クラス会と同窓会のおもひで・・・
あなたにとってのクラス会/同窓会は?
どの学校でも卒業は嬉しさと寂しさが混じり合った複雑なものだと思います。
明日からはもうこの校舎に立ち入ることは出来ないんだ、と思うと込み上げて来る感情があると思います。
でも次のステップに向かうという門出としての希望と喜びも同時にあるわけです。
そして卒業し新しい学校、世界での日々を送っているとある日クラス会/同窓会の誘いが来て「あの日が蘇る」期待に胸を膨らませてウキウキするのではないでしょうか?
もちろん嫌な思い出がたくさんあったり、嫌いな奴が来そうで行かない人もいることでしょう。
そんな様々な思い、私が経験から感じた気持ちなどを本記事では書いてみます。
お読みになって共感はもちろんですが、「そういう考えもあったのか!」とか「気持ちがすっきりしたので次回のクラス会/同窓会は行ってみよう!」と思って頂ければ幸いです。
もちろん読み終わって「やはりあのクラスの連中とは顔を合わせたくない」と思って頂いてもけっこうです。
イヤな方であってもあなたの心にごく僅かな痕跡を残せれば私は嬉しいのです。
誰でも忘れられない思い出・・・
初めてのクラス会/同窓会は?
たいていの方は小学校のクラスメートが集まる事から始まっているのでは、と思います。
つまり中学校時代に一度皆で集まろう!というものですね。
お住まいの地域によりますが小学校と中学校はいずれも徒歩圏内であることが多いはずです。
もちろんそれぞれが相当離れている地域もあるし、近年の少子化で大都市圏でも[小中学校]という名称で同じ敷地、校舎内に同居している学校もありますね。
また親の転勤や他の理由であえて遠方の中学校に行く方もいるでしょう。
さて私の場合ですが中学校時代にクラス会をやった記憶がありません。
忘れているのではなくて実際にやっていなかったのです。
高校在学中に中学校のクラス会をやり、これが私にとって初めてのクラス会でした。
会場はなぜか日曜日の母校(中学校)の教室でした。
未成年だったので係りを引き受けた人が確か近所のロッテリアでハンバーガーとジュースなどを買ってきたと記憶します。
(当時の中学校の近隣でハンバーガー店はロッテリアだけだった。)
隣に座った男友達がニヤニヤしながら、「あの娘高校生になったらめちゃくちゃ可愛くなったな。中学校時代は垢抜けなかったのに。」と私の耳元で囁いたのを覚えています。
まあ確かにそうだったんですが、中学校時代は思春期の初期なので男女共に異性を意識し過ぎて話せない、テレてしまうなどがあり、卒業しても高校生くらいだとその感情をまだ引きずっていたので私も友人の囁きに頷くだけでした。
ちょっと淡い思い出かな?
そして初めての小学校のクラス会は二十歳くらいの時でした。
6年生時代の仲間たちと担任の先生を呼んでそれは楽しかったです。
私の5~6年生の時の担任の先生は年配の女性で、とんでもないほどのスパルタ先生でした。
(小学校は普通の公立でした。)
当時でも驚くほど厳しく(でも親ウケは良かった)、今の時代に当てはめるとパワハラ、教師のイジメなど人権問題で訴えられるのでは?と思うほどでした。
でも私も含め生徒で嫌っている人は極めて少なかったのでした。
クラス会にいらしたその先生はニコニコして驚くほど温厚な話しっぷりでたかが数年でこんなに変わるの?と驚きました。
でも先生が変わったのではなくて、私たち教え子が大人になった、先生もあくまでもかつての教え子であって今はみんな立派な大人、と考えていたのでしょう。
いずれのクラス会にしても初めての回はとても新鮮でまだその学校に在学しているのでは?という錯覚さえ覚えたものでした。
二十歳を過ぎてからのクラス会/同窓会
二十歳を過ぎてからの集まりだと10代の頃と変わってくる部分が多々出てきます。
それは「お酒が伴うこと」、「社会人、既婚者も増えて来るので話す内容や考え方が大きく異なって来る」などです。
お酒が入れば今まで遠慮して言えなかったことなども自然と口に出ることもあるでしょう。(実は○○さんが好きだったとかも)
社会人、既婚者になれば今までとはまるで違う自分に、友人になっているはずです。
みんな立派になって・・・
もちろん二十歳くらいの時の集まりと、30代、40代・・・と年齢が上がるにつれ話す内容も変わって来ますが、特に二十歳くらいの時は成人とは言っても小学校卒業してたかが10年行ってるか行っていないかくらいですし、高校だったら2年しか経っていませんので多少「お子ちゃま」の部分も持ち合わせていますね。
この頃は担任だった先生もまだ現役教師であることが多いはずなので、自分やクラスメートが大人になったとはいえまだ学生時代の雰囲気が満載という感じでしょうか?
お酒が伴って失敗したこともあった・・・
失敗、というほどでもないと思うのですが、二十歳そこそこだとお酒の味を覚え始めたころ無茶をやってしまったこともあります。
もっと前から飲んでいたという違法?な人もいるでしょうが、二十歳になって初めて飲んだお酒に飲み方が分からず酒に飲まれてしまう事もよくある年齢ですね。
夜の繁華街に行くと今でもそう感じます。
私が記憶の範囲では2度失敗(に近い?)しています。
なぜかいずれも中学校のクラス会だったのですが、私の中学校は別の記事でも暴露しましたが東京都新宿区なので本当に東京のど真ん中でした。(山手線の内側ですし)
おのずとクラス会などの集まりは新宿や渋谷などとなります。
飲みすぎてしまったのは2度とも実は同じチェーン店でした。
新宿東口と原宿表参道にあった(今もあるのかな?)ピザのチェーン店のシェーキーズでした。
ピザなどを食べながらパーティー用にビール飲み放題プランだったんですね。
ビールはいずれの店も大きなピッチャーで出てきました。
お酒を飲み始めたころの年齢で、強いわけでもなくただ単に皆に会えた嬉しさだったのでしょうか?
今考えるとビールだけであそこまで酔うか!という状況でした。
具合悪かったので友人が店の外に連れて行き外の空気を吸わしてくれました。
その時も私は訳の分からないことをグダグダ言っていたようです。
女子もたくさん来ていたのでとんだ醜態をさらしてしまいました。
でも中学校の時は異性と話すのが苦手で(多くの男女共に同じだったと思うが)、クラス会でもいきなり話し上手になったわけでもありませんし、女子と特別に話しをした記憶もありません。
バカ騒ぎして遊んだ男子とばかり話していたのですが、ビールに飲まれてしまったのですね。
まあ私だけでなくて数人似たような同士がいたようですが・・・。
後日しらふになると非常に恥ずかしいのですが、「どうせ明日みんなと学校で会うわけじゃないし」と自分に言い聞かせましたね。
高校のクラス会は・・・?
高校のクラス会は50代にもなった今に至るまでただ1度しかありませんでした。
多分この先もクラス会/同窓会としてはないのだと思います。
高校を卒業して4年後の22歳になる年になぜか連絡が来たのです。
卒業して4年程度であれば転居した人も少ないので連絡が取りやすかったのでしょう。
場所は武蔵小山(東京)の昔ながらの居酒屋の2階を貸し切りで行いました。
想像以上の人数が集まり、私は高校生活が楽しくてしょうがなかったので皆の顔を見て心底嬉しかったのです。
注意:「かわいいあの娘に会える!」とかの思いは皆無でしたよ。本当に。だって男子校だったのですから。
参考記事:男子校の実態
むさくるしい男が20数人集まり現状報告などをしながら大いに盛り上がりました。
高校時代とても大人しかったある友人はなぜか手酌酒をしながらドンドンヒートアップして行き、一人で盛り上がって色んな人に「おーい!」とか言いながら据わった目で手を振ったりしていました。
「これってヤバいんじゃないの?」と私と隣の席の友人は笑いながら話していたのですが、案の定その一人で盛り上がった友人は泥酔してしまい、お開きの時には二人掛で店から担ぎ出されていました。彼がどうやって帰ったかは分かりませんでしたが。
さてなぜ高校のクラス会/同窓会が今後は無いと思うと私が考えるのは、高校時代から皆の関係が比較的希薄だったからです。
一部には数人の仲の良いグループもいましたが、クラス全体のまとまりがないし、何分男だけ55人ものクラスだったのでクラス会を開こうと率先する人もいないと思います。
これが共学だったらまた違っていたとは思いますけどね。
クラス会/同窓会はずーっとやっていきたい
私の高校での人間関係が希薄だったこと(私個人ではなくて全体の雰囲気がです。)、小中学校も連絡が取れない人が多いことなどから年月の経過とともにクラス会の開催が激減していくのはやむおえないと思います。悲しいですが。
また学年単位、学校単位の大人数をターゲットにした同窓会は今の時代は幹事となる人が連絡先が分かる人全員にメールや手紙を出す、母校のサイトで告知するなどをして人集めをすると思いますが、私の高校の55人のクラスも過半数が連絡先が分からないと母校から「連絡先を知っていたら学校まで」という手紙が年に1度来ます。
またネット時代とはいえ母校にサイトがある事、サイトがあるだろうが同窓会情報が載るのか?という疑問からあえてサイトを調べて見ようとしないというのがネット時代の死角でもあると思います。
私は卒業した学校全てに住所が変わるごとに連絡をしているので母校から様々な連絡をもらえますが、クラス会の幹事をやっている人とも連絡は取るけれど「前回クラス会に来た人が翌年には行方不明」とかが非常に多くあるそうです。
多くの方は自分の住所が変わっても母校やクラス会幹事の方に連絡をするという事はしないと思います。
結婚して姓が変わったとかだと余計そういう連絡からは疎遠になるのでは?
もちろん私みたいにすべて連絡をする人もいますけど年齢が上がるほど少数派になるのが現実でしょう。
なんかとても寂しい気持ちになるのですが、あるいい年になって来ると幼少期や学生時代が懐かしいと思いつつ、「何十年も昔の思い出に浸るのも空しい」と同時に思うことが多々増えて来た気がします。年を取った証拠なのかな・・・。
色々と複雑な事を思う記事になってしまったかもしれません。
でも幼少時代、学生時代、いやな事もたくさんあったかもしれないけれどそれらの日があるから今の毎日の生活が、そして自分自身があるのです。
もしクラス会/同窓会が全く無くなってしまった、昔の友人とも誰一人と連絡が取れない(連絡先が分からない)、少子化などで母校が無くなってしまった(私の新宿区の中学校です)、など悲しくなるような出来ごとがあっても、確実にあなたがクラスメートと過ごした学生時代は存在していたのです。
だからこの瞬間もクラスメートはどこかで何かをしながら昔の仲間の事を思い出したりしながら毎日生きているのです。
会えなくても皆心ではこういう事を↓願っているはずです。
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私のクラス会逸話は、大学生の時に一度だけ小学生時代のクラスメートが集まりました。まだ、みんなが町内に住んでいたので容易に集合出来ましたが、成長するにつれ連絡が途絶えてしまい、学級委員長だった私が奮起しなければならないのですが、残念ながら開催が出来ず申し訳なく思っています。
その点、中学は、社会人になったある日、在任当時の校長先生が預かっていた私たちの作文を返却したいということで、1期生から6期生までの卒業生が集まるという大同窓会が催されました。講堂の檀上で、国語辞書の編纂にも携わっていた著名な校長先生から私たち一人ひとりに20年前の作文が戻され、稚拙な文章に顔を赤らめた次第です。
それがキッカケで、時おり同学年の同窓会が開かれていますが、それとは別に、1年生の時のクラス会もあります。担任がNHKのテレビ体操に出演していた女教師で、私たちのクラスだけ授業開始前の早朝練習があり、体育が苦手で1時間の遠距離通学をしていた私はシンドカッタですが、クラスの結束は今も続いています。
そして高校のクラス会は、私の提案で、母校の教室で(すでに大学教授になられていた)担任に授業を再演していただきました。勿論、放課後は街へ繰り出し、先生を囲んで酒宴三昧。でも、その先生も他界され、先生不在のクラス会への足が重く感じるようになってきましたが、すでにもう、来年の開催日が10月31日と決まっています。
浜のヨースケ様
こんにちは。コメントありがとうございます。
やはりクラス会、同窓会は誰にでも様々な思い出がありますね。
嬉しいはずのクラス会なのに先生が来れなかった、逝去されていたなんて聞くと時の流れとともに、とても悲しくなります。
またクラスメートで亡くなった人がいたりも辛いです。
でもそれらに匹敵するほど悲しいのは友人や先生が私の事を忘れていたりする事です。
忘れてたの?というのと同時にあまりにも長い年月が経ってしまったんだな、と時の流れの残酷さにも悲しいです。
でも思い出は思い出、常に1秒後を考えて生きて行くのが一番大切ですね。
ちょうど10年前。
東日本大震災の起こる一か月前くらいにfacebookなどのSNSを始めました。
すると・・見つかるわ見つかるわ、同級生が!!(笑)
最初に見つけた中学一年生の時の仲良しの友人がきっかけで同じクラスだった男子数人もつながり・・・その数年後私の転校後も文通でつながっていた友人も含め6人でプチクラス会をしましたよ。
それがまたきっかけになり他のクラスの男子たち。
彼らが住んでいた南日吉団地の幼馴染ばかりの同窓会が始まりました。
それこそ南日吉の商店街などの話題はついていけるけど学校の話になると・・・(笑)
しかしそのうち、原点に戻ろう(笑)ということになりわがクラスの担任の先生をお迎えしてのクラス会が一昨年春にありました。
コロナの前の年でほんとにラッキーでした。
そして今はLINEもあり、それぞれの学校のグループLINEもあり、便利な世の中になりました。
高校は関西なので同窓会にはなかなか参加できませんが何年か前に帰省のついでに女子6人ほどでプチ同窓会をしました。
正直、ほとんど初めまして状態のメンバーで(笑)一人だけ同じクラスだった人が私のために出席してくれたり・・。
ちなみにLINEも関西と関東では違いますねw
関西のグループLINEは常に誰かがボケてます。
駒林出身様
コメントありがとうございます。
南日吉団地、今は団地なんて言ったら怒られそうなくらい変わりましたね。
でも変わってからもかなり時間は経ちましたが。
関西、昔は大阪市内に親戚がいましたが今は疎遠、でも友人は何人もいて何回も遊びに行きました。
最近では一昨年の春に旅行しました。
大阪は本当に楽しい街ですね。
大阪出身の後輩で、社会に出るまで東京で暮らした事がないと言う人が言うには、
「大阪はお笑い文化というのを東京に来て初めて知った。でも考えてみたら生まれた時からテレビや街でのお店の人とのやりとりでお笑いは普通に溶け込んでいた。」と言っていました。
お笑いが当たり前だと特別な事と思わないんですね。
私も今も関西には親戚も友人もいます。
でも転校前はどっぷり関東人だったので転校後は言葉が壁でクラスのヤンチャメンバーにはいじめられました。
大阪弁はそんなヤンチャな人たちから覚えました(笑)
そしてそのいじめでちょっと内向的になって・・土曜日は学校から帰るとよしもとの番組ばかり見ていました!
やはり大阪はよしもとですね(笑)
高校にあがるとそんな内向的だった私もはじけるようになりましたが。