昔の映画館
昔の映画館とシネコン
老若男女問わず多くの方は映画館の思い出があると思います。
物心ついた時から映画館で見ていた人、大人になってから初めて行った人など様々ですが、やはりテレビやビデオで見るのとは比較にならない迫力があります。
今でこそ40~50インチ以上の薄型テレビが比較的お手軽価格で購入出来ますが、それでも映画館の大スクリーンや迫力ある大音量には足元にも及びませんね。
でも昔は映画館で映画を見るというのはお金がかかったのです。
往復交通費はともかく入場料が当時の給料に対してかなり高く、パンフレットを買うのも定番でしたし、子どもを連れていればお菓子(代表的な物ではポップコーンですかね)やアイス、ジュースなどを買うと親子二人でもかなりの出費になりました。
当時は今ほど多くのキャラクター商品を売るというのはあまりありませんでしたが、パンフレットは昔もかなり良質な紙を使い全ページまたは9割はカラーページでしたので値段もそれなりでした。
でも幼少の頃は親に連れられて映画館に出向くというのはとても特別な事だったのです。
現在は大規模な映画館=シネコン(シネマコンプレックス)と名前を変えてきれいに立派になりましたが、入場料は昔と比べてずいぶんと割安感があり (所得に対して)、決して特別な場所に出向く、という事ではなくなったのです。
しかし高画質の大スクリーン&大音量かつ高音質というのは昔以上の体験がより気軽に出来るようになりました。
そんな昔の映画館と現在のシネコンについて書いてみます。
なお本記事も弊サイトのポリシーである「偏見は無いけれど独断だらけ」を踏襲していますので、以下が前提になっていることを予めご了承ください。
・昔の映画館というのは1960年代後半~1980年代くらいまでを想定しています。
・上記の年代であっても地域や利用していた映画館によって様々な差があったと思いますが、この記事では私の生活圏・行動圏にあった映画館のみに対しての言及です。ですのである意味かなり偏りのある内容になっているかもしれません。
・見た映画については特に言及しません。
私の生活圏・行動圏にあった映画館とは概ね以下の場所を言います。
*新宿、渋谷界隈(ほぼ全てが全線座。渋谷の他の映画館は知らない)
*有楽町を少々と池袋をほんのごく僅か
*横浜(特にみなとみらい地区)
*札幌駅周辺
昔の映画館の特徴
昔、とはシネコンが出来る前の映画館すべてとお考え下さい。
私が行った昔の映画館は、
▼幼少期~小学校卒業くらいまで:新宿歌舞伎町界隈とたまに有楽町。
▼中学校~高校入学時くらいまで:渋谷の全線座が多くてたまに新宿歌舞伎町。
これ↑以降は新宿歌舞伎町と横浜、そして現在住んでいる札幌駅周辺のシネコンに移って行きます。
映画館の規模の大小はあれど共通事項として以下のような内容がありました。
●典型的な昔ながらの劇場で、スクリーン横の壁のデザイン、スピーカー部分などデザイン的に凝ったものもあった。
●椅子が幅も前後のピッチもとても狭い。腰を上げると座面がバネで折り畳まれてしまう。(昔はバネが強かった)
クッションもペラペラで、背面は固くてクッション性は皆無。また色は何処に行っても「えんじ色」が多かった気がする。他には青。
●リクライニングなど無く、背もたれの角度もかなり微妙で長時間見ていて疲れてきたら自分で体の位置を変える必要がある。
●現在のシネコンのように肘掛け部分にドリンクホルダーなどは皆無。
↓シネコンでは当たり前!
●ロビーにはお菓子や飲み物、パンフレットを売っている売店が必ずあるが、定員の多い劇場でも小ぶりな売店が多かった気がする。
現在も残る昔ながらの映画館の売店↓
岐阜県のロイヤル劇場。知人のMAXさんからご提供頂きました。どうもありがとうございます。
2022年8月17日撮影ですので時を越えて今も健在なのですね。クリックで拡大し別ページで開きます。
●基本は全席自由席なので、2回見ようが1日中いようが好き放題。文句も言われなかった。
昔も指定席があったが、ごく一部が指定席とかだった。
●当時の映画館というよりも、当時の人々のモラルの問題なのだが、映画が始まる前の僅かな時間に座席で堂々と煙草を吸う人がごくたまに見受けられた。周りも恐くて注意出来ない事もあった。
トイレで吸っている人もいた。
私が今振り返って思うには、昔の映画館で良かったと思うのは「2回見ようが1日中いようが好き放題」という部分1点かな?と思います。
どうしても見たかった映画は2回見るのは普通でした。でもこのせいで席に座れず最後部や横に立って見ている人がいたのも事実なのですけどね。
また当時は壁の凝ったデザインなんてどうでも良かった事でした。
シネコンに代わってからの映画館
シネコンに代わって昔の時代の映画館が懐かしく、恋しく思うこともあります。
下手に昔を知っているおじさんだからですね。
でもいざ行ってみるとその快適さ、格段に進歩した画質・音響には毎回感動さえします。
特に「今更昔の狭く固い座席に座れるか!」と言いたくなります。
人間は美味しいもの、新しく便利なものに触れるともう不味いもの、古いものには戻れなくなる生き物です。
でも昔の映画館で最新作を見てみたいななんて思ったりもします。
シネコンは様々な面で昔の映画館を凌駕しています。負けているのは雰囲気や歴史などの感情的な部分だけです。
でもシネコンはその設備の素晴らしさと引き換えに本当に味気なくなったのも事実だと感じます。
欠点を見つけようにも見つけにくい、思いつかないほど良くなりました。
その代わり壁や廊下に意味はないけれど高い芸術性持ったデザインの古い映画館のような部分も皆無になりました。
これはある意味現在のあらゆるものに共通してはいますね。
でも今でも全国あちこちには昔ながらの映画館が個人経営の形態であっても頑張って残っている所がまだまだあるようです。
コロナ禍で倒産に追い込まれた映画館もある事でしょう。近隣に巨大なショッピングセンター+シネコンが出来てお客さんが殆どそちらに流れてしまい閉館せざる負えなくなった映画館もある事でしょう。
でも頑張って今でも多くのファンが付いている映画館もあるのです。
もちろん建物や映写機の老朽化、後継ぎの問題も多々あると思います。でも海外の最新作を上映するにせよ建物は日本古来の映画館で見るというのはなかなか粋なものではないですか。
頑張れ!歴史ある映画館!
以下の2枚も先述のMAXさんからご提供頂きました岐阜県のロイヤル劇場です。撮影日も同じ本年8月17日です。
まさに頑張っている!という気がして応援したくなりますね。
2枚ともクリックで拡大し別ページで開きます。
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管理人様、こんにちは!
映画館に足を運ばなくなって久しくなります。
(だから、恥ずかしいかな、シネコンも未体験です)
子どものころ、怪獣モノの「モスラ」を観に隣り町の映画館へ親に連れられて行ったことが懐かしいです。
暗い館内の大画面で、おどろおどろしい場面を観た興奮は忘れられません。
そして大人になり、成人映画館には大いにお世話になりました。新宿で吞み過ぎて横浜までの終電に間に合わず、宿代わりに飛び込んだのもオールナイト館でした。今でこそ僕は大の嫌煙派ですが、学生時代の映画館は煙草が当たり前の世界で、現代では考えられませんね。
考えられないといえば、家内の実家がある京都の下町で入った映画館のスクリーン脇に、なにやらカーテンがあり、上映中でも、そのカーテンがひらひらと揺れて人が出入りしていたのです。なんと!トイレでした。
さて、僕が45年前に結婚と同時に就職した先は、横浜の鉄道会社系列の会社で、横浜駅前の店舗や食堂、映画館などを経営していました。僕は映画館業務に直接携わったわけではありませんが、同じ部署だったため、頻繁に顔パスで出入りしていました。
今では消えてしまった職人技として、映画館の隅にあった美術室で、映画会社から配付されたパンフレットの写真を参考にしながら大きな手書き看板を描いていたN氏の姿が懐かしく想い出されます。
浜のヨースケ様
こんにちは。コメントありがとうございます。
「モスラ」、懐かしいですね。とはいえ私はTVでしか見た事がないのです。つまり映画館では見ていません。
恐らく映画館でやっていた時は幼稚園入るかどうか、またはもっと前くらいかと思います。
ここ20年ほどシネコンしか行っていません。というか行きたいロードショーはいつの間にかシネコンのみになっていました。
うちの二人の子どもたちは映画館=シネコンという図式が出来上がっていて、古い映画館の事は全く知りません。
というかシネコンという言葉も頭にないようです。シネコン=映画館なので。
記事中にも書きましたが昔の映画館は本当に懐かしいですが、一度シネコンの快適さを味わってしまうともう元には戻れない感じです。
それほど現在のシネコンは熟慮を駆使て作られたと言えるのではないでしょうか?足元もすごく広いですしね。
横浜界隈も映画館なるものはほぼなくなっていますよね。シネコンも「みなとみらい」に立派な物もありますし。
古ぼけた映画館が懐かしいです。でもシネコンの快適さには到底勝てないな、と・・・