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1970年頃の練馬区南/東大泉(ニコニコストアーなど)

練馬区東大泉7丁目(現住所)のニコニコストアーを知っているか!

私は1970年頃(昭和45年)に東京都練馬区南大泉と東大泉(何れも現住所表記)の境付近に住んでいました。

ちょうど大阪万国博覧会があった年です。

10数年前に自分の足で尋ねた時、そして最新の情報をストリートビューで見た時も、1970年当時と全体の面影は変わっておらず、ある意味時が止まった街に思えました。

この記事に出てくる街とお店は以下となります。
(クリックで拡大します。ブラウザの「戻る」ボタンで記事にお戻り下さい。)

1970_Nerima

 

普段の買い物は「ニコニコストアー」でした。
(友人は「ニコニコ」と言っていた。)

ここは今の住所で言うと「練馬区東大泉7丁目」で、今は跡地にマンション「センチュリー東大泉」が建っています。

ニコニコストアーのあった場所の地図

このスーパーは昔ながらの個人商店が一つの建物に寄り添って入っているようなお店で、幼少の私が行く店は一つだけ。

 

つまりお菓子屋さん。

通りに面しお店に向かって一番右側(東側)がお菓子屋さんのスペースです。

そしていつも買っていたのがアイスでした。ここのお店のアイスは普通のカップや棒のものの他にコーンに好きなアイスを乗せてくれるという「今風」のアイスも売っていました。

丸い金属のはさみの様なものでアイスをすくって乗せてくれるのですが、これは今と同じですね。

 

持ち帰りも出来たんですが、アイスに何か保護のケースを被せたかどうかは覚えていませんが、とにかくアイスを紙袋に入れてくれるんです。

そしていつもお店にいるのは当時恐らく20歳くらいのかなりふっくらしたお姉さんで、アイスを入れる紙袋を息を入れて膨らませるように開くんです。
それが子供心に「ちょっとイヤだな・・・。つばが入らないかな?」とドキドキしていました。
でも当時近所で好きなアイスをコーンに乗せてくれるお店は無かったので「その行為」には目を瞑って無視しました。

【その他の周辺情報】:上記地図を参照して下さい。

・テイクアウトの焼き鳥/たこ焼き屋さん

とても小さな間口でテイクアウト専門のお店でした。

お店はいつも店員さんは一人だけ。当時で50歳くらいのすらっと背が高くとても細い女性でした。
(もしもっとお若い方でしたらお許し下さい。)

 

その方は目が細く、確か顎もちょっと尖っていてショートヘアーで軽いパーマが掛かっていたと記憶しています。

 

とても穏やかで上品な女性でした。子供の私が一人で行ってもいつもやさしかったです。

確か焼き鳥を買うほうが多かったと思います。たこ焼きも大好きですが焼き鳥を少ない本数で買うほうが安かったからです。

・バナナ工場(現、大泉旭出学園の敷地)

皆さんは「バナナ工場」ってあるの知っていますか?

工場で次から次へとバナナを作るわけではありませんよ。


 輸入した青いバナナを蒸したりして黄色くさせる工場です。こうすると甘みも出ると聞いたことがあります。
工場内に入ったことはありませんが、入り口に重厚な縦型の木の看板で「○○バナナ工場」と書いてあったのを覚えています。

この「○○」は隠しているんではなくて本当にこの部分は覚えていないんですよ。

ちょっと離れた場所に住む友人に「近所にバナナ工場がある」と言ったら信じてもらえませんでした。

 

「ばーか! バナナは工場で作るんじゃなくてジャングルから採って来るんだよ!」とごもっともなご指摘でした。

・現、メリー美容室の敷地にあった桑の木

今メリー美容室が建っている三角形の土地の頂点部分は当時は家が数件くらい建つ広さの空き地でした。

その端っこに大きな桑の木があったんです。

なぜこの木のことを書くかというと、学校で蚕の幼虫を飼っていて糸や繭玉の観察の授業があったんです。

 そして先生が「蚕の幼虫を家で育てたい人は持って帰ってよい」というので私は数匹の幼虫をもらったんです。

今思えばカブトムシの幼虫よりもでかい蚕の幼虫なんて気持ちの悪いものをよく貰ったものだと思います。

でも一番の問題は蚕の幼虫は桑の葉しか食べないんですよ。

今は代替の餌があるのかもしれませんが。

しかし友人などから上記の場所に立派な桑の木があると教えてもらい事なきことを得ました。

この桑の木は当然誰かの個人所有であるわけですから、勝手に葉を毟り取るなんて犯罪なんですが当時はのんびりとした時代だったんですね。

おかげで我が家の蚕たちは立派な繭を作り成虫になりました。

でも悲しいことに成虫になった彼ら/彼女たちは口で食事が出来ないので1~2週間ほどで全て天に召されてしまいました・・・。

 

・その他

地図やストリートビューで見ると、ニコニコストア近くの「ながみね医院」「たつの湯」、更に東側の「西武バス車庫」なども45年の時を越えてもまだ健在で、特に「たつの湯」は昔のままの建物でびっくりしました。

家の風呂釜が不調だったり、「たまには大きなお風呂に」と行った事が懐かしいです。

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管理人について

管理人

こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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