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ユースホステルでの大食い野郎!

ユースホステルには大食い野郎が溢れていた!

 

ユースホステルについて

ユースホステル(以下、YH)は昔から今に至るまでどちらかというと若者を中心とした宿ですが、もちろん老若男女問わず誰でも安価・安全に泊まることの出来る旅の宿です。

安価故に高級な食事は出ませんが、それでも満足のいく食事を出せるように各YH共に工夫をしてくれています。

場所により「え!この値段でこんな豪華な食事が出るの!」という事もありますし、実際私も何度も経験しました。

特に夏休みなど学生の宿泊者が増えるシーズンは「とにかく腹いっぱいになるように」というありがたいメニューが出される事も多いのです。

基本的にYHの食事は夕食・朝食共にパン又は白米は食べ放題、コーヒー紅茶も飲み放題が基本となっています。
(コーヒーは殆どのYHでインスタントですが)

見ていると夕食・朝食共に今で言えば「フードファイターかよ!」というほどたくさん食べていた人がいました。

とはいえおかずはお代わりが基本的に出来ないので、たくさん食べれるのはパン、白米、ジンギスカンなど限定されるのですが、食うわ食うわで驚きを通り越して見ていて気持ちが良いと感じるほどの人がたくさんいました。

どんな人がなぜそんなに食べていたのでしょうか?

ユースホステルで大食いには理由もあった

フードファイター並みに食べていた人には単に普段から大食い、旅の疲れを食事でカバーする、などの他に明確な理由のある人も実は多かったのです。

・自転車旅行
とにかく体力勝負です。食べないととても体がもちません。夕食もがっつり食べています。
なお私が見て来た限りではバイク乗りも大食いが多かった気がします。体力の消耗は自転車ほどではないけれど、スピードが早くて乗員が露出しているので緊張感も高く、結果として腹が減るのかもしれません。

・徹底的歩き野郎
夏にはいましたね。バスや列車は極力使わずに徹底的に自分の足で歩く、次のYHまで遠すぎて1日で到達出来ない場合は途中で野宿しても歩く、という人です。
特に夏の北海道は多かったです。知る限り信州や九州では見た記憶がありません。
体力はもちろんですが、若さという何も恐れないパワーが無ければ出来ません。

・夜行列車に備えて食べる
実は夜行列車に乗るというのはかなり体力を使います。ここでいう夜行列車というのは寝台車ではなくて座席で一晩過ごすという列車を想定しています。

今はそういう列車は無くなってしまいましたが、20年以上前まではそういう夜行列車が全国各地を走っていました。
しかもリクライニングの進行方向を向いた座席ばかりではなくて、4人掛けのボックスシートの夜行列車も多かったのです。

このボックスシートは夏や年末年始などは大抵満席なので、知らない人と膝を突き合わせて一晩過ごすのです。
もちろん足を延ばすことは出来ないくらい狭いので、互いの足を暗黙の了解で、互い違いにして少しでも快適に過ごせるように工夫をしたのでした。

今となっては懐かしくも思いますが、若さというパワーが無ければ出来ない事ですし、おっさんになると「もう今更・・・」とジジ臭く思うようになってしまった自分がいます。

なお列車に乗るのは夜であっても朝から食べれるだけ食べて体力を付けておき、翌日の夜は今朝まで乗ってきた列車の疲れを取るためにまた食べるということになるのです。これも若さというパワーが源になっていますね。

・徹底的に節約旅行をするために大食いする
節約のために食べる、なんて意味が分からないと思います。
しかし当時YHで旅行をしていた人の中には、出費を可能な限り抑えるためにYHで大食いする人もいたのです。
つまり朝可能な限り腹にパンや米を詰め込んで、昼飯は抜いて、夕食でまたガッツリ食べて体力を維持するのです。

YHによっては朝食にパン、白米両方出すところもありました。もちろん両方とも食べ放題です。

今では衛生面云々でちょっと考えられませんが、限界まで食べてさらにパンを数枚鞄に詰めて出発するという人もいました。
YH側も昔は「ここで食べるだけにして!」なんて言わず「お好きなだけどうぞ!外で食べるのも気持ち良いよね」なんて心が広かったんです。このパンは夕食までの間、歩きながら、列車の車中などで腹が減ったらこのパンを食べるのです。

そしてコーヒー、紅茶が飲み放題でしたが、ガムシロップやコーヒー用ミルクもYHが困らない程度の数をもらって行った人もいました。

このガムシロップやミルクを持参したカップに入れて駅の洗面所や飲料水コーナーで薄めて飲むんだそうです。
私はやったことがありませんが、聞くと「決して美味いものではない。でも疲れている時に糖分が入るとエネルギーが復活する」んだそうです。

そこまでやるか!という感じですが、本当にお金が無くて困った結果ではなくて、お金がない事を楽しんでいる、という事だったんだと思います。

関連記事:青春の貧乏旅行

 

いかがでしたか?
どれも今では考えられないし、今の若い人は運動部の合宿とか出なければ男性も人前でたくさん食べるのは恥ずかしい、と思う人が増えているという話しを聞いた事があります。

昔のYHでの大食い、今の男性の「たくさん食べるのも恥ずかしい」という感情、いずれも時代の流れの結果でもあるので、何が悪い/良いを論ずる話しではないですよね。

でも私に言わせれば幸せそうにたくさん食べている人を見るとこちらも幸せな気持ちになります。
男はともかく特に若い女性がガッツリ食べているのを見るのが微笑ましくて好きです。
(実はうちの妻も結婚前は驚くほどの量を食べていました。当時~今に至るまで細いままなんですが)

旅先、家での食事、いずれも食べることは生きる基本、しっかり食べることが健康で長生きの秘訣とも言えますね。

 

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6 Responses to “ユースホステルでの大食い野郎!”

  1. 4あほ より:

    「どんな人がそんなに食べていたんでしょうか?」というクダリ、まるまるうちらのことですからぁ…。
    ・・・過去にどっかでお会いしてるかもしれないですぅ…みならいかのん

    先ごろ引退表明して「後進の指導に当たる(マジっすか?人それぞれだけどうちらは疑問符っす)」
    ってコメントしたフードファイター(ホットドック早食いとか)の小林さんは、
    競技?&アスリート?&見世物興行&「目立とう精神」的なもので、
    必要に迫られてやってる…ものではないと、経験からうちらは断言するっす。
    ギャル曽根さんみたいに「食べなきゃ活動がニブくなる…(ってのはたぶん病気っす)」ってのは、
    なんとなくうちらはわかるっす。だって、喰ってないとホントにマジで動けなくなるっす。
    「あめ玉なめときゃ、活動するカロリーは得られる」とか言うけど、うちら瀬古利彦じゃないっすし…。
    YH深浦で大学生から¥1000借りたっすから…、バカといえばそれまでっすが、
    おカネがないのを楽しむっていうのは、うちらにはこれだけはなかったすね、たぶん。
    ・・・いやマジで命を助けてもらってっすゆたか

    あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、どっかほかのとこでも「いたずらくがき」したけど、
    パンをもらってく…って行動が常態化すると、常備品として「タッパ」や「ジプロック」を持ち歩くようになるのだ。
    大喰いも、「のりたま」「ごはんですよ」などはもちろん、和寒Aコープで豚バラ&キノコパック数種類を買い込む(ジ〇ギスカ〇用ピーマン&もやしはカワイイほうなのだ)のは…うちらだけかもなのだ。
    ・・・持ち込みばぁよく許してくれたものなのだつるみん

    こういう人方がいるんだもん、「コーヒー代¥50円寄付」なんて、文句いう人はいなかったと思います。
    むしろ、働いてお金に余裕ができた?壮年期の方は、「コレ差し入れ」って、お茶菓子用意してくれる優しい人にたくさん巡り合った…と思います。
    そういう人から、いろんなおもしろい話を聞いたり、うちらも今は「オーム(真理教でなくって『ナウ〇カ』に出てくるやつ)」みたいだけど、
    そういう喰べ盛りに援助?できたらなぁ…って、思ったり思わなかったり…。
    ・・・今はそういう若い人たちは少なくなったかも…はじめっち

    • kaikoshumi より:

      4あほ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      なぜか皆様のコメントがゴミ箱に入っていて気が付きませんでした。
      ブログソフトの誤動作のようでした。
      承認が遅れたことをお詫びいたします。

      皆様もYHの大食い、とかいろいろ思い出があるんですね。
      パンをもらうためにタッパなどを持ち歩く、いたと思います。
      厚かましいし、今では非難されるかもしれませんが当時、というかYHはやはり特殊な
      世界だったんだと思います。

      和寒のAコープは今は当時と場所を変えて国道40号線沿いになり、
      名前も「ホクレンショップわっさむ」になりました。
      昔のAコープの場所から目と鼻の先ですが、昔の場所はJA資材センターになりました。

      またお出で下さいね。
      ありがとうございました。

  2. 浜のヨースケ より:

    管理人様
    こんにちは!

    僕が子どものころ、人形劇「チロリン村とくるみの木」という番組がありましたが、のちの学生時代、縁あって、その劇団員として全国の幼稚園や保育園を巡回上演する旅をしました。
    零細人形劇団ゆえ、経費削減のために宿泊先は国民旅館(国民宿舎とは別モノで、各地にあった小さな町宿です)やユースホステル(本来のYH運動の趣旨とは異なる利用でスミマセン!)でした。
    当時、同行していた食べ盛りの団員たちから食事に関する不平を聞いた覚えがないので、各ユースの配慮に感謝です。

    そんな各地のユース様の努力の中、裏話で恐縮ですが、
    その前年の夏、北海道塩狩温泉ユースでヘルパーをしていた時、朝食には、ささやかながら美味しい黒糖系のパンと近くの牧場から運ばれた牛乳を提供して好評でした。
    ただ、同僚ヘルパーS君が大きなヤカンで沸かす紅茶は、色が出たところで完成(つまり、ほとんど味無し)という絶妙さで、誰も真似が出来ませんでした。
    宿泊していただいたホステラーの皆さま、ゴメンナサイ!

    • kaikoshumi より:

      浜のヨースケ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      国民旅館というのは初めて聞きました。知りませんでした。

      YHは全盛時代でも食事の落差が物凄かったですね。
      「人間の食い物かよ!」というものもあれば「この値段で高級ホテル並み!」も
      ありましたね。

      塩狩で黒糖系のパンと牛乳、これは私も思い出しました。
      私の世代でもありました。ほのかに甘くておいしいパンでした。
      紅茶の話しは知りませんでしたが、こんなことマネしないで欲しいですね(笑)

      • 浜のヨースケ より:

        管理人様
        おはようございます!

        大食いの話題からはチョッと逸れますが、半世紀前の北海道塩狩温泉ユースでは、毎朝、納豆を提供していました。今では全国的な食品ですが、当時はまだ関西人には馴染みが無かったようで、関西のホステラーたちは怪訝な顔をして「こんな臭い物は、よう食べられへんッ!」と箸をつけませんでした。
        当時、京都から旅をしてきた(まだ女学生だった)現女房も食べなかったそうですが、横浜に嫁いで50年弱、今では僕よりも多量に納豆を食べてます(笑)

        ところで、国民旅館(僕の記憶なので、定かな名称ではないかもしれませんが)の件ですが、若者男女4人の劇団員がワンボックスカーに人形劇のセットを積み込んで全国を上演していた時の宿泊先は、ハンドブックに載っているユースホステルを事前予約しましたが、ユースの無い地域は、その町へ行って直接、宿探しでした。これが意外と大変なんです。
        今なら、携帯で検索して、なんてことができますが。
        勿論、潤沢な経費予算があれば、交通公社指定の豪華旅館に泊まれたでしょうが、零細劇団では夢のまた夢でした。

        そんな中、泊まった駅前旅館の帳場に「国民旅館一覧表」というリストがあり、そこには全国数十件の旅館が列記されていました。つまり、この旅館と同程度の旅館の名簿を手に出来たので重宝しました。日観連の超々小型版です。

        ついで話しでゴメンナサイ!
        劇団のワンボックスカーで北海道を上演旅をしていた時に帯広ユースに泊まりました。
        当日は夏のシーズン中で満館で人が溢れていて、人形劇で得た売上金を部屋に持ち込むのは危険と判断して車の中に保管しました。
        ところが翌朝、駐車場に停めた車が車上荒らしに遭ったという情報が飛び込み、真っ青ッ!!!
        ふだんなら、上演後に銀行へ立ち寄り劇団本部へ売上金を送金するのですが、その日は夕方まで3ステージをこなしたため銀行の閉店時刻に間に合わず、やむなく持っていたのです。
        確認のため、被害はいかに?と、恐る恐る劇団車に近寄ると、ナント!我が車は無傷(拍手!)
        あまりのオンボロ車なので、盗人も近寄らなかったンでしょうね。(タップリ、売上金が眠っていたのに)

        • kaikoshumi より:

          浜のヨースケ様
          コメントありがとうございます。
          よく考えてみたら塩狩だけでなく、YHで納豆が出た記憶がありません。
          やはり好き嫌いがはっきりしている、YHは若い人が多い、保存期間の問題などではないかと思います。

          30年少々前に大阪の寿司屋に入った時に大将に「関西の方はやはり納豆を食べないのですか?」と
          聞いたら「今はそんなことはありません。誰でも食べます。でも毎日食べたいという人は少ないかな」
          とおっしゃっていました。

          少なくても1990年頃には関西では納豆は関東と変わらず食べられていたようです。

          国民旅館というのは今でもあるのでしょうか?
          一般の国民宿舎だけなのかもしれません。

          車上荒らしに合わなくて良かったですね。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
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