宿と旅の情報誌 とほ
宿と旅の情報誌 とほ
かつて特に北海道を中心とした安宿の情報誌、「とほ」という冊子がありました。
手書き、手作り感満載の味わいのある情報誌です。
調べると発行は1986年(昭和61年)頃からのようで、確認出来た最終巻は1999年(平成11年)頃のようです。
いつの間にか無くなってしまったようですが、現在は「とほ宿」というサイトに生まれ変わっています。
安宿とはどういう宿か?
安宿と言うと単に宿泊費が安いだけとしか思い浮かびませんが、駅から遠いのに狭い部屋のホテルとは限りません。
極端な宿だと以下のような物も実在します。
素泊まり食事提供無しにしても論外と言えるほどの安い宿。
論外、とはどのくらいか?というと例えば最安値クラスのビジネスホテルが素泊まり5000~8000円が相場の場所で、「おひとり様素泊まり1500円」なんて所もあるのです。
旅行に行くために某大手旅行会社サイトを検索したらヒットしたことがあったのですが、実は「4畳半~6畳の部屋に見ず知らずの同性の人と3~4人相部屋。トイレ共同、風呂無し」というものでした。
(若者向けのユースホステルではありません。)
長期滞在歓迎と書いてあったので恐らく日雇いやその他長期住込みで働く方々のための宿のようでした。
しかも首都圏のかなり人口の多い地域でした。さすがに「これは無理」でしたね。
若い人も安心して清潔に泊まれる宿、というとホテル/旅館以外ではユースホステル(以下 YH)になります。
もともと若い人が安価で安全に旅が出来るように、という事で始められたのがYHですから「同性数人との相部屋」という条件はあれど、安心して泊まることが出来ます。(若者専用ではありません。年齢制限もなく比較的高齢の方も利用されます。)
でも特に北海道には多くの「YHのようでYHではない変な宿」がたくさんありました。
一部の人は「ユース民宿」なんて言っていましたね。
ユース民宿は「同性相部屋」はYHと同じですが(そうでないところもあったが)、料金がYHより若干高めなので食事がその分良い、お酒が飲める(1990年代頃まではYHは飲酒禁止が大原則)、消灯時間とかあまり言われないなどの特徴がありました。これらのいわゆるユース民宿の情報を提供していたのが今回ご紹介する「とほ」なのです。
とほ 1986年6月1日発行版
今回私の友人であり旅仲間の「ブースカさん」から1986年(昭和61年) 6月1日に発行された「とほ」の写真をご提供頂きましたのでご紹介させて頂きます。
ブースカさんには心より感謝申し上げます。どうもありがとうございました。
以下の3枚はクリックで拡大し別ページで開きます。
特に多くの宿の名前が載っている3枚目は見た途端に涙を流す方もいらっしゃるのではと思います。
私はこの手の宿の宿泊は北海道の「夢舎(ゆめや)」(既閉館)しかないのですが、YHで「昨夜はあの民宿に泊まった」とか「明日はあの民宿に行く」という多くの人に出会いましたので、名前は結構知っています。
「あしたの城(ジョー)」、「朝日のあたる家」、「船長の家」、「きりたっぷ里(り)」なんて北海道に行くと必ず耳にするというほど有名でした。
そしてこの時の「とほ」は北国通信というところから発行されていたのですね。
3枚目、つまり巻末の記載には以下の文が記載されています。
「とほ」は知る人ぞ知る著名な旅行情報誌「とらべるまん」(旅人が直接歩いて収集した北海道の詳細情報誌)が源流になっていることは間違いなさそうですね。
このパンフは「とらべるまんの北海道」に掲載の宿を中心に、旅人が旅人のために
作った宿からのメッセージを、各宿のご協力により、直接掲載しました。
掲載の宿・店または旅についての印象・ご意見、そして新しい宿やぜひ載せて欲しい宿・店
などの情報がありましたら、北国通信まで郵便で、お寄せ下さい。
これから、毎年発行していきたいと思いますので、編集などへの参加・協力を希望される人も
ご連絡をお待ちしています。
旅人が作る、旅人のための、「宿と旅の情報誌」をめざして・・・
う~ん、当時の北海道旅行を知るものからすると泣かせます。
価格も50円とのことなので、利益はほぼ無しなのでしょうね。北国通信という名称もどうやら会社組織でもないようなので、旅好きの若者が集まって作っているという感じです。
今じゃこのような冊子の発行は全く考えられませんね。作ったとしても大学生の旅仲間が作って内輪で配る程度でしょうか?
更に今どき手書きなんてしませんし、安物のノートパソコン1台と数千円のプリンターがあれば雑誌社顔負けの立派な物が出来てしまいますね。
そういう意味でも昭和、良い時代だったのでしょうね。
旅と宿の情報誌 とほ の変革
ネットで「とほ」と検索すると多くが「とほ宿」という冊子の「とほ」の流れを汲むサイトが表示されます。
他には「とほ を英語で言うと」とか「とほ のススメ」とかです。
ちなみに「とほ宿」様のサイトはこちらですので是非一度ご覧くださいませ。
でも冊子の「とほ」の事が知りたいので調べると詳細に書かれているサイト様を発見しました。
(リンク切れはご容赦下さい。)
表紙の写真も豊富で「こんなのがあったんだ!」と驚かされます。
大雑把に「とほ」の変革を抜粋すると以下のようなものだそうです。
・1985年(昭和60年)、札幌の旅行喫茶「すっからかん」が情報を集めて作った道内のユース民宿のパンフが「とほ」の前身。
この最初のパンフの写真を先述の「とほ」表紙ギャラリー様のページから引用させて頂きました。
クリックで拡大し別ページで開きます。
どうです?泊った宿、或いは聞き覚えのある宿もおありではないでしょうか?
私が通った「夢舎(ゆめや)」もあります。
・1986年(昭和61年)3月20日発行の「Toho とほ」が「とほ」の初版。
・その後毎年のように発行される。1998年版は初めて「本」として認められる!
・1999年版は何と30000部発行で、当時の道内出版物で最大規模だったらしい!
この先は分からないのですが、ネットが全盛の時代に移行し、かつYH及びYH民宿も減少の一途を辿るので、1999年か2000年付近で冊子の「とほ」は終焉を迎えたのではないかと思います。
(更なる情報をお持ちの方はぜひお教えくださいませ。)
「とほ」は今やWeb版になって生き続けていますが、さすがに昔の手作り感、アマチュア感のあるものではありません。
とにかく世のメディア、そして旅の形態が大きく変わってしまったので当然と言えば当然でしょう。
「他人と相部屋?」、「和室だと布団を並べて見ず知らずの人と寝るの?」なんて聞いただけで敬遠されると思います。
でもそういう時代もあったのが事実だし、今でもそれを好む人もいるのです。
私は今や家族持ちのオッサンなので、さすがに今から見ず知らずの人と同室は無理ですが、自由気ままにリュックを背負ってあちこち歩きまわっていた時の気持ちは変わっていないつもりです。
今回の記事内容、昔の宿の名前を聞いて「あの時の旅」を思い出して頂ければ幸いです。
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>さすがに今から見ず知らずの人と同室は無理ですが
確かにそうですね、今は腰が引けますね。
あの頃は気ままに旅をするのが優先し、隣に誰が寝ていようが何とも思いませんでしたね。
ブースカさん
コメントありがとうございます。また過日は写真のご提供もありがとうございました。
他人と同室、ですがベッドならばまだしも和室で布団をびっちりと並べて修学旅行のように、
でも赤の他人というのは今考えるとすごい事ですね。
中には苦手なタイプ、話したくないタイプもいて「早く明朝になってほしい」と願いながら寝たこともありました。
青春の一ページではありますが、二度とゴメンとも思いますね。
うちらも「とほ宿」を利用したこともあって、「マ〇モス西」とか泊まりました、あはははは…。
情報誌(2008‐2009)ってのがたまたま手元にありましたが、他の情報誌は道内になげてきた…っぽいです。
見返してみて、「和寒の福原小学校」に泊まりたかったなぁ…とか思ってついでに調べてみたら、
(もしかしたら町内のYH関係でご存じかもしれませんが)和〇さんという方が病気療養で、
昨年廃業された…らしいです。「とほ宿」もだんだんと減っていくのかもしれません。
・・・それほど「とほ宿」にはお世話にならなかったですが…はじめっち
「むい」(独断北海道情報誌…とかうたってたらしい?)だとか、
道東に住んでいたんで「あくと」(っていったっけ?)なんかを参考にしてたっす。
なんか「とらべるまん」とかいう情報誌(手に入れたことはない…っす)が参考になってるみたいで、
活字を見てみると、書体とかおんなじみたくだったんで、なんかつながりがあるのかもしれないっす。
その中でも「とほ」はメジャーで、必要に応じて購入してたっすが、もう一つのメジャー(なの?)
「なまら蝦夷」っていうのは、実は読んだことがなくって、どんなものだったんかなぁ…っす。
・・・「とほ」は長野県の宿泊施設も掲載されてたし…たぶんメジャーっす?ゆたか
2あほ様
コメントありがとうございます。
道内(恐らく他の県も)には極めて一部の旅人しか知らない内輪の旅行情報誌があふれていたと思います。
私も道内のどこかのYHで「いっしょにやらない?」と誘われたことがあります。(参加しませんでしたが)
それと福原小学校の民宿、昨年廃業されたのは最近知りました。
泊った事はありませんが目の前は何度か通っています。
それと実はここの経営者はかつての塩狩温泉YHの仲間でして私もよく知っている人です。
みんな年取ったんだな、(私も)としみじみと思ってしまいます。
あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、「とほ宿」を「ユース民宿」って言ってたのは覚えていて、
ユースホステルのルールやしきたりに縛られない?という考えから、
元ペアレントさん(というパターンの方はお会いしたことはないのだ)や、
ホステラーさんが理想を持って建てた…なんてのは聞いたことはあるのだ。
(あと、西日本なんかでは協会の考え方と差が出て、「ゲストハウス」に移行したとこがあった?…のだ)。
「YH(宿泊経験含む)からとほ宿経営」ってパターンはもしかしたら多いのかもしれないけど、
「とほ宿(宿泊経験含む)からYH経営」への移行ってのはどうもないらしいのだ。
YHが斜陽になって、とほ宿が盛んになった?かもしれないけど…。
この前閉館になったYHのPさんは、釧路の「男坂(仮名)」で長期宿泊して、
すぐそばの「黒〇術(仮名)」のカレーのレシピを教えてもらうなど、
「とほ宿」かいわいで経験を積んで、いろいろな遍歴を経て、YHのPさんになった…
って特殊な苦労人?もいることはいるのだ(グリーンカレーとかうまかったのだ)。
・・・だっからYHぽくないYHだったのだつるみん
あほのつるみん様
コメントありがとうございます。
ユース民宿という名称はあちこちで使われていましたね。
でも「とほ宿」とは聞いたことがありません。
それと「とほ宿からYHへは無い」というのはその通りです。恐らく全国でも皆無と思います。
今は知りませんが、当時はYH協会と肌が合わずに止めたという理由が多かったと聞きます。
YHはあくまでも健全な若者を育成するためのものであって、宿ではないという考えだからですね。
今はホステラーなんて言葉殆どの人がしらないし、YHを泊まり歩くなんてある意味絶滅危惧種です。
でも時代なんですね。
年末の大掃除でとほを見つけて今はどうなってるんだろ?と検索してここに行き着きました。息が止まるほど懐かしいです。他の方のコメントも その時代の空気を含んでて泣きそうです。このサイト見つけてよかった。ありがとうございます
私は免許を持ってなかったので周遊券を利用したJRerでした。
宿で知り合った人と一緒にハイキングしたりバイクで露天風呂に連れてってもらったり、夕食後宿のオーナーが箱を叩きながら 1人4000円〜♬て歌いながら集めてはるのも思い出しました(笑) 楽しかったな。
ゆみち様
こんにちは。コメントありがとうございます。
お役に立てたようで良かったです。このように「このサイトを見つけて良かった!」というお言葉は本当に励みになります。
心より感謝いたします。
若き日の旅、単にホテルに泊まるだけでなく一風変わったものだったり、過酷だったりすると一生の宝物に残りますね。
弊サイトは多くの旅の思い出、その他「あの日あの時、あの物」がたくさんございます。
ぜひまた訪れて様々な「あの日」に浸って頂ければ幸いです。
ご訪問ありがとうございました。