午後の授業中も給食を食べる!!
午後の授業を受けながら給食を食べる!
学校給食、特に小学校では「食べ物を残してはいけない」という信念が強い人が担任になると、どんな嫌いなおかずや具材でも絶対に残してはいけない、と言われ本当に困ったものでした。
私の時代でいうと1960年代後半~1970年代半ばくらいの時代です。
私は食べ物の好き嫌いが割とあるんです。大人になっても。
自慢にはなりませんが、食べれないものは食べれないというのが信念であります(偉そうですが)。
でも食物アレルギーはないんですけどね。
特にダメなのが大きく切ったネギ(長ネギ/玉ねぎとも)、シイタケ(他のキノコは全てOK)、ピーマン(でかいやつ)、春菊などでおじさんになった今でも変わらないので相変わらず「お子様状態」です。
小学校の給食は大量に作りますのでどうしてもネギとかは雑な切り方になり、びっくりするくらい大きな破片が入っていたりします。
小さいものは牛乳と一緒に飲み込んだりしましたが、でかいものは噛むしかありませんね。
私はどうしても駄目だったんです。大きなネギの塊を噛もうとすると直ぐに吐き気が襲ってきます。
昔の小学校の先生は「絶対に残すな。午後の授業中でも食べろ!」という「軍隊上がりかよ!」と言いたくなる精神論者的な先生がたくさんいました。
お手上げになると友人の目を盗んで「チリ紙」に吐き出して捨てる(当時はポケットティッシュが無かったので)などしていましたが、場合によっては先生に「どうしても食べれません」と直訴することもありました。
先生によっては「まあ仕方ないか」と言ってくれることもありましたが、厳しい(理不尽?)な先生だと「食べ物を粗末にしてはいけないので食べろ!」と言って午後の授業中も食べていました。
本当に吐き気をもよおして、「先生吐きそうです」と授業中に言ってトイレに行って吐き出していました。(嘔吐ではありません)
先生も授業を中断して生徒が何度も「吐きそうです。トイレに行きます」なんて言われたらたまったものじゃありませんね。
そのうちその先生は食べ残しについてあまり言わなくなったのです。
でもこんなことをしていたのは私だけでは無かったです。
小3くらいの時だったと思いますが、学級委員もやる優秀な女の子が物凄く大きな玉ねぎの断片が食べれなかったんです。
確か彼女は好き嫌いは無かったと思いますが、あまりにも大きな玉ねぎの断片でしかも芯の部分だったと思います。
こんな部位を食べろという方が狂っていると思いますが、先生は「食べなさい!」と。
彼女は午後5時間目になっても食べていました。かわいそうでしたね。
これらの事象って今でいうと人権侵害だし、アレルギーがあったらどうするんだなど大問題になります。
もしかしたらこの時代でも日本の何処かに上述のような先生が残っているのかもしれませんが、アレルギーや嘔吐をしたらどうするんでしょうか?
子供がいる人はご存知と思いますが、小学校中学校では毎年アレルギーのアンケートや食事で気を付けてほしいことなどを書いて提出します。
食物アレルギーは生死にかかわるほど恐ろしいものもあるからです。
特に蕎麦アレルギーなんかは命直結ですね。あとイチゴやキウイ、桃などのように表面に細かい毛が生えた果物も激しいアレルギー反応を起こす人もいます。
牛乳アレルギー、小麦粉もありますね。大人になってもです。
食べ物を粗末にしてはいけないが・・・
確かに食べ物を粗末にしてはいけないし、今のような飽食の豊かな時代もその精神は不変だと思います。
でもアレルギー問題もありますし、それが無くても「どうしても口に合わない、食べれない」というものはあるのです。
だから私は昔のように午後の授業中になっても給食を食べるというのは当時の時代背景を考慮しても「狂っている」と今思っています。
もちろん好きなものだけ、おいしいものだけ食べるというのは良くないことです。特に小中学校の給食は教育の一環でもあるからです。
それに午後遅い時間に自分の分だけの食器を給食室に持って行くと給食室の職員からは当然嫌な顔をされますし、こちらも子供心に申し訳ないといつも思っていました。
また時間帯によっては給食室の方は全員帰宅して誰もいないこともありました。当然給食室の人たちは明朝ポツンと置いてある食器を洗う事から一日が始まるわけですよね。
こういう給食室の職員の方の事を当時の先生はお考えになっていなかったと思います。まあそういう時代だったんでしょうね。
本記事のカテゴリは「懐かしい思い出」としましたが、懐かしいけれど決して「古き良き」ものではありません・・・。
スポンサーリンク