古い日本家屋あるある・・・
古い日本家屋は思い出と恐さが入り混じる
今は古い家とは言っても築年数が経っているだけで、部屋の中は古さや汚れはあっても現在の住宅としての機能は全て兼ね備えていて、トイレも元は和式だったのが今や洋式∔ウォシュレット付きが普通だったりします。
でももっと古い日本の原点のような家はどうだったでしょうか?
私が産まれた家や幼少期1年だけ住んでいた家は「ボットン便所」でしたし、恐い部分も多々ありました。
古い日本家屋は今見るとワクワクドキドキ、そして住んだことがない人でも懐かしさを感じると思いますが、実際に住むと不便以外に「恐さ」を感じることも多いのです。
私が産まれた家
私が産まれた家、とは言ってもその家に助産師さん(昔の言い方だと産婆さん:さんばさん)を呼んで母が出産したのではなくて、産まれたのは今は駐車場に変わってしまった東京都新宿区歌舞伎町にあった「日赤産院」で収穫されて、杉並区井荻(いおぎ)の家に持ち帰られたのです。
だから井荻にあった家が私の産まれた家という事になるかと思います。
平屋の木造一戸建てでしたが私が幼少を過ごした(0~6歳頃)当時でさえ大変な古さを感じる家でした。
でも不思議な事にこんな幼少期に住んだ家なのに今でも驚くほど鮮明に覚えているんです。
恐いくらいにです。
その家は木が縦方向に何本も装飾のように入った曇りガラスの引き戸が2枚付いた玄関でした。
当時はこのような玄関が多かったのでしょうか?
中に入るとやたらと広い土間みたいになっていたんです。
広く感じたのは幼少だったからで実際には大して広くはなかったかもしれません。
でも自転車を2~3台置いても余裕だったのでやっぱり広かったのかな?
そしてここで靴を脱いで上がるのですが、小さな子供からするとややよじ登るという感じの木の縁側のようになっていて、当時は他の家もこのような構造があったので流行りだったのかもしれません。
そしてこの家の特徴は以下のような部分が印象的でした。
(時代的には1950年代~1970年頃までに作られた戸建て木造住宅だと考えて下さい。)
◆トイレ
家の一番奥の廊下の突き当り。2つに分かれていて、最初の木の扉を開けると男子小用で当時の定番だったとても小さめの便器があった。
さらに奥の扉を開けるといわゆる個室で、ボットン便所で大きな口を開いた便器は小さな子供には震えるほどの恐ろしさだった。
↓実際の我が家のトイレではありませんがイメージ付きますよね?
今考えると驚きなのは2つにわかれたトイレで電球は1つしかなかった。
男子小用と奥の個室の仕切りの天井付近に切り欠きがあり、そこに裸電球が一つ付いていた。
暗めの電球だったので40Wくらいしかなかったと思うし、夜はまさに薄暗く、しかも電球が真上ではないのでしゃがむと右上からぼわーとした明かりに照らされるという恐ろしさだった。
昔の日本はトイレは不浄のものと思われていた部分があって、昔の人はトイレ(便所)のことをご不浄(ごふじょう)と言っていた。
そういうことからトイレは極力食事や寝る場所から離れたところに設置して、家の一番端で廊下の突き当り、しかも暗い電球1つで2部屋を照らすというのは明るくすべきではないという考えがあったのではと思う。
私の祖母もトイレの事は「ご不浄」と日常的に言っていた。
◆風呂場
家の中の壁はモルタルというか土を塗り固めてその上に白色のものを吹き付けたような構造だったと記憶するが、風呂場は湿気があるからか一部コンクリートと木だった気がする。
古かったと言えど五右衛門風呂とかではなくて、普通の木で出来た浴槽だったが小さな子供が一人で入るのは難しいくらい高さがあって、親が用意してくれた木の台を使って浴槽に入っていた。
でも5~6歳の子どもが一人で入浴は危険なのでいつも両親のいずれかと入っていたけど。
恐いトイレに行くよりは何百倍も楽しい時間を過ごせた場所だった。
◆台所
キッチンではなく台所という言い方の方がはるかにあっていたと思う。
昔と言っても高度経済成長真っ只中の東京23区内だったからさすがに薪で米を炊いたり魚を焼くなんてことはなくてプロパンガスだった。
当時の都内は都市ガスはまだ一部だったのではと思うが、杉並とか練馬なんて都内でも田舎の方なので殆どがプロパンガスだったはず。
台所の詳細はあまり覚えていないのだが、「となりのトトロ」に出てくるようなあれほど古い構造ではなかったし、狭いので食べるところと台所の区分もはっきりしていなかった。
一つ鮮明の記憶なのは東芝の電気釜があったことだ。(これは日本初の自動式電気釜だそうです。)
当時でも珍しいものでは無かったが、全国的に電気釜と2槽式洗濯機が急激に普及していた時代だった。
(2槽式洗濯機は今でも普通に売っています。使いにくいものではあるのでファンが多いのかも?)
東芝の電気釜は今でもたまーにTVに映る事があったりするが、蓋がシルバーで大きめの黒い取っ手のツマミが一番上に付いていて、ボディは白で本体の左右に持ち運ぶための黒い取っ手が付いていた。
調べたらこの電気釜の写真と説明文を見かけたので是非ご覧下さい。↓
まさに我が家に合ったそのもので久々の再会に感動しました。
(リンク切れはご容赦を)
◆家の中のむき出しの配線と碍子
電源用の100Vの電線は今は配線が壁に埋め込まれているので、目に付くことはまずなくせいぜいブレーカーのボックスが玄関上とかに付いているだけのはずである。
しかしこの家は外から引き込まれた100Vの電線が露骨に台所端の天井近くから家の中に顔を出していた。
当時は「あれが電気の電線だね」くらいしか思っていなかったが、碍子(ガイシ)*に巻き付けられた電線と碍子は油ぎっていて、黒い油と思われるものと埃がたっぷりと付着していた。
この油は台所の端に碍子と電線があったので、調理時の長年の油が付着したと思われる。
*碍子(ガイシ):瀬戸物で出来た電気を絶縁する白くてヒダの付いている部品です。
電柱の上など様々な送電線に使われていますが以下のような物を見たことがあると思います。
引用元:Wikipedia
当時は幼少だったこともあり、特に何も思いもしなかったし「単なる電線」くらいの認識でした。
でも今考えると、電気の道を選んで変に知識があるせいか、背筋が寒くなるほどの恐怖を感じます。
だっていくら被覆付き電線(銅線の表面にビニールなどカバーが付いている電線)とは言っても古い木造家屋の壁に取り付けられていて、油と埃がたっぷり付着しているなんていう状況は漏電や何らかのショートで火災を起こすに決まっているからです。
しかも当時の一般住宅には漏電ブレーカーなんてありませんでした。多分このような構造の配線が原因での電気火災は多々あったはずです。
私が住んでいた家の中の配線の様子は以下の写真ものに似ていると思う。
写真は屋外の壁のものだが、我が家は電力メータ以外の碍子と配線が屋内にある状態、と思って頂ければほぼ合致する。
引用元:CAMPFIRE 様
https://camp-fire.jp/
なおこの写真のような配線方法は今から50年以上前にほぼ無くなったそうなので、うちはその末期くらいか或いは残存家屋の一つだったのかもしれない。
素人考えでも「火を噴くかも?」とちょっと恐い感じが分かると思う。
◆壁
壁にも当時の住宅は特徴があっておおむね以下のような壁が多かったと思う。
外壁:木造の場合、大きな平たい木の板ではなくて、細長い木を縦または横方向に重ねるようにしていた外壁が多かったと思う。
以下のような構造。(クリックで拡大します)
部屋の中の壁:モルタルみたいな感じで、硬質の粘土ともいうべきか?強い力が加わると簡単に割れたり穴が開いたりする。この層の厚みは数cm程度なので構造物として強度を持たせたものではないのは明らか。
この外層の内側には「畳をバラバラにしたものを不織布のようにして固めたようなもの」が入っていた。
そして木の枠や柱が入っていたと記憶する。
びっくり日本家屋
以下は私が住んでいた家ではなくて知り合いの家、親と行った田舎の民宿などを記憶の範囲で書いてみます。
●巨大な天井の梁:これは古い日本家屋であればどこでも見れたかもしれない。
しかし子供にとっては天井を見上げると恐ろしく太い梁が横たわっているのが目に入り夜などは恐怖を感じた。
当時は「梁」という言葉は知らなったが、「なぜ天井にあんなに太くて長い木の棒があるの?」と疑問も思ったし、布団に入って上を見れば嫌でもその太い梁を見つめることになり、「あの木の棒の陰から妖怪や宇宙人がこちらを見ていたらどうしよう」と不安と恐怖にかられ、頭からすっぽりと布団をかぶって震えていたことを思いだす。
今はそんなことは考えないが、あえて言えば「ちゃんと梁の上の部分を掃除しているのかな?あっという間に物凄い量の埃が溜まるだろうに」なんて余計なことが気になったりする。
●離れの便所:私が住んでいた家も便所は家の一番端の廊下の突き当りだったが、それほど広い家では無かったので恐怖心はボットン便所以外は大したものでは無かった。
しかし特に田舎の大きな家は便所が離れになっているところもある事を知り、夜行くことの恐怖心は大変なものだったと思う。
離れでも私が知る限りは2つの種類があったようだ。
1.長い廊下を歩き、その突き当りに便所が配置されている。
この廊下は屋根はもちろん、左右の壁もきちんとあって決して風雨が入り込むような構造にはなっていない。
しかし家によってはこの廊下の途中には一切の電灯がないところもあったようだ。(便所には裸電球1個はある)
イメージ的には以下のようなもの(クリックで拡大します)
2.便所が完全に外で母屋と全くつながっていない。
これは「1.」のような廊下さえも無くて、つまり便所に行くには一度靴を履いて外を歩き母屋から離れた便所を利用するというもの。
違う言い方をすれば母屋には便所が一切なくて「外の公衆便所を使う」ようなものだ。
ただこれにも数パターンあるようで、
・母屋にも便所はあったが、離れにも別にあった。
これは昔の農家にあったようで、農作業の途中にいちいち母屋に帰らずに用を足したい場合に使われていたようだ。
・時代と地域によっては近隣の家と便所が共同、しかも外にポツンとある共同便所を使った。
などで、いずれも雨の日は大変だったと思うし、聞くところによると離れのトイレには電灯が無いところもあったようだ。夜にどうやって明かりを取るのか分からないが、ローソクでも持って行ったのかもしれない。
夜はどうしようもなく恐ろしい。
母屋と廊下で繋がっているにせよ、完全な外の離れにせよ便所は【ご不浄】なので極力母屋、生活の場から離したところに設置したいという考えが根底にあると思う。
伝統を引き継いだ現在の日本家屋
文化財でなくとも現在も相当長い年月を引き継いだ日本家屋はたくさん全国にあります。
しかし外観、中も古く時代を感じさせる建物でも「トイレはウォシュレット付き」、「風呂場も床や壁、天井は最新の素材のもので浴槽も最新型」、「台所もIH調理器付き」なんて様変わりしているところが多いことでしょう。
これでは古き良き日本家屋ではない、とおっしゃる方もいらっしゃると思いますが、私がもし古い日本家屋に住むとしたら、このような近代的設備の家が良いです。
特にトイレは明るく清潔なものは最低条件かな?と。
歴史を継承するという事で古い日本家屋も大切に保存すべきと思いますが、自分が毎日生活するとなると家の中はそれなりの設備でないと私は耐えられないと思います。多くの方がそうかもしれませんし。
でも古い家程手入れにお金と時間がかかりますので、そういう家に住むのは大変贅沢な事なんですね。
住まなくても幼き日の思い出に浸れるだけでも良いかな?
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ガイシでよく見かけたのが、「タマゴ型ガイシ」、よく電柱を支える地面とのワイヤーに使われてました。
短波聞くときに、アンテナと支柱を隔てるため(受信波が地面に流れないように…ご存じかと)に、
波型ガイシ?とかいうのと使ってたり…ハムなんかでも使われてるのかな?
きのう、マツコさんの番組で、ガイシマニアの人が出演してて、その中で、
珍しいガイシを見てもテンション低かったので、「(マニアなら)もっと興奮しろよ!」って突っ込みを入れてましたが…。
普通にニコニコしてますが、静かな中にもエクスタシーみたいなものを感じられて、
これが、「ガチマニア」の本性かと思いました。
まぁ騒ぐだけの自称マニアってのは演技です。
・・・専門の人が説明する前にしれっとしゃべっちゃうし…はじめっちオタク怖ろしや…
駅の便所の便器について、自己調査してる方に北海道で会ったことがあります。
・・・マンホールのふたといい色んな「変態さん」が…みならいかのん「変態」はホメ言葉です
「不織布みたいなもの」は、まさか「石綿」じゃないっすか?
でも、昔ながらの日本家屋であれば、たぶん心配ないっすね。
・・・わらくずなのかもっすゆたか
あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、
おばさん(とかいうな!)の見地からしても、
日本家屋が季節に合った優れた建築物だとしても、
トイレと台所のリフォームは欠かせないなぁ…と思うのだ。
・・・台所は薪・ガス・電気とあれば使い心地いいのだつるみんんでもって無料で定期のメンテとかやってもらえると最高なのだ
4あほ様
コメントありがとうございます。
・碍子の事
よくご存じですね。電気系ですか?それともBCLマニアだった? ←BCLお分かりですか?
碍子マニアは知りませんが、送電線マニアとか電柱マニアは知っています。ネットでもそういうサイトがあります。
ただ聞いて「なんだかなぁ・・・」と思ったのが近年は電柱/電線/変電所の写真を撮っていると警官やメンテに来ている電気会社の人に職務質問を受けることがあるそうです。
重要な社会インフラですからテロの下見と思われることがあるとか。
・石綿・・・
そうかもしれません。小学校の時理科の実験で「石綿金網」というのがありましたね。
今考えるとぞっとしますね。
・トイレと台所
私も建物が古くてもこの2つと風呂の清潔さがあれば何とかOKです。特にトレイかな?
それと札幌で暮らすようになってからゴキブリと無縁の生活に慣れてしまったので「ゴキブリレス」でお願いします。
私の実家は関西の片田舎で、築100年以上のウナギの寝床のような京町家というやつです。
今でこそリフォームして住みやすくしてありますが35年ほど前まではお風呂は縁側の端から外がわから入らなければならず、しょっちゅう中には大きな足の長いクモがいたりトイレももちろんボットンで中庭には大きな不気味な色の女郎蜘蛛が巣を張っていたり玄関から台所から裏まで土間でした。
台所の洗い場もシンクなんていいものじゃなくタイル。もうひたすら古ぼけたものでした。
駒林出身様
こんにちは。元は関西の方なんですね。
私が5~6歳くらいまで過ごした家もかなり古い日本家屋でした。(東京23区内です)
虫の事は覚えていませんが、ぼっとん便所だけはすごく鮮明に覚えています。
そんな小さな頃の事を鮮明に覚えているというのはぼっとん便所がよほど嫌だったんでしょうね。
また小さい頃は虫を平気で捕まえたり出来たのに何時ごろかなのか触れなくなりました。
だれでもそうなのだと思いますので昆虫学者や殺虫剤の開発を行っている人は偉いと思います。
私は10年ほど前に住み慣れた横浜市を離れて札幌市に今住んでいますが、北海道は自然が多いせいか虫(特に蛾)が多いのですが、幸いゴキブリが出ないので夏に窓を開けっぱなしにしない限り虫の害はほぼありません。(でも家には冷房付けていないんですけどね)
すすきのの地下街などは年中暖かいのでゴキブリが出るそうですが、少なくても家も繁華街も含めて北海道でゴキブリを見たことは一度もありません。
これだけでホッとします。