お祭りの見世物
見世物もお祭りの一部
様々なお祭りがあれど、主役はやはり出店でありこれがないと寂しいですね。
何だかんだ言っても特に子供の時は(大人になっても)お祭りで買い食いするのが最大の楽しみです。
盆踊りで踊っていようが、何かイベントをやろうが飲み食いできるお店がないと始まらないし、食べ始めれば見世物なんてそっちのけになって当然です。
私が幼少期を過ごした1960~1970年代前半のお祭りは見世物と言うほどのものはなく、出店以外のお祭りの目玉と言えば盆踊りと花火くらいしかありませんでした。
今(2018年)から大分昔の年代ではありますが、それでもお祭りの形態は今と全く変わらない状況だったのです。
当時私が過ごした場所が全て東京23区内ということもあったかもしれませんが、当時地方に行っても特段に受け継がれるお祭り以外は何処も都内と似たようなものだったのでは?と思います。
私にとってのお祭りの見世物は?
やはり盆踊りのやぐらとその周りで踊る人々(殆どが年配のおばさんが多かった)が印象的です。
お祭りの見世物はこれだけで私にとって9割以上を占めています。
花火(打ち上げ)は大規模なお祭りでないとまず無いと思います。
あとは見世物と言うほどのものはなくて、せいぜいお店で商品を売るためのデモンストレーションくらいかな?と記憶します。
そのデモで一番はっきり覚えていてあまりの魅力に引き付けられて買ってもらったものもありました。
それは「吹き矢」だったのですが、セルロイド製の筒に新聞紙を三角コーンのような形に丸めて吹き矢にするのです。
お店のおじさんがその吹き矢を吹くとびっくりするくらいの飛距離があり、しかもかなりの速度で子供心にびっくり仰天でした。
新聞紙を丸めて作った矢なので何かに突き刺さったりはしませんが、速度がかなり速いので至近距離で体に当たればそれなりに痛かったと思います。
お店のおじさんが見せてくれた妙技に、「何が何でもこの吹き矢が欲しい!他にジュースや食べ物を買わなくて良い!」と切に思い親にねだって買ってもらいました。
忘れもしません。確か小学校2~3年生の頃、従姉妹の家に行った時の夏祭りでした。
場所も覚えています。
東急池上線・雪谷大塚駅すぐそばの空き地でした。
(従姉妹の家は同じ池上線の1つ五反田寄りの石川台が最寄り駅でした。)
Google mapで見るとこの位置だと思います。
2018年6月現在Google mapの航空写真で見ると空き地となっており、ストリートビューで見ると囲いがあって多分マンションとかの建設予定地だと思うのですが、この場所でほぼ間違いない自信があります。
なおここのお祭りに行ったのは約50年前です。
この日は母も一緒に従姉妹の家に泊まっていたのですが、早速吹き矢を試してその威力の凄さに感動していました。
お祭りの出店で買ったものって家で使うと「あれれ?」というものも多かったのですが、この吹き矢はお店で見たとおりの「高性能」でした。
でも矢自体は新聞紙を丸めたものなので数回使うと先端が潰れて上手く飛ばなくなります。
そこで家にある新聞紙や広告の紙で矢を作るのですが、買った時についていた吹き矢に比べると子供の私には綺麗に上手く作れませんでした。
セルロイドの筒の直径に対して矢の大きさは絶妙な寸法が合ったのですがこれが上手くあわせられませんでした。
でも飛距離は大幅ダウンでもそれなりに自作の矢でも楽しむ事が出来ました。
とにかく当時大満足の一品でした。
非常にショックを受けた見世物
その後も夏祭りが大好きで家の近所のお祭りはもちろん、従姉妹とも毎年行きました。
その中で小学校6年生(1972年)の時に近所の神社のお祭りであまりにも衝撃的な見世物を見ることになったのです。
当時私は新宿区の新大久保(住所表記は西大久保)に住んでいました。
正確に言うと新大久保駅と高田馬場駅の中間にあった厚生省宿舎です。
関連記事: 新宿・新(西)大久保の厚生省宿舎
新宿でも神社はそれなりの数があり、あちこちで規模は小さいながらも(都会なので規模は小さい)お祭りがありました。
近隣で一番大きなお祭りは多分、歌舞伎町直ぐ近くの花園神社のお祭りだと思います。
何度も行きましたが、何分歌舞伎町直ぐ脇という強烈な立地ですので子供だけで行くところではなくて、いつも親と一緒でした。
さてそんな中衝撃を受けた見世物と言うのは家から程近い諏訪神社のお祭りに行った時でした。
クラスメート(もちろん男子)と何気に行き、最初はジュース飲んだりたこ焼き食べたりしていたのですが、見世物小屋があることを知り「入ってみないか?」ということになりました。
小学校6年生で入れる程度の低料金だったのだと思います。もちろん価格は全く覚えていません。
その見世物小屋の宣伝文句などはうろ覚えなのですが、「ジャングルから来た野生女が生きた鶏を食う!」みたいな強烈なものでした。
確か宣伝用看板もそれなりに強烈だったと記憶します。
まるで川口浩探検隊のようです。
関連記事: 川口浩探検隊
友人と「生きた鶏食う人間なんてあり得ないよ!入ったら普通の焼き鳥でも食べる人がいるんじゃないの?」と笑いながら小屋に入りました。
確かブリキで出来た小屋だったと思います。
内部はほぼ満員のお客さんで、正面(ステージ?)には細長いテーブルに白い布がかけられていました。
しばらくして司会者がマイクで、
「はるかアマゾン奥地から来た野性の女、ジャングルの動物に育てられ文明を知らずに生きてきた彼女の食事をお見せしましょう!」
みたいな事を叫んでいました。
友人とドキドキしながら見ているとステージ端から上下金ピカのビキニ姿で強烈に化粧の濃いちょっとむっちりとしたお姉さんが入ってきました。
今で言えばマジックショーに出てくるようなお姉さんです。
なお小学校6年生でしたが全然いやらしさとか性とかは全く感じませんでした。
ショーの進行の詳細は覚えていないのですが、とにかくそのお姉さんはあまりにも強烈な厚化粧なので日本人か外人かもわからないほどで、しかも一切言葉を発しなかったんです。
そしていよいよ「彼女の食事」が登場です。
でも生きた鶏ではありませんでした。
これは「騙された!」と思いましたが、その鶏は死んでいましたが明らかに鶏であり、毛が付いたままの状態でした。
そしてそのお姉さんはその鶏の毛を手でむしり始めたのです。
これだけで強烈な場面だと言うことがお分かりいただけるでしょう。
場内のお客さんは若い女性、カップルも多くいたのですが悲鳴や「わぁ~!」という絶叫も聞こえました。
そして毛を適当にむしったそのお姉さんはいきなり鶏に食いついたのです。
死んでいるとはいえもちろん血が出ます。
お姉さんは血が滴るのを気にもせず肉に食らい付きます。
場内からはさらなる悲鳴が上がり、私と友人は「え~!」みたいな声を出してどちらかともなく顔を見合わせて口を開けて固まっていました。
どう考えても火が通っていない動物に食らいついて肉を食べるなんて理解できないし、絶対に出来ないです。
しかも私と友人は確か前から2列目くらいだったので少しですが生臭い匂いがしました。
そのお姉さんは何度もステージをこなすためなのか肉を全て食べるわけでもなくて何口かかじって客に見せ付けるようにしてショーは終わりました。
あまりの衝撃で小屋を出ても友人と顔を見合わせるだけで言葉が出ません。
その後現在の年齢になってもこれほどの衝撃は経験していません。
今となってはそのお姉さんは昔からああやって食べていたのか?おなか壊さないのか?なんて心配してしまいます。
寄生虫や細菌で早いうちに逝去されたかもしれません。
でももっと驚くのはこれほどの残虐、猟奇的なショーが僅か40数年前の日本で、しかも神社の境内で行われていたと言うことです。
しかも古い歴史がある田舎のお祭りや慣習ならいざ知らず東京のど真ん中の新宿区で行われたのです。
今は日本中探してもこんなことをやっているお祭り、見世物は無いと思います。
日本のお祭りにはこういう強烈な一端があったことを知っておいてもよいかもしれませんね。
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先輩、諏訪神社の見世物小屋を兄と話してたんすけど、
西戸山公園が日雇いを集めていた場所なので
仕事にあぶれた浮浪者にバイト代払って、、、
なんてないですよねw
戸山中14期 さま
コメントありがとうございます。
「西戸山公園が日雇いを・・・」ではないとは思うんですが、そうであってもおかしくない時代背景だったと思います。
この見世物小屋のことは今でも恐いほど鮮明に覚えています。これ以上の見世物は未だに見たことがありません。
全国を回っていたのかもしれませんが、狂気ともいえる見世物があった時代の終わり頃だったのかも?と思います。
見世物小屋は無くなっちゃけど、ニコニコ動画の七原君の釣った「ミドリガメを食う」「野鯉を食う」「青大将を食う」とか今でもグロい生放送はありますからw健康が心配です
匿名さま
コメントありがとうございます。
今はネットでそういうものがありますね。
でも昔は昔でTVで露骨にやって今だったら絶対放送できないものが溢れていました。
時代の流れでしょう。
でもグロいのはちょっと・・・というのが私の正直な感想です。
小学生の頃、夏が大好きでした。
プール、虫取り、そして諏訪神社のお祭り。
昭和40年代のお祭りは大体一回、一個10円で100円もあれば一日中遊べました。
確か諏訪神社のお祭りは8月の末で、夏休みの宿題もやらず入り浸って母親に怒られていました。
金魚すくい、綿あめ、などの定番以外にも、何を揚げているのかわからない「フライ」という食べ物とか、高額なおもちゃなどを並べているが、当たったのを見たことのない「くじ」とか怪しさいっぱいでした。
その中でもはまったのがウナギ釣り、針の付いた竿でウナギを吊り上げるのですが、体に針がかかると、ウナギは回転してあっという間に糸を切ってしまうし、うまく口にかかっても竿のしなりをうまく使わないとやっぱり糸を切られてしまいます。
悔しくて連日通い、店の人にあきれられて一匹もらうことができました。
蛇女の見世物小屋もありましたね。
毎年ではなかったと思いますが、気持ちの悪さ怪しさ満載でした。
どんな人がやっているのかという話がありましたが。
見世物小屋の仕事をしている家に生まれて、家業として引き継いだというもあると思いますし、また人権のない時代に身寄りのない人がやらざるを得なかったのかも知れません。
ところが最近、蛇食いにあこがれて登場したのが小雪大夫という美人女性です。
若くて美人な事と蛇食いのイメージギャップで少し前に話題になっていました。
ゴキブリコンビナートというエログロアート集団出身だそうですが、この集団のパフォーマンスは想像以上なので閲覧注意です。
時代は変わってもこのようなものに興味をそそられる人が多いのは変わらないようですね。
akihiro 様
コメントありがとうございます。
諏訪神社の思い出を共有出来て嬉しいです。
>何を揚げているのかわからない「フライ」
→当時そんなものありましたね。何処のお祭りでも。
子供の時は中身何か気にしませんでしたが。
>ウナギ釣り・・
→これは存じ上げませんでした。
今だったらUFOキャッチャーでブランドバッグ(ブランドの真偽はともかく)を採るようなレベルですね。
>蛇女の見世物小屋
→覚えていらっしゃったんですね。
強烈な思い出で今でもまぶたに鮮明に焼き付いています。今でも「見なけりゃよかった・・」と思っています。
>どんな人が・・・
→仰る通りなのかな?と納得できます。
たかだか40年ちょっと前とはいえ、その後の日本は経済成長とは別にモラルや人権などで急速な発達をしましたので、ちょっとかなしい運命の方々もおやりになっていたのかもしれませんね。
食べることには困らなかったとは思いますが。
お祭りって出店、踊りなど基本形態は大昔から変わっていませんが、その背景にある人間模様や時代背景は物凄く変わっていくのを垣間見ることが出来るイベントだと思います。
最近では、「何度くじを引いても当たらない」と訴えられてくじ引きの店主が虚偽として送検されたとかありましたね。
触法行為は許されませんが、お祭りって「ちょっと/かなり怪しい」部分があるから楽しいのですよね。
また当サイトにお越しくださいね。
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