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小学生に都合の悪いプリントや通知は・・?

小学生に都合の悪いプリントと通知

 

小学生、特に低学年は高学年に比べて人生経験が少ないので昨日まで出会わなかった新たな事に驚いたり困惑するという事が多いと思います。

高学年に比べて・・というとほんのわずかな年齢差ですが、実は小学生のように初めて入学した学校、1人で何でもしなければならなくなる年齢なのでほんの2~3歳変わっただけで本人の捉え方は非常に大きく異なって来るのです。

全ての人が低学年時代に「これは親に見せたくない、知られたくない」、「こんな事先生から親にバレたら大変なことになる」とか深刻に捉え悩んだ時期があったはずです。

本記事では私の経験も交えて当時を振り返ってみたいと思います。

何が都合が悪かった?

思い出した範囲(友人の事も含めて)で書いてみましょう。

●点数の悪いテスト
これは私が真っ先に書きたかった事です。
私が低学年の時に一番苦い思いをしたのがこの点数の悪いテストでした。

⇂ここまでは一度も無かったけど・・・

幸いというか、小学校は中学校以上の学校と比べて定期テストというものが殆どの学校ではありませんよね。
しかし低学年時代は「定期テストがない」なんて事は頭になく、かつ純真だったので先生から返されたテストはやはり親に見せなくてはならない、と言う感覚はありました。

もし「定期テスト」というのが小学校にはない、という事が当時分かっていたとしたら「定期テストは無いので親に見せる必要はない」なんて決めつけて、ずっと見せていなかったかもしれません。

でも1年間通してあまりにもテストを持ち帰らない、テスト結果を見ていないのに通知表の成績だけは悲惨な結果、なんて事になるときっと親からは厳しい追及があったことと思います。親が先生に「この学校はテストをしないんですか?」なんて問い合わせる親もいたでしょう。

当時の私は決して成績が良かったわけではありません。でも後ろの方とも言い切れず中の下、または下の上くらいだったかと思います。

⇂この点数ならば無い事は無かった。恥ではあるけど・・・

そしてテストの点数に関しては母が非常に厳しかったのでした。
うちは裕福な家ではなくて所謂中間層で、「母は高卒*だけど子どもの教育には非常に熱心」、「父はかなりの難関大学卒。しかし私に勉強しろとは言っても大して強く言わず、母ほど教育にうるさくはなかった」という両親でした。

*母の学歴:母の逝去後に知ったのですが、どうやら母は中卒もしくは大昔なので小卒だった可能性が出て来ました。
別に親の学歴なんてどうでもよい事ですが、もしかしたら低学歴故に子どもの教育に熱心だったのかもしれません。

 

テストを見せると教科や内容に無関係に点数だけを見て厳しい事を毎回言われました。
80点以上くらいだと「ほぉ~ 今回は良かったじゃないか」と軽く流すように褒められました。

でも30~60点くらいだと(30未満は恐らく取ったことは無いと思うが)テストを前に非常に厳しい事を言われました。その時の母はとても恐い表情でした。

母はテストを父に直接見せる事はあまりなかったと思うのですが、父は悪い点数を知っても「次から頑張れ。だから普段の勉強が必要なんだ」と言って出かける用事の無い日曜日などは父から直接勉強の指導を受けました。

私は悪い点数の時は母から色々言われるのが嫌でしょうがなく、ある時期から悪い点数は家の近所の土手から川に捨てて帰ったのです。

忘れもしません。当時は東京都練馬区の上石神井(かみしゃくじい)に住んでいたのですが、家から30mくらいの場所に石神井川という川が流れていて、当時は護岸もきちんと整備されておらず、水質もかなりの汚さでした。

そこに30点とか50点とかのテストを捨てて帰るのです。

でも小学校1~3年生くらいの事だったので、丸めて中が見えないようにしたり、細かく破って、なんてことはせずに風で飛ばされたりしながらも黙々と捨てていたのです。

もちろん川に落ちずに風で対岸に飛んでしまったりもありましたが、小さい子どもだったので気にせず、「また風が吹けば水の中に落ちるだろう」くらいにしか考えていませんでした。

 

こうしてある点数以上のテストしか持ち帰らないようにしたので母から厳しく言われることは無くなりました。

そして振り返ると「やはり小学校低学年の考えは浅はかだな。」と思い、さらに母から「最近テスト用紙少なくないか?」なんていう事をよく言われなかったな、と当時のことを思い出しました。

これも先述した「小学校は定期テストが無い」という事に起因していたのかもしれません。

悪い点数のテストを途中で捨てて帰った、なんていう思い出はわりと誰でもあるのではないですか?

⇂毎回こういうテストだったら、今の私の人生も変わっていたかも?

●通知表
多くの方はこの通知表を1番目に挙げるのではと思います。

でも先述のように私にとっては点数の悪いテストの方が上位?でした。

「点数の悪いテスト」と「悪い成績の通知表」、どっちも似たようなものですが、当時の私にとって頭の中で浮かんだのは「通知表は学期末で必ず返却されるので親の視線から逃れられない。  しかしテストは定期的なものでは無いので無かったことに出来る。」という少々ずる賢い考えでした。

しかし誰でも思いそうなこの考えも私の家の場合は違っていました。
それはある教科の成績が、「通知表が5段階評価で2」の場合と「テストに赤色の大きな文字で30点と書かれている」場合、少なくても私の母親にとっては後者の方がインパクトが強かったようなのです。

これは人により感じ方はかなり異なると思いますが、少なくても我が家ではテストの点数のインパクトが上でした。

そして通知表が嫌だった理由は評価の数値だけではありません。
それは「所見」という項目でした。当時も今も学校によっては「目当て」とか「普段の生活」なんていう書き方をしている学校もありますが、要は数値では表せられないその生徒の生活態度などについて先生が直接書き込んだ項目のことです。

例えば「XXさんは授業中ふざける事も多くて、自分の成績への影響のほか、他の生徒へ迷惑を掛けているようです」なんて書かれたりするわけですね。

もちろん良いことも書かれるし、何分小学校とかだと良いことを優先に書く先生の方が多かったと思いますが、この欄に悪い事を書かれるというのは「よほどの事」ととらえる事が出来ます。
つまり「文面にしないと本人のために良くない」ということですね。

この欄も結構きつかったんですが、うちの母親は所見の部分よりもズバリ点数にしか目が行っていなかったようでした。

でも通知表はさすがに川に捨てて帰るというわけにもいかなかったので、成績が悪かった学期であっても素直に見せていました。

●家庭訪問の通知のプリント
家庭訪問は小学校生活の大きなイベントの一つだと今でも思っています。
子どもによっては家庭訪問が好きな人もいたようですが、親としては今でも「部屋の清掃やお茶の準備」、「どんな先生なのか?何を言われるか?」など事前準備とドキドキ感で大変でもありますね。

私は好きでも嫌いでもどっちでもないと思っていました。
別に先生から「お宅のお子さんは・・」と悪い事はあまり言われないという自負もあったのです。
その自負というのは特段に勉強の出来が悪いわけでもなく、クラスの問題児でも無かったので、「さすがに親の前で粗探しをして言いつけられることも無いだろう」と子ども心に思っていました。

この「自負」は見事的中で私自体は不快な思いをしたことはないのですが、むしろ親が事前準備等でイライラしていたし、先生が返った後に母から「そんなに学校でいい子なのかい?」みたいな事をチクリと言われるのは嫌でしたけど。

結果とした私は家庭訪問自体に好き嫌いの感情はそんなに無かったのだけど、先生が返った後に親から何を言われるか、と考えると「出来れば家庭訪問は無い方がよい」と思ったのでした。


余談:昔の家庭訪問は先生が家に上がって、子どもの机をチェックする先生もいたりしてプライベートなんてありませんでした。
でも近年は掃除等親の負担が大きい、プライベート侵害になるという事から先生は玄関先で立ち話しをして終り、もしくは家庭訪問自体をやらなくなった学校も増えつつあるようです。


つ、ついに来た!

 

本記事で書いた項目は大人になって思い出してみると実に滑稽ですが、でも当時の本人にとってはまさに一大事、親に怒られないようにするにはどうすればよいのか?ばかり考えていたんだな、と思います。

もちろんそんなこと気にしない、普段から点数も素行も良いので悪いことを言われたり怒られる心配も無し、という人もいたことでしょう。

でもよく考えてみると「子どもってすごいな」とか「大人になる前の悪知恵の事前訓練」みたいなものと今は感じています。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
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