北海道の民宿 夢舎
小学校校舎を使った民宿・夢舎
北海道、道東の小利別(しょうとしべつ)というところに夢舎(ゆめや)という民宿がありました。
ここは古い小学校を譲り受けて民宿にしたものです。
私が宿泊したのは1984~1986年で、数回行っています。
きっかけは道内のユースホステル(以下YH)で知り合った人が「面白い宿がある」と教えて下さったからです。
最寄り駅は当時の国鉄・池北線(ちほくせん)の小利別(しょうとしべつ)という無人駅で徒歩3分くらいの便利なところにあります。
(国鉄池北線はその後、第3セクター運営の「ふるさと銀河線」に生まれ変わりましたが結局は全線廃止されてしまいました。)
ここは陸別町(りくべつ)という街なのですが日本一寒いと言われているところです。
建物はかなり古い小学校を利用したもので全て木造です。
二重窓ですが冬は大変な寒さで長い廊下などもあるので館内全体が冷え切っている感じでした。
日本一寒い街ということで、それをウリにしたのが夢舎でした。
どういう事かと申しますと、「冬でも寝室には暖房を入れない」のがウリなんです!
寝室は広い教室で、黒板もそのままです。
木造のベットがいくつか置いてあり、ここで寝るのですが部屋には暖房装置自体がなく移動可能なストーブも寝室に置くほど台数がありません。
初めて泊ったのは真冬の厳寒期で、外の温度計が-33度だったのを覚えています。
寝室は恐らく-5度以下(もしかしたら-10度くらい)になっているはずです。二重窓でも古い木造ですから隙間風もありますし暖房を入れないので部屋自体が冷え切っています。
ではどうやってこの部屋で寝るかですが、まず布団は何枚でも貸してくれます。それと湯たんぽを貸してくれるのです。
そして寝る直前まで食事をしたりする暖房の入った別室で過ごしているので寝室に戻ると同時に布団に入れば寒くなく眠れます。
湯たんぽはとても暖かく、布団も分厚いのを何枚もかけて寝るので夜中に暑くて湯たんぽや布団を蹴とばしてしまうのです。
そうすると寒さで目が覚めます。布団は掛けなおせば良いのですが、床に落ちた湯たんぽを拾うとカチカチに凍っています。
ですから湯たんぽは使えません。また掛け布団の襟の部分が息で凍っているのも分かります。
寝る前の注意事項として「水物は寝室に置くな」と言われます。
シャンプー、リンス、コンタクトレンズの洗浄剤も凍ってしまうそうです。
そして寝る前、もしくは寝た後でも「暖房無の部屋は耐えられない」という人は食事などをする暖房のある部屋で寝かせてくれます。
食事をする部屋は確か職員室ではなかったかと思います。
なお暖房は全て薪ストーブでした。私も連泊して巻割を手伝いました。
宿の人はこういう「ウリ」の部分をちゃんと説明してくれて、暖房のある部屋で寝てもOKと言ってくれますが、きちんと話を聞かない人は「金を採っておきながら暖房のない部屋で寝かせるとは何事だ!」と怒る人もいたそうです。
私は冬いつ行っても暖房無の部屋で寝ましたけれど、寒くて眠れなかったという事はありませんでした。
最新の小利別付近の航空写真を以下に載せておきます。夢舎の建物は残っています。
(クリックで拡大します)
引用:Google mapに加筆・切出し
小利別駅跡にはしゃれた建物が建っていますが、私が通っていた国鉄・池北線時代には無かった建物です。
また線路跡南北にずらっと並んだ四角い形状のものは全てソーラーパネルです。
それ以外は30年前と付近は変わっていません。
強烈な個性の民宿・夢舎
「ユース民宿」という言葉をお聞きになったことはあるでしょうか?
簡単に言えば「ユースホステルっぽい民宿」ですが、つまり日本YH協会に所属せず、お酒も飲めて(1980年代まではYHは飲酒厳禁だった。今も一部ある)、YH協会が定めた諸規則に束縛されず自由にやっている民宿です。
(ただし家族以外は男女別相部屋は鉄則)
別にユースという名前がくっつかなくてもいいんですが、(実際にユース民宿と名乗っているところはない)泊まるとYHみたいに夜ミーテイングをやって踊って歌ってバカ騒ぎなどをやるところが多いです。
夢舎はまさにユース民宿の類でした。
経営者は千葉県出身の方で親がやっていた保険代理店を畳んで夢舎を開いたと言っていました。
男の子が二人いたと思います。
校舎の補修、家具、ベッドなどは地元の人がボランティアで修理・作成してくれたとのことです。
小利別は何もない街で、今地図を見ても当時と何ら変わっていません。
商店はありませんし、買い物となると北に40km離れた北見市まで行くとか。もっと手前でも小さな商店はあるそうですが民宿なのでまとまった食材を買わなくてはいけないし、留守にする時間も長くとれないのでまとめ買いをしているそうです。
南に15km行った陸別町の中心街に行くこともあるにはあるそうです。
さて夢舎はユース民宿ですのでヘルパーもいます(ヘルパーとはYHで住込みで掃除や食事を準備をする人。ほとんどが学生ボランティア。)。
その他にもYHに似ている、似ていなくても強烈な個性のある宿でした。覚えている範囲では以下の思い出があります。
・はっきり覚えていないが1985年当時で1泊2食で3300円くらいだったと思う。当時の普通の民宿や旅館と比べても破格の安さだった。
・連泊しても陸別中心街や北見市に出ない限り何もやることがない。観光資源は「何もない大自然」だけで温泉もない。1日昼寝をしたり付近をブラブラ、或いは巻割を手伝って1日が終わる。
・連泊して昼飯をどうしようかと悩んでいたら、いきなり「昼ごはんだよ」と呼ばれる。そして食べる。「いくらですか?」というと「忘れちゃった」とか「あれれ?」とかわけのわからない事を言われて結局一切請求されない。出発日の朝に再度聞いても同じ結果。
つまり払わなくてもよかったらしいし、向こうも取る気も無かったようだ。
・当時夢舎には独特の通貨単位があった。日本円の1円を1カツドンという。特別「カツドン」という紙幣や硬貨があるわけではない。
支払う時に「はい1000カツドンです」といった具合に使う。
・夏は裏庭でドラム缶風呂に入れる。貴重な体験だったが入るのも出るのも面倒で体を洗うのも大変なので一度経験すればもう結構と思った。
・連泊していると知らぬ間にニックネームが付けられている。最初は「〇〇さん!」だが私の場合は2日目の夜くらいからいきなり「フランケン」と言われた。別にフランケンシュタインに似ているとは思わないんだが、夢舎の人からするとそう思ったのか、出発日までずっと「フランケン」と言われて宿泊費の領収書にも「フランケン様(〇〇様)」と書かれていた。
・ユース民宿でも夜は特別にYHのミーティングみたいなことはやらなかった。ギターとかはあったけれど、お茶や少々のお酒を飲んで静かに話すという感じ。まあ歌う事もあったのかもしれないが。酒代を請求された記憶がない。
当時YHを利用していた人でもちょっと引いてしまう、という強烈な個性の民宿でした。
いつの間にか営業休止になり、南の陸別町中心街に近いところに移転したそうですが、でも2017年4月現在では休館だそうです。
最新の詳しいことは分かりません。
私は夢舎以外はいわゆるユース民宿は泊まった記憶がないんですが、相当強烈な個性でしたが忘れられない思い出になりました。
昔から聞くところによるとユース民宿の類は北海道と沖縄が多いそうです。その他は離島の宿ですね。
何となくわかる気がします。YHは全国にありますが、北海道と沖縄は独特な旅人に人気の宿が揃っていたので自ずと民宿もそういう変わり種が増えるのでしょう。
独特な旅人、というのはリュックを背負って何ヶ月も(人により何年も)旅をする人や普段は会社員や学生をやっていて2~3泊の旅行でも人が行かない、泊まらない場所を選んでマニアックな旅を愛する人などの事を言います。
私が撮った写真は押入れの奥底なので写真は他サイト様をご覧ください。
(リンク切れはご容赦下さい。)
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今ではYHをはじめ、どこにでもあるみたいですが、
当時は閉校した学校校舎を宿泊施設にした、パイオニア的存在だったと思います。
(岩手県玉川村のYHが最初かもしれないですが…)
(現役校を含め)閉校した校舎は自転車での給水ポイントにもなるので、
(今は諸事情で不可能に近いですが)よく利用させていただきました。
当然、小利別さんにも行ったことはあるのですが、
すでに宿泊施設だったということと、表題通り、
「強烈な個性」の施設ということで、泊まることはおろか、水一杯貰う勇気がなく、
遠くから眺める…という程度でした。
・・・恥ずかしがりやなもんで…はじめっち
今では天文台の近くに転居されたと聞いています。
1965年閉校の校舎や屋体ですから、限界だったのかもしれませんね。
・・・一回くらいは泊まってみてもよかったかも…みならいかのん
あたいはむずかしいことはよくわかんないけども、
YHや徒歩?民宿に酒を差し入れたりすると、すんげぇ喜ばれるらしいのだ。
・・・飲む連中の気持ちが全くわからんのだつるみんあたいはお菓子派なのだ
「金取っておきながら~」ってば文句言う輩は、
全く理解できないでんす。経験値低すぎるのっす。
ちゃんと調べろっす。むしろ3000円で命永らえたことに感謝しろっす。
・・・あはは…ちょびズレてるっすか?ゆたか
はじめっち&みならいかのん&つるみん&ゆたか様
皆様コメントありがとうございます。
>「あほのいたずらくがき」の犠牲者・・
→大いに歓迎です!というか皆様の「あほのいたずらくがき」が無い日は一人部屋の片隅で泣いています・・・(笑)
あと私も旧型客車は大好きです。
>「強烈な個性」・・・勇気が無く・・・
→わかりますね。夢舎を泊まる前でもYHは相当泊まっていましたが、夢舎に行くと圧倒されましたから。
YHを知らない人が初めて行くとその個性などにびっくり仰天だと思いますが、そういう人でもユース民宿は鳥肌が立つと思います。
まだまだ夢舎はユース民宿としては可愛いほうだったようですよ。
>金取っておきながら・・・
→こういう人はYHや民宿以外にも多いですね。
最初から高額でそれなりのサービスを前面に出しているところだったら文句言っても当然ですが、例えば回転寿司で「なんだこの握り方は! ネタも小さい!」とか喚いているジジイを見たことがありますが、私はそういうジジイにはなりたくないな、と思いました。
皆様また来て下さいね。
すんませんなのだ、貴ブログ文末の他サイトの案内にクリックしたら、
はじめっちとゆたかが、よだれたらしながら閲覧してるのだ。
どうやら、「木造校舎」だけでなく「旧型客車」も大好物らしいのだ。
貴殿のみならず、また「あほのいたずらくがき」の犠牲者が増えてしまうのだ。
・・・誠に遺憾に存じますのだつるみん
初めまして(だと思うのですが…)
私もその頃に時々行ってました。
コードネームは「2秒」です。
たまたまここに辿り着き、つい書き込みました。
遠い想い出になってしまいましたが、懐かしいです。
連泊者が実に多かったですね(笑)
たまたま泊まったら、同じ小学区の一つ下の客に出会ってしまったり、3月の夜遅くみんなで星を観に「おじいさんの木」までみんなで行ったら、お風呂上がりの女の子の髪の毛がバリバリに凍っていたとか、想い出はつきません。古事記さん、どうしているでしょうね。
2秒さま
こんにちは。コメントありがとうございます。
>連泊者が・・・
→そうですね、連泊者だらけでした。
私的にはYHで連泊者や常連が多くいるところは大嫌いで絶対に避けるのですが(1度行っても次回から行かないとか)、夢舎だけは別でした。
一部のYHのようにイヤな常連や連泊者はいなくて、いつもとても楽しいひと時を過ごせました。
とても皆さんフレンドリーでしたね。
>おじいさんの木
→うわぁ~、なつかしい! 冬だと強烈な環境なので建物を1歩出たら覚悟が必要でしたね。
>古事記さん
→すっかり名前を忘れていました。
そうですね、どうされているのでしょうか。
もうけっこうなお年(私も)だと思います。
「2秒」さまのお名前は恐縮ながら覚えていないのですが、時期的に私と会っている可能性が大だと思います。
顔は覚えていなくても同じ時を共有したのでしょうね。
なんか心にじ~んと来ます。
ご訪問ありがとうございます。
またお越しくださいね。
こんにちは
ここはトホの宿の冊子で知り、90年代に1回だけ泊まりました。昔ながらのタンク状のペチカが印象に残ってる。宿主は落ち着いた人で、山男みたいにヒゲをはやしてた。今なら60代になってるでしょうか。周りには何も無い田舎校舎宿の窓からは線路が見えて、深々とふける夜を銀河鉄道のように彩ってた。当時も今も私には道東は遠く、それっきり忘れてましたが、そうですか閉められたんですね。今もあればきっと人気宿になっていたことでしょう。
内藤隼人さま
こんにちは。コメントありがとうございました。
ここは落ち着けるけど本当に何も無いところでしたね。
それがいい、と感じてくれる人が今だったらどのくらいいるのか・・・?
でも隠れた人気の宿として密かな人気宿になるのは間違いないことでしょう。
また当サイトにお越しくださいね。
はじめまして。
YHやとほ宿に泊まり始めてまだ3年目の若造ですが、初めて泊まった十勝の某とほ宿が良い意味で忘れられず、年に数回泊まり歩いている人間です。
元々廃校に興味があり、この世界にハマる以前から廃校を利用した宿が小利別にあると知り、いつか行ってみたいと思っており昨年の9月にようやく訪れることが出来ました。
校庭こそは定期的に誰かによって最低限の草刈りがされているようで自然に還りつつある、という状態ではありませんでしたが、周辺の教員住宅等含め建物は使用されている形跡は全くなく、荒れるに身を任せている状態でした。
校舎は鍵が空いていたのでこっそり覗いてしまいました。勿論入りはしませんでしたが。中は散らかった物置状態となっており、宿で使っていただろう輪飾りが半分色あせた状態で放置されていたのが印象的でした。
建物の所有権がどういう状態(宿主が町から買い取ったのか、それとも所有権は町のままで、宿主に貸す体形を取っていたか)かは分かりませんが、おそらくどちらであっても建て直す、もしくは取り壊す財力もないのでしょう。みんなの思い出の場所がこういう形で放置されていることに強い寂寥感を覚えました。
高速道路の建設が進んでおり、ついこないだ小利別まで出来たかと思えば、陸別方面の建設が急ピッチで進んでいます。訪れた日も祝日でしたが、重機の動作音が鳴り響き、近くの道路は頻繁に砕石を乗せたダンプトラックが往来していました。他方隠れ家人気のあった喫茶店が昨年廃業し、小利別の観光スポットは駅跡しか無くなってしまいました。この駅跡だってあと十何年綺麗な状態を保っていられるか。時代の流れは残酷ですね。まだ小利別が、夢舎が元気な頃に、1度でもいいから訪れたかった。
当時のことが書いてあるブログや資料をずっと探し求めていました。本当にありがとうございました。
コ・ニャンコ博士様
こんにちは。コメントありがとうございます。
廃校とかは私も興味があります。北海道にも多いですが訪問可能なのは夏だけ、その夏も草や虫、時にはヒグマの出没を考慮しなくてはならないので訪問が難しいですね。
小利別は私はかなり長い事行っておりませんが、様々な記事や資料を見ると今や絶望ともいえるほど「何もない」場所になっているようです。(元々何もないけど)
夢舎は最初(私の記憶が正しければ)小学校の校舎は無償で譲り受けたと聞きました。
ただし所有権がどうのこうのは分かりません。
とにかくこの廃校を好きに使えよ、と。
そしてはっきり覚えているのは夢舎で使うベッドや椅子などは地元の人が協力して木で手作りしたという事です。
地元の方々は夢舎のオープンを大歓迎してくれてあらゆることを無償で協力してくれたと話を聞きました。
このような「ユース民宿」は夢舎以外は泊まったことはありませんが、他にもいくつか知ってはいます。
でもどこも恐ろしく不便で観光地でない場所ばかりなので長く続けるのは相当難しいと思います。
夢舎だってどう考えても真っ赤か経営のはずだったと思うのです。
ただユース民宿で共通して言えることはオーナーが「夢にあふれている」ということです。
世間では「夢だけで食えるか!」と怒られると思いますが、彼らは30代になっても40代(以上)になっても夢を追い続けてユース民宿をやったのです。
そういう気持ちっていいなと思います。
自分にはできませんが、そういうオーナーの気持ちからパワーを今でももらっていると感じるのです。
ところで北海道は無駄な高速道路ばかり作っています。
しかも道央道や道東道などから外れた高速は殆どが無料開放されていて、数㎞走っては一般道に戻りまた数km走って高速に戻るとかの意味不明な区間ばかりです。
道北の名寄バイパスや豊富バイパスなども無料で短い区間ですが所要時間は一般道と変わりませんし、「いつの日か道央道と繋ぎ札幌から稚内まで行ける」と謳い文句がありますが本当に「いつの日か」分からない状況です。
税金の無駄もいいところですね。
当サイトにお越しくださいましてありがとうございました。
他にもYH関連や北海道関連の記事がたくさんありますので今後もごひいきにお願いします。
懐かしいです。年末年始は必ず夢舎に居ました。当時の仲間たちはもう50歳代後半、60歳代かな。こっそり再訪しているのかもしれません。数年前に「古事記さん」がテレビに出演していて驚きました。印象は昔と全く変わっていませんでした。最後に訪問したのは新婚旅行(国内編)で嫁と行ったとき。もう20年くらい前です。懐かしいお話ありがとうございました。あだ名「フランケン」当時聞いたことがあるような・・
ワコール様
こんにちは。コメントありがとうございます。
これほどユニークで強烈な宿はなかなか見当たらないと思います。
様々な思い出を作ってくれた夢舎に感謝です。
古事記さんがTVに! 驚きです。
どうされていらっしゃるのでしょうか?
もう70代くらいかな?
こちらから質問です。
「ワコールさん」というハンドルネームは夢舎でも使っていましたか?
もしお使いであれば私は夢舎でワコールさんと何度もあってお話もしています。
時期は1984~1985年くらいです。
もしそうであれば(そうかもしれなければ)、恐れ入りますが当サイト一番上のタイトル直下の「お問い合わせ」からメールを頂けないでしょうか?
このお問い合わせからであればサイトで一切公開されずプライバシーは保たれます。
あなた様かどうかは別として夢舎でワコールさんのお名前を聞いたのをはっきり覚えています。
よろしくお願いいたします。