パンクの思ひで・・・
タイヤのパンクも思い出の一つ
本記事で言うパンクは自転車、特に幼少期に体験したパンクを中心にお話しします。
パンクというのは滅多に起こることでもありませんが、それ故にパンクが起きると非常に不快、時に深刻になる事もあります。
だから思い出、思ひで、と言っても決して良い思い出ではありません。
でも幼少期に経験した自転車のパンクを思い出すと、嬉しい事では無かったけれど大変貴重な経験で、自転車屋さんでの修理は興味津々ではなかったでしょうか?
幼少期の心に深く深く刻まれた思い出であることは間違いないはずです。
幼少期は自転車は体の一部だった
男女問わず自転車は体の一部、と言えるほど乗った人が多かったのではないでしょうか?
家のごく近所の公園に行くにも自転車、そして時には駅2~3つ先まで自転車で大冒険をした、など・・・
人によっては雪国で生まれ育ったので、自転車に乗る期間は年の半分以下の人もいるでしょうし、或いはどこに行くにも歩いて行くのが普通の人、環境だった人もいるかと思います。
でも徒歩5分の公園でも風を切って走る様は実に気持ちが良かったと思います。
今でも近所の子どもを見ているとそういう子は多いですね。ゲームなどデジタルグッズ全盛時代でも子どもの世界は変わらないものもあるのですね。
自転車のパンクは一大事!
毎日乗っていても意外に自転車のパンクに気が付かない事もあります。
多少空気が抜けていても、子どもの自転車の扱いは割と雑だし、パンクしていきなり走れなくなる、バランスを崩すなんてことも殆ど無いからです。
せいぜい友人に言われて気が付いたとか、帰宅後何気なく見たら「ええ!」とびっくりしたりとかではなかったですか?
まず親に相談するでしょう。そしてまだ時間的に問題なければそのまま自転車屋さんへ、或いは翌日ということになります。
小学生であれば殆どの子どもは自転車通学はしていないはずなので、親から見れば急がなくても週末にと普通は思います。
でも子どもにとっては一大事、頭の中はパニックになってしまうのです。
だって翌日友だちと遊ぶ時に自転車が無ければ困る、ということです。例え自転車でないと行けないような遠い公園に行く、友だちと自転車で競技をする、とかでなくてもとにかく子どもの世界では必須なのです。
そして親と一緒に、または高学年であればお金を握りしめて一人で自転車屋さんに行くことになります。
でも実は自転車屋さんで修理してもらうのがとても楽しみだったりするのです。
それは・・・
パンク修理を見ているのは実は楽しい
パンク修理を見るのが楽しみの一つでもありました。
自転車のパンク修理は以下のような手順ですね。
1、工具を使って中のチューブを露出させる。
↓実際の作業場面ではありませんがイメージ的にはこんなかな?と。
2、チューブを深い洗面器やバケツなど水を張った容器に円周方向に回しながら水につけてパンク箇所を探す。
穴が開いている箇所からはチューブを押すと気泡が出るので場所を特定できる。
→この場面が何故か楽しかった。
3、場所を特定したら穴の部分にゴム系接着剤でゴムのシートを貼って塞ぐ。
接着剤を塗布する前に紙やすりで傷の部分を軽くこすって穴の部分のバリを取ったりすることもある。
4、パンク箇所を全て塞いだらチューブを元に戻し、空気入れで空気を入れて作業完了。
となります。
1本のチューブに複数個所のパンクが見つかることもありましたが、私の記憶ではせいぜい1本のチューブで2箇所程度だったと思います。
当時の修理の金額は全く覚えていません。
でも親から出してもらっていたとはいえ、大した金額でもなく、自転車屋さんにとっては作業が面倒な割には儲からない仕事だったのでは、と今は思います。
頭の片隅からの記憶を頼りに本記事を書きました。
幼少時代に自転車に乗った事のある人は男女ともに様々な自転車での思い出があると思います。
石や凸凹に躓いて自転車ごと転んだ、青空の下気持ちよく走っていたらいきなり土砂降りの雨になり、全身ずぶ濡れになりながら猛ダッシュで帰宅し、自転車は庭や玄関先にほったらかしにして、お風呂に直行など。
そして自転車に付きものの今回の記事のような「パンク」。
その時は本当に困ってしまい頭を抱えたかもしれなかったけれど、大人になって振り返ると幼少期の自転車のパンクは、自転車の思い出の中で忘れることの出来ない一つのはずです。
あの時の自転車、修理してもらったタイヤは自分の頭の中の忘却の彼方にのみ今も生き続けているのです。
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40~50年前くらいの自転車パンク修理代は、¥700でした。(虫ゴムの替えが¥200)
お金とられるのがもったいなくって、自分でパンク修理を会得しました。
ママチャリよかもスポーツタイプ、特にタイヤを容易に外せる輪行型は修理しやすかったです。
「パンク修理セット」には紙やすりなんかも入ってましたが、うちらは「薄い軽石」でチューブをこすってゴムのりをなじませたり?してました。
修理初心者の頃は、修理後に戻したチューブがタイヤ内でねじれているか何等かで、タイヤが一部分膨れて、乗り心地が悪かったりして…。
(そういう時は半分空気を入れて、木槌なんか周りを軽くたたいてやるといい…です。)
・・・最近じゃチューブレスなんてのもあるって聞きますが…はじめっち
前にも書いたと思うっすが、丹後半島の根元・宮津で27インチのスポークが折れて、
でも当時(40年近く前)当地じゃ売ってなくって、そしたら「純正品でないけど…」って駅前の自転車屋(金属加工もやってたかもっす)で、オーダーメイドで取り付けてもらった…
パンクは治せっけど、こいつぁ自分じゃ絶対治せないのっす、ザ・職人技っす。
・・・ホントならパンクもプロにやってもらうのがスジかもしれないっすが…ゆたか治してくれたおっさんによれば「パンクは自転車屋で治すのがうまいし長く乗れる」ってさ!
ふだん尊敬を集めないポンコツとぉちゃんでもぉ、パンク修理してくれるのを見たらぁ、
いっぺんで「パパしゅご~い!」ってなると思いますぅ…。
・・・メカに強いお父さんはさながら「機関長の徳川」ですぅ…みならいかのん「技師の真田」でもいいですぅ…
あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、友達の自転車にラジオがついてるのがうらやましかったのだ(今の子ども等にたぶんこの気持ちはわかんないのだ)。
スマホ持ってる人方らには笑われるかもしんないけども(ムダにカッコづけかもしんないけど)、
ラジオ世代のあたいらにとっては、憧れだったりするのだ。
ちなみに、丸井輪太郎の自転車にはラジオはついてないけど、たしか濡れないようにバックに携行してると思うのだ。
4あほ様
こんにちは。コメントありがとうございます。
本ネタも昨年11月頃に思いついてネタ帳に書いていたのですが
ずっとサボっていたのでこんな時期になりました。
実際は本当に忙しかったのですが。まだネタのストックはたくさんあります。
そんな昔の値段を覚えていらっしゃるとはすごいことです。
でもよく考えるとその時代で700円って今の物価と比べてあまり変わらないのかな?と。
昔の自転車は本当によくパンクしたと思います。
今の基準で考えれば欠陥ですが、当時は「こんなもの」で済んでいたのでしょうか。
自転車にラジオ、覚えていないのですが後付けではなくて最初から付いていたのでしょうか?
特に子供用の自転車で「無駄と思う装備」で覚えているのは方向指示器でした。
超カッコよいスポーツタイプ(とは言っても子供用)で後ろのフラッシャーは今の車みたいに
光が流れていました。
このタイプはすごく値段が高くて持っている子供は少なかったですね。富裕層かも?
でも確かこのフラッシャーは警察から道交法違反になる、と言われてメーカーが止めたという
話を聞いたこともあります。
ほかにはたかが子供が遊び場所に行くための自転車なのに速度計や、変速機も10数段変速とか
ものすごかったです。欲しかったな・・・と今でも思います。
丸井輪太郎、懐かしいですね。