八重洲無線とケンウッドの事業所 (東京都大田区)

私は以前アマチュア無線をやっていました。八重洲のリグを使っていたので、修理などで八重洲無線東京工場のサービスセンターに行ったことがあります。そして同じ大田区内に無線機では八重洲のライバルでもあるケンウッド(現JVCケンウッド)の東京事業所があったので見に行った事がありました。

柿木図書館 (東京都杉並区)

東京都杉並区の柿木(かきのき)図書館は2016年1月現在でも健在の施設です。取り上げる理由は私が生まれて初めて使った図書館だったからです。

帯広ユースホステルとその後 (北海道帯広市)

北海道・帯広駅近くに【帯広ユースホステル】がありました。ビジネスホテル風の建物でしたが駅から近く、ラウンジでゆっくり出来たり居心地が良かったので数え切れないほど行きました。でも建物が取り壊されるのは時間の問題かもしれません・・・。

大沼景雲荘ユースホステル (北海道・大沼公園)

北海道の道南・大沼公園に【大沼景雲荘ユースホステル】がありました。北海道に入って最初に泊まる大好きなユースホステルでした。

横浜・日吉の赤門坂にあった中華料理屋の六番

横浜市港北区の日吉は実は私が10年ほど住んでいた町でした。駅から普通部通りを抜けた赤門坂(あかもんさか)の途中に中華料理屋・六番がありました。でも短命に終わってしまいました。美味しかったんですけれど・・・。

1970年代には「指で押して穴開ける缶ジュース」があった!

缶ジュースと言えばプルタブを引っ張って開けるか、ねじ式のキャップを開けて飲みますよね。でも1970年代には指で穴を開けて飲む缶ジュースがあったんですよ!

昔の缶ジュースは関東より関西の方が大きかった!

1970年代の缶ジュースの大きさは関西が350mlが主流、関東が250mlが主流でした。

西武新宿線・井荻駅近くにあった駄菓子屋(1965年頃)

1965年(昭和40年)頃の情報です。西武新宿線の井荻駅近くに駄菓子屋がありました。このお店の前の通りを真っ直ぐ南下すると「柿ノ木図書館」があります。この駄菓子屋はいつも父がちょっとしたおもちゃを連日のように買って来てくれた思いで深いお店でした。

1970年頃の練馬区南/東大泉(ニコニコストアーなど)

1970年(昭和45年)頃に練馬区南大泉に住んでいました。買い物はニコニコストアーでした。この付近は当時の面影がかなり残っています。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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