スーパーヒーローたちの嘆き
スーパーヒーローはカッコよさだけではない
多くの子どもたちは数々のスーパーヒーローに憧れ、真似をして遊び、そして大人になっても心中では「この仕事を成功させてヒーローになる!」、「彼女(彼氏)のヒーローになる!」など世代年代を越えた憧れがあったと思います。
子どもたちに夢を与え、強く生きることを間接的に教えてくれたことは事実であります。
しかし穿った言い方をするとテレビの中のヒーローたちは作りものであり、人間として理想形の一つにすぎません。
良く言えばそうだからこそ子どもたちに夢を与えることが出来て、大人になってからの影響にも結び付くのです。
大人になってもヒーローでいたいと思う人は多くいます。
口や行動に出さない、出せなくても「本当はこうやりたかったんだ・・・」と思った瞬間あなたには幼少期に見て憧れたスーパーヒーローの記憶が蘇ったのです。
スーパーヒーローとは決して怪獣や宇宙人をやっつけるために変身して得意技や武器を使う、という人たちだけではありません。
古いものでは「あしたのジョー」、「柔道一直線」、「サインはV」、「エースをねらえ」などの主人公もスーパーヒーローであることは疑いなく、また現実世界ではオリンピックのメダリスト、世界トップレベル、神の手と言われるほどの外科医なども同じです。
しかし多くのスーパーヒーローは人知れず血の滲むような努力と、複雑な人間関係を克服した結果スーパーヒーローになれたのだと思います。
本記事では特にテレビの中の世界で活躍されたスーパーヒーローたちに視点を当てて、彼らの嘆きと悲惨な現実を考えて行こうと思います。
以下はかなり現実的な指摘が多く、「子どもの夢を壊すな!」と怒られそうなものもありますし、私の調査・知識不足で間違いや勘違いもあるかとは思いますが、彼らやその出演番組を貶しているのではなくて、むしろ尊敬の気持ちから彼らを心配して書いているのです。
ですので誤解無きようにお願いしたいとともに、以下の文を続けて読む方はこれら私の尊敬の気持ちなどをご理解されたと見なさせて頂きます。
これらの点はどうかよろしくご理解くださいませ。
スーパーヒーローは嘆きと悲惨さとの闘い
私が思うには実はスーパーヒーローたちの真の敵は宇宙人や怪獣、悪の結社ではなくて、己の嘆きと現実の悲惨さとの闘いである、と考えています。
これは変身して戦うヒーローと彼が属する例えば科学特捜隊、地球防衛軍などの組織の隊員たちとの心中での葛藤が大きいのではと思われます。
内容の詳細は後述しますが、やはり変身してヒーローになるのがばれないか? 戦っている時に「あいつどこ行った?」と詮索されて元の人間(隊員)に戻った時にあれこれ突っ込まれないか? いつも俺が怪獣や宇宙人をやっつけてしまうのに、隊員たちの武器は何一つ役に立っておらず彼らに申し訳ないなどなどキリがない程スーパーヒーローには悩み事が尽きないのです。
毎回毎回隊員たちが一生懸命効果の無い武器で戦っている時に、自分一人だけ隊を抜け出してスーパーヒーローに変身して一番カッコ良い役を独り占め、なんてことを繰り返していればいつかはバレるし、バレなくても人事異動で戦闘とは無関係の部署、或いは地方に飛ばされたりでもしたら怪獣をやっつけられなくなってしまう、などの恐怖に四六時中怯えていると思います。
非常に強いストレスに耐えなくてはならないのもスーパーヒーローなのです。
ウルトラマンの嘆き
例えばウルトラマンシリーズだと変身して戦っている最中は彼らの本来の所属組織である科学特捜隊の任務を離れて変身し、怪獣や宇宙人と戦います。
この間も他の隊員たちは効果ゼロの光線銃を身長数十mの巨大怪獣に地上から「ビビビビビ・・・」と浴びせたり、弱~い怪獣にのみそこそこ効く各種兵器、空を超高速で飛翔し怪獣や宇宙人に空からミサイルや光線銃での攻撃を仕掛けたりする戦闘攻撃機?のような航空機で戦います。
そして隊員たちは、「ちくしょう!まるで効かないや。どうすればいいんだ!このままでは地球が・・・」と頭を抱えた時にウルトラマンが現れて怪獣や宇宙人を徹底的にボコボコにします。
隊員たちは自分たちの攻撃が殆ど役に立たない事を悔やみつつも、登場したウルトラマンに最後の望みをかけます。
そんな時ですからウルトラマンに変身したハヤタ隊員は全力で地球を守るために戦うのです!
例え踏んづけたり転んで町を壊しても、その結果罪の無き庶民が多数命を落としても・・・
この時科学特捜隊らのメンバーは怪獣や宇宙人に少しでも攻撃を加えてウルトラマンに力を貸すべきですが、いつも「がんばれウルトラマン!地球を守ってくれ!」と声援を送るだけです。
たまにはウルトラマンに加勢することもありますが、多くの場合は見ているだけ、或いはどこで何をやっているのか?という場面が非常に多いと思います。
そしてウルトラマンは地球上では3分間しか戦えないので、その時間が迫ったことを知らせる胸のカラータイマーが点滅して鳴り出すころに、お決まりのスペシウム光線を放ち怪獣は大爆発!やっと戦いが終わりました。(生体が爆発!!)
これで地球の平和を取り戻すことが出来たのです。おかげで町やインフラは滅茶苦茶で再建には莫大な税金の投入と時間がかかってしまいますが・・・
これら都市再建の費用を宇宙人に請求出来なかったのかと思いました。もっとも彼らは兵器の一つでもある怪獣がやられてしまえば、自分たちはさっさと宇宙船に乗って自分の故郷(くに、星)へトンヅラなのでしょうが・・・
戦いが終わり、静寂が戻るころ隊員に戻ったハヤタは顔に泥やススが付いた状態で(大抵)山の方から現れます。
それを発見した隊員たちは「おい!ハヤタ何処へ行っていたんだ!怪獣が出現して大変だったんだぞ!こいつ~!」と言ってみんなで「ワハハハハ!」と笑ってその回は終わりとなります。
地球を守るという大変な任務を背負った組織ですから、怪獣や宇宙人が現れた時に一人だけ、しかも毎回何処かにいなくなるというのは大問題であり、普通だったら即刻解雇、国によっては軍法会議にかけられて死刑は免れません。
ハヤタ隊員もウルトラマンに変身して戦っている時は怪獣を倒すことで頭がいっぱいなのでしょうが、「いつバレるのか」という現実にビクビクしているはずです。
でもみんな笑って終わりです。平和ですね。
ウルトラセブンのアンヌ隊員の嘆き
ウルトラセブンには悪の怪獣や宇宙人と戦うウルトラ警備隊という組織が存在しています。
参考:宇宙からの侵略者に対抗して地球を守るべき設置された世界的軍事機構・地球防衛軍の内部組織がウルトラ警備隊です。ウルトラ警備隊は地球防衛軍の特殊戦闘部隊という設定になっています。
ウルトラセブンに変身するモロボシ・ダン隊員が所属しているのですが、唯一の女性隊員であるアンヌ隊員がいます。
彼女は隊員であり戦闘要員でもありますが、保健室に普段は勤務しているようで怪我をしたり体調不良の他の隊員のサポートもしています。
男社会に華を添える一凛の花とも言える存在ですが、穿った言い方をすれば保健室のおばちゃん、いや失礼!お姉さんという存在でもあります。
彼女が可哀そうと思うのは、保健室でのケアに徹することは許されず、怪獣や宇宙人が現れたらほぼ役立たずの光線銃片手に出動しなくてはならないのです。
そして何回かは保健室に現れた宇宙人と対峙しなくてはならず、彼女一人の力ではどうしようもない場面が多すぎると感じます。
彼女の本心は分かりませんが、毎回物語を見ていると「保健室を中心に隊員のケアに尽くしたい。側面から支援したい。」と思っているのでは、と私は感じるのです。
それにしても彼女の肩書が一向に分かりません。
保健室勤務が一つの与えられた業務であることは間違いありませんが、いざとなれば怪獣や宇宙人と戦え、というのはちょっと無理があると思います。
保健室、つまりその他の業務も含めて彼女の主業務は内勤なので体力を要する戦闘隊員も兼務となるとそれだけの手当てを貰わなくてはいけないと思います。
当時は建前だけの男女平等社会であり(今も実際はそうですが)、「女なんて・・」と平気で口に出す人も多かったのではと思います。となるとアンヌ隊員は特別の勤務手当もなく、体力的に不利である女性にも光線銃を持って男性隊員と対等に戦わせるというのは酷と言えます。
でも彼女はいつでも誰にでも笑顔を絶やさず、最善を尽くし、「給料安い割に酷だから辞める」なんて言わずに毎日通って来るというのは称賛に値すると思います。(実際の役を離れた彼女もとても美しい方ですよね。)
↓ウルトラセブン放送開始日の新聞の抜粋です。1967年(昭和42年)10月1日。
クリックで拡大し別ページで開きます。
引用元:Wikipedia
中日新聞社, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
原典 『中日新聞』1967年10月1日付朝刊、11版。
“Chunichi Shimbun”, October 1, 1967 issue.
(引用に関する補足説明)
本著作物は公表後50年を経過しており、これは日本国の著作権法第53条第1項の著作権の保護期間を経過しているので引用可、つまりパブリックドメインである。
また2018年12月30日に改正著作権法が施行され、保護期間が70年に延長されたが、1968年以前に公表された作品の保護期間は50年のままなので、本作品の引用に疑義は生じず引用可能となっている。
(1968年以降の作品でも著作権法第32条に該当する作品であれば引用可能ではある。)
スーパーヒーローを支える隊員たちの嘆き
ここで言う隊員たちとはウルトラマンの科学特捜隊、ウルトラセブンのウルトラ警備隊などを言います。
他のヒーローものの隊員、組織も同じだと思いますが彼らの業務の共通点は組織の規模の大きさ、業務の過酷さに比して、人員が圧倒的に不足していると思うのです。
何時現れるか分からない宇宙からの侵略者に備えるという事は24時間365日組織が維持されていなければなりません。
彼らの嘆きの元凶になりそうな部分を私なりに書き出してみました。
・とにかく人員が圧倒的に少なすぎる。出動時はほぼ全員出動し、基地の司令部に残るのは一人だけという事も多い。
・この人数では交代要員が確保できず、彼らはただでさえ少ない人数で24時間365日勤務をしなければならない。
過労死どこの騒ぎではない程勤務が過酷すぎる。まともに敵と戦えるわけがないし、365日寝ないで戦闘機や宇宙船などを操縦するというのはバカげているにもほどがある。労基法適用除外なのかもしれないが、人間の生命や尊厳を論じるレベルの労働条件と言える。
労働基準法第36条、所謂「サブロク」が労使間で結ばれているにせよ、ここまでの労働はいくら何でも認められないと思う。当時の労働基準法は現在と比べると相当アマアマだっただろうが、それにしてもである。
・いずれの基地も大変に巨大、広大であるが作戦室(指令室)や格納庫など以外の職場が映像に写った記憶がほぼ無い。
(先述のアンヌ隊員が詰めている保健室?と思われる場所はあったが。)
例えば食堂、休憩室(仮眠室)、職員通用口、ロッカールーム、来客スペースなど。
作戦室で食事や休憩、仮眠もとるという事なのか?巨大な基地なのに労働条件が悪すぎる。
そして食堂はおろか厨房も無さそうなので、食事提供は無し、つまり出勤前に買って来るか手製弁当持参、もしくは出前を取るしかないようである。基地で用意されているのはコーヒーだけみたいだ。
でも出前は敵の宇宙人がそば屋やラーメン屋のオヤジに変身して進入する可能性があるので、出前は禁じている可能性が高い。
・出退勤管理が不明。当時はICカードによる勤務時間管理など無かったのでタイムカードによる管理だと思われる。
しかし隊員がタイムカード、もしくはそれに代わるものでの出退勤管理をしている回を一度も見た事がない。
あやふやにして一律の給料であれば、残業代や深夜勤務、休日出勤勤務も無視されているという【超ブラック企業】ということになってしまう。
・各種航空機に乗る時にシートベルトをしているのを見た事がない。
当時は車のシートベルトは義務化はされていなかったが、航空機は当然シートベルトがあった。
旅客機でも当たり前なのに、物凄い急旋回、急上昇、背面飛行などをする戦闘機にシートベルトが無くてどうやって耐えているのかが不思議でならない。
もしかしたら画面から確認出来ないだけで、実際には腰に掛ける2点式シートベルトが搭載されているのかもしれない。でも航空機はそれではとても乗員を守ることが出来ない。
本件は航空法及び労働安全衛生法に違反している可能性が高い。
などきりがありませんが、主人公のスーパーヒーローを支える多くの隊員たちはとんでもなく過酷な労働条件の下でこき使われているのです。
スーパー戦隊シリーズの嘆き
XX戦隊シリーズというのが約50年にも渡り続いているというのは、このジャンルは常に子どもたちの心を掴みやすい、グッズ販売も行いやすい、などの理由があるのでしょう。
グッズに関しては5人分セット、またはバラ売りで一人づつ買わないとそろわない、とかの汚い商売もやりやすいですね。
「スーパー戦隊」とは実は人により定義が異なるようですが、本記事で扱うスーパー戦隊シリーズとは「普段は普通の生活を行っている5人の若者が、敵が現れた時にヒーローに変身して力を合わせて戦う」というものを差して取り上げます。
となると一番最初のスーパー戦隊は間違いなく1975年(昭和50年) 4月5日に放送開始された「秘密戦隊ゴレンジャー」ということになります。
現在に至るまで多くの作品が作られてきましたが、基本コンセプトは同じで「5人の若者たち」、「それぞれにイメージカラーがある」、「戦う時は例えば一つのボール(武器の)をみんなで蹴ったりと言った”力を合わせる”がある。」、「一人だけだと滅茶苦茶弱い」などがあります。
上記の基本コンセプトで注目して頂きたいのは、
・戦う時は・・・”力を合わせる”
・一人だけだと滅茶苦茶弱い
という2点です。「力を合わせる」というのは視聴者のメインが子どもなので、幼少期から「助け合いは必要なんだよ」という道徳精神を教えるためなのかもしれません。
実際番組中で助け合う、仲間を大切にするという言動が何回も出て来ます。さりげなく物語に道徳や倫理を取り込むことはとても良いことだと思います。
しかし後者の「一人だと滅茶苦茶弱い」という部分は「皆で力を合わせれば強くなれるよ」という意味合いと共に、「自分より強い相手には複数人で寄ってたかってボコボコにする」という意味が含まれています。
つまり浦島太郎に出て来るカメを虐める少年たちみたいなもんでしょうか?
実際このスーパー戦隊シリーズは必ずそういう戦いが毎回あります。
悪さをする悪の手先の怪人は、戦隊に変身してからのヒーローにも相手が一人や二人だったら余裕のよっちゃんで勝ってしまいます。
そして簡単にやられてしまったバラ売りのヒーローは、「くそ!みんながいてくれれば絶対に勝てるのに・・・」とこぶしを握りながら悔しさを表すのです。(表情はフルフェイスヘルメットで見えないが)
でも5人がそろうとこれが滅茶苦茶強い!
大抵敵の怪人は一人だけですから、あっという間にやっつけられて、最後は生体のはずなのに大爆発して終わりです。
5人そろった時も先述したように武器となる特殊ボールを皆で蹴ってエネルギーを増幅?させて相手に命中させる、共にキックやパンチを繰り出して徹底的に怪人をボコボコにやっつけます。
いや~相手が強くてもたった一人であれば、こちらは5人セット売り、しかも各種の武器も持っている。
強いわけですよね。この部分を別の言い方にすれば「弱い奴にはめっぽう強い」とでも言えるでしょうか?
約50年前から今に至るまでほぼ同じコンセプトで作られてきましたが、当然時代背景や倫理観なども変わって来ています。
にも拘わらず子ども向けの作品で「一人の相手に、こちらは複数人で寄ってたかってボッコボコ!」というのはどうなんでしょうかね?
PTAや教育関連者から苦情が来ないのか心配になります。
また5人組とか実写に拘らなければ、「プリキュアシリーズ」や「美少女戦士セーラームーン」だって同じですね。
そしてスーパー戦隊の5人のヒーローたちの嘆きですが、毎回の物語から言えば「皆がそろわないと勝てない」という嘆きももちろんあるはずです。
しかし私が思う彼らの最大の嘆きは「いくら相手が悪の怪人とは言え、一人に対して俺たちが5人そろってボコボコにする、というのはあまりにも卑怯なんじゃないのか?勝って当たり前だし、1対1で戦ってこそヒーローなのでは?」という葛藤に悩まされていると思います。
そう思っているのであれば本当に素晴らしい、真に強いヒーローと言えるでしょう。でもやはり一人だと簡単に負けちゃうんですよね。
悪の戦闘隊員の嘆き
多くのヒーローものには悪の手下の戦闘隊員が出て来ます。
ウルトラマンなどのウルトラシリーズやスーパー戦隊シリーズ(←あっているかな?)には出て来ませんが、仮面ライダー、その他のヒーローものには出て来ますね。
全身黒づくめのタイツ姿で頭もすっぽり隠れている。そして顔や胸部、腹部などには無意味と思われるグルグル模様やラインが何本も描かれた白の模様が入っている、という特徴があります。
こいつらは怪人とヒーローが戦う前に何人(何十人)も出て来てヒーローの邪魔をするのです。
でも一人づつは物凄く弱くて、彼らが強いのはヒーローがいない時に町で子どもや女性を誘拐する時だけです。
仮面ライダーや超人バロムワンにもたくさん出て来ました。
そして例えばショッカーの偉くて逆らえない立場の親分や怪人の前では全員胸に手を当てて「キー!」とか「ヒィー!」とか言って忠誠を誓うのです。
彼らはこれ以外の言葉(発話)は出来ないようで、馬鹿の一つ覚えみたいにどこでもかしこでも「キー!」、「ヒィー!」としか言えません。
でもそんな彼らにも嘆きや悩みがあると思います。
それは何十人でまとめて掛かってもヒーローの前では「一人一秒」ペースでやっつけられてしまう、女子供にしか強くない、など悪人側なのにあまりにも情けないという自覚があると思います。
これには悪党とは言え同情してしまうレベルです。
でも生活のため、家族のためなのか悪の親分には逆らえず今日も「キー!」、「ヒィー!」と叫びながら無駄な戦いをするのです。そう思うと涙が出て来ました。
日本でも様々なヒーローが生まれ、そしてこれからも生まれ続ける事でしょう。
全てに言及するのはとても不可能です。
スーパーヒーローにもカッコ良さだけではなくて、彼らなりの嘆き、苦しみがたくさんあるはずなのです。
子どもの時は単に引き込まれるようにカッコ良さだけで見ていたはずですが、大人になってからは彼らの人としての人生を考えながら見ればきっと新しい発見が出来るかもしれません。
そしてあなたが何歳であろうと、心の中にはこの瞬間にもスーパーヒーローがいて、あなたも少しでもヒーローに近づきたいと無意識に思い、行動をしているはずなのです。
苦しい時もいつもスーパーヒーローを思って乗り越えていきましょう!
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あと似た様な?パターンとして勧善懲悪モノの時代劇における悪代官・悪勘定奉行の部下達も・・・桃太郎侍が殴り込みをかけてビビった悪勘定奉行が「出あえ!」と言うと出てくる部下達・・・彼らは問答無用に桃太郎侍にバンバン斬られていきます・・・まあ、「仮に生き残ったとしても悪勘定奉行は御家断絶となって自分達も失業するんだから」という裏事情もあるのかと。
キュア梅盛様
コメントありがとうございます。
時系列を考えるとスーパーヒーローよりも時代劇のヒーローの方が後に出てきたものが多いとは思います。
つまり時代劇のヒーローものもウルトラマンなどに影響を受けているのでしょう。
様々な思い、嘆きがあるにせよこれからもヒーローたちは子供にはもちろんおじさん達にも夢と勇気を与えて欲しいです。
すんません(ぷっ)、ツッコミどころ満載で(ククッ)、どっから手を付けてよいやら皆目見当がつかないので(ヒクヒク…)、レポート精読の上、お時間をかけたうえで、誠心誠意のコメント申し上げたいと思います(ブハ!)。
・・・楽屋裏の4あほ「(横隔膜が痛いっす)(麵が器官につまりましたぁ…)(ついにやっちまったか)(アンヌは博士なのだ)」
しばらく反応が見たい4あほ様
こんにちは。コメントありがとうございます。
何か皆様のご期待が大きいようで、私もワクワクドキドキすると同時に強い責任を感じ心配もしております。
実はもっとネタがあって続けて書こうと思ったのですが、書いていて途中で疲れてしまったということ、1つの記事があまり長いと読む方も疲れてしまうのでは、と思った次第です。
例えばサンダーバードは同族経営なので殆どお父ちゃんから給料が払われていないのでは?子どもの小遣い程度でこき使われ、「3食食わしてやって寝る場所もあるんだから文句言うな!」とかお父ちゃんから言われているかもしれませんね。
これはパートⅡとしてまた書かせて頂きます。
ではコメントお待ち申し上げております。
(アンヌが博士だったのは知りませんでした。何の研究で博士になれたのでしょうかね?)