幼少期の道を歩いてみよう
誰でもふと幼少期に戻りたくなる
心が折れない人は一人たりともいません。
普段会社で大勢の部下を持つ管理職、社長さん、世界トップクラスのアスリートなど一見強そうな人が一番心が弱いとも言われます。
特段に高い地位でなくても平凡なサラリーマン、個人商店の店主、既にリタイアした人生の先輩方。
何らかの理由で心が折れそう、寂しくてたまらなくなった時に頭に浮かぶのは楽しかった幼少期の思い出ではないでしょうか?
今回の記事はそんな時に懐かしい道を歩いてみよう、懐かしい場所に行ってみようというまさに懐古趣味の真骨頂とも言える内容です。
世知辛い昨今の時代背景を考えれば、「なにアマちゃん言ってるんだよ!」、「弱者や負け犬が自分を慰めているだけ!」という声も聞こえてきそうです。
でもそういう意見もそれで良いと思います。
本記事、本サイトに賛同してくれる方だけが読んで頂ければそれで私は満足です。
これが不愉快ならば見なければよい、これに尽きると思います。
そして付け加えさせて頂けば、「精神的に完璧に強い人間はこの世にいない」という事実です。
なぜ辛いと幼少期を思い出すのか?
この問題は精神面の学問で分析すればきっと定説の答えがあるのでしょう。
ネットで調べれば出ているのかもしれません。
でもあえて本記事ではそういうことには触れず独断で感じたことだけを書いてみます。
辛い時ほど人は楽しかった時を無理やり思い出して、現時点の辛さを緩和、もしくは忘れようとしているのだと(私は勝手に)思います。
楽しかった時とは人それぞれであり、大人になってからの方が楽しい事が多いが幼少期は辛かったと言う人もいると思います。
しかし体から魂が抜けたくらいに落ち込んでぼーっとすると幼少期を思い出すことが多いのではないでしょうか?
全ての年齢で楽しいことはあり、10代の青春時代だけではなくてリタイア後の70歳、80歳でも毎日が楽しくて仕方ないという方もたくさんいます。
きっと幼少期を懐かしんで思い出すのは、余計な知識や経験が皆無の純粋無垢だった自分が懐かしいからだと思います。
そんな時、人によっては「俺って何て弱い奴なんだ・・・」と更に落ち込むかもしれません。
でもそれで良いじゃないですか。
強い人間なんていないんです。
特に人に対して「お前は甘い、弱い」という人ほど自分に甘くていい加減なのです。
つまり強いふりをしているだけです。
このことは私の長いサラリーマン生活で散々経験した真実で、人にどうこう言う人で真に強くて立派な人は一人もいませんでした。
昔からよく言う、「弱い犬ほどよく吠える」ということです。
だから気にせず素直に幼少期の楽しい思い出に浸り、その思い出に甘えてすっきりしましょう。
これによってきっとあなたは明日から生まれ変わった自分に出会えると思いますし、さらに1歩ステップアップするはずです。
幼少期の道を歩き、町を訪ねよう!
幼少期に通った道、親に連れられて歩いた道、友人と遊んだ公園などに行ってみませんか?
もしかしたらその場所は今住んでいる町から遥か遠く簡単に行けないかもしれません。
その道も公園も当の昔に無くなって跡地はバイパスや高層マンションになっているかもしれません。
行ける距離場所であれば記憶を頼りに行ってみましょう。
行けない距離であっても今はネット地図やストリートビューという素晴らしいツールで自分の机上に「あの頃」を連れて来てくれます。
また訪れる前にもネットで事前の状況を知ることが出来る時代です。
こんな細い路地にも多くの思い出があるはず・・・
これらの行為を”恥ずかしい”なんて思う必要ありません!
仮に恥ずかしいと思っても他人(家族含め)に言わなければ誰にもばれない、あなただけのヒミツで終わるのです。
▼幼いころ歩いた道を訪れたら「こんなに細い道だったっけ?」と驚くあなたがそこにいるでしょう。
▼入り浸りだった駄菓子屋は当に無くなり、新しい住宅やマンションに変わり痕跡すらない。
だけどその場所に立つと目の前に幼き日のあなたが目に浮かぶ。
▼何十年も前に遊んだ公園がまだあった。或いは無くなったけど位置関係は鮮明に瞼に浮かぶ。
その公園で友と遊んだ日々、意地悪をして泣かしてしまった友達。
意地悪をした友には「あの時は本当にごめんね。また遊ぼうね」という気持ちが自然に心中に浮かぶはずです。
▼幼少期に過ごした家がまだ残っていて、知らぬ人が住んでいる。
引っ越して何十年も経つのに、まだその家は全く変わらぬ姿で迎えてくれた。
幼き日に住んだあの家が形も色もそのままで残っている。外観はくたびれているけど確かに今目の前にある。
でも知らない人が住んでいて、中に入ることが出来ずもどかしい。
などあげたらきりが無いほどの経験をするのではと思います。
「こんな懐古趣味なんて!」
「思い出に浸るなんてかっこ悪い」
と思っても一度でもやってご覧なさい。「来て良かった・・・」としみじみ思い、目頭を熱くするあなたがそこにいるはずです。
懐かしい町に行けない人は
今は遠距離に住んでいる、経済的或いは健康上などの理由で行くことが出来ないという人も数多くいることでしょう。
しかし本記事、サイトをご覧になっているということはネットに繋がったPCかスマホを利用されているわけですから、簡単にその場に行くことも出来るのです。
もちろん体がその場所に転送されるわけではありませんが、インターネットという素晴らしいツールを使えばその場所を訪れたような錯覚に酔うことも出来る時代です。
通常の記事検索のほかにオススメの方法をご紹介しましょう。
1.ストリートビューを使う。
いまさら言うほどの事でもないGoogle mapのストリートビュー機能を使えば、航空写真では得られないリアルな世界を楽しめます。
もちろん網羅されていない、または長いこと更新されていない場所もありますが自動車と人間の足で路地に至るまで撮影した風景は素晴らしい以外の言葉が見出せません。こればかりは私はGoogle様に感謝したいと思います。
2.国土地理院の地図を使う。
正確に言うと「国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」のことです。
この地図の素晴らしさは、戦前から10数年前までの航空写真が見れることです。
しかも高解像度でなければ無料ですし、ユーザー登録もアプリインストールも不要です。
ただし以下の制約や条件があります。
・撮影年は撮影された地域によって大幅に異なる。
全ての地域が同じ年月に撮影されたものではない。
・撮影年などによりモノクロもあればカラーもある。
・地域により解像度が異なる。
・無料で見れるのは解像度100または400dpiのみ。
高精細の1200dpi(以上)は有料となる。
一例として1936年(昭和11年)の渋谷駅と周辺の航空写真のサンプルを以下に載せます。
解像度は400dpiです。 クリックで拡大します。
(上記サイト様からのデータに加筆・切り出しをしたもの)
1970年代くらいになるとカラー写真も増えて来ます。
普段Google mapやGoogle Earthをガンガン使っている人でも、この国土地理院の過去の年代の航空写真が見れるサービスを知らない方も多いようです。
このサービスのおかげで50年以上も前の私が産まれた家を見ることが出来て懐かしさで胸がいっぱいになりました。
ぜひ皆さんも使ってみてください。
3.自治体のサイト
各自治体のサイトには「当市の歴史」なるページがあるところが多いようです。
単に年月と出来事をテキストで羅列したページもあれば、写真入で驚くほど詳細な資料を見ることが出来るページもあります。
またこのサイト内にはなくても、リンク先に昔の多くの写真とともに説明文が書かれていて、私も数十年の時を越えて「あの町はこうだったのか!」と驚愕の事実を知ることもありました。
4.一般サイトでの検索の工夫
例えばですが、「1970年(頃)の武蔵小杉駅」のことを知りたいとします。
この場合の検索のキーワードは、「1970年 武蔵小杉駅 周辺」などと入れます。(”周辺”は無くても可)
すると結構な数がヒットしますが多くは近年の情報ばかりです。
しかし根気強く見ていくと当時の情報がヒットすることがあります。
中にはかなりコアな情報が見つかるかもしれません。
最後に
繰り返し言いますが、思い出の場所を懐かしさのあまり、寂しさのあまり訪れることは恥ずかしいことではありません。
どうしても抵抗があるならば誰にも言わずにこっそりと行えばよいのです。
必ずあなたの心を癒してくれて、明日からの活力になることは間違いないのです。
懐古趣味、昔を振返る・懐かしがるのは後ろ向きの意味ではありません。
新たなステップを踏み出し、自分を生まれ変わらせるためのエネルギーなのです。
さあ、リフレッシュして生まれ変わるために”あの日”を訪れてみましょう!
(注意)
悲しいことですが、いくら懐かしい場所だからといって無造作に写真を撮ると今の時代は直ぐに通報されてしまいます。
どんなに純粋な気持ちでも通用しないのです。背景には犯罪目的のために撮影する悪者がいるからですが、現地での撮影には充分気をつけましょう。
また懐かしさのあまりあちこち歩いただけで、「知らない人がウロウロしている。不審者だ」と通報されることもありますのでお気をつけください。
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幼少期に住んでいたあたりって、けっこういいですよね。
学生時代~20代に住んだ場所を、いくつか見てみたことあります。高田馬場の裏通りはたどり着けず、ほか、1つのアパートは駐車場になってたかな。
わたしの場合、地図をたどっていると「戻りたいなあ」「人生なにひとつどうにもならなかったなあ」「順調に健康にあの街で活躍していられたら…」と、眠れない晩が何か月も続いてしまい、振り返るのはよすことにしました。ははは。
anna様
こんにちは。コメントありがとうございます。
高田馬場とかは細かい建物やお店は変わっていますが、町全体の雰囲気は大昔からそのままと思います。
新大久保も一角のコリアタウンを除けば大昔のままです。
自分にとって思い出の場所が無くなってしまっていても悲しむことはありません。
「ここが変わったように私も今から変わって進化していく」と置き換えることも出来ると思います。
そうすれば嫌なことも忘れてさらに強く新しい自分になれるではないでしょうか?
数年前に何かのドラマで以下のセリフを聞いて頭から離れなくなりました。
「人生はやり直せないから素敵なんですよ」
と。
1秒前はやり直せなくても1秒後からは新しい希望の未来が誰にでもあるはずなのです。
優しいおへんじをくださり、ありがとうございます。
1秒後からは新しい希望があるはずなのに、後ろばっかり、毎晩振り返ってしまいましたね。
さて、1秒後のどんな楽しいことを考えながら、寝ようかな。
東京・千葉に住んでいる期間が長くなりましたが、広島駅から徒歩30分、今のマツダスタジアムがあるあたりから南側に幼少の頃に住んでいて、今でも時々帰省する度に立ち寄っています。
道路が拡張され再開発が為され、また昔住んでいた父親の会社の社宅は取り壊されマンションが建ち、駄菓子屋も跡形もなくなっていましたが、遊んだ路地は未舗装で古いアパートや通っていた小学校はわずかながら残っていました。
その場所に立ち、もう連絡を取ろうにも取れない小学校時代の同級生や近所の友達と遊んだ事を振り返っています。
ここ数年仕事で厳しい状況にさらされる事が多くなり、なぜか幼少の頃を振り返る事が多くなりました。色々な思い出が浮かんでは消えていきます。
勿論当時は当時で大変だったと思いますが、時間は苦いものを甘くすることが出来るのですね。時間は素晴らしいと思います。
広島育ちです様
コメントありがとうございます。
やはり人それぞれの人生の物語があります。
記事中に書いていますが、「過去を振り返るのは恥ずかしくない」を強調したいです。
「そんなこと・・・」と思っていてもふと何かのきっかけで幼少期の人と再会する(ネットであっても)、仕事か何かの都合で生まれた町を訪れることになった。
これらのきっかけで考え方が大きく変わり、「あの日」が蘇った喜びに浸れるはずです。
実際に行く、ネットを駆使する、様々な方法で自分を進化させるための旅に出ましょう。
また当サイトにおいで下さいね。
ご訪問ありがとうございました。