ユースホステル山国屋(大分県中津市)
耶馬渓に近いユースホステル山国屋
【2018年10月22日追記】
「 んにゃ様」からの情報で、このYHは2018年4月30日で閉館したそうです。
たった1泊だったけどとても思い出深いYHなので残念でなりません。
旅館の営業については調べてもよくわかりませんので、旅館のことをご存知の方はぜひお知らせ下さい。
大分県中津市の耶馬渓からすぐの場所に【ユースホステル山国屋】があります。
2016年11月現在でも日本ユースホステル協会に所属しています。
私はここに1984年5月(ゴールデンウィーク)に1泊泊まりました。
当時は確か【ユースホステル山国屋旅館】と言っていたと思います。
大変に古い日本家屋を旅館そしてユースホステルとして使っているものです。
明治初期に建設され築約140年だそうです。
たった1泊泊まっただけですが何故か忘れられないユースホステルの1つなのです。
場所はこちらです(Google map)
景勝地として名高い耶馬渓、青の洞門、羅漢寺などいずれも近く、JR中津駅からもバスで30分程度と交通も大変に便利な場所です。
恐縮ながら私が撮影した写真を直ぐに準備できないので(押入れの奥の奥にネガがあるため)、2013年8月に撮影されたGoogle mapのストリートビューの抜粋を以下に載せておきます。
(クリックで拡大します)
ユースホステル山国屋はたった1夜の忘れられない宿
なぜ忘れられない一つかというと・・・、実は宿泊した当日の夜に他のホステラー(ユースホステルに泊まる人のこと)達と大宴会をやったのです。
宴会、つまりお酒を飲むことですね。
当時は全国どこのユースホステルでも全館禁酒でした。
もちろん2016年現在でも「全館禁煙禁酒」のところはいくつもあります。
そしてユースホステルは消灯/起床時間が決められていて、子供同伴の家族以外はカップルでも男女別部屋です。
なぜにこのように厳しいかというと国から見るとユースホステルは単なる宿泊施設ではなくて「教育施設」という考えだからです。
最新情報は分かりませんが、ホテル/旅館は国土交通省管轄、ユースホステルは文部科学省管轄だったと思います。
(2016/11/6追記 ユースホステル含めてホテル/旅館ともに現在は厚生労働省管轄で、関係省庁に国土交通省などが入るようです。)
旅を通して健全な青少年を育成するというものです。
さてその大宴会ですが当日の宿泊者はゴールデンウィークでありながら男性は私を入れて7~8人、女性も5~6人しかいなかったのです。
でも同じ建物の旅館の宿泊者はそこそこいたようです。
私がここに着いたのは17~18時過ぎで決して遅い時間ではありませんでした。
でも夕食/朝食は予約せずに素泊まり予約をしていたのです。泊まる1~2日前に電話予約をしたのですが食事提供できませんとは言われていません。
でもなぜ素泊まりにしたのか、この部分だけは全く覚えていないのです。
中津駅でも何も食べていませんが、多分別の駅で立ち食いそばでも食べたか何か列車内で軽く食べていたと思います。
ユースホステルと言っても旅館の一部の部屋を使っているだけなので純和風の部屋です。
同じ部屋の連中となぜか「宴会をしないか?」という話になりました。
もちろん皆ユースホステルが酒はダメという事は知ってのことです。
ユースホステルは食事さえ出してしまえばほったらかしが普通ですし、和風旅館と言っても山国屋は食堂に行って食べるので部屋に従業員が入ってくることはありません。
布団だってユースホステルはすべて自分で敷いて、翌朝責任を持って片づけるというシステムですからね。
でも一つ問題になったのは周辺にお店があるのか?ということなのです。
当時山国屋旅館でビールの自販機があったのかは覚えていませんし、ユースホステルの宿泊者なので館内で買うのは皆後ろめたさもあったと思います。
取り合えず近隣を探検してみるか?という話になり付近を歩いてみました。
民家はポツンポツンとありますがお店が見当たりません。
でも・・・、「おー!神はいたのだ!」と思う事が!
なんと山国屋のやや斜め前に酒屋があるではないですか!
このお店は地図で見ると2016年でも現存のようです。
以下はGoogle map ストリートビューからの抜粋です。(2013年撮影)
(クリックで拡大します)
本当にびっくりでした。他にはお店が見当たらないのに酒屋だけはあるとは!
そして缶ビール、缶チュウハイを中心に「これでもか!」というほど大量に買い込んでこっそりと部屋に戻りました。
そして同室の人が「女性陣にも声をかけてきます」と言い、1~2分後には女性陣も含めて宴会がスタートです。
当日ユースホステルに泊まっていた全員(とは言っても15人くらい?)が参加して宴会が始まりました。
たわいない話で笑い声が響きいったい何時間飲んだことでしょうか?
それほど大声は出しませんでしたが、終始山国屋の従業員の方は来ませんでした。
実はユースホステルでの宴会という禁断の行為は何度か経験あるのですが共通していることがあります。それは、
●宴会開始~翌朝ユースを出発までの間、飲んだ人の名前を全く知らない。せいぜい「○○県から来て明日□に行く」というくらい。
●初対面で名前や職業なども知らないのに「よくぞまあこれだけ盛り上がるな!」という事が多い。「一夜の友」とはこういうものなのか?
この時の宴会ではどんな話をしたかよく覚えていません。でもフルフェイスヘルメットをかぶりながら酒を飲んでいた人がいたのはよく覚えています。
そして何時にお開きにしたのかも覚えていません。でも和室の真ん中にテーブルを置いて宴会をやっていたので布団は飲んでいる段階では敷いていないのですが、翌朝目が覚めるときちんと布団を敷いてテーブルや酒のゴミも端に片づけてありました。
同室の人に「すみません、布団敷きや片づけせずに寝てしまいました。」と告げると同室者全員が「俺も何もやっていない」とのこと。
全員片づけて布団を敷いたのを覚えていないんです。
ユースホステルなので酒の空き缶を部屋のゴミ箱に捨てるのは皆躊躇して、一部の缶だけを旅館側のゴミ箱に捨てて残りは分担してカバンに入れて別の場所で捨てたと記憶しています。
頭がフラフラの状態で宿泊者数人と30分くらいかけて羅漢寺まで歩き、その後青の洞門を見学してから中津駅行きのバスに乗りました。
耶馬渓、青の洞門が目当てで泊まった宿ですが、それよりも宴会の方が中心になってしまった一夜でした。
皆30年以上たったけどどうしているのかな・・・?
でも名前もどこに住んでいる人なのかも分からないので知りようがありません。
(規則に違反してユースホステルで大宴会をやってしまい申し訳ございません)
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ここ、今年4月30日を以って閉館してしまいましたね。
昨年9月中旬に大分県を訪れた際、こちらのユースホステルを利用しようかとも考えたのですが、交通の便が悪くて断念した覚えが。代わりに使った『別府湯けむりの丘ユースホステル』でペアレント氏が「ここは歳を召された女将さんが一人で切り盛りしている。」と話されていたので、「近いうちに閉館しちゃうかも。」と思っていたら、その予感が悪いことに的中。残念です。閉館間近と知っていたら無理してでも泊ったんですけどね・・・。
特に噂の聞かない、良くも悪くもあまり存在感のない旅館兼用ユースホステルといった感がありましたが、ユースホステルであればどこでもこんな1コマはあったんでしょうね。
自分にもこれと似たような経験をいっぱいしてきました。一期一会がこの世界の常とは言え、せめて連絡先でも交換しておけば、今でも交流を続けることができたかも?ってよく思いますよ。実際のところ、続いたとしても大方年賀状での挨拶で終わっちゃうんでしょうけど、それはそれで良いわけで。
んにゃさま
コメントありがとうございます。
あれれ!閉鎖でしたか。
たった1泊でしたが、一生忘れられないと言うほど楽しい一夜だったのでとても寂しいです。
YHの情報は出ていても公式サイトは閉鎖されていますね。
旅館はどうなのでしょうか?
見かける情報も昨年以前の日付ばかりで最新情報がわかりません。
せめて旅館が営業してくれればまた行きたいと思っていました。
歴史ある建物なので旅館は残って欲しいな・・・。
1年ぶりの投稿です。
山国屋さん、自分も82年9月に宿泊したことがあります・・
当時は学生でユースを転々としながら九州旅行をしていたときでした。
その日はオフシーズンで宿泊者は自分のほかにライダーの兄さんが一人という状況で、ペアレントの女将に「あー昨日来れば5人組の女の子がいたんだけどねぇ」などと言われながら7時過ぎには食事も終わり宿泊室に戻るも特にやることもなし。
そしたら同室の兄さんから「酒でも飲みますか」という提案。断るはずもなく「お、いいっすね!」と快諾。そう、実は自分もユース前の酒屋でビールを買い込んで部屋呑みをしたという経験があるのです・・・まあ、野郎二人だったので大して盛り上がりはしませんでしたが(笑
kaikoshumiさんがおっしゃる通り当時YHはアルコール禁止でしたのであまり大きな声では言えない話ですがさすがに30年以上前の話なので・・
閉館の報、残念ですが、自分にとっても懐かしいユースのひとつです・・
夏A運転様
こんにちは。コメントありがとうございます。
>ユース前の酒屋でビールを買い込んで・・
→やはりそうでしたか!
他に酒を買う場所はありませんものね。
野郎二人だけでもYHでの飲み会って何かすごく心に残るものがあります。
名も知らぬ一夜の友、何を話したかさえ覚えていない、それでもその一夜を永遠に忘れることが出来ない、そんな何事にも変えがたい素晴らしい思い出なのだと思います。
山国屋はどうしてももう一度行きたいYHでした。
残念でならないのですが、青の洞門や山国屋付近は必ず再訪しようと思っています。
ご訪問ありがとうございました。
またお出でくださいね。お待ち申し上げます。
楽しそうな青春の一ページですね。
今も思い出すと何とも言えない懐かしさ、甘さを感じるのではないかと思います。
私がユースホステルに本格的に宿泊し始めたのは1992年になってからです。山国屋もこの年の秋に宿泊しました。
この頃になるとガイドブックには禁酒のユースホステルに印がついていて殆どのユースホステルで飲めました。
ここでは旅館風の夕食が出てビールを頼んだ記憶があります。
一人での宿泊で同宿はいませんでした。
今と違ってスマホなんかないので友人に手紙を書くかテレビか読書ぐらいしかなかったのを覚えています。
この頃はビジネスホテルの値段が相対的に高く、また旅館は更に高額なうえに週末は一人宿泊を認めていなかったので一人旅にはハードルが高く、ユースホステルは重宝しました。
閉鎖は時代の流れでしょうか。
設備の老朽化と経営者の高齢化、これは避けようがないですよね。
広島育ちです様
こんにちは。コメントありがとうございます。
山国屋にも宿泊されたのですね。
おっしゃる通りある時期から「YHでも酒が飲めるのが当たり前」になってしまいましたね。
(一部頑固なペアレントは絶対に飲ませない!という人もいましたが)
酒が飲めるようになったのは会員が激減したので、YH協会が歯止めにするためでした。
確かに旅先での見知らぬ人との宴会は楽しいのですが、当時個人的には「YHは全て禁酒が良い。」と思っていました。
その方がYHらしいという気持ちが強かったからです。
でも「こっそり宴会は楽しい」という気持ちも。
だって「さあ!どうどうとお飲みください!」ではコッソリ感がないですからね。
また当サイトにお越しくださいね。
失礼します。山国屋さん…
閉館していたのですね、残念です。宿泊したのは半世紀になろうとする遠い昔ですが仕事含みで2週間ほどお世話になりました。女将さんと当時働いていらした、自転車旅行中に山国屋さんで働くことになった確かくりちゃんと呼ばれていた男性に大変お世話になりました。いつかまた!と思いつつ今に至ってしまいました。ほんとに忘れ難い素晴らしい思い出がたくさん詰まっています。突然失礼しました。
くーちゃん様
こんにちは。コメントありがとうございます。
2週間もいらしたのですか。私はたった1泊だけでしたが、どうしても忘れられない程楽しい一夜でした。
たくさん思い出があるのでまた行きたいと思っていたら閉館となってしまったようです。
ストリートビューを見ると2023年3月撮影のものでは、まだ建物や看板はそのままでした。
とても歴史的な建物ですので、ぜひ再開して頂くか保存して頂きたいと思います。
そして泊まれなくてもどうしてももう一度山国屋を見に行きたいです。
ご訪問ありがとうございました。
ご丁寧にありがとうございます。建物…そのままなのですね。近くの耶馬溪にも、というかその時大分にひと月以上いたもので忘れることが出来ません。私もどうしてももう一度訪れたいと思っています。本当にありがとうございました。
くーちゃん様
こんにちは。こちらこそ再訪ありがとうございます。
今までたった1泊だけであれほど忘れられなくなるほど楽しい一夜は他にあまりなかった気がします。
どうしても訪れたい、中に入れなくても、と今でもとても強く思っています。
出来れば来年でも実現出来たらいいな、とも思います。
くーちゃん様もぜひ訪れてくださいね。