保存してあるので 鉄ちゃんじゃないですが
    金欠旅行だったので記念品代わりですね 当時のですが

    楽しい一時だっな~~~ 
    またお邪魔させてください。

    • kaikoshumi より:

      通りすがり様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      写真は拝借物ですので正確な年は分かりませんが、私が泊まりまくっていた時代と同じ感じなので1980年代前半であることは間違いないと思います。

      私が行く時は夏でも冬でも何時も人が多い日ばかりだったので、一人一人の顔や印象はあまり覚えていなんですが、物凄く「青春」だったと思います。

      建物は無機質でしたが、本来のYHの楽しさを味わえたのが帯広でした。
      本当に胸が熱くなるほど懐かしいです。

      またお出で下さいませ。
      色々と記事をご用意いたします。

      ご訪問ありがとうございます。

    • じーぼう より:

      通りすがりさん、はじめまして。
      昭和57年、58年当時の一時期に、帯広YHでヘルパーをしていた者です。あいうえおさんとカーターさんをご存知なのですね。いやー懐かしい名前。私はお二人や、お父さん、お母さん、ヘルパー仲間の皆さんに大変お世話になりました。とてもいい思い出です。

  6. 通りすがり より:

    kaikoshumi 様 この場をお借りします

    じーぼう 様

    どうも通りすがりです 
    久しぶりに見てみたら懐かしいコメントありがとう御座います
    カーター あいうえお 両名は 
    変わって無ければ 札幌に居ますよ←かなり古い情報ですが?
     
    そのころ ヘルパーをなさっていたとなるとたぶんお会いしているかも
    しれませんね? 

    この話もご存じでは? 帯広でタクシーを使うなら 
    ○○会社の  宮田さんを指定とか

    なんか あの頃に 今戻っていたら 
    間違いなく社会復帰できないでしょうね←自分ですが、当時も結構ヤバカッタです

    • じーぼう より:

      とおりすがりさま。
      返信がおそくなってすみません。カーターさん、あいうえおさんが札幌に住んでおられるかも知れないとのこと・・・全く連絡を取っていなかったので知らなかったです。お元気にされていることを願っています。貴重な情報をありがとうございます。

      「帯広でタクシーを使うなら○○会社の  宮田さんを指定」という話は、ちょっと記憶にないです。

      私も北海道と出会った人たちの暖かさに魅了されて、一時、北海道に住んでいました。
      私の人生の中で、北海道で過ごした時間は、大切な思い出が詰まった時間でしたね。

  7. と~だい より:

    1985、86年と二夏、帯広YHでヘルパーしていたと~だいと申します。
    いや、懐かしいですね。帯広YHに着いて最初にやったのが、掃除や飯炊きではなく、海のトリトンとラムのラブソングの練習でした。踊りは今でも踊れます。

    「帯広YHのヘルパーは、笑われてナンボ、人に後ろ指さされてナンボや」。帯広YHで沢山の人の前で馬鹿をやったのは、今でも人生の宝物です。

    じーぼう様 大変ご無沙汰です。お元気ですか? と~だいは何とかやっています。

    素人様 86年の夏、長期滞在していた高校生チャリダー様がいたこと、思い出しました。お久しぶりです。と~だいのこと、覚えてます?

    kaikoshumi様 一度くらいお会いしているのかも知れませんね。

    • kaikoshumi より:

      と~だい様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      当時の夏であればこのYHは連日大盛況で物凄い人でしたね。

      時期的に言って私は間違いなく「と~だい様」にお会いしていると思います。
      しかもこの2年間でも複数回と思われます。

      帯広YHは見た目はビジネスホテルでしたが、中身は本当にYHらしいYHだったと思います。
      二度と出来ない永遠の思いでです。

      本サイトには他のYHや北海道関連の記事も多くありますのでぜひご覧下さい。
      そしてまた当サイトにお越しくださいね。

    • 素人 より:

      とーだい様 覚えていてくれて大変うれしく思います。その後、お元気でしたでしょうか?まさか ここで「再会を期す」とは・・・・。いや~すべてが懐かしく良い思い出です。1986年は思のほか居心地が良く、長居しておりました。「あの頃、ユースで出会った方々はどうしているのかな?」なんて 時々 考えたり・・・今日 8月4日は、私が初めて帯広ユースに泊った日です。もう 32年前ですが・・・当時 17歳の高校2年生の私でしたが、今年で49歳になります。月日が流れるのは本当に早くなりました。秋に妻と20年ぶりに北海道へ、周遊する計画です。もう建物も無いようですが、周辺を散策してみるつもりです。アサヒ湯は健在 ・天羽商店は、グーグルで見る限り建物がある見たいなので。

    • じーぼう より:

      と~だいさん、お久ぶりです。懐かしいですね!お元気そうでなによりです。私も元気にしています。84年に一緒にヘルパーしましたね。「やあ!」と、プリントされていたTシャツが印象に残っています。「海のトリトン」踊り、私も少しだけ踊れますよ(笑)。

  8. はじめっち(文責)&ゆたか より:

    30年位前に何度か、帯広YHを利用したことがあります。
    14時ごろ玄関につくと、ヘルパーさん4人が卓囲んで麻雀に興じてまして、
    「うわぁ~、すげぇとこ来たな!」と思いながら、
    2時間ほど、楽しい麻雀を見学しました。
    ほかの方々はどう思ったかわかりませんが、自分は
    「開放的でアットホームだな!」と直感しました。
    飲酒についてあらかじめ聞いてみると、「いいじゃんいいじゃん!飲みなぁ~」
    「人に迷惑かけないなら、ある程度自由なのもいいんらよ!」と、
    ウィスキーの小瓶をわたしてくれました。あらま!
    YHの時代が少しずつ変化してきた、そんな時代に入ってきた80年代ってところでしょうか?
    ・・・食事もボリュームあったですはじめっち

    • kaikoshumi より:

      はじめっち(文責)&ゆたか様
      コメントありがとうございます。

      帯広YHは北海道旅行をするホステラーからは「ビジネスホテルYH」とも言われていました。

      確かに外観はそうですが(閉鎖後本当のビジネスホテルになった時期もあったが)泊まったことのある人は皆、「とっても温かみがあって、居心地がよいYH」とおっしゃいます。

      私も同感です。
      夏の繁忙期、冬の閑散期、いつでも暖かく精一杯のもてなしをしてくださいました。

      そしてホステラーも質が良かったと思います。
      とてもとても心に残る素晴らしいYHでした。
      そうでなければ何回も泊まらないし、本記事に頂いた多くの方のコメントのようなお話しはいただけないと思うのです。

      忘却の彼方に行ってしまったYHですが、私の旅、そして人生に影響を与えたYHの1つでした。

      今振り返ってもこみ上げる感情があります。

  9. んにゃ より:

    こちらのユースホステル、開設当初はこことは別の地にあって、名称に『筒井旅館』という名を冠していたようです。名称で見る限りの話ですが、『平原荘』という名が付いていた時期までは旅館との併設、その後『帯広』に名を変えた頃からユースホステル専業になったのでは?と勝手に想像してます。

    ホステラーから人気を博していながら閉館し、ホテルとなってしまったのは、「ユースホステルだけでは生活できない。ホテルに切り換えた方が儲かる。」とペアレントが判断したからってことなのかな?。
    今、ペアレント氏がどこで何をされているのか・・・ちょっと気になります。

    • kaikoshumi より:

      んにゃ様
      コメントありがとうございます。
      平原荘の名称だけは知っていますが実質帯広YHになってからしか存じ上げません。

      様々な変革があったようですね。

      確かに経営は厳しかったと思います。
      いくら若者の宿として頑張っても赤字垂れ流しでは続けていけませんね。
      残念でなりません。

  10. 昭和時代のホステラー より:

    高木美帆を見たくて帯広に来ました。ISU帯広大会。YHがあったあたりを歩いていたら涙が出てきました。バックパックを背負ってうろつく、こんな楽しい時代を経験できて幸せです。

    • kaikoshumi より:

      昭和時代のホステラー様
      コメントありがとうございます。

      >バックパックを背負ってうろつく・・・

      →このお言葉は私も胸にぐっと来ました。
       わたしそのものでしたから。

      本当に懐かしいし、経験できた喜びそして誇りを感じます。

      また当サイトにお越しくださいね。
      ご訪問ありがとうございました。

  11. はじめっち&ゆたか&みならいかのん&つるみん より:

    この前、物置で昔のYHのスタンプ(補助カードっていうらしい…)が見つかって、
    どうやら1986年8月6日に、宿泊してたみたいです。
    この写真は8月5日宿泊者の広尾線方面のお見送り…かな?
    ・・・すんげぇ写真が出てきましたねはじめっち

    うちらは次の日「快速ぬさまい」で見送られたっす。
    この中に6日当日、玄関前で麻雀やってたHP4人がいたのかなって思うと、
    なしてか知らんけど笑いがこみあげてくるっす。
    ・・・写真鮮明すぎるっす!あははは…っすゆたか

    最近知ったのですが、「野村川湯小学校」というサイトで、
    YHの懐かしい写真を、拝見することができました。
    きっと帯広YHなんかも老舗でしょうから、
    けっこうおもしろなつかしい写真なんか、もっとあるのかもしれませんね。
    ・・・写真集出せそうなくらい資料ありそう…みならいかのん

    あたいはむずかしいことはよくわかんないけども、
    たしか「新得」のYHさんも筒井さんという方が経営されてたらしいのんすが、
    同じ方なのかな?なのだ…たぶん違うのだ。
    ・・・サホロでスキーやって泊まり損ねたのだつるみん

    • kaikoshumi より:

      はじめっち&ゆたか&みならいかのん&つるみん様

      コメントありがとうございます。

      >1986年8月6日に、宿泊してた・・
      →それはすごい! ギリギリでしたが写真の中には連泊者もいて会話をした人もいるんでしょうね。

      >「快速ぬさまい」で見送られたっす。
      →翌日のこの風景だったのですね。
       ところで「快速ぬさまい」はもっと前は(1980年ころまで?)は「急行 ぬさまい」、「急行 池北」の併結だったのですよ。

      「池北(ちほく)」は後の「ふるさと銀河線」となる国鉄池北線で池田で切り離して足寄方面の北見行きでした。

      両方ともローカル列車だけど急行だったので普通乗車券の他に急行券が必要でした。
      でもYHを利用する人は皆周遊券だったので関係なく利用していましたが。

      >「野村川湯小学校」というサイト・・
      →知らなかったので拝見しました。
      時代を感じさせる写真がありますね。
      でも私はこのYHに泊まっていないのです。今思えば残念でした。

      >「新得」のYHさんも筒井さん・・
      →すみません。存知上げません。
       あの付近のYHも泊まってはいないのです。
       サホロは家族でホテルに泊まったことがあります。
       ゴールデンウィークでした。

      皆様、どうもありがとうございます。
      またぜひお越しくださいね。

    • 素人 より:

      はじめっち&ゆたか&みならいかのん&つるみん 様

      1986年8月6日に泊まったとのことですね。そうすると 翌7日に出発だったのでしょうか? でしたら 私 間違いなく
      お見送りしたと思います。私は4日 夕方ユースに到着しましたが、翌日から悪天候でユースを出たのは8日朝。4日から4連泊したのです。そして 連泊中 メンバーが足りないので、おおよそルールを知っていた私は、 談話室で麻雀 繰り広げていました(笑) ちなみ、私は 再開を期す 再の字のすぐ左 白Тシャツに緑のタンクトップ 右手でピースしております(当時17才)
      新得のユースは、帯広ユースのペアレントさんの息子さんがペアレントさんでやっていました。平成4年 新婚旅行時 3泊しました。5年ほど前に閉館になってしまい、残念です。

  12. はじめっち&ゆたか…がいつもお世話になってるのだ!(byつるみん) より:

    まずは…このような場や機会を設けていただいている
    ブログ主催者「ノンダクレー」様に略儀ながら改めて御礼申し上げます。
    自分らは「Cメール」も「e-mail」も「LINE」も「SNS」もできないため、
    このように自由発言(が過ぎるようなら叩っ斬ってください)や出会いができる場は、
    たいっへん貴重に思います。本当にありがとうございます。(4あほ代表:はじめっち)

    さて、素人様、(他の方のブログの中にもかかわらず…あははは)
    お返事ありがとうございます、っていいのかなぁ?
    実は自分らはこの悪天候がなければ、YH帯広には宿泊しなかったわけで、
    運命とは実におもしろいものです。というか、名乗り出られるとは…(年齢公開とは…)
    ともあれ、その齢(よわい)で旅さ出られるとは、よい時代でしたね。
    ・・・いや~(覚えてないけど)なつかしい!はじめっち

    86年の少し前に、帯広の駅前に「カニの家」というのがあって、
    ライダー族が男女ごろ寝で宿泊してたのらしいっす。
    画期的な宿泊施設だと当時は騒がれていたのっすが、
    (たしか「男女別相部屋」でなかったはずっす)
    ある事案が発生して、その後どうなったか、ちょびわからないのっすが…。
    こういう機会がYH帯広に作用してたら、どうなっていたかなぁ…っす。
    YH帯広ってば、あれだけ自由な雰囲気だったから、
    堅いYHのイメージ払しょくできた…時代的にムリすか?
    ・・・自分らは大正駅に泊まったっすが…ゆたか

    • kaikoshumi より:

      はじめっち&ゆたか…がいつもお世話になってるのだ!(byつるみん)様

      こんにちは。コメントありがとうございます。

      >このような場や機会を・・・ブログ主催者「ノンダクレー」様に略儀ながら改めて御礼・・・

      →とんでもございません。こちらこそご訪問者様には感謝感激です。YHの記事のみならず「このブログを読んで青春が蘇った」、「記事を読んで涙が出てきた」というコメントを頂く事もあり、私の方が胸が熱くなります。

      当ブログは私が過去の様々な情報を探していても見つからず、「ネットの意外な盲点かも」と思い私の記憶の範囲でお伝えする当ブログを立ち上げたのです。

      例えば帯広YH一つにしても私よりはるかにお詳しい方はたくさんいらっしゃいますが、私のささやかな知識もその隙間を埋める程度にはお役に立てることが出来て嬉しい限りです。
      これからも「偏見はないけど独断だらけ」の当ブログをよろしくお願い申し上げます。

      >帯広の駅前に「カニの家」・・
      →覚えています。帯広駅を正面に見て直ぐ(やや?)左側線路沿いですね。
      自衛隊のテントみたいのがあって「カニの家」と書いてあって結構衝撃でした。もちろん泊まったことはありませんが、これもあの時代の若者の旅だったんですね。

      これからもYHや旅の話題はもちろん、「あの日・あの時のモノ」を追求していきますのでちょくちょく覗きに来て下さいね。

      ご訪問ありがとうございました。

  13. と~だい より:

    7月に一度書き込んだ、と~だいです。

    実は記憶違いがありまして、と~だいが帯広でヘルパーしたのは、84年と85年の夏でした。失礼しました。 m(_ _)m

    ただ、86年の夏も帯広に行っています。旅の記録を掘り起こしてみたら、
    8/8帯広着-8/12帯広発
    (原付で塩狩温泉YH-稚内YH-紋別流氷の宿YH-野村川湯YH-標津YH)
    8/17帯広着-8/22帯広発

    8/8はYHに着いたのが19:50。そしたら、「みんな疲れが溜まって来ているので、今日はお前がミーティングやれ」と言われ、20時からミーティング。
    帯広のミーティングって、この時期は参加者が100人超えるので、大変なんですよ。人使いの荒いYHだった。(笑)

    • kaikoshumi より:

      と~だい様
      わざわざご連絡ありがとうございます。
      ヘルパーをされた時期から言うと100%私とお会いしています。
      お互い当時の顔を見ても判らないでしょうが。

      1986年は原付で回ったとはすごいですね。
      たまに見かけますが、原付や自転車はすごいと思いますよ。

      でも北海道に引っ越してきて知ったのですが、北海道の新聞、郵便配達は真冬でもバイクなんですよ。
      雪や氷でタイヤを取られてまともに走れないので、超低速で両足を地面につけてバランスとりながら走るのです。見ていて気の毒になります。

      夏の帯広は物凄い人の多さだったので確かにミーティングは大変でしたね。

      ご訪問ありがとうございました。
      またおこしくださいね。

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管理人について

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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