急行 大雪6号/しれとこ3号
ロングランの気動車急行 大雪
北海道の名列車・急行 大雪(たいせつ)のお話しです。
急行 大雪は時代とともに運転系統や使用車両、時間帯が何度も変わった列車ですが、ここでご紹介するのは1980~1981年ごろの昼間に走っていた列車です。
1981年に石勝線が開通する前は札幌~帯広、釧路方面に行くには函館本線の滝川から富良野を通って新得経由で帯広、釧路に行くというルートが主流でした。
このルートは富良野経由の特急や急行がたくさん走っていて札幌~釧路までは特急でも6時間もかかり、急行だとさらにプラス1時間はかかっていました。
でも石勝線が開通迄の陸路はこれが最速のルートだったのです。
当時自由きままな北海道旅行を楽しんでいた私は時間を無理に作って更に時間がかかる列車をあえて選んでいたのです。
釧路から札幌に戻る時に使っていた列車なのですが、前述した富良野・滝川経由ではなくて、釧路から網走、北見、旭川を通って札幌に大回りで向かう列車をあえて選んだのでした。
それが「大雪6号」なのです。
この釧路発の列車には途中の標茶(しべちゃ)から切り放されて根室標津に向かう「急行 しれとこ3号」が併結されていました。
「急行しれとこ3号」は標茶からは普通列車になり、車両も「大雪」用のキハ56よりワンランク劣るキハ22でした。
(標茶~根室標津の区間は既に廃止されています)
以下の図がこの列車の走行ルートです。
石勝線や他の路線は基本的に載せておりません。また都市の位置と路線は正確ではありません。
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この列車は釧路を朝の9時6分に発車して終着の札幌には夜の6時29分に着くダイアでした。
(私が乗っていた時代。多少間違いはご容赦下さい。)
札幌までなんと9時間半近くもかかるのです!
しかも車両は当時の急行に多用されていたキハ56を主体としたボックスシートの車両です。背中は直角でシートのクッションなんて無いに等しいものです。
頭に焼きついた釧路駅での急行大雪のアナウンス
釧路駅での車内アナウンスを今でも覚えています。
以下は抜粋ですが、雰囲気は感じて頂けると思います。
「ご乗車ありがとうございます。この列車は9時6分発の網走・北見・遠軽周りの急行大雪6号札幌行きと、標茶から標津線に入ります急行しれとこ3号根室標津行きです。
大雪6号の札幌着は18時29分の予定です。しれとこ3号は標茶から先は普通列車となります。」
網走・北見・遠軽周りは気が遠くなるほど長い・・・
とにかく長い、長い距離を走る列車です。丸一日かかって札幌に向かうのですからは。
しかも網走までの釧網本線は駅間距離が非常に長く美しい風景とは言え非常に疲れます。
でも私はこの列車を選んだのです。
理由は考えたことないのですが、単純に長い距離を走る列車に乗りたかっただけです。
ただ覚えていないのはお昼をご飯どうしていたかです。
釧路駅で駅弁を予め買ってから乗ったか、お昼時間頃の到着となる網走で駅弁を買ったのかもしれません。
網走までも3時間くらいかかりますが、そこからがまた長い、長い…。
途中の遠軽(えんがる)ではスイッチバックの駅なので進行方向が変わります。
そして遠軽から上川の少し手前まではずっと険しい山間を走ります。
登り坂だと旧型気動車の非力故に速度も20~30km/hくらいまで落ちます。
キハ56は1両に連続定格出力180psのエンジンを2台づつ積んでいますが、それでもこの有様です。
そんな自転車並みの速度で山間を走るのですから長時間乗車も相まって、強烈な睡魔が襲って来ます。
意識がもうろうとして来てやっと旭川着
空に夕暮れの気配を感じて来た4時ころにやっと旭川に着きます。
旭川では後から来た網走発の特急オホーツクを先に通すため20分くらいの停車時間がありました。
こんなに停車時間があればホームに降りて飲み物を買ったり気分転換をするのですが、お尻に根が生えた状態で椅子から立ち上がる気がおきません。
そして旭川を発車して一路札幌を目指します。
ここからは全線複線電化区間ですが、非力な旧型気動車なので電車特急の足手まといなのでは?と思いました。
でも旧型気動車が一番苦手な急勾配がないので性能一杯の95km/hを維持して走ります。
そしてまだ薄明かるい夏空の18時29分に終着の札幌に着くのです。
旭川からは人口の多い街をたくさんを通るので札幌到着時には立ち客が多くいて一気にホームに吐き出される感じでした。
本当に長旅でしたが充実感に溢れた9時間半でした。
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旭川始発の「急行 大雪1号」ってのも、似たようなもので、
旭川~釧路を9時間近くで走ってました。これに乗ると
旭川~(大雪1号)~釧路~(狩勝6号 富良野から快速)~旭川と、
一日で一周できちゃったりするのでした。
・・・さすがにやりませんでしたがはじめっち
下りの「大雪3号」とは兄弟同士ってか、3号も6号も
あっちゃこっちゃで、分割併合していたような気がするっす。
その様を、「ちぇーじ けったーわん! すいっちおん」と
永井豪さんの漫画を模して、「げったーすりー」までに見立てた
イラストにした書き込みを「中山記念小清水YH」で見かけました。
泊り客みんなして腹よじらして大笑いしたっす。
・・・みんなあほっすゆたか「大雪7号」だったかもしれないっす
すんません、あほなことを・・・
はじめっち&ゆたか様
こんにちは。コメントありがとうございます。
昔の道内は理解に苦しむほど行き先が不可解、そして長時間走行の列車がたくさんありましたね。
でも夏とかはそれなりの乗車率でしたから需要があったんですね。
小清水YH懐かしいです。
浜小清水駅からとぼとぼ30分くらい歩きましたかね。
草原の中にポツンとなっていました。
中はいかにも昔からのYHでしたが、味わいがありました。
また当サイトへお越しくださいね。