ユースホステルにいた”変な奴”コレクション
かつてのユースホステルは珍客で溢れていた
ユースホステル(以下、YH)が全盛だった1980年代前半くらいまでは全国各地にYHがあり、夏冬を中心に大変な賑わいがありました。
しかし時代と共に宿や旅行に対する人々の考えが変化し、今やYHは見るに堪えない程激減してしまいました。
でも全盛期のYHには今では考えられない”珍客”が溢れていたのです。
それら珍客を知ると、「YHは決して単なる安宿ではない」というのが見えてきます。
では何なのか?と言われると私も明確な答えを持っていないのですが・・・
ユースホステルにはどんな珍客がいたのか?
YHは別途解説しているように(上述のリンク先)、単なる安宿では無く、”ユース”というくらいですからどちらかと言うと若者がターゲットになるのですが、実際は老若男女問わず気軽に利用できる宿泊施設です。
しかし特に若者の宿泊者(YHに泊まる人の事をホステラーと言います。)にはおかしな人が多くて、それを一度でも知ると「YHはアクの強い人が多くて近寄りがたい」と感じて離れて行った人が多いのも事実です。これが珍客のことです。
YH特有の「他人同士の相部屋」、「細かい時間ごとのルール」以外にこの「アク」が原因でYHが減って行ったという可能性もあり得ると思います。
それはどういう人たちなのか?を私が感じたままに列挙してみます。人により感じ方が違うのは重々承知ですので、この点はご容赦願います。
◆嫌悪感を感じる常連がたくさんいる
これは私も嫌いだった一面なのですが、あくまでも「変な常連」であり「良い常連」も多くいたのです。
変な常連にも色々とタイプがあって、多くの人が嫌悪感を持っていたのは「声がやたらデカくて、まるでYHが自分の家のように振舞う」、「女性ホステラーとしか口をきかない。それもかなり徹底している」、「他の場所でも常連としているYHの宣伝みたいなことをデカい声で話す」などでした。
特に2番目の「女性としか・・」は多かったと思います。これに当てはまる人は物凄く徹底していて、初めて来た男性ホステラーが質問しても背中むけて口をきかないという人もたくさん見ました。よくケンカにならないなと。
彼らの目的はYHが安くて素晴らしい宿だからではなくて、若い女の子と知り合いになれる確率が高いからです。
もちろん知り合いになれた→帰宅後も例えば東京で再会出来る→付き合える、なんて甘くは無くて、せいぜい写真送って終わりが多いと思います。
当時は再会とかは警戒しても、割と「写真送るだけなら住所教えてもいいかな?」と考える女性が多かった時代でもありました。まあ旅の解放感なのでしょうけど。
(注:自分の経験から話しているのではありません)
東京で会えると思ったのに撃沈されてしまった。
こんなはずじゃなかったのに・・
だから「みんなで写真撮ろうよ! 送るから住所教えて!」とか「明日どこ行くの? え~!同じだ!奇遇だね」とかわざとらしい言葉を並べる人がいましたね。
ずーっと連泊するつもりのくせに、話しが合えば女の子と次の日は同じ列車で同じ別のYHに泊まりに行って、住所などを聞きだして、数泊後にまた常連YHに戻って来るとか・・・
あなたも経験あるのでは?(男女ともに)
なお「良い常連」は初めて来た人、男女問わず誰にも声をかけて親切にする、しかし不要に口数を多く出さないなど常識的なマナーを持った人です。
そういう人もたくさんいましたけど、どうしても「変な、悪い常連」が目立ってしまいますね。
◆旅行や人生について語る人
常連でなくてたまたま1泊だけ泊りに来た人でも、YH慣れしていて雰囲気などを知っているのか、しみじみと旅行(旅)や人生について自分の考えをダラダラと述べる人がたまにいます。
食事時は言わなくても、ミーティング(夕食後に宿泊者が集まる会合)でお茶を出して語るだけの時とか、寝室で消灯前の時間に語っていました。
旅行については色んな情報を交換出来れば旅も楽しく充実するというものですが、そういう人は「旅行と旅は違うんだ」とか「旅こそ人生。果てしなく続く道を歩いていると明日や未来が見えた」とか「お前は神なのか? 予言者か?」とツッコミ入れたくなる臭いセリフを真面目な顔をして淡々と話す人がいましたね。
ミーティングの時ならば席を離れたり、さっさと部屋に戻れば逃げられますが、寝る前とか部屋でこれを聞かされたらたまったもんじゃありませんでした。YHは消灯時間があるので(大抵22時)延々と聞かされることはありませんが、うんざりでした。
でも人によってはそういう話しに同調してしまう人もいました。まあ個人の趣味ですが。
◆いっしょに行動したがる人
これは先述した女の子ターゲットの人ではありません。2~3泊の旅行ならばともかく、学生の夏休みなど長い休みで、かつ旅程も長くなりがちな北海道や九州のYHでよく見かけたのですが、「明日さ、俺XXに行くんだけど一緒に行かない?」とか、「途中まで同じ列車だと思うから、朝YHを一緒に出ようよ」とか馴れ馴れしく話しかけて来る人です。
人によっては知合って気が合えばこういう↑事もあり得るし、実際私も何度も経験して結果一緒に行動して楽しかったという事もありました。
北海道の帰りに青森から上野まで夜行列車を一緒に乗って帰った人もいました。
でもやはり「馬が合わない」人もいます。
話しているだけで何となく雰囲気がイヤとか、YHで話している時には感じが良いと思ったのに、一緒に列車に乗ったら自分の女性遍歴とかをずーっと話してウンザリとかもありました。
一緒に行動、というのはお互い馬が合わなければ最悪ですが、たった1泊の宿で知り合った人がどうかなんてなかなか分からないものですよね。
だから誘う方も節度が必要なのです。これもYHが嫌われる遠因でもあったと思います。
◆YHで辞表や退学届けを書いている人
「え?何?」って思うでしょうが、夕食後の一時などにそういう人を何度か見ました。
冗談じゃなくて本当に辞表や退学届けを書いているんです!
聞くと本人はいたった真面目で、「このまま旅を継続するため」とか言っていました。
会社辞めるのは実際は簡単だと思いますが、それでも退職時の保険の手続きや私物の持ち帰り(最初から片付けて旅に出たのかも?)などはあるでしょうし、学生が学校辞めるというのは親が絡むので簡単ではないはずです。
本人が全ての学費を出していても、学校を辞めるのは手続きなどで簡単ではないと思うのですが。
でもこれらを書いていた人は、本当に切手を貼って翌朝ポストに放り込んでいたのです。
さすがに今はここまでする人はいないでしょうが、世間を見ていると決してゼロという人種では無いと思う時があります。
◆泊っているYHや近隣で働いている人
一見そこのYHで長期連泊しているように見えて、実はYHで働いているという人も見ました。
普通YHで働く人は、スタッフルームで寝泊まりしますが、私が見た人は他のホステラーと同じ部屋で寝ていたんです。
ただやたらと朝が早いとか、夜も消灯後もなかなか戻ってこないとかを感じていました。
聞いたら元々ホステラーとして普通に宿泊していたが、連泊しているうちにここが気に入り、働かせてもらう事になった、ただスタッフルームが準備出来ていなかったので、しばらく一般のホステラーの部屋で寝てくれと言われた、という事でした。
ビックリしましたが、どの部屋で寝るかはともかく、こんな感じでYHで働き始めたという人も多くいると聞いていたので「いるんだね~」くらいに思いましたね。
またYHに普通のホステラーとして長期間泊まりながら、近隣の企業に働きに行っている人も見ました。
この人も「この地で働きたい」と決意して(それも旅行中に)、地元企業を受けたらあっさり受かってしまったというパターンでした。
しかしその企業は寮はなく、地方都市とはいえアパート借りるとお金かかりますのでYHのペアレント(管理人)と交渉してしばらくの間長期連泊させてもらう事になったとか。
いくらYHが安いと言ってもアパート借りるのとどっちがどうなの?と思いますが、YHであれば朝夕の食事は心配無用ですし、家具買ったりする必要もないので、期間を決めての宿泊ならば結果とした安いのかもしれません。
もっともペアレントとの交渉で長期間連泊なので安くしてもらったとかあったのかもしれませんが。
近年のユースホステルの客層は?
ここ10数~20年でYHは本当に変わりました。
以前のように「アルコール禁止」、「食器は各自洗うこと」、「消灯や門限は守ること」などうるさく言うYHは殆どが淘汰されたようで(一部残っているらしいが)、他人と相部屋が基本ながら昔のペンションを彷彿させる内容に変わって来たようです。
私もだいぶYHに泊っていませんが、ネットで様々な情報を確認すると昔の形態で残っているのは北海道礼文島の桃岩荘YHくらいなのでは?と感じます。
殆どのYHは宿泊客の年齢層が上がり、学生主体だった全盛期とはまるで違うと感じます。
むしろ今は学生など若い世代ほどリゾートホテルなどに泊まっているのが現実でしょう。
今YHに泊まりに来る人はインバウンドは別として、かつてYHを泊まり歩いた人、家族で泊まってもかなり安いを狙って来る人などが主流のようです。
荷物も殆どがキャリーバッグであり、昔のようにくたびれたリュックを背負って汚れたジーンズとスニーカーでひたすら歩く、なんて人はいなくなってしまったのです。
だから違う言い方をすれば「変な珍客はいなくなった」のです。
時代が時代、ということなのですが、昔いた「イヤな常連」には会いたくないけれど、変な連中(たぶん自分も)と旅先で名前も知らないどおしなのに、大笑いして同じ列車に乗って、という旅をもう一度したい、なんてこの記事を書いていて強く思ってしまいました。
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以前にも書きましたが、「常連」の中には「己の考えを他人に押し付ける輩」がいて、特に北海道のキチガイYHと呼ばれた所に大量に跋扈していたのでした。そのうちの一つでヘルパーをやっていた姉が連中に影響されて「周遊券で夜行急行八甲田の自由席で渡道する」ことに固執して上野開業したての東北新幹線初乗車を兼ねて渡道を計画していた計画に猛反対されて頭来て北海道行きをやめたのでした・・・話によると九州のYHにもその手の輩が多数跋扈していて、あの当時の「乗り鉄」の間で流行っていた?寝台特急富士の全区間(東京ー西鹿児島間24時間26分)をA寝台個室で行くという事に対しても噛みついていたらしいです。
今なら四季島の檜風呂付きスイートで渡道したスーツ君&けらす君に思いっきり論破されて逆ギレする所がYouTubeに晒されるなんて事が起きるかと・・・
キュア梅盛様
こんにちは。コメントありがとうございます。
「考えを押し付ける・・・」多かったです。それも当時振り返り「何こいつ?」と思ったのが、つい数時間前に知り合い、名前も素性も知らない人にまるで説教みたいに言われるのは怒りを通り越して呆れました。
人によってはコーヒーの淹れ方までああだこうだ言う人もいました。
今風の言い方だと鍋奉行みたいなものでしょうか?私も←こういう人は大嫌いですが。
変な人はあと沖縄方面の離島にも多かったです。でも今は何しているんだろうか?とも思いますが。
変なYouTuberが世には溢れていますが、本当にアクセスを集めて儲けている人は実は炎上、逆切れも全て台本通りです。
TVと同じく作り物です。でも見て喜んでいる人の99%はそれが分からないんですけどね。
「珍」とか「奇」とかいう漢字はぁ、「すばらしい」って意味も含まれているんでぇ、
素晴らしいコレクションを持った「優れた食客」がいたんだとわくわくして読んだんですがぁ、
これじゃあ「変態」じゃなくって、「変質者・不審者」のカテゴリーじゃないですかぁ!
それにしてもぉ、「退職・退学届けを書く」ってばぁ、まるで「アメリカ横断ウルトラクイズ」に勝ち残った人みたいですぅ…。
・・・マジそれは初めて聞きましたぁみならいかのん
一緒に行動したがる…ってのはイヤでしたねぇ。てめぇのプランに組み込まされるのはもちろん、こっちの都合に無理やり合わせてくる…ってのもなんていうか、疲れるし…。
何気に入られたんだ?って思うことあって、そうか、翌日の過程におねぃちゃんがいたからかぁ…、「おねぇちゃんとは別旅程だよ」って言えばよかったのかぁ…。
んでも、そういっちゃったらば、おねぃちゃんばぁどうなっちゃうんか、やんわりと「このオジサン(待て!当時アラサーだぞ)と約束したから」と言ってたけど…なるほど合点がいきました、勧誘が強引でヘタだったんだぁ…。
・・・きっと住所も聞けなかったなはじめっち
ヘルパー的常連だったらば、住所なんて個人情報とか意外と入りやすかったんでないっすか?
カウンターの受付で、そういう人は見れちゃうんじゃないかと…。
・・・オトコでよかったっすゆたか
3あほ様
こんにちは。コメントありがとうございます。
「変態と変質者、不審者」はいずれも同意語とも言えますね。人によりこれらにさらに「オタク」も入るかもしれません。
旅先での退職、退学届け、昔のYHというか若者は後先考えない人が多かったんだと思います。
2~3年以上も旅を続けているなんて人もゴロゴロいましたね。「その先どうするの?」と聞いたことがありますが、「その時はその時」という返事でした。
まあ波乱万丈の方が人生面白いとは思います。
一緒に行動・・・
これは馬が合えばとっても楽しかったりするんですが、なかなかそういうわけにもいかず、馬が合わない人ほどグイグイ来る人が多いですね。
恋愛、見合いなんかとおなじでしょう(私は見合い経験なし)
妻に「イヤよイヤよも好きのうちだろ?」と言ったら「本当にイヤなの!!」と強く否定されましたけど。
昔は個人情報なんてありませんでしたね。
ましてや全てがデタラメとも言えるYHの内部、Pさんの目が行き届かないヘルパー連中の話しとなればなおさらです。
弊サイトに書けない内輪話しネタもたくさんあるんですが・・・
またおいでくださいね。
初めまして。
1980年と1981年の夏に北海道をバイクで巡りました。
変な人(ごめんなさい)
稚内の確か自衛隊基地の前に、YHではありませんが「かわばた」という民宿があり、そこに1泊しました。
同部屋の人で会社を辞め、リヤカーを引いて日本一周をしている人がいて、「この旅の後は仕事はどうするのですか?」と問うと、「明日は明日の風が吹く」みたいなことを言っていたのには勇気があるなぁと思いましたが、今思うと若い時だからできたのかもしれませんね。
でも、当時はそういう若人は現在よりも多かったかもしれませんね。
時代的におおらかというか、選ばなければ仕事はいくらでもあったんですね。
貴ブログを拝見し、その時の旅の思い出が蘇り思わずレス刺せていただきました。
泥だらけのライダー様
こんにちは。コメントありがとうございます。
仰られるその方かどうかは分かりませんが、実は私もリアカーで旅している人を北海道で見たことがあるのです。
YHとかではなくて、道端で見かけたのですが、かすかな記憶では何枚かの旗が付いていて、手書きで日本一周中とか書いたボードが付いていました。
驚き、衝撃の眼差しで見た記憶があります。
でも自転車や徒歩で日本一周はよく見かけましたがさすがにリアカーは珍しいので泥だらけのライダー様と同じ人を私も見たかもしれません。
1980~1981年頃と言ったら猛烈に北海道に行きまくっていましたからね。
懐かしい時代でもありますが、私は今札幌に住んでみて感じたのは、札幌の都心部に近い所でも変な旅行者はたまに見ます。
それとヒッチハイカーがまだいるのも驚きです。
この度のご訪問ありがとうございました。またお越しくださいね。
こんばんは。
<旗が付いていて、手書きで日本一周中
そうですそうです。そんな感じの旗を付けた鉄枠とベニヤ板でできたリヤカーでした。
その方曰く、1日に100kmくらい移動することもあるそうで、凄い体力だなと思って関心したことを覚えています。
ただし、当たり前ですが上り坂になると「何で俺はこんなことをやっているんだ?」と心がめげることもあったそうです。
1981年8月中旬に「かわばた」に宿泊した写真があるので、その時に伺った話です。
バイク旅では旅先で色々面白い人達や、偶然が重なり後日再会したり・・・
YHも宿泊数は少ないですが、えりも岬ユースホステルや大雪YHなどにも宿泊しました。
記憶の糸を手繰ってネタを思い出したら、また投稿しますね。
泥だらけのライダー様
再訪とコメントありがとうございます。
私が見た人と同じでしょうね。
今から約43年も前の記憶を共有できるとは、奇跡以外の何物でしょうか?
長い年月を超えての本当の奇跡です。
弊サイトにコメントを下さる方は「見たか経験したかうろ覚えになる程昔の事がこのサイトで確認出来て間違い無い事が確認できた。」と仰って下さる方が多く、嬉しさとやりがいを感じます。
弊サイトには様々なあの日、あの時が御座いますのでまたお越し下さいね。
おはようございます。
そうですね。同じ方かも知れませんね。
何せリヤカーは目立つでしょうから、こんな大昔でも記憶の一片に残っていたのでしょう。
今後も面白いネタを期待しています。
ありがとうございました。
あらまぁ、リヤカーの人、たぶん同じ人だと思うっすよ。うちらは1986~87年にかけて、
弟子屈町の「野村川湯ユース」でヘルパーなのか居候なのか、腰を据えてたのを見たことあるっす。
1980年前後から活動してたとすっと、86年当時ユースとして使ってた「ドライブイン大雪」よりも
少し奥に入ったむかしの野村鉱業所の宿舎を利用したユースのころからの方じゃないっしょか?
「野村川湯小学校」とかいうアルバムやホームページを見たら写真に入ってるかもっす。
みんな「リヤカーの兄ちゃん」なんて言ってたっすが、
「彼にも『〇✕△☆』って苗字名前があってねぇ…」とPさんがこっそり教えてくれると、
冗談ばっかししか言わない彼が、テレてというか「勘弁して…」って顔になったのを思い出すっす。
・・・ゆたか&はじめっち
文責:あほのゆたか様
こんにちは。コメントありがとうございます。
見かけたことがあるのですね。その当時の年代の北海道を旅していればそれなりの確率で遭遇していたと思います。
とにかく目立ちますからね。
当時私も驚き以外感じませんでした。
ところで今ネットで北海道をリヤカーで、と調べてみたら、意外にも今この時代にもいるんですね。
北海道だけでなくて日本一周中というリヤカーの旅人が。
もう少し調べて記事にしようと思います。
そう言えば昔はリヤカー以外にも徒歩で日本一周中という旗を付けてひたすら歩いている人や、自転車で既に日本2周目なんて言う人もいました。
調べていくと色々と面白そうです。
おばんです。
実は、つい最近通勤途上で、私の車の前方に「リヤカー日本一周中」と書いたボードを掲げてリヤカーを引いている人に遭遇しました。
円錐形の麦わら帽子を被り、上半身裸で真っ黒に日焼けした人でした。
その人を追い越す際に、私は心の中で「ガンバレー」とつぶやいたのでした。
ここでのリヤカーネタでやり取りした直後でしたので、何か不思議な気持ちになりました。
「野村川湯小学校」のホームページを拝見しましたが、私が持っている当時の写真の人は発見できませんでした。
kaikoshumi様、是非このリヤカーのネタを掘り下げて記事にして頂ければ大変嬉しく思います。
泥だらけのライダー様
こんにちは。再訪とコメントありがとうございます。
今でもいるんですね、リアカー引いて日本一周の人って。
ネットで「リアカー 日本一周」とかで検索すると実にたくさん出て来ます。写真がたくさんあって割と昔から近年まで幅広い年代にいるようです。
昔、YH全盛時代の産物の一つとして若者のヒッチハイクがありますが、今でも札幌市内でたまにみかけます。
都心中心部に近い幹線道路に行き先を書いた紙を持って立っている人を見かけるのです。
マイカーは未だに首都圏ナンバーなので、コンビニで二十歳くらいのヒッチハイカーに「どこまで行きますか?」と言われたことがあります。
首都圏ナンバーなので本州、関東方面に帰るのだと思ったのでしょう。
私は「家に帰る。ここから10分」と言ったらがっかりした顔をしていました。
2023年という時代になっても1970年代と同じ事をしている人はけっこういるんですね。
リアカーネタですが、近日記事にする予定です。今下調べ中です。ちょっと忙しいのですが7月半ばくらいまでには完成させたいと思っています。
気長にお待ちくださいませ。
「リヤカー日本(北海道)一周」で調べると、けっこうたくさんありますね。
今は配信が主流ですから、リヤカーも凝ったものがたくさんあって自己表現華やかです。
家の中探したんですが(見つからなくって)、20年(30年?)以上前に、十勝管内の営林署を退職して、
還暦前後で、リヤカーで北海道一周したオジサンの手記本があったんですが…。
始めた理由も考え方も野村ユースの居候の彼とは違いますが、けっこうおもしろく読めました。
・・・「配信」でなく「本出版」ってのが時代を感じますはじめっち
件の彼のリヤカーかどうかはわからないですがぁ、あるブログさんの記事で2じじぃが見つけてましてぇ、
ユースホステル旅に精通されていて、特に自転車旅のスペシャリストさんのブログで、
「たび〇らす」さんという方の記事の中の写真に、そのリヤカーがありまして、
2じじぃは「あー!コレコレっす」「ドライブイン大雪だぁ」って騒いでました。
年寄りの記憶なんであてにならないですがぁ…。
・・・やっぱ野村川湯小学校のアルバムにはなかったみたいですぅ…みならいかのん彼の出現は10年後くらいかもですぅ
2あほ様
こんにちは。コメントありがとうございます。
リアカーの写真たくさんネットにあって驚きですよね。
しかも近年(今)もいるとは!
でもなぜにリヤカー?と思ったりしますが人それぞれのお考えがあるのでしょう。
私はもう今からはリヤカーは引くパワーは残っていませんが、若い時もやろうとは思いませんでした。
でもリヤカーの記事を今月中に書くべき調査中です。遅れるかもしれませんがお楽しみに。
(もしリヤカーの関する面白い情報、写真ありましたら弊ブログのタイトル直下の「お問合せ」からご連絡頂ければ幸いです。より一層面白い記事が出来ると思いますので)