Sponsored Link

八重洲無線とケンウッドの事業所 (東京都大田区)

東京都大田区内に八重洲無線とケンウッドがすぐ近隣にあった!

私は以前アマチュア無線をやっていました。

今は局面(無線局の免許、資格ではない方)は更新せずに流してしまい、アマチュア無線自体から相当遠ざかっています。

当時私は八重洲無線のリグを持っていたのですが、修理や部品を受け取るために東京都大田区の【八重洲無線東京工場】に何度か足を運んだことがありました。

これは1980年~1985年頃のお話です。

場所は東急目蒲線(現、東急多摩川線)の武蔵新田(むさしにった)駅から徒歩5分くらいの住宅地の中でした。

【東京工場】というからには生産ラインがあるのかどうか判りませんが、とにかく【東京事業所】ではなくて【工場】と書いてあったと記憶しています。

その場所は今は【エンゼルハイム下丸子第3】というマンションに変わっています。

地図での確認はこちらをどうぞ(Googleマップが開きます)

建物の外観の概略は以下のようでした。
(クリックで拡大します。ブラウザの「戻る」ボタンで記事にお戻り下さい。)

 Yaesu_nitta

サービスセンターは左側の建物から入って正面でした。

小さなカウンターがあり、奥ではサービスマンがもくもくと働いていました。

印象的だった方はお二人いて(お名前は?です)、お二人ともとても体格のよい朗らかな方で、1人はメガネをかけていました。

どの方も「全員アマチュア無線やっているの?」という雰囲気の方ばかりで親しみやすかったです。

けっこう古い建物だったので同社はその後、中目黒→天王洲とリッチな場所に移転していますね。

1980年代に仕入れた八重洲無線東京工場のヒミツ

ヒミツと言っても大した話しでもないし、企業の秘密を暴露するとかのレベルではないのでちょっと書いてみます。

恐らく何も問題はないと勝手に判断します。30年以上も前の話ですしね。

私も社会人になり某電子業界に就職したのですが、取引先の方で親しくなった【東○株式会社】の営業マンが色々と話してくれたのです。

東○さんはコイル、ICなどの電子部品で世界的に有名な会社で世の中のあらゆる電子機器は同社の部品がないと作れないというほど凄い会社です。

その方のお話によると、八重洲の東京工場は実は以前は東○の事業所だったとか。
つまり八重洲が買ったのですね。
その営業マンは「懐かしいな・・・、サービスの入っているビルの4階が食堂なんだよ。実はね、あの建物というか食堂の床が微妙に傾いていて、味噌汁の液面が
斜めになるんだよ」なんて楽しそうに話してくれました。

また平たい2階建てのビルの1階は購買、2階は技術部だとか・・・。

また八重洲の人は武蔵新田で飲む時には駅前の居酒屋「白鶴」(ストリートビューで見るとまだ健在らしい)に行くことが多い、でも時々ケンウッド(当時の社名はトリオ)の人も飲みに来ていて和室のふすまを隔ててライバル会社が宴会をすることもあったと・・・。

まあサービスの窓口しかしらないので興味津々の話しでしたね。

八重洲無線から917m離れた場所にあったケンウッド

実は八重洲無線東京工場から程近い場所にケンウッド(当時の社名はトリオ株式会社)の東京事業所がありました。
(こちらは「工場」とは言わず、「事業所」だった)

私はケンウッド(トリオ)のリグは持っていませんでしたが、興味津々で事業所を見に行ったこともあります。

現在同社の事業所があった場所は【コスモ千鳥町ロイヤルフォルム】というマンションが建っています。

当時のケンウッド(トリオ)東京事業所の場所はこちらから(Googleマップ)

こちらは最寄り駅の東急池上線の千鳥町(ちどりちょう)から徒歩5分の住宅地です。

でも敷地の直ぐ後ろを東急池上線が走っています。

同社はオーディオで有名ですが、聞くところによると東京事業所は殆どが無線機関連でオーディオは八王子だったそうです。

こちらは玄関からちょっと眺めるだけでしたが八重洲の東京工場より、もしかしたらちょっと古いかも?という感じで、2階建て(?)と4階建ての建物が混在していて、そのほかにも小さい建物がくっついていて恐らく中に入ったら迷路みたいなんだろうな、と思いました。
同社も流石に古い建物だったので、1989年ごろに横浜市の鴨居に新しい建物を建てて引っ越しています。

そして驚くのはライバル同士の両社事業所間の直線距離は917mなんです!

(正面入り口どうしの大よその距離です)

こんな近くでライバルが拠点を構えていたんですね。

スポンサーリンク


4 Responses to “八重洲無線とケンウッドの事業所 (東京都大田区)”

  1. たけぴょん より:

    両社とも東急下丸子駅近くの電話局に近く同局から発射されていた142.1xMHz(8チャンネル 250W)の影響を受けて144Mのアマチュア機なんて大変な状態でした。
    ステレオ機器にも影響を与えトリオの事業所では大変だったでしょう。

    FM東京のトリオ提供の時報は今でも思い出しますね。

  2. kaikoshumi より:

    たけぴょんさま
    こんにちは。コメントありがとうございます。

    知る由もありませんが、おっしゃる通りVHFで場所も近いので感度抑圧とかあったのではと思います。

    下丸子の電話局って確か線路のすぐ脇でしたよね?
    今はどうなのか分からないですが。

    FMのCM、「ステレオトリオ~」でしたね。
    後に「・・・ケンウッドの風・・」とかのCMに変わったと記憶しています。

    FM東京(今はTokyo FMって言うんですよね)も散々聞きまくっていましたので・・・。

    ご訪問ありがとうございました。
    またお越しくださいませ。

  3. 竹カッコン より:

    懐かしいですね。栃木の50代です。

    私は大学の頃目黒区(といっても大田区にかなり近い)に住んでいて、よく八重洲に修理を依頼していたものです。FT-757、FT-690、それからめちゃくちゃトラブルの多いFTV-700など。

    あるとき行ったらひとりでFT-101を7〜8台持ち込んでいたおじさんがいて、「いやー、いままでCBで使ってたんですよー わっはっは」などと言いながら修理を頼んでいました。

    たしかに工場だったと思います。そこに修理サービスの窓口があった形ですね。

    de JP1DDD
    http://takekakkon-k.blog.so-net.ne.jp

    • kaikoshumi より:

      竹カッコンさま

      こんにちは。コメントありがとうございます。
      アマチュアをおやりなんですね。私もFT-690は持っていました。
      FTV-700、懐かしい機種名ですね。この手の物はトラブル多かった類だと思います。

      それにしてもFT-101シリーズは圧倒的な強さで他社を寄せ付けませんでしたね。
      でもアマチュア業界にいる人から聞いた話では、八重洲はFT-101に固執し過ぎた、と言っていました。
      確かにその後のヒットがあまりありませんでしたが、天王洲アイルに引っ越せたんだから由としますか。

      さて竹カッコン様のブログも拝見させて頂きました。
      私は鉄道ファンでもありますので興味津々でした。
      また見に行きますね。

      この度のご訪問ありがとうございました。
      またお出で下さいませ。

コメントを残す

サブコンテンツ

管理人について

管理人

こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

スポンサーリンク





写真素材無料【写真AC】


無料動画素材なら【動画AC】

このページの先頭へ