特急あまぎ(東京発伊豆急下田行き)
多彩な列車が数多く走っていた1970年代の伊東線
東京から伊豆半島東岸に向かうリゾート列車として今は「特急 踊り子」がありますね。
豪華なスーパービュー踊り子も走っています。
現在は伊豆に向かう優等列車は上記の2本立てですが、1970年代までは特急と急行の2本立てでした。
急行があるからこそ特急がある、という本来の正常(?)なパターンだったのではと思います。
当時の特急は「あまぎ」: 157系電車
急行は「伊豆」: 153系電車
このほかにも臨時含めて急行列車の「湘南日光」、「常磐伊豆」、「おくいず」などが走っていました。
東北本線や常磐線から東海道線経由で伊東線に入るんですから、今の上野東京ラインの先駆けでもあります。
上記の中でも私にとって一番印象深いのは「特急 あまぎ」でした。
国鉄の中では異色とも言える「特急 あまぎ」
私は静岡県伊東市に親戚があります。
幼少の頃には親に連れられて東京駅から伊東駅までは大抵「特急 あまぎ」を使っていました。
帰りは時間の関係なのか「急行 伊豆」が多かったと思います。
私が利用していた「特急 あまぎ」は157系直流電車で、元は日光に向かう列車として使用され、その後は東京~大阪間の「臨時特急 ひびき」などにも利用された車両です。
またお召し列車としても使用されたことがありました。
残念ながら手元に写真はありませんが、国鉄特急の塗りわけながら、私鉄特急を思わせる前面とヘッドマークはとても大きな文字で【あまぎ】と書かれていたちょっと異色の特急電車でした。
どうみても当時の国鉄車両という感じはなく、私鉄の有料特急という感じでした。
でも車内設備は典型的な国鉄型でしたけどね。
なお157系の写真と動画は以下に発見したもののリンクを載せておきます。
他にも検索するとたくさん出てきます。リンク切れはご容赦下さい。
東京を出ると横浜・小田原・熱海さえも止らない硬派特急あまぎ
一番印象に残っているのは、
「東京を発車すると次の停車駅は伊東線の網代」
なんです。
横浜、小田原、熱海さえも止りませんでした。
子供心にびっくりでした。横浜のような大都市はもちろん新幹線が既に開通済みであった小田原や熱海も通過なんです。
でも1972年のダイヤ改正では横浜停車が追加されています。
でも「これぞ特急!」、「これぞ観光地直通特急!」という硬派ぶりは今に至るまで他の列車でもなかなか無いのではないでしょうか?
JRになってからも最初は速達性を生かしたダイヤの列車でも、翌年とかのダイヤ改正からどんどん停車駅が増えていき、当然所要時間も延びていくというパターンばかりなので、そうでない極限まで停車駅を絞った列車があっても良いと思うんですけどね。
まあ需要や経営の考えなどもあるのでなかなか難しいとは思いますけれど。
そして「あまぎ」に乗って品川を出るとどんどんスピードが上がり、最高営業速度は110km/hでしたが子供心に「なんて早いんだ!」と驚いたものです。
まあ当時は西武線沿線に住んでいて、急行などもカーブと踏切が物凄く多くてノロノロ運転ばかりだったので、「あまぎ」の早さは驚きでもありました。
なお「帰りは時間の関係からか急行伊豆の利用が多かった」と書きましたが、153系のボックスシートも当時の私には新鮮で楽しかったです。
そしていつも東京行きの「伊豆」が熱海に近づくと決まって同じアナウンスがありました。
「まもなく熱海です。三島方面と新幹線はお乗換えです。なお熱海で新幹線に乗り換えると東京にはこの列車よりも1時間早く着きます。」
と。
乗るたびに聞いた記憶があるので、多分営業戦略として車掌に言うように指導されていたんでしょうね。
私は熱海で新幹線に乗り換えたのは1度くらいしか記憶がありません。
特に急いでいたわけではなくて、単に親に「新幹線に乗りたい」とお願いをしたからだと思います。
デビュー当時の【あまぎ】のような速達性と私鉄特急っぽい列車が1本くらいあっても良いのでは?と思う今日この頃です。
スポンサーリンク
あまぎ号、懐かしいです。「特急列車に乗ってみたい!」という一心で、お年玉やお小遣いを貯めては、駅のみどりの窓口に行って切符を買う、ということをやり始めて間もない小学校2年生くらいの頃のこと、クラスメートの子が毎年夏休みに家族で蓮台寺に行っていて、あまぎ号を利用していたのをうらやましく思い、自分も乗ってみようと思い立ったんです。でも、夏休みって、どこも混んでいます。それで、みどりの窓口に行っても、全部満席と出てしまうんです。あまぎ号は不思議にも全車指定席で自由席はなかったのであきらめて、行きは東京10時発の急行「おくいず号」に乗ったんですが、どうしても特急列車の雰囲気を味わいたかったので、何食わぬ顔をしてグリーン車に座ったんです。(グリーン車でも自由席だったと思います)そうしたら、やっぱり途中で検札が来て、怒られるのではなく、「坊や、ここはグリーン車だから・・・・」って優しく言われて、あっちに行かされました。お昼過ぎに伊豆急下田に着いたものの、小学校低学年の自分は観光したいわけでもなく、ひたすら駅で待機。いろんな列車が東京に向けて出て行くのを見送りながら、あきらめきれずに、立席特急券なるものを買って、最後のチャンスだと、夜のあまぎ号に乗ったのです。伊豆急下田を出たところでは、まだ空席があちこちにあって、一緒にデッキで立っていたおばさんが声をかけてくれて、「人が来たら立てばいいんだから、好きなところに座りなさい」と言って、一緒に座ってくれたのを覚えています。外はもう暗くて何も見えませんでしたが、それが、あまぎ号に乗った最初で最後の体験でした。あの頃は、見知らぬ人も子供には優しかったです。
ちょっと話が飛んでしまいますが、そういう当時、東京駅のホームでブルートレインを一心に見ていたことがあります。夕方4時台から、次々とブルートレインが入線しては発車していくんです。小学校の2年生や3年生では、日帰りならまだしも、夜行のブルートレインで一人で旅行なんかするお金も貯まらないし、不安もあるしで、乗れません。だから、東京駅で窓越しに見るのが精いっぱいでした。
そうしたら、婦人警官の人がつかつかときて、「僕、なにしてるの?切符見せてごらん」と言います。ちゃんと東京駅までの切符は持っています。それを見せると、「これでまた帰っちゃうんでしょう!ちゃんと帰りの切符を買ってから来なさい」と、意地悪なことを言われました。
その通りにして、またホームに戻り、一心に車両を見ていると、今度はおじさんがやってきて、「坊や何してるの?」と聞かれました。今度は国鉄の職員さん、多分車掌さんか何か偉い人だったと思います。「電車見てるの」というと、親切にも、中に入って見せてあげようと言って、B寝台の車両も、A寝台の車両も中を案内してくれたんです。本当に感激でした。当時は国鉄のおじさんたちは、子供に優しかったです。
そういう思い出がいっぱいあります。
Yasunari Ishii様
こんにちは。コメントありがとうございます。
小学校低学年からかなり筋金入りの「鉄」だったんですね!
確かに当時「あまぎ」は新幹線を除けば子供心をひきつける魅力があったと思います。
それは文中でも書いていますが大きな字で大胆に「あまぎ」と書かれたヘッドマークだったのかもしれません。
もし私が子供の時に同時に「あまぎ」と「スーパービュー踊り子」が走っていたらきっと「あまぎ」に心ときめいていたと思います。
当時はおっしゃるように警官(私は話したことがありませんでしたが)、国鉄職員、その他社会の多くの人が子供に優しかったし、すぐに心配して声をかけてくれていた時代だったと思います。
それでいて子供が巻き込まれる犯罪は今に比べると格段に少なく、ある意味「正常な社会」でした。
そういう時代背景も懐かしいですね。
当サイトには他にも懐かしい列車や物、駅などさまざまなものがありますのでぜひまたお越しくださいね。