夜行列車の人間模様
夜行列車は人生のステージの一場面
今や夜行列車、つまり夜汽車は「サンライズ」を除けば無くなってしまったと言える状況です。
ましてや昔のような寝台特急やオール座席の夜行急行なんて皆無になってしまいました。
もっとも「TRAIN SUITE 四季島」とか一部の超豪華列車、クルーズトレインはありますが、私にとっての夜汽車はこのような超豪華列車ではなく、帰省や出稼ぎの時に利用されるような庶民的な列車のことです。
庶民が利用する列車故に、これらの夜汽車には人間模様そのものがありました。
赤の他人と乗り合わせてもその人の普段の生活や生きてきた人生を垣間見る事が出来たのです。
そんな不思議な空間であった夜行列車を語ります。
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夜行列車はどうしても乗車時間が長くなります。
例えば私が北海道に渡る時に多く乗った上野~青森間の夜行急行(八甲田、津軽、十和田など)は列車によりますが所要時間は11~14時間もかかります。
今では東北新幹線・はやぶさが3時間ちょうど程で走破する距離を半日もかけて走るのです。
多くの列車は向かい合わせ、背中直角のボックスシートなので、これに4人向かい合って座り11時間以上も乗るというのは本当に体力勝負でした
これらの列車は1990年代前半くらいまで存在していました。
このような座席です↓
腰も痛くなるし、向かい合わせに座ればお互いの足を交互にしないと足がぶつかります。
また足の位置もずっと同じなのはつらいので時折位置を変えますが、見ず知らずの人と暗黙の了解で足の位置を変えるのです。
途中から特急列車のようにすべての座席が進行方向を向く座席になりましたが、それでも座席のピッチや幅が狭いのでボックスシートに比べても思ったほど楽になりません。
4人で座らず1~2人で利用出来るのであればボックスシートの方が足を延ばせたり、疑似的に寝転ぶことが出来てむしろ楽でした。
そしてこのような長時間乗車の列車内の人たちは以下のような人が多かったのです。
私の経験から行き先(路線)別で書いてみようと思います。
東北方面の夜行列車の人間模様
・季節にもよるが出稼ぎや帰省の人が多い
従って乗客は関東在住よりも東北在住者が多い。(と思う)
・若い旅行者はゴールデンウィーク、お盆、年末年始とか多客期にスポット的に利用する人ばかり
つまり長期連休が取れる時のみに集中する。
閑散期にももちろん若者はいるが数的には激減する。
・一年中年配者はビールやワンカップを買い込んで乗る人が圧倒的に多いと思う
まあ酒を飲む人ならば夜行列車では必ず「お供」ということになるだろう。
でも酔って暴れたりする人は一度も見なかったが、夜中までデカい声で仲間内で
しゃべる人もいて寝ることが出来なかったりはした。
これについては車掌に文句を言っている人もいたが、車掌もやはり注意しずらいらしく
かなりやんわりと言って、その後も大声でしゃべっている人がいても2度目以降は
あまり注意しなかった。
今度は車掌と酔っ払いのトラブルになってしまうからだろう。
でも当時ネットなど無かった時代だからこれで済んだんだろうが、今だったら
周りがSNSで「酔っ払いおやじの迷惑行為」とかで車中から生配信したりするのでは?
・いびき、歯ぎしり等が多い
他の路線の列車でも似たようなものだが、東北系統は乗車時間が長いせいか「いびきをかいて爆寝」という人が多かった。
人間の生理現象の一つだし私もいびきで迷惑をかけていたかもしれないので、あまり言えないがボックスシートで大いびきだとボックスで音が閉じ込められるのか分からないが特に大きく聞こえて夜中も眠れず辛かった。
・話しかけてくる人が(やや)多い(気がする)
長時間乗車前提だからなのか、東北の方は人懐っこい人が多いからなのか分からないが、よく話しかけれた。
それ自体は旅に一味添える調味料みたいで悪い事ではないが、夜行列車だとやはり寝たいわけだし、相手もお酒が入るとさらに饒舌になって深夜になっても話しが終わらなかったりする。
でも意外に大声で話しかけてくる人は少なかったと記憶する。
これは完全に私的な感想なのですが、東北の方は私の友人も含めて大きな声で喋らない方が多く感じます。
もちろん個人差は大きいでしょうが、なにか腰を据えてじっくり話す人が多い気がします。
大きな声で話す人は北海道の男性に多いです。これは北海道出身の妻も、北海道で生まれ育った友人も同じことを言います。
妻の親や親戚、友人のお父様も声が大きくて初めてお会いした時はびっくりしました。
土地柄なんでしょうが理由は分かりません。
・車掌さんの対応
やはり長距離ゆえという事なのか、寝ている乗客に迷惑が掛からない程度に巡回をよくしていると思いました。
私は「上野で自由席の列に3時間並んで乗る」という事をよくやっていましたので、自由席車は飛び乗って乗車後に急行券を買うという乗客も多かったのです。
それ故に車掌さんも発車直後はかなり忙しかったと思います。
上野発車直後の青森までの停車駅や車内設備案内、案内放送をしている間に赤羽や大宮など最初の停車駅はあっと言う間に近づきます。
その合間を縫っての車内改札、急行券の発行などてんてこ舞いの忙しさだった事でしょう。
記憶に焼き付いているのは急行券や乗車券などの車内販売時のおつりはポケットにどさっと小銭を入れていたことでした。
お札はさすがにしわくちゃになるのでポケットには入れていなかったでしょうが、ポケットに手を突っ込んでジャラジャラ音を立てながら小銭を取り出しているのは何か親しみさえ感じましたね。
その他には空調の温度調節なども車掌さんの仕事でした。
適温に設定して自動運転というわけでもなかったようです。長距離走行、深夜、そして乗客からの暑い/寒いのクレームなどを聞きながら1両に数か所ある空調装置の温度設定などを細かく操作していました。
深夜一息ついても仮眠をとることも出来ませんし、常に車内、車体の状況を把握しなくてはなりません。
長距離夜行列車の車掌業務は本当に大変な仕事だったと思います。
深夜のホーム。
駅に乗客はいなくても列車内では車掌さんはてんてこ舞いの忙しさ
東海道方面の夜行列車の人間模様
東海道方面、そして夜行列車全盛時代となると「大垣夜行347M 」を取り上げることになります。
347Mとは列車番号の事であり列車名ではありません。ですから一般的には通じない言い方となります。
こちらの記事でも347M の詳細は書いていますので是非ご覧ください。
簡単に言うと東京と岐阜県の大垣を結んでいた夜行普通列車です。
普通列車と言っても静岡県内の一部区間は深夜の小駅は通過なので部分的に快速列車となります。
347M が走っていた1970~1980年代は東海道本線にも多くの夜行列車が走っていました。
主なものとして九州方面への寝台特急=ブルートレイン、大阪行きの急行銀河などです。
しかしすべて寝台を前提とした本格的夜行特急列車ばかりだったのです。
その中で347M は異端児という存在でした。
これはボックスシート、2ドアの中長距離用車両を使い、寝台車は連結されておらず全席座席なのです。
この編成で東京~大垣を約7時間半~8時間程度かけて走るのです。
名古屋には明け方6時頃到着で10数分程度停車していた記憶があります。
多くの乗客は名古屋で降りて、他方面/他社線へ乗り換えて行きます。
しかし大垣まで乗車し、そのあと普通列車を乗り継げば10時前後には大阪まで行けてしまうのです。
そして肝心の人間模様とは・・・
・シーズン中を中心に若者の利用が意外に多い
旅費と日中の移動時間を削減するためには背中直角シートの夜行列車でも平気!という若者にはウケた列車でした。
私もその一人でしたが先述したように名古屋からの乗り継ぎ、大垣から先も大阪や西日本だってその日のうちに普通列車だけで着いてしまえるのです。
こんな利便性の高い列車はそうそうないと思います。
今は無くなってしまいましたが、多分今定期列車で走らせても利用客のばらつきが多すぎて商売にならないでしょうね。
・酔っ払いが多い
23時前後に東京を出発しますので、仕事後のほろ酔いどころか「ドカ酔い」で乗って来るサラリーマンも週末中心に多いのです。
学生など若者が旅行に利用するのも金曜とかの週末になるので、どうしても「ドカ酔い」の酔っ払いと鉢合わせになります。
長距離走るとは言え普通列車なので、東京・新橋・品川・川崎・横浜・・・と停車して行くので当然横浜付近までは大量の酔っ払いが乗って来ます。
↓こんな格好は見たことないが、一歩手前状態はいた。
しかしこれらの酔っ払いは立ち客が殆どでした。理由はこの列車で旅に出ようという人は東京駅で2~3時間も並んで席を確保しているからです。普通列車なので当然指定席なんてありません。
酔っ払い客は若い旅人、特に女性に声をかける人も多く、そういう意味で言えば女性には乗ることをオススメ出来ない列車でもありました。
また遠方にマイホームを買った人も多かったようで、酔っ払って1時間以上立ちっぱなしはきつかったらしく、デッキ部などに座り込んだり、通路の壁にもたれかかって爆睡している人もいました。
当然多くの人は乗り過ごしをし、「この人何処まで行くんだろう」と思う人もたくさん見ました。
その人が本来何処で降りるのかなんて誰も知らないので放っておくしかないのです。
だから仮に新橋から乗って大船か平塚あたりで降車する予定が目が覚めたら名古屋だった、なんてこともあり得るのです。
多くの酔っ払いと一部の素面のサラリーマンの殆どは小田原までには姿を消します。
しかし熱海になっても起きないなぁ~という人もいました。
自己責任がすべてという恐ろしい列車でもあったのです。
・酔っ払い以外の客層は良かった(と思う)
私が乗ったのはいつも週末でしたので、週の真ん中とかは分からないのですが、先述の酔っ払い以外の客層は良かったと思います。
週末は若い人が旅行で利用するというパターンが多いので、深夜に大声で話したり迷惑行為をする人も殆ど見かけませんした。
皆おとなしく座ってひたすら明朝の目的地に向けて目を瞑るのでした。
ただ名古屋まではほぼ満席で、4人掛けのボックスシートに明け方6時過ぎまで耐えなくてはいけませんでした。
中央線方面の夜行列車の人間模様
ここでいう中央線とは新宿から八王子~甲府~松本方面を言います。
私は夏を中心に中央線の夜行列車もよく利用しました。
急行アルプスの夜行列車ですね。
この列車は先述した東海道の347Mにかなり似ていました。
急行列車なので停車駅も絞られますし、急行券も買わないと乗れません。
しかしやはり週末は酔っ払いが多いのです。
一大歓楽街・歌舞伎町を抱える新宿が起点ですから当然といえば当然です。
発車時刻は忘れてしまいましたが、「ドカ酔い」してからでも十分に乗れる時刻でした。
自由席だとやはり若い旅人(女性)に絡んでくる酔っ払いもいました。
そして大声で喚く酔っ払いも。東海道の347Mより酔っ払いの客層は悪かった気がします。
やはり東京駅界隈や新橋界隈よりも歌舞伎町が控えている新宿の方がランクが落ちるのかもしれません。
彼らの多くは八王子で下車しますが、中には大月まで行く人もいました。
乗り過ごしというよりも大月付近に一軒家を買ったとかの人なのでしょう。
私の知り合いにも大月の少し手前に家を買って会社まで2時間強の通勤をしていた人もいました。
でも見た感じ347Mのように「いったいどこまで行くんだろう?」という酔っ払いは少なかったかもしれません。
距離的には347Mの方が遠くまで行きますが、夏の週末などは登山客など大荷物の人が多くて、デッキや座席脇などに大きなリュックを置いていたりして、酔っ払いも自分がもたれかかって寝る場所があまりなかったからではないか?と推察します。
でも今回の記事で取り上げた列車の中では一番平和な列車だったかな?と思ったりします。
今これらの列車があったらまた乗るか?と言われたらもう乗りません。
というか年齢的に体力が追い付かないですね。せいぜい駅や沿線で「撮り鉄」をするくらいでしょう。
でも自分の青春の一ページを思い出すと必ずこれらの夜行列車が脳裏を過ります。
そしてジジイになったせいなのか各列車内の人間模様がそれぞれの人生そのもの、なんて大きく想像してしまうのです。
乗ることはない、出来ないにしてもあの頃の夢に浸れるだけで幸せなジジイでした。
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