郵便局のアルバイト
郵便局のアルバイト
私は高校3年生の時に郵便局で年賀状配達のアルバイトをしました。
この時点でアルバイトは2回目でした。
1回目は「OKストアー日吉店」(1983年以前の移転前の建物でのバイトです。)、2回目が郵便局でした。
関連記事: OKストアー日吉店(1980年前後)
いずれも北海道旅行の資金稼ぎです。
当時私は横浜の日吉(南日吉)に住んでいました。
郵便局の募集は新聞の折り込み広告か何かだったと思います。
関連記事: 横浜・南日吉の思い出の商店
募集していた郵便局は綱島郵便局で、外観は綺麗になりましたが(建て直した?)場所は変わっていないようです。
時給や日数は覚えていませんが、とにかく年賀状+@の配達という仕事でした。
綱島郵便局での採用・勤務開始
面接に行き聞かれた話しは「何故やりたいの?」とかはまったく無くて、「1月○日頃まで出来る?」、「配りたい場所のリクエストある?例えば家の近所の方が土地勘があるからとか」などでした。
私は「場所は何処でもよいです」と即答したら、「あ、そうですか」と返ってきてもちろんその場で採用です。
実際の勤務開始は後日で初日は仕事の概要や配達場所の説明などがあり、昼から局員の人とお試しで回ってみるとかだったと思います。
(かなりうろ覚えですが)
またこれもうろ覚えなのですが昼食は「弁当持って来ても良い」、「近所ならば帰宅しても良い」、「事前に言えば有料で弁当を頼める」などの選択肢がありました。
私の家からは徒歩で10分強くらいの場所でしたが1度くらいは弁当を食べた記憶があります。
仕事に関する説明で印象に残っているのは以下の項目でした。
1.基本は一人で回るがアルバイト一人につき面倒を見る局員が一人必ず着く。
2.郵便物は自転車の専用バッグに入れるが、書留(現金/書類)は腰にベルトで装着した革のカバンに入れて肌身離さずとする。
3.配る順序を書いた地図を渡すので常に持ち歩くこと。但し基本は書留(現金/書類)を最優先に配ること。配る順番で最後の方に配る家であっても書留があれば極力それを最初に配るのが望ましい。
4.年末年始は日が暮れるのが早いので17時には必ず郵便局に戻ること。その時点で未配達があっても構わないので局への帰着時刻は守ること。
5.郵便物が少なくて例えば15時くらいに帰って来る日があった場合でも17時の定時までは局内にいること。帰りたい場合は担当局員に一言言ってから。
6.アルバイトと言えでも国家公務員と同じ扱いになるので、勤務中はもちろん局への往復の通勤時間に怪我などをした場合は全て国家が補償する。もちろんそのようなことが起きないことが望ましいが。
これらの説明を聞いていよいよ配達の仕事がスタートします。
郵便配達、いよいよ始まる!
実際には元旦が配達初日ではなくて(そういう人もいたかもしれないが)、年末から慣れも兼ねてスタートし、初日~2日目くらいまでは担当局員が一緒についてくれます。
配達前に一人一人配達区域の説明がありましたが、私はこの時「何処でも良い」と言ったことを後悔したのでした。
家からは凄く遠い場所で多分郵便局でも一番遠い部類の場所ではないかと思います。
その場所は「港北区南山田町」でした!
ここは今は横浜市都筑区なのですが、当時は日吉や綱島と同じ港北区でした。
大まかな場所を言うと市営地下鉄グリーンラインの東山田駅から南西付近の場所です。
綱島郵便局から最初の1軒目のお宅まで自転車で片道20分くらいかかるのです!
大失敗!と思いましたね。
現地までの往復の道も含めて危険な道はないのですが、配達する場所は昔からのお宅が多いのか「同一住所、同一番地、同一苗字」が凄く多いんです!
もう怒られないと思うので書きますが、何処もかしこも「漆原さん」だらけなんです。
しかも表札は苗字だけのお宅が圧倒的に多くて名前や家族の氏名一覧なんて出しているお宅は殆どありません。
だからどうしても判らないときは呼び鈴を鳴らして確認するしかないのです。
幸い誤配達を指摘されたことは無かったのですが、郵便局からの遠さも相まって1日終わるとぐったりと疲れてしまいました。
郵便配達はきついことと良かったことの両極端
まあどんな仕事でもこのように両極端なのが普通なのですが、当時高校生だった私は凄く感じたのでした。
[きつかったこと。]
・郵便局からの遠さ
・同じ住所に同じ苗字ばかり
・雨の日はそれほどつらくなかったが雪の日はかなりつらい。
(当時は首都圏では毎年正月から大雪が降ることも珍しくなかった)
それはタイヤがスリップして思うように走ってくれない、ハンドルも取られるなどで運転が大変だった。
・年末はカレンダー(丸く丸めたもの)の配達も多く、自転車はかさばって重くなり行きはハンドルを取られて大変。
・毎日ではないが切手の料金不足があり、それを玄関で請求するのだが不在のお宅もあるし、お釣りが無くて困ったりなどかなり大変だった。
[良かったこと]
・貴重な社会経験が出来た。
・お客さんに「ありがとう」とか「大変だね。まだ高校生だろ?」など声をかけてもらえたこと。
・現地から局に戻る時に後ろから来た綱島郵便局の配達の車が停まってくれて、「局戻りだろ?自転車ごと積みな。乗っていけ」と言ってくれて局まで車で帰れる日があったこと。
確かこの1度だけだったと思うがくたくたに疲れて、しかも1月の夕暮れは横浜も凄く寒いので本当に有難かったし嬉しかった。
・やや早めに配達が終わり局に戻る途中にわざと自宅に寄って母に「暖かいコーヒーを飲んでから戻りたい」と言った時に、ミルクたっぷりの温かいコーヒーを入れてくれて、心底暖まってから局に戻ったこと。
この時のコーヒーの美味しさ、暖かさは今でも覚えている。
・全般を通して局の人、お客さんも皆親切で不快なことを言われたことは一度も無かったこと。
とてもよい暖かい経験が出来たと今でも思っています。
番外のこと
番外編として覚えていることを書いてみます。
・アルバイト同士で話したりはほぼ皆無であった。
内勤の女子はもちろん、配達の男子とも殆ど話した記憶がないのはちょっと寂しかったかな。
・元旦に年賀状を配達に行く時は、局長(?)が局員やアルバイト全員の前で「事故の無いように無事に年賀を届けましょう」みたいな話しをして、それを聞いた後に「年賀状出発式」となる。
いつもどおりの自転車、服装だが出発の自転車に局員が拍手で送り出してくれて、なんかちょっとうれしかった。
・元旦の昼休みか帰宅時か忘れたが正月ということで紅白の饅頭が配られた。
・この時代の郵便局は皆公務員であり国家の組織だが、私はその前にOKストアーという民間企業でのアルバイトを経験していたので社会とか仕事とかの考えの基準はOKストアーであった。
ある日配達がかなり早く終わった時に内勤の郵便物の仕分けを手伝った。
午後の3時とかの休みなのか、5時の終業時なのか忘れたがとにかく休憩に入るベルが鳴ったのだが、私は「あとほんの少しの仕分けで終わるから一気にやってしまおう」と思い仕分けをしていたら担当局員の人に「ベルがなったら止めなさい」と注意された。
「え?あと5分も掛からないのに」と思ったが局員の人もほんの僅かの作業をやれば終わりであっても「ベルが鳴ったら手を止める」が徹底していて、これが民間と公務員の差なのか?と高校生ながらに思ってしまった。
・これも民間と公務員の差なのかもしれないが、ある日配達が早く終わり16時頃に戻って来たのだが、「内勤を手伝いますか?」と言ったら「今日は間に合っている」と言われたので私が「どうしようかな?帰ろうかな?」と言ったら局員の人は「特別に用事が無ければ今帰ると給料が1時間分損するよ。休憩室には漫画本もたくさんあるから17時まで漫画読んで時間潰したら?」と言われたのでびっくりしつつ休憩室に行くと先客(アルバイト)がいた。
結局最後の1時間は漫画を読んで時間を潰し、その分の時給ももらったのである。
今考えると信じられない内容もありますが、当時はこれらが普通だったんですね。
今は郵便局も民間になり職員はかなり大変のようですが、民間企業になれば当然のことですし、公務員でものんびり出来ない時代になりつつあるのは良いことではないでしょうか?
ともあれ短期間でも多感期の郵便配達のアルバイトは多くの人の親切に触れることが出来、大変貴重な経験をさせてもらいました。
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ノンダクレーさんが通っていた学校でアルバイトは、OKだったのですか?
時代背景からすると、バイトしたお金で長ランとかボンタンを買ってた人が多かったのでは?と思います。
ノンダクレーさんは、北海道に行くためと言うのは口実で、本当は大事な人に会いに行く為に働いていたのでは??
会長どうぞ!!! ピップエレキバン!!! さま
コメントありがとうございます。
>学校でアルバイトは、OK・・・
→良いも悪いも何も言われませんでした。申告もしなかったし。校則に書いてあったかも覚えていません。
でも回りは皆アルバイトしていましたし、当時は他校の高校生も皆アルバイトをしていたのでそういうのがOKの時代だったのでしょう。
今もギャーギャーいう高校はほんの一部だけのようですし、ましてや学校に申告しませんからね。
>バイトしたお金で長ランとかボンタン・・・
→そういう連中もいたとは思いますが、真面目な連中は単に小遣い。ツッパリや族に入っていた連中はリーゼントや剃り込みを維持するための床屋代(特殊技術なので床屋でも値段が高い)、族はバイクのガソリン代や維持費だったと思います。
>北海道に行くためと言うのは口実で・・・
→純粋に北海道のことしか頭にありませんでした。男子校だったし、最寄り駅も母校しかなかったので異性の「い」の字も縁がありませんでした。
あの頃に戻りたいという気持ちもありますが、男子校だけはもう結構でございます。
またお越し下さいませ。