あんずの里 (渋谷・道玄坂の居酒屋)
渋谷・道玄坂の居酒屋 ”あんずの里”
渋谷の道玄坂途中に”あんずの里”という居酒屋がありました。
私がもっとも通った居酒屋はこのお店でした。
年代は1982~1985年くらいの僅かな期間ですが、一時期は毎週末行っていたこともありました。
当時私は東横線の日吉、その後根岸線の洋光台に住んでいたので「横浜市内からわざわざ渋谷まで」行っていたのです。
通勤途中でもありません。ただ飲む人と渋谷で待ち合わせが都合が良かったという程度の理由です。
渋谷に住んでいたことはありませんが、新宿(新大久保)に住んでいたことはあり、当時から新宿はあまり好きではなくて、遊びに行くにも渋谷が何となく多かったのです。
だから渋谷は土地勘があるのです。新宿などよりも横浜市在住の方が長かったので横浜市もかなり詳しいのですが、よく飲む友人と待合せるには渋谷が都合が良い事が多かったのです。
なぜこの「あんずの里」に通うようになったのか?自分でも明確な理由は分かりません。
初めて入った時は友人と飲み屋を探していて渋谷の街をフラフラと歩いていて、歩き疲れもあったので「ここにしよう」という事になったのが理由だと思います。
あんずの里の場所
あんずの里は道玄坂を登って行き、坂の途中のやや緩やかに左にカーブした付近の雑居ビルの2階にありました。
歩き疲れるほど歩いた、というと「なんで?」と思われるでしょう。
週末に限らず平日であっても渋谷の居酒屋やどこに行っても激混みなのです。
それに面白いのは渋谷という町は非常に狭い区域ながら、客層がはっきり分かれているのです。
(後述します)
一般的な渋谷のイメージは昔も今も「若者の街」であり、放課後の高校生も制服で大勢闊歩しているというイメージがあるのでは、と思います。ましてや全国で流れるニュースやその他TV番組、ネットニュースでもそのような風景ばかり写されています。
事実私が高校生の時もそうでした。高校は渋谷から徒歩を含めて30分圏内の某駅にあり、学校帰りに友人と渋谷をよく目的もなくフラフラと歩いていました。
でも渋谷ばかりだと飽きるので、たまには銀座までも足を延ばしましたが、銀座も学校から徒歩を含めて30分以内でした。
思い出すと学校帰りに新宿に遊びに行った記憶がありません。
かつて住んでいたというだけでなく、昔から新宿の繁華街は好きではなかったからです。
お住まいの方、街が好きな方には恐縮ですが池袋とかだとますます気持ち的にも足が遠のきました。
(理由は東京、首都圏在住の方はお分かりかと思いますが)
さて少し脱線してしまいましたが以下の地図をご覧になりながらお読みください。
(Google mapに加筆。クリックで拡大して別タブ(ページ)で開きます。)
赤の矢印の場所(四角で囲まれた部分)があんずの里があった場所です。
道玄坂を登りながらやや左にカーブしたところにあった雑居ビルの2階です。
入口はとても狭くて急な階段を登り、2階の右側がお店の入口でした。
お店は道玄坂に面して広い窓があり、採光のとても明るいお店でした。
ただ時間が経っていることもあり正確な場所を思い出せないんです。
ネットで情報を探しても「あんずの里」という名称はあちこちに出て来ますが、全く別の町のお店の名前だったりして、渋谷のこのお店の情報は出て来ません。(私の探し方が悪いのかもしれませんが)
ストリートビューでじっくり見てみたのですが、どうしても分からないんです。
付近の建物が大きく変わった感じはなくて、殆どが昔のままですが外観や入口など規模の大きい工事をされたのかもしれません。
「道玄坂の途中の左側/狭くて急な階段がある入口/2階の階段の右側に大きな窓が複数あるお店」というキーワードで探しても見つかりません。
建物を建て替える事はしなくても外装工事だけで雰囲気はまるで変ってしまいますよね。
このお店の情報をご存知の方はぜひ当記事のコメント欄、もしくはプライバシーを気にされる方は、サイト上部の(タイトル直下)「お問合せ」からご連絡下さい。元従業員やアルバイトの方も大歓迎です。
写真も大歓迎です。(送付前に一度ご相談下さい。)
よろしくお願いいたします。
あんずの里はどんなお店だった?
先述したように雑居ビルの2階にある窓の大きな明るいお店でした。
店内の詳細のレイアウトは覚えていないんですが、微かな記憶の範囲で思い出すと以下のような店内だったと思います。かなりあいまいです。
クリックで拡大します。↓
店内は狭いとは言えどもレイアウトが工夫されていて、そこそこの人数は入れたと記憶します。
厨房は奥行があるのかどうかは分かりませんが、店内から見た間口はかなり狭く、料理を受け取る部分は狭いカウンター越しに覗く、という感じでした。
スタッフが何人いたかはわかりません。
しかし何時も顔なじみだった方としてはフロア担当のお姉さんと厨房からいつもにこやかに接して下さったマスターと思われる方でした。
マスターらしき方は当時の推定のご年齢は50歳くらいだったと思います。
忙しい時などは席まで料理を直接持って来て下さいました。
渋くて頑固な料理人、とかのイメージは皆無でいつもにこやかで、お客さんから見てもとても話しやすく感じの良い方でした。
フロアのお姉さんは、店名にちなんでなのか、田舎のどてらを思わせるようなデザイン(オレンジと紺だったかな・・?)のはっぴみたいのを着ていました。
ショートカットで軽めのパーマをかけていらっしゃって、芸能人で言えば「ハイヒールのモモコさん」をショートカットにしたという印象でした。(あくまでも私個人の感想ですが)
とても明るい方で気さくに話しかけて下さいます。でも客どうしが会話している時には決して割り込んで邪魔をしないという部分をわきまえていて、接客と社交を理解されていらっしゃる方だな、と感じました。
他にも厨房とかにはスタッフがいたとは思いますが、記憶の範囲でフロアはいつもこのお姉さん一人だったと思います。
料理は普通の居酒屋メニューではありましたが、飲み物の種類が物凄く多かったんです。
サワーにしても何種類なんだ!と思う程多彩で、私はそれらを端から順に飲んで行き、お姉さんにとても喜んで頂きました。
料理の詳細は覚えていませんが、手を抜いていないきちんとした造りの物ばかりでした。
渋谷あたりの居酒屋だと高級志向のお店でもない限り料理は大したものを出してもらえませんよね。
「冷凍を温めただけ?」と思うような料理も多い中、あんずの里はまじめに作っていたという印象です。
こじんまりした小さなお店だけど、とても人が暖かい、そして何度も行きたくなるお店でした。
あんずの里以外で渋谷で飲み歩いた場所は?
あんずの里は記憶が正しければ1985~1988年あたりに閉店されたのではと思いますが、その後及び私があんずの里に通う前に渋谷で飲み歩いていた場所は以下のようなところでした。
先述の地図も参照しながらお読みください。
●センター街
どちらかというと「あんずの里」に通いだす前と、会社の人たちとの飲み会など。
その後は個人的にはここで飲むことは一切無くなりました。理由はセンター街は渋谷で一番人が多い場所で、どの店も人で溢れていて入れなかったり、入っても20代の人ばかりで大声で喚くように会話するなどうるさい店が多かったからです。
そしてこういう場所の店の特徴なのか、値段が高く料理の質が低いという店ばかりでした。
もちろんそうでないお店もあるとは思いますが、少なくても私が入ったところはそういう店が多かった気がします。
でも個人的にも気に入って何度も行ったお店もあります。
今は無くなってしまいましたが、タレント(ドリフターズ)の仲本工事さんが経営されていた「名なし」という居酒屋です。
「名なし」ついては以下に記事がありますのでよろしければご覧下さい。
●宮益坂
渋谷を知っている方ならば「え?宮益坂方面の飲み屋?」と思われるかもしれません。
こちらはオフィスビルが立ち並ぶエリアで、もちろん飲食店はありますがセンター街や道玄坂方面とは違いお店は激減しますし、静かな大人の雰囲気となります。
実は当時勤務していた会社のアンテナショップが宮益坂方面にありました。
場所は覚えていませんが、渋谷駅からほど近く、宮益坂の脇を入ったビルの地下にありました。
アンテナショップと言ってもバーで、どちらかというと社員の福利厚生のお店だったので、何度か会社の連中と行きました。ちょっと高級な雰囲気なのに激安だったんです。
●井の頭線 渋谷駅界隈
あんずの里以外で一番飲み歩いたのは井の頭線渋谷駅付近でした。
ここは渋谷の繁華街でもかなりマイナーな場所で、渋谷=若者の街というイメージとは程遠く、どちらかというと新橋などに近いいわゆるオヤジの飲み屋街なのです。
なんでこちらで飲むことが多かったというのは週末でも入りやすい店が多かったからです。
決して空いている店が多いわけでもないのですが、それでもセンター街などに比べると空いていて、客層がオヤジなのでバカでかい声で喚いている若者とかが店には少なく、友人と会話を楽しみたい私には好都合でした。
渋い提灯の焼き鳥屋とかが多かったですね。
●公園通り方面
この道をずっと登って行くとNHK、そして代々木公園に出ますね。
公園通り側は居酒屋とかはあまりありませんが、脇道に入るとポツポツとあります。
だから友人と「たまには毛色を変えてみるか」と話してこちら側のお店に行ったこともあります。
しかし私も友人も結局は普通の居酒屋しか行かないので、店には入れればどこでも同じという感じでしたね。
あんずの里はやはり懐かしい・・・
いつの間にか閉店してしまった渋谷道玄坂の「あんずの里」。
そんなにしょっちゅう通っていたのに閉店時期をお前は知らないのか?と言われそうですが、忙しかったのか何かでしばらく行けない時期があったのです。
先述したように渋谷は十分に土地勘のある場所ですが、家が渋谷でもないし通勤途中でも無かったので、飲みに行く時は「わざわざ酒のためだけに渋谷で降りる」という状況でした。
だからしばらく行けなくなるなどが生じると完全に疎遠になってしまうのです。
道玄坂の雰囲気はストリートビューで見ても昔と変わっていないのに店の位置が分からないのは切ないです。
ましてやあったと思われる付近のビルの建て直しなどが行われていないようだし。
ふとまた「あんずの里で一杯やるか・・・」と思いたくなり本記事を書かせて頂きました。
ぜひお店を知る方、元従業員の方、連絡をお待ちしております。
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