Sponsored Link

横浜・日吉の赤門坂にあった中華料理屋の六番

私のテリトリーの横浜・日吉にあった中華料理屋の六番

横浜の日吉は私が青春を過ごした街です。

日吉駅から普通部通り(慶応普通部があるのでこの名称)を通り赤門坂(あかもんざか)を下る途中に中華料理屋・六番がありました。

 

正確な時期は忘れましたが1980年代前半のことです。

場所の概要は以下です。
(クリックで拡大します。ブラウザの「戻る」ボタンで記事にお戻り下さい。)

Hiyoshi_6ban

ご存知の方は判ると思いますが、赤門坂はカーブがやや多めできつい勾配もある坂ですね。

この途中に六番がありました。

はっきりした場所は覚えていませんが、坂を下る方向の左手にありました。

今は崖を切り崩してマンションなどが立ち並んでいます。

このお店に寄るのはいつも飲んだ帰り道でした。だから昼間は判りません。

もしかしたら夕方以降しかやらないお店だったかもしれません。

当時私が飲む場所は8割が渋谷、2割が自由が丘で日吉駅付近で飲む事は年に2~3度でした。

酔っ払って坂を下りながら「中華」とか「ラーメン」とか書いてあるとついつい寄りたくなるのが酔っ払いの悲しい性・・・。

 

頼むメニューは大体決まっていて、ラーメンかチャーハンでした。

何れもシンプルな何処でも有り気な味だったんですが、とても好みの味で美味しかったです。

お店のマスターはかなり体格の良い40歳代くらいの黒縁のメガネをかけて、坊主頭に近い刈上げた清潔感のある方でした。

 

話したことはありませんが、無口でもくもくと料理を作っていたのを思い出します。

中華料理・六番のヒミツ・・・

敢えて思い出すことも無いような普通のラーメン屋という感じですが、印象的なのは店内の壁に貼ってある数箇所のメニューに並んで、

【ビールやお酒は一人3本までです】

と大き目の字で書いてあるのです。

 

想像ですが、店主は酔っ払いとトラブルがあったりしたのかもしれません。

飲食店であれば多少はそういうこともあるとは思うのですが、敢えて店内何箇所にも書いてあるということは店主が過去に相当嫌な思いをしたのかもしれません。

気持ちはわかりますが、客としてはこういう表示はあまり印象がよくありませんね。

でも飲んで帰る時についつい寄りたくなる店だったので無くなったのは残念です。

確か2年前後でつぶれてしまったと思います。


以下に参考として2011年10月現在の赤門坂の写真を載せておきます。

少々古い写真で恐縮ですが、日吉を離れてなかなか行けない人には懐かしく思って頂けるのでは?と思いました。

(各写真はクリックで拡大します。ブラウザの「戻る」ボタンで記事にお戻り下さい。)

P1010243_R

Akamon-top_back_R

Akamon_top_R

Akamon-down_R

Akamon-Konzouji_R

スポンサーリンク


6 Responses to “横浜・日吉の赤門坂にあった中華料理屋の六番”

  1. しん より:

    懐かしいですね。私も中華六番で何度か食事しました。

    ここの麻婆豆腐は水溶き片栗粉をあまり入れないのか、サラサラした麻婆豆腐で、しかもお皿になみなみと入っていたのが強い印象として残っています。そんな麻婆豆腐、また食べてみたいと思うのですが、ここのご主人、どこかでまた店をやってないですかねえ。

    • kaikoshumi より:

      しん様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      六番に行かれたのですね!

      あまりにもマイナーすぎるお店&本記事なので誰も見てくれないかな・・・と思っていましたが思いでを共有できる方がいらっしゃったのはとても嬉しいと思います。

      本サイトには他にも南日吉関連の記事もたくさんありますのでぜひご覧下さい。
      (タイトル直下の「メニュー」の記事一覧からお探し下さい。)

      ご訪問ありがとうございました。
      またお出でくださいませ。

  2. よう より:

    懐かしい記事ありがとうございます。
    私は1970~1980年代、日吉で子供時代を過ごしました。

    六番のマスターにはお子様がいらっしゃり、
    一緒に、アニメ映画に連れて行って頂いたことがあったのを
    記事を読んでいて思い出しました。

    本当に懐かしいですね。

    • kaikoshumi より:

      よう様
      こんにちは。ご訪問とコメントありがとうございます。

      よう様とは私が日吉在住時代と完全重なっています。
      どこかでふとすれ違ったりしていると思います。

      六番は本当にあっという間に消えてしまった感があります。

      それゆえに心に深く残っているのかな?と。

      本サイトには南日吉や日吉駅付近の話題もございますのでぜひご覧ください。

      ご訪問ありがとうございました。

      • よう より:

        ご回答ありがとうございます。
        記事にも書かれておりましたが、昔の日吉周辺の写真って
        なかなか出てきませんね。

        私は普通部通りの近くに住んでいたので、写真ないかな~と思って探すのですが、まぁ見つかりません。

        子供のときの記憶を少しだけ辿ってみますと、
        ・駅前にパン屋の看板があったこと
        ・駅前のトイレがやたら臭かったこと(これはたまらなかった!)
        ・駅前に目の見えないおじさんがいて、たまに募金活動をされていたこと
         (募金をすると、「ありがとうございます、ありがとうございます。」と深々とお辞儀をされる姿が印象的でした。)
        ・日吉台小学校の盆踊りでもらえる麦茶がおいしかったこと
         また、最後に三角形のコーヒー牛乳をもらえるのが楽しみだったこと
        ・八百屋、肉屋、雑貨屋(?)が並んでいたこと
        ・浜銀通りになかよしという駄菓子屋さんがあったこと
         (そういえば、日吉台小学校の隣にも駄菓子屋さんがあったような…)
        ・ハトヤというおもちゃ屋さんがあり、買ってはもらえないが
         良く見に行ったこと
        など、懐かしい思い出がよみがえります。

        私は電車を見るのが好きだったので、日比谷線の引き上げ線を見に行ったり、
        80階段(普通部通りの奥からからユニーに続く階段)を下って、
        箕輪保育園近くの踏切を見に行った記憶があります。
        まだ緑の電車が走っていました。

        過去の記憶を共有できる場所をご提供頂けるのは、大変
        ありがたい事です。
        何か思い出したら、また書き込みさせて頂きますね。

        • kaikoshumi より:

          よう様
          お返事ありがとうございます。
          私の知らない店、日吉をたくさんご存知のようですね。

          東横沿線の中でも著名さではトップクラスの日吉なのになぜ昔の写真がないの?といつも思います。
          駅が新しくなってからの駅周辺のものしか見れません。

          逆に言うと昔の駅の時代、昔の日吉の商店街はそれほど「昔すぎる」ということなのでしょうか?
          それが理由ならばちょっと悲しいです。

          駅前のトイレは本当に参るほど臭いし、そとから丸見えでイヤでした。
          でもイヤでも他にはないので使うしかありませんでしたね。
          ある意味この「臭いトイレ」は当時の日吉名物だったと思います。

          こちらこそ多くの情報、お話を頂き感謝しております。

          私は日吉在住期間はたった10年でしたが、青春真っ盛りの多感期でしたので他の場所での生活よりも強烈なものがあります。
          (幼少時代ではありませんが)

          日吉のあとは洋光台に引っ越しましたが、東横線は何かと使いますし、ふらっと日吉で降りて散策したりはしょっちゅうしました。

          現在は札幌にいるので滅多に行けませんが、年に1~2度東京に行ったついでに時間を作って一人で日吉を歩くこともあります。

          ところで、よう様は以下のサイトをご存知でしょうか?
          偶然見つけたのですが、日吉や綱島の情報を得られます。

          今はこのサイトのお世話にずいぶんなっています。

          横浜日吉新聞

          また当サイトにお越しくださいね。

コメントを残す

サブコンテンツ

管理人について

管理人

こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

スポンサーリンク

このページの先頭へ