塩狩温泉ユースホステル発足時の写真(1969~1974年)
北海道・塩狩温泉ユースホステル発足!
北海道にかつて存在した塩狩温泉ユースホステルは塩狩荘→塩狩温泉ユースホステルという変革の歴史があります。
塩狩温泉ユースホステル(以下、塩狩温泉YH)は塩狩温泉観光ホテルを母体としていましたが、併設のYHもそん色ないほど立派な建物でした。
塩狩温泉YHは旧塩狩荘を1974年に建て替えたものですが、当時の詳細を知る当サイトのご訪問者様から多くのお写真と情報を頂きましたので記事にすることにしました。
ご訪問者様でおられる「浜のヨースケ」様には心より感謝申し上げます。
なお関連記事として以下もご覧下さい。
また本文に入る前に以下をご承知おきください。
▶塩狩温泉YHに私が初めて泊まったのは1977年8月ですので、1974年発足時及びその前の塩狩荘の事は全く存じ上げておりません。
本記事の内容は全て「浜のヨースケ」様からの情報によります。
▶掲載した写真で人物が写っているものは一部を除き顔にモザイクをかけておりません。
理由は今から(2020年基準)50年前後も前の物なので人物の面影はあっても現在の姿および個人を特定することが極めて困難、もしくは不可能であるからです。
当初「半世紀前でもすべてにモザイクをかけるべきでは?」とかなり悩んだのですが、上記理由によりあえてモザイクをかけない方が知っている方が当記事をご覧になって「半世紀前のあの人だ!」と喜んで頂けるのではと勝手に判断したからです。
当サイト内の他の記事でもそのように極端に古い写真ではあえてモザイクをかけておりません。
しかしながら特定の人物に関して問題である、ということであれば、その客観的理由と共に本サイト最上部のタイトル直下にあります「お問合わせ」からご連絡を下さいませ。
▶本記事中の写真は全てご訪問者様でおられる「浜のヨースケ」様のご厚意でご提供して頂いたものです。
一切の無断転用等は禁止させて頂きます。
塩狩荘時代
塩狩温泉YH以前は塩狩荘という名前の旅館であったことだけは私も知っていました。
ただ私が幼少時代ですし、写真も見たことが無かったので「ふーん、そうだったんだ」くらいしか思っていなかったのです。
懐かしい写真を頂いたので公開します。塩狩荘時代でもYHは併設(全く同じ建物内?)で営業していたそうです。
本記事内の写真は全てクリックで拡大し、別ページで開きます。
↓集合写真の左側玄関部分のドアのガラスに「塩狩荘」の文字が。
ドア右上にはJYHマークも見えます。
↓これも塩狩荘時代。1969年8月4日。
奥の赤い三角屋根はホテル時代も使われた大浴場の建物だそうです。
↓あ、あの人が!
↓1969年8月6日の塩狩駅ホーム
旭川方面行のホームですが、この時代は待合室があったのですね。
現在信号機器室があるあたりでしょうか?
さらにその後ろには住居?のような建物も。今は空き地ですけどね。
塩狩温泉ユースホステル時代
ここからが私も含めて多くの方がご存じの塩狩温泉YHとなります。
開業は1974年(昭和49年)だそうです。一気に規模が大きくなりましたね。
↓ヘルパー第1期の方々だそうです! 皆さん今おいくつですか?
↓YHの廊下、宿泊経験者ならば位置関係もお分かりかな?
↓この写真はご提供様のアルバムのようです。
↓以下はパンフ
いかがだったでしょうか?当サイトを訪れて下さる方の多くは塩狩温泉YHは知っていてもその前の塩狩荘はご存じない方が殆どだったのではと思います。
私も今回貴重な写真を多数拝見できてとても嬉しく興味深く見させて頂きました。
改めて「浜のヨースケ」様には感謝申し上げます。
【2020年10月25日追記】
「浜のヨースケ」さんから塩狩荘の写真を頂きました。
撮影年の詳細は判りませんが恐らく1970~1972年ごろではと思われます。
こちらの写真は塩狩荘の入口や建物の雰囲気がかなりわかるものとなっています。
私が全く知らない塩狩荘ですが塩狩温泉ユースホステル/観光ホテルの前身ですので当時が偲ばれます。
「浜のヨースケ」さんには改めてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
↓クリックで拡大します。
スポンサーリンク
ハンドブックがものすげぇ厚くて、ガイドブックってよりも「小事典」ですね。
釧路の古書店で、「1982ガイドブック」ってのを50円で購入したことがあると、
じじぃ2匹が申しておりますが、価値はどうかわかりませんがちゃんと保管しとけばなぁ~…と。
・・・国鉄の駅ごとにあったとか…みならいかのん瀬戸瀬温泉にもあったとか…
駅2番ホームには、住宅があったし桜の木も植わってると、
福原小学校の宿主に聞いたことがあります。
当時も廃屋が多かったと認識してますが、住んでる人もいたみたいです。
・・・国道の向こう側には小学校の跡もあったし…はじめっち
ユースの前に公衆電話のボックスがあって、飛込でもまず電話で予約が「決まり」だったっす。
冬とかの閑散期には旅館の一番端っこのベットの部屋2つがユース部屋で、
100円入れてテレビも見れたっすが、コイン入れるボックスが(たぶん旅館の意向で)
「ザル」状態で、実質見放題だったっす。でもみんな談話室(食堂)に詰めてる時間や
温泉に入ってる時間がほとんどで、部屋は「寝る」だけの場所だったっす。
・・・むかしと変わんないっすゆたか
あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、
ユースに往復はがき送ると、いろいろなことが書いてえって味わい深いのだ。
じじぃ2匹も、YH公営釧路と公営館山に泊まった時にはがき書いたけど、
釧路は釧路湿原とツルの手描き水彩色塗り、館山はお花畑のイラストに色鉛筆着色、
うん!思い出したのだ、けっこう持っていたのに、今考えると残念なのだ。
というか、こういう「予約受付返信ハガキ」とか持ってる人のほうが「大変態」なのだ。
・・・「変態」はホメ言葉なのだつるみん
4あほ様
コメントありがとうございます。
皆様も意外に塩狩にお詳しいのですね。
>国道の向こう側には小学校の跡・・・
これって塩狩小学校の跡のことでしょうか?
確かに国道の向こう側ですが駅や国道からは結構離れていました。
2年くらい前に塩狩小学校の跡地に行ったことがあります。
入口には塩狩小学校があったことを記述と校歌を描いた看板がありました。
かなり昔でしょうが子どもたちがこんなクマが出そうな山中の学校に行っていたのだ、と思うと胸が熱くなりました。
肝心の小学校跡は全く何も痕跡はありませんが、養蜂場として利用されていました。
>予約返信ハガキ
私も色々と持っていました。YHに泊まり始めたころは電話予約が出来ることは知っていてもなぜか几帳面に往復はがきで予約していました。
別に返信ハガキを集めていたわけではありませんが。
一番印象深いのは北海道にはなくて、長野県の「諏訪湖YH」でした。
いつもヘルパーさんの可愛い手書きのイラストが添えられているのです。
これらのハガキもきちんと保管しなかったので全て紛失です。今思うと残念になりません。
記事を見る限りでは建て替えと同時に『塩狩荘』から『ユースホステル塩狩温泉』に改称したわけではないみたいですね。
それまで使っていた建物は取り壊しておられるようなので、その際に改称したものとばかり思っておりました。
自分はその昔存在したユースホステルの痕跡と現状を趣味で調べているので、このような記事がアップロードされると非常にありがたいです。
んにゃ様
こんにちは。
>その昔存在したユースホステルの痕跡と現状を・・
そうですか。多少なりともお役に立てればうれしいです。
多くのYHは閉館後に他の建物になったり更地のまま放置されたり、または建物がそのまま荒れに任せて放置とかもありますね。
北海道で「荒れに任せて放置」はちょっと知らないというかないのでは?と思うのですが、他県ではあるようです。
また私が大好きだった札幌ライオンズYHの跡地は更地のまま放置されています。多分今後も何も建たない気がします。