男子校の実態
男だけの青春=男子校
私は青春の真っただ中、
男しかいない高校=男子校
に3年間通いました。
そうです、生徒は男しかいません。今風に言えば【DK】(男子高校生)です。
女性は一部のおばさんの教師と用務員の方だけです。
食堂は無かったので調理の女性(おばさん)もいません。
しかも当時私が在学した普通科とは別に工業課程もありました。
全校で何人いたか覚えていませんが、敷地は狭いのに人数的には結構なマンモス校でした。
だから右を見ても左を見ても下の階に行っても上の階に行ってもDKしかいないのです!
あえて校名と最寄駅は明かしません。(ばらしても誰にも迷惑かけないし問題はないのですが)
私は幼稚園含めて学校と名の付くところは全て東京都内でしたので、高校も山手線の某駅でした。
大東京の都心の学校だったのです。ですから渋谷、原宿、新宿、銀座も学校から30分以内なので学校帰りに制服のまま銀座とかも遊びに行きました。
でも、男しかいないんです。
小中学校は普通の公立だったので共学でしたが、高校に入ってびっくり!という感じでした。
でも女の子がいたらな・・・と思ったのは入学して数ヶ月だけでその後は卒業まで男だけの気楽さが楽しくて仕方なかったという生活を送りました。
私は毎日の高校生活が楽しくて仕方なかったので、不登校とか考えられませんでした。
でも学校に来なくなっていつの間にか退学という仲間はいました。本人のそれなりの理由はあるのでしょうが私は「こんな楽しいところなぜ来ないの?」と思ったほどだったのです。
男子校生活の驚愕の実態
大人の品の良さを売りにする(?)当サイトにはちょっと相応しくないかもしれませんが青春の思い出として驚愕の実態をお教えしましょう。
ある年齢以下の方は男女共学が当たり前だったと思いますので知ると驚くと思います。
ちょっと下らない内容で申し訳ございません。
●入学直後はやはり「女がいない」ショックを皆隠すことが出来ず、「せっかくの青春を・・・」と嘆く同級生もいた。
でもこれはおかしな話しで、学校を選んだ時からこんなこと分かりきっていたのだからやはり高校生なんて所詮子供だな、と今は思います。
●1年生の夏休み明けにもなれば男だけの生活が楽しくて仕方なくなる。
●2年生の時に同じ学校内の工業課程の生徒が私のクラス(普通科)に転入してきた。
事前に担任が「今度工業課程からこのクラスに転入する人がいるので仲良くしてあげて下さい。」と言ったら、教室はちょっとした騒ぎになり「え~!転入生は女ですか? 可愛い?」と先生に質問をして「バカ」と先生から言われてた奴がいた。
●課外授業、遠足、修学旅行などで外を列をなして歩いている時に列の先頭で大声で、
皆さん! 女が歩いています! 女です! 後ろの人にも伝えてください!
と叫んでいたアホがいた。
街を歩けば女性(校内では女性とか女の子とは言わない。【女】という)がいて当たり前。【男子校】という牢獄の中にいるからこういうことが起きる。
しかもこのようなことは3年間で何度あったか分からないほど。情けないな・・・。
●母校は外部から来る先生も多かった。大学の先生がアルバイトで教えに来ていた人もいた。そういう先生は殆ど生徒を怒らないので生徒も教師をバカにする。だから早弁(授業中に弁当を食べること)をする奴は外部からくる先生の授業を狙ってやっていた。
でも当時の校長は教育熱心だったので授業時間中にすべてのクラスを回って廊下側の扉についた窓からよく覗いていた。
後で怒られたのは弁当を食べた生徒ではなくて外部から来た先生だった。
●購買部で買ったパンの包装などをちゃんとゴミ箱に入れずに食べたら肩越しの後ろにポイと捨てる奴もいた。
単にゴミが散らかるだけでなくて、包装に残っているソースやクリームなどが夏は異臭を放った。
当時は(今も?)教室にはクーラーはなく、窓を開けても校舎の裏側が土手のような地形だったので風が通らずそれはひどい状態だった。
ゴミを捨てた奴も異臭が平気だったとはとても思えないのだが。
●当時はリーゼントやボンタンズボン(ズボンが異常に太くてダブダブに見えるもの)、パンチパーマ、剃り込みが流行っていて学校も「それらはダメ。高校生らしく」と言っていたが建前であり実際に注意された生徒はいなかったと思う。授業中もロックンローラーのようにポマードべたべたの髪を櫛でとかしてリーゼントの形を維持しようと必死だった奴がたくさんいた。
●トイレから戻ってわざとチャックを開けて、そこからワイシャツの先を出して教室に戻り指摘されると「あ~、しまうの忘れちゃった」とか言うアホもたくさんいた。百歩譲ってチャックの閉め忘れはともかくワイシャツの先が豪快に飛び出しているなんてありえないし・・・。
●当時は世間で暴走族が蔓延していた。とは言っても私の時代はピークを過ぎて下火になりつつある時だったが、「族」に入っている奴もたくさんいた。でも彼らは「大爆音で暴走したい」というよりも「でかいバイクでかっ跳びたい!」という考えの方が強かったと思う。
彼らは週末に「集会」があって夜通し走ったりするので月曜日は眠くてたまらないらしい。
「族」に入っていた奴は月曜日の授業中は寝ている奴が多かった。
また面白いのは彼らは体力測定をすると左手の握力が右手に比べてかなり強かった。理由は左手はクラッチを握るからだそうだ。
(当時の「族の集会」は大井ふ頭近辺が多かったそうです。)
●男子校同士のケンカなどのトラブルもあった。私の高校と争っていた某高校はお互いの高校の先生で話し合って、「厳しく指導する。義務教育ではないので社会的責任も免れないという事を生徒に教える」などが決まったようだが、なかなか改善されなかったので互いの高校の登下校時間をずらして同じ時間帯の電車に乗らないようにしたりもした。
などなどまたまだ書いたらキリがありませんし、男子校ゆえの下ネタが多すぎて「品格を大切にする当サイト」ではとても書けない内容が多すぎました。
弁解で言うわけではありませんが、私は見た目も髪型もごく普通でまじめだったのでトラブルに巻き込まれはしませんでしたけど、今思い出すとすごい3年間でした。
でもかけがえが無いほどの素晴らしい思い出です。
時が流れて世は少子化になり東京で多かった「男子校」、「女子高」では経営が成り立たなくなって行くという時代に入り、私の母校もついに男女共学になったのです。
私の母校に限らず全国的に共学にして生徒集めに必死になっている学校も多いんですね。
私の子供が高校受験の時に見学に行った共学の某私立高校はなんと見学の日に体育館で「制服ファッションショー」がありました。
しかも電球で派手に装飾された花道が作られていて、生徒がマイクを持ってファッションの説明をしていました。
確か男子の制服は2種類くらいしかなかったのですが、女子の制服は冬服だけで7種類もあったんです!
その中には普通のOLを思わせるスーツ形式のズボンもありました。
もちろんすべての種類の制服を買って日替わり登校することも可能です。
でも学校の制服って市場競争が無いのでワイシャツ1枚、校章入り靴下1足にしてもとんでもない値段を吹っ掛けられます。
7種類全て制服買ったら10万円ではとても足りません。もしかしたら20数万円以上かかります。
学校によっては有名デザイナーにデザインを依頼しているところもあります。男子のワイシャツ一枚でも校章が入ると高いのに女子の制服なんて1種類買っただけでもとんでもない値段です。
少なくてもサラリーマンが買う安いスーツの値段ではありません。
どこも中学生獲得に必死なんですね。
今後日本の少子化がどうなるか、食い止められるのは分かりませんが母校は残ってほしいと思います。
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自分の高校男女共学でしたが、男女の比率に関係なく、
8クラス中2クラスが「男子クラス」でした。
1年生は「7組・8組」、2年生は「1組・2組」が通例で、
3年生は理系・文系に分かれるので、それはなかった…
のですが、3年8組の主に「国立理系」は女子の希望がないことが多く、
(または2~3名いたとしても男臭くて敬遠したかも)
実質、「男子クラス」でした。
3年間「男子クラス」の生徒もいて、表面上「地獄だぁ~!」とのたまっているのもいましたが、
実際は、男子クラスの連中のほうが「つがい」になってる傾向が多かったような…
・・・うわっ!どこだその高校はじめっち
クラッチの話ってば、本当みたくてコワいっす。
・・・学校で「集会」はやってないっすね?ゆたか
女子高の「下ネタ」はもっとすごいらしいですよ。
・・・ワタシは共学だからみならいかのん
あたいはむずかしいことはよくわかんないけども、
女子高・男子校の中に異性が数人でも入ると、
ガラって変わっちゃうものらしいのだ。
・・・人体実験したいのだつるみん
はじめっち&ゆたか&みならいかのん&つるみん 様
コメントありがとうございます。
男女の生徒がいてクラスが別というのは「男女別学」とか言ったりしていましたね。
学校によっては校舎が男女で異なり、普段も校門も含めて完全に分離されていた学校もありました。
私はこんな学校だったら純粋な男子校のほうが良いです。
「生殺し」という感じで気が狂ってしまいます。
「クラッチ・・」は結構当時有名でした。
笑っちゃうことに原付乗っている奴は握力差は無いんです。
250cc以上だと明らかに左手が強いんですよ。
大笑いでしたが事実です。
私も懐かしい思い出が更に蘇ってきて嬉しかったです。
また来て下さいね。