Sponsored Link

新宿区立戸山中学校のロードレース

新宿区立戸山中学校の恒例行事・ロードレース

私の母校・新宿区立戸山中学校(戸山中)には毎年男子8km、女子6kmを走る「ロードレース」という行事がありました。

(戸山中の記事はこちらをどうぞ)

運動会とは別です。体を鍛えるための行事で年に一度ありました。

年代は昭和48~50年(1973~1975年)頃のお話です。

 

男子が8km、女子が6kmを走るのですが、レースの1ヶ月くらい前から「強化練習」が始まります。

強化、とはいっても校庭を走る時間が増えるというだけなのですが、いつも走りながら心中で、

「神様、どうか今年のロードレースが雨などで中止になりますように・・・。」

とつぶやいていました。

別に地獄のレースとか、厳しくタイムを計るとかではなくて途中で歩いてもOKなんですが、とにかく8kmも走るのはかったるいのでイヤでした。

同級生で「ロードレースが待ち遠しい」なんて思っている人はほぼ皆無だったのでは?と思います。

とにかく、かったるかった戸山中ロードレース

学校の校庭は確か1周400mの普通サイズ、しかも新宿区という都心だったので走れる場所は限られます。

まさか広くて学校から近いからと言って新宿御苑や代々木公園で大人数で走るわけには行きません。

では何処で走ったか?というと東京西部の多摩湖まで行くんです!

学校か高田馬場駅で集合して全員で西武新宿線に乗って多摩湖まで行きそこからスタートです。

しかも行く時は制服で(もしかしたら私服だったかな?うろ覚え)、多摩湖で体操着に着替えるんです。

でも大人数が着替える更衣室など多摩湖にはありません。

ではどうするか?

多摩湖のほとりの公園で、紅白の大きな幕を木々の間につるしてその中で着替えるんです。

もちろん男女別に着替えスペースが用意されています。

でも足元は土そのものです。

なんで紅白の幕なのか?おめでたいからではなくて、単にそれしかなかったんでしょうけど変な感じでした。

そしていよいよロードレースが始まります。

私が嫌いな理由の一つとして単に長距離走らせられるということだけではなくて半分の距離で「折り返しで走る」からなんです。

折り返しで戻るルートは確かに逆向きになるので景色は違いますが、でも前方からは別の生徒が走ってくるし来る時と似たような風景を見ながら走るのは何となくイヤでした。

同じ距離走るならば折り返し方式は止めて欲しかったです。

折り返さないほうが達成感があると思います。

私が在学中の2年生か3年生の時に雨で中止になったことがありました。

でも2回は走っているわけです。そしてちょっぴりだけ自慢話しをすると私は2回とも一度も歩かずに完走しました。

終わってみれば良い思い出でもあります。

 

オマケ

中学1年の最初のロードレースの話しが出たときに父は驚いて、「なんて酷いことをする中学なんだ!」と言ったんです。

ロードは「Road」つまり道のことですが、「Load」=負荷をかけながら走ると父は思ったそうです。

負荷をかけながらなんて石を背負うか、はたまた足に錘をつけて走るのか、オリンピック選手でもこんなトレーニングはしませんよね。

父に説明したら安心しきっていました。

スポンサーリンク


8 Responses to “新宿区立戸山中学校のロードレース”

  1. 戸山中14期 より:

    初めまして、先輩!いいっすね!
    マジだるかったすよね♪
    ちょっと質問すけど
    先輩は厚生省の宿舎だったようですが
    交通公園と戸山中の間にあった公務員宿舎って
    どこの役所のだったんすかね?
    自分の印象からすると
    戸山中のヒエラルヒーとして
    厚生省宿舎>公務員宿舎>>>>>>国鉄アパート>バタヤ部落だったと記憶してますw

    • kaikoshumi より:

      戸山中14期さま
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      私は12期になると思います。となると重なっていますね!

      「公務員宿舎」ですがクラスメートもたくさんいました。
      ここは「何処の役所・省庁」というのではなくて、確か国家公務員全般の人が入居出来るアパートだったと思います。

      そして私がいた厚生省宿舎ですが、ここは狭くて汚いのですが、実は厚生省勤務でも「一定以上の役職の人と家族のみ」入居出来たのです。

      今だから言えますが、実は当時の父は入居資格が無かったんですが、良くしてくれた偉い人の計らいで入れたのです。

      本来ならば公務員宿舎に入っていたと思います。
      今の公務員宿舎は建て替えられて地図で見ると「西大久保住宅」となっていますが、多分公務員の宿舎なのかな?と思います。

      公務員も入れる家とか階層があったようです。

      本サイトは新宿界隈のさまざまな記事がありますのでぜひそちらもご覧下さい。
      国鉄アパートや新宿体育館などもありますよ。

      上部タイトル直下メニューの「記事一覧」からお探し下さい。

      ご訪問ありがとうございました。
      またお待ち申し上げます。

      • 戸山中14期 より:

        まじか~2コ上なんすね先輩!
        自分2つ上の兄と6つ上の兄がいるのでこのサイトのネタを話してたら盛り上がりましたよ♪
        交通公園のローラースケートは50円だったよねとかw
        2コ上の先輩だとすると「お尻だって洗ってほしい」の人とタメだったんすかね?
        戸山は教育に意識の高い国家公務員の親がいたから他に比べてレベルが高い子が多かったと子供ながらにおもってました。学校じゃ真ん中あたりの自分でも偏差値60とかでした。いまじゃ町工場のおやじですがw

        • kaikoshumi より:

          戸山中14期 さま
          再訪ありがとうございます。
          戸山中14期 さまの書き込みを読んでなんかとても嬉しくて幸せな気持ちになれました。
          お兄様のお一人は私と完全同級生ということでしょうか?(どなたなのかな?)

          そうですね、当時はどのクラスも国家公務員または国鉄職員の子供が非常に多かったですね。
          戸山中は越境入学がかなり多かったと記憶します。
          同じクラスでも北区や東村山市などもいました。

          戸山小中は確か東京都の教育モデル校でした。
          中学なんて一流私立、国立高校を受けた同級生は皆合格していました。私は三流私立でしたが・・・。

          ”「お尻だって洗ってほしい」の人”は実は小学校6年の時は席が隣、中学でも一部の学年で同じクラスでした。

          彼女の家も厚生省宿舎から徒歩3分のマンションでしたし、妹さん(故人)と一緒に歩いている姿も見ています。

          彼女の当時は芸能界に入った後と見た目がほぼ同じでしたが、とても口が悪くて男子に対しても「苗字呼び捨て」でしたね。

          でも中学の途中で品川か目黒に転校したらノイローゼになり、また戻って来たんです。

          今も地道に活動されているみたいで嬉しいです。

          どうか今後もこのサイトをよろしくお願い申し上げます。

          当サイトの趣旨は、
          ・個人情報出血大サービス!
          ・偏見は無いけれど独断だらけのネタ
          でございます。

          ご興味の無いネタでも「そういえばあの時代はそうだったね。」と軽い相槌を打って頂ければ嬉しゅうございます。

          どうもありがとうございました。

          追記:
          もし一般には公開されたくない話とか(お兄様のこと、他)でしたらサイト上部のタイトル直下にあるメニューの「お問い合わせ」からメールを頂ければ一般公開されず、かつプライベートが守られた状態で情報のやり取りも出来ます。

  2. 戸山中14期 より:

    妹さんの方に少しだけ声かけたら翌日10人ぐらいの女子に取り囲まれイジメられました、自分、弱すぎw

    • kaikoshumi より:

      戸山中14期さま
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      彼女の妹は当時凄く可愛かったです。
      あの姉と比べて(失礼!)ごくごく普通の女の子だった記憶があります(小学生の時だけ?)

      でも様々な理由があるにせよあの若さで・・・というのは大変に残念で悲しいことでしたね。

      また当サイトへお越し下さいませ。
      ありがとうございました。

  3. 戸山中14期 より:

    先輩、妹さん可愛かったですよね♪
    その頃から喘息で投薬されていたのを覚えています。
    自分は池袋在住なのですが、近くの図書館にお姉さんのCDが貸し出されていて中に戸山小の校歌が収録されていました、自分は戸二小なので心に響きませんでしたがw

    • kaikoshumi より:

      戸山中14期さま
      コメントありがとうございます。
      確かに妹は可愛かったです。喘息のことはしりませんでした。

      でもお二人とも精神的にかなり病んで苦しまれていたようです。しかも長い期間。

      戸山小の校歌は姉が歌っている姿がYouTubeに出ていてびっくりでした。

      なお姉のほうは私が行っていない会のクラス会に来たことがあったそうで、後で聞いたら飲み屋で他の客が「あれってもしかして、○川純じゃない?」とか言われて一部の人にはサインしたとか聞きました。

      これからも彼女には元気でがんばって欲しいです。

      また当サイトにお越しくださいね。
      ありがとうございました。

kaikoshumi へ返信する

サブコンテンツ

管理人について

管理人

こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

スポンサーリンク





写真素材無料【写真AC】


無料動画素材なら【動画AC】

このページの先頭へ