全線座(渋谷にあった映画館)
渋谷駅にほど近い映画館・全線座
かつて渋谷駅から徒歩数分の明治通り沿いに全線座という映画館がありました。
2016年現在、跡地には「渋谷東急REIホテル」が建っています。
そしてこのビルは全線座ビルという名称が正式のようです。
場所はこちらです。(Google map)
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1977年閉館ですので2016年基準で39年も前に閉鎖されたのです。
私は全線座に何度も何度も足を運びました。
当時の映画館と言えば今のようなシネコンというものはなくて、規模の大小はともかく「映画を見に行くという威厳のある場所」だったと思います。
入場料も特段に高いわけでもないし、ドレスコードがあるわけでもありませんがホームビデオが発売開始になったかどうかの頃ですからテレビで映画の再放送を見るのとは訳が違い、「今週末は映画を見に行くぞ!」みたいな気合で行ったものでした。
そんな時代の東京のど真ん中にあった全線座は他の映画館とは全く異なる形態で、どこか田舎の温泉街にあるレトロな映画館という雰囲気でした。
私が何度も通った渋谷全線座
通った当時私は中学生でした。
住んでいた場所は新大久保なので山手線でも4つ目です。
もちろん新宿にはたくさんの映画館が昔からあります。
でも私は新大久保に住んでいても新宿や歌舞伎町があまり好きではありませんでした。
生まれたのは杉並区、小5の1学期までは練馬区にいましたが東京の田舎だったので歌舞伎町が嫌いだったのかもしれません。
でも渋谷だって当時から大都会だったんですが、なぜか新宿は嫌いだったんです。
40年前の当時と今の新宿/渋谷を比べると殆ど変わっていません。
もちろん建物はずいぶんと変わってきましたし、渋谷は駅を中心として大規模な再開発が始まっていますね。
でも【渋谷=若者もしくは子供の街】、【新宿=大衆的な大人の街】という構図は全然変わっていないと思うのです。
だから中学生の私にとっては渋谷の方が安心できたのかもしれません。
新宿、特に歌舞伎町はちょっと歩いただけで「いかがわしい看板」だらけで目を覆いたくなる感じもありましたし、同級生の家に呼ばれてもキャバレーのビルの上層に住んでいたりする友人がいたりもしましたので練馬でのほほんと育った私には無理だったのでしょう。
さてなぜ私が全線座を知ったのか覚えていません。
でも映画を見に行くときはいつも同級生(もちろん♂)と一緒で一人で行ったことはありません。
(当時でも中学生が一人で渋谷に映画を見に行くのは補導の対象に成りかねなかった。)
全線座は宮下公園の並びの渋谷駅寄りにあり、山手線の中からも「全線座」という看板がよく見ました。
なおはっきり言っておきますが、全線座はアダルト系の映画は全く上映していませんでしたよ。
私が通いだすずっと昔のことは全く分かりません。でも通っている時は新宿や有楽町の映画館でやるようなロードショーばかりでした。
全線座の写真など一枚も持っていません。中学生が何気に通った映画館ですからわざわざ写真なんて撮っていませんからね。
ネットでどちらかのサイト様から引用させて頂こうと探したのですが、渋谷全線座に関する記事はあっても当時の写真が見つかりません。
しかしかなり古い時代の写真を見つけましたので以下に載せます。
恐らく1960~1968年頃と思われますが、私が通った1970年代の全線座の建物もまさにこのままでした。
もちろんトロリーバスはありませんでしたけどね。
画像引用元: 東京グルメ時々ファッション 様
http://osharebantyoh.blog.fc2.com/blog-entry-625.html
なお全線座は映画館は閉鎖になっても会社としてはホテル/ビル経営会社として存続されています。
当時はエネルギーが有り余っていましたから友人と新大久保界隈から全線座まで約4km超をしゃべりながら歩いて行ったりもしました。
でも疲れるので帰りは山手線でしたけどね。
大劇場と同じ内容の映画を中学生の小遣いでしょっちゅう行けてたのですから、他の映画館よりも料金が安かったのだと思います。
料金のことは全く覚えていません。でも渋谷駅から徒歩数分の好立地でありながら安いせいか客層はよくありませんでした。
どういう人が?というといくら昔の話でもちょっと問題になるかもしれないので詳細は書きませんが、当時も禁煙が当たり前の映画館なのに煙草を吸いながら映画を見たり、そばに寄ると心中で「いつお風呂入りましたか?」と聞きたくなるような人が多かったのです。
でもなぜか友人と遠くまで通った全線座がどうしても忘れられないのです。
私にとっては青春の一ページなのです。
【もし1970年代の渋谷全線座の写真等お持ちの方がいらっしゃいましたら本サイトの「お問い合わせ」からご連絡ください。ご許可を頂ければ本記事に写真を追加したく思いますので。】
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名画座並みの料金設定でしたよ。
コメントありがとうございます。
そうでしたか、金額も全く覚えていません。
でも当時は中学生だったのでお小遣いの範囲で払える金額だったのでしょう。
特に全線座に行くからという事で親からお金をもらったことはないし、何度も行っていたので中学生料金としては大したことはなかったのでしょうね。
Kaikoshumiさま、
懐かしい記事を拝見しました。私は東大久保(抜け弁天)育ちです。
全線座ですが、1970年代前半、大学の通学路に渋谷があり、よく通いました。
うろ覚えですが、洋画3本立てで100円だったかと思います。封切りが終わって半年くらいの映画も上映されていましたから、ここで上映されるのを待っていました。もっともB級が多かったですが。
映画館の中は、禁煙なのにたばこの煙が漂い、今思うと昭和のアバウトさが懐かしいです。
Hoover様
こんにちは。
コメントありがとうございます。
全線座をご存知の方は今となっては貴重な存在と思います。
値段は覚えていませんが確かにB級の2~3本立てでしたね。
タバコの事、喫煙して隣の人に怒られてケンカ直前とかを見たことがあります。
そういう時代だったんですね。
また当サイトにお越しくださいね。
早速のご返信、ありがとうございます。
言い忘れたのですが、歌舞伎町の新宿地球座も3本立てをやってましたね。
中3の時(今は無き大久保中です)、学校で「猿の惑星(第1作)」を含む3本立ての鑑賞券が配られて、同級生と見に行った記憶があります。
Hoover様
そう言えば地球座ってありましたね。あの頃はこういう安くて複数見れる映画館があちこちにあったのでしょうか?
でも学校でチケットくれるとはびっくりです。戸山中はむしろ歌舞伎町なんか行くな、的な雰囲気でしたから。
懐かしい記事を見て感動です
記憶が曖昧ですが3本で三百円だった気が・・・
中学生ながら週一で通ってました
渋谷も大きく変わりましたね〜
三郎太様
こんにちは。ご訪問とコメントありがとうございます。
私も値段ははっきり覚えていませんが、一番行ったのは中学でしたので小遣いで十分だったのでしょう。
渋谷の変わりようは本当に驚きです。近年都内で一番大きく変わった場所ではないですかね?
でも公園通や道玄坂、井の頭線の駅界隈はあまり変わっていないし、再開発指定地にはなっていないみたいです。
これら古くて変わらない渋谷も残って欲しいですね。
当サイトには「あの日、あの時」がたくさんございます。
ぜひまたお越し下さいね。
全線座に映画を観に行ったのは18才の冬でした。その時洋画の2本立てで、雨の訪問者と個人教授でした!全線座は一階席と2階席があり自分は2階に上がり席の隣には映写機がまわっていました。席に着いた時は個人教授のラストシーンでルノーベルレが雨の中を走って行くシーンで幕がおりてきました。その時皆泣いていました。
やすなり様
こんにちは。コメントありがとうございます。
「個人教授」、私は見ていませんが一世を風靡した話題作ですね。
全線座はこのような名画が2本立てで見れたりできたので貴重な存在でもありました。
全線座での一幕とはまさに「昭和の良き時代」だったのでしょう。
また当サイトにお越しくださいね。
渋谷道玄坂に新しいビルが出来たというニュースを観て
「ああ、道玄坂って全線座があった場所!?」
懐かしさから検索していて
こちらのサイトに出会いました。
私も20代の頃、当時住んでいた家から
バス1本で行けたので
今は亡き母とよく出かけたものです。
二階があったのは記憶にありませんけど。
観た映画を、当時は全部記録してたんですが
(最高は年に63余本だったはず)
はるかに遠い記憶ゆえ想い出せません。
でも、バス1本という利便性と入場料、2本立て?
ということもあって始終通ったんでしょう。
新宿伊勢丹前のビル(日活映画館)の5階には
日活名画座がありました。
古い階段を上ってゆくのが大変でしたが
ここで「風と共に去りぬ」を初めて観ましたっけ。
チャップリンの名作もほとんどここで。
「モダンタイムス」「殺人狂時代」など。
「翼よあれがパリの灯だ」など多くを。
ーーどうしてか、ここでの作品は覚えてます。
他に飯田橋にあったのが「飯田橋佳作座」
「ギンレイホール」(つい最近残念なことに閉館)
人生も終盤に来て、半世紀以上も前の記憶を
まるで糸をたぐり寄せるように
懐かしさとともに
思いださせていただけましたし
当時を思いだす写真をupして下さり
ありがとうございます。
因みに人生初のコメントです。
冬青様
こんにちは。コメントありがとうございます。
渋谷は都内で最も活発に再開発されている地域といえますね。
年に最高63本とは凄すぎます!
新宿伊勢丹前には複数の映画館がありました。父に怪獣映画(ガメラ)や昔流行った妖怪映画に連れて行ってもらいました。
今はこの場所には映画館ありませんね。
やはりシネコンに集約されたのでしょう。
映画館も時代を表す象徴の1つでした。
全線座は都内でも知る人ぞ知るという場所でしたね。
また弊サイトこお越し頂き懐かしんで頂ければ幸いです。
年間63本ともなれば
当然同じ作品を観ることになっちゃいましたけど
それはそれで楽しかったものでしたっけ。
ロードショウにはなかなか行けなかったので
こんな事になるわけです(苦笑
他にも四谷三丁目には
ライオン座(3本立て邦画専門)があり
20時から更に割安で、2本は観られたかな?
家から歩いて10分ほどだったので
夕食後飛んでいった記憶があります。
いずれにしても、貧しかった時代でしたが
いまよりもずっと心が豊かだった
懐かしい思い出になります。
UPして下さった全線座の写真のトロリーバス
利用していたのは普通の車両でした(為念
冬青様
コメントありがとうございます。
同じ作品を… 昔は指定席とかではなかったので気に入った映画は終わってもそのまま2〜3度連続で見たりしました。
良い時代でした。
四谷の方にお住まいでしたか。
私は新大久保でしたから伊勢丹前までは歩く気になれば歩けましたし、若かったですからね。
今の映画館はどの都市もシネコンに集約してしまい、古い街の映画館は殆どなくなってしまいました。
札幌も同様です。
しかし今では映画というよりも動画という分類になり、見る人も映画館→シネコン→テレビ→パソコンやスマホと変わって来ています。
このままではシネコンも無くなりそうです。
やはり映画館、シネコンの大画面と大音量で楽しみたいですね。
立ち観をしてると、手を触って来る
お兄さんも居たり、『封切組』とは話題が数ヶ月ズレても 2本立て300円は、魅力でした。 その後
宮益坂『サラダの赤ひょうたん』へ。
Ji 岩ちゃん様
こんにちは。コメントありがとうございます。
手を触ってくる、というのは知りませんでした。でも全線座はちょっと良くないお客さんが多かったのは事実ですね。
中学生の私の御用達の映画館でしたが。
そうそう、2本で300円でしたね。今の物価だとどうなんだろう。でも中学生でも無理せず払えた額でした。