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急行天北(北海道・天北線を走っていました)

これぞ急行列車! 急行天北

北海道の最北端の稚内に向かう路線は今は宗谷本線だけですが、以前は途中の音威子府(おといねっぷ)から東に別れてオホーツク海側を通る天北線(てんぽくせん)という路線がありました。

全線非電化、単線、脆弱な路盤と線路、極端な人口希薄地帯を宗谷本線よりも遠回りで稚内に向かっていたのです。

(天北線の営業キロ数は何と148.9kmもありましたが、殆どの駅が無人駅でした)

同線は1989年5月に廃止されてしまいましたが、1日に1往復だけ札幌から稚内まで「急行天北」が走っていました。

札幌から稚内は約400km、東京から大垣くらいまである距離です。

宗谷本線にも急行宗谷などが走っていたのですが、所要時間などでも宗谷本線経由の方が早かったんですが、いつも私は時間のかかる「急行天北」を使っていました。

それは景色が宗谷本線とはまるで違ったからです。

車窓から見える自然の風景はもちろんですが、駅などもローカル線に過ぎない宗谷本線よりもさらに1段階ローカルっぽい感じが好きだったんです。

何度乗ったか数え切れません。

そして1989年5月1日、つまり廃止の日に私は札幌から稚内までこの最終の「急行天北」にも乗りました。

 

その様子は後述しますね。

急行天北は未知の世界に連れて行ってくれる・・・

この列車は車両もキハ56系列の気動車→14系客車→キハ400系列気動車と変わっていきました。

 

私はこの3世代全ての車両に乗ったことがあります。

それぞれの思い出を書いてみます。


●キハ56系列時代

初めて天北に乗ったときの車両ということもありますが、一番好きな車両でした。

古くて車内はお世辞にも綺麗とは言えないですが、国鉄の急行車両という感じが出ていて大好きでした。

 

エンジンは17L/180psという戦前設計の非力なDMH17ですが、1車両に2台積んでいたのでそれなりに加速力もあったと思います。

特に長い力行( 「りっこう」と読む加速、アクセルオンのこと)から一気に惰行運転になると、エンジンの回転は直ぐにアイドルに下がらないので、かなり長い時間をかけてアイドルに戻っていたのを覚えています。

(ヒュ~~~~ンという感じ)

 

この時は乗っている私も何か「思い切り解放された」みたいな爽快感がありました。

●14系客車時代

この車両になって快適性は数段アップしました。

国鉄の標準タイプのアコモデーションですが、とにかく車内が明るく清潔な印象になり、座席も向かい合わせのボックス型から進行方向を向いて座る簡易リクライニングシートにもなりました。

そして何よりもエンジン音が無くなった事で静寂性も相当アップしています。

しかしこの車両によってキハ56時代より後退したこともあるんです。

それは速度です。動力分散式の気動車から動力集中式の客車、しかも天北線の線路は非常に脆弱なのでDD51などの大型機関車が軸重が重すぎて入れず、DE15などの除雪や入替えなどをメインに使う小型の機関車を使うことになったからです。

乗っていても明らかにキハ56時代とは速度が違うのを体感できました。

とにかく遅かったです。

●キハ400時代

キハ40のエンジンを高出力化して変速機もキハ40の変速1段直結1段から直結2段のものに換装されて走行性能をアップしたものです。

車内もボックスシートではなくて、当時新幹線0系の払い下げのシートを使っていました。

でもこのシートが窓の位置と合わずに、席によっては窓がないという一部の飛行機みたいな悲惨な席を生み出してしまいました。

運転手からすると走行性能の違いがはっきりしていたのかもしれませんが、乗っていると「多少良い」くらいにしか感じませんでした。

あまりにも線路が脆弱なので高出力エンジンの恩恵を受けられなかったんでしょう。

また音威子府以南~札幌までは、塩狩峠などごく一部の峠を除けばほぼ平坦線なのでキハ56と大して変わらなかったのではと思います。

車内の快適性も14系客車に比べるとかなり落ちましたしね。




天北線廃止最期の日

既述しましたが私は1989年5月1日の天北線廃止日に札幌から稚内まで急行天北の最終列車(キハ400)に乗っています。

先頭車の前から2列目の進行方向右窓側でした

ビデオは撮ってありますが部屋の奥に眠っていますので、そのうちデジタル化して画像もアップしたいです。

札幌からは物凄い数の人がカメラを持って乗り込んできました。

しかも小中学生もたくさんいたんです。

デッキも通路もカメラ片手の人であふれています。でも殆どが次の停車駅の岩見沢で降りて行ったんです。

流石に終点まで立ちっぱなしでという人はいなかったと思います。

岩見沢を過ぎてからも座席はほぼ全て埋まっていましたが、終点稚内までいつもどおりの車内風景でした。

でも・・・稚内到着前の最後のアナウンスがグッと来ました。

車掌さんの

「・・・これで急行天北の運転は終わりとなります。ありがとうございました」。

車掌さんは淡々といつものように話していたと思いますが、言葉のところどころに詰まった感じがあってきっと車掌さんも思いがこみ上げていたんだと思います。

個人的には最終列車はキハ56で終わりにしたかったんですけどね。

 

以下に天北線廃止23年後の動画がありますのでご覧ください。

音威子府~飛行場前駅跡の区間で、残念ながら稚内方面は入っていませんが乗ったことのある人にとっては結構衝撃的な動画だと思います。

もし以下から見れない時はこちらからご覧ください。


当時の急行天北の写真は持っていても準備が出来ていないので関連の写真を以下に載せておきますね。
(クリックで拡大します。ブラウザの「戻る」ボタンで記事にお戻り下さい。)

 

稚内駅・旧駅舎(2008年)

P8272163_R

稚内駅(2008年)

P8272170_R

南稚内駅(2008年)

P8272177_R

南稚内駅・線路奥左方向に天北線は分岐していた。(2008年)

P8272176_R

音威子府の天北線資料館(1) (2012年)

DSC05982_R

音威子府の天北線資料館(2) (2012年)

 

DSC05984_R

音威子府の天北線資料館(3)(2012年)
この写真だけサイズをやや大きくしてあります。 

DSC05983_R

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8 Responses to “急行天北(北海道・天北線を走っていました)”

  1. はじめっち&ゆたか&つるみん より:

    「宗谷」が早朝・夜間を走る関係で、自分らも「天北」の利用が多かったでした。
    よく、敏音知に行ってましたが、山のぼったり、DE10「天北」のタブレット交換見たり、
    そのあとは「浜頓別YH」宿泊だったりしました。
    ・・・タブレットキャッチャーとかかっこよかったですはじめっち

    豊清水って駅があって、上下「天北」と交換があったりしたのっす。
    急行が何もない通過駅に停車するってば、なしてかぞくぞくするのっす。あほなのす。
    ・・・本名「水清豊(みずきゆたか)」っすゆたか

    はじめっちが言ってたんで、あたいはくわしいことはよくわかんないけど、
    特急「利尻」最終日の車内放送の車掌アナウンスは
    ちょーかみかみだったそうなのだ。
    録音テープ聞いてみると、鼻すする音らしきもんも聞こえてきたのだ。
    思いがこみ上げるのも当然かもなのだ。
    ・・・本名「上札鶴緑(かみふだつるみん)」なのだつるみん

    • kaikoshumi より:

      はじめっち&ゆたか&つるみん 様
      コメントありがとうございます。
      天北線にも色々な思い出がおありなんですね。

      ●浜頓別YH
      ここも道内の名物YHとして有名だったようで私も絶対に泊まりたいと思っていたのですが、天北線のダイヤがあまりにも不便なのでここのYHに泊まると様々なスケジュールに支障が出てしまい結局泊まらずじまいでした。残念でなりません。

      ●豊清水駅の列車交換は有名です。かなり前にNHKでこの駅の特集をやって見た記憶があります。

      ●利尻のアナウンス・・・
      そうですね、聞いている方も涙してしまうかもしれません。急行天北最終のアナウンスは車掌さんは涙しないように、わかりやすいように一言一言しっかりと意識して話されているというのが伝わる内容でした。

      乗務員からすると心中は涙で溢れていたと思います。

      ご訪問ありがとうございました。
      またお出でくださいませ。

  2. 急行石北 より:

    私は最後の急行天北すれ違い宗谷本線豊清水で2時間以上待ち写しました最後の天北名寄本線廃止の日急行天北満員近い乗客誰か札幌行きからホームに降りました当日最後のすれ違い写しに来たのは2人私は影響なく札幌から来た方は人が写ったと怒ってましたあれから32年懐かしいです。

    • kaikoshumi より:

      急行石北 様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      最終日に豊清水で降りて撮影されたのですか。

      その稚内行きの先頭車に私は乗っていたのです。

      行く先々の駅はどこも人が溢れていて、特に地元の方は本当に名残惜しそうでした。

      急行天北は長大路線を走る「偉大なるローカル急行」でした。
      でも急行の中の急行、と言えるべき素晴らしい列車だったと思います。(個人的にはキハ56運用限定で)

      急行が全廃となった今は将来もこのような列車に乗車することは出来ないでしょうね。
      残念ですが乗ることが出来ただけで幸せです。

      また当サイトにお越しくださいね。

  3. 広島出身です より:

    今日は何度も申し訳ございません。

    天北線は乗る事は出来ませんでした。
    YHで道北を回り始めたのは1994、5年になってからですが、当時島抜け後にお世話になった列車、急行サロベツ号は急行天北の後継と聞きました。(実際は1年ほどのブランクがあるそうですが)

    非常に思い入れがあるのがキハ400系です。

    私は以前を知らない事と、この時期にキハ56系がまだ増結として宗谷本線の急行列車として走っていた事からキハ400のファンになりました。

    確かに窓と柱が合わない部分がありましたが、何回も利用している要領がわかり、稚内駅でも荷物を載せるポイントが判りました。

  4. kaikoshumi より:

    広島出身です様
    コメントありがとうございます。
    天北線はまさにローカル線の中のローカル線でしたね。
    140㎞を超える長大距離、沿線のほぼ全ては絶望的ともいえる過疎の町ばかり、荒涼とした原野ばかりを走り抜ける。

    それでいて日に1本でも札幌発着の急行が運転されていたのですから驚きでした。

    確か大昔は宗谷本線よりも天北線の方が稚内アクセスのメインルートだったはずです。

    キハ400は座席と窓の不一致以外は嫌いなところが特にない車両でした。

    しかしあまりにも短命で終わってしまった改造車という運命が残念でなりませんでした。

    当時長距離急行に使える気動車はキハ56くらいしかありませんでしたので、キハ40のパワーアップ、車内改装くらいしかなかったのでしょう。

    また当時道東、道南などを中心に普通列車用として開発されたキハ22の急行が(しかも単行だったりとか)あちこち走っていました。

    当然後から出たキハ40の方が新しくて車内も快適ですが、当時のキハ40は車重に対してエンジンがあまりにも非力(220馬力)なので、ずっと古いキハ22の方が走行性能が良かったんですね。

    だからキハ40(220馬力車)の急行運用は一部の平坦路線しか使われなかったのです。

    その後キハ40のエンジンを換装してパワーアップした車両(キハ400含む)が出始めたころには急行が全廃となり特急だけになってしまったのは皮肉でした。

    もう一度天北線に乗れたらどれほど幸せなことか、と今でもしみじみと思います。
    まさに異次元の路線でした。

    なお当サイトには何度でもお越しくださいね。
    コメントをたくさん頂くのは私の励みになります。

    今後とも本サイトをよろしくお願いいたします。

  5. ブル-ライン より:

    初めまして。私、急行天北稚内行最終運転日の1番前の右側のシートに全区間座っていました。実はテツであるながら、この日が最終日だとは自覚せずに切符を買い求め(記憶が誤っていなければ指定席のはずですが)、だんだん人が増えてきて「何かおかしい」と気づいた次第です。同じ区画に座っていた同行者は、鉄道への興味・知識はまったくなく、稚内に近づくに連れだんだん異様さを増す周囲の雰囲気に圧倒されていました。

    • kaikoshumi より:

      ブル-ライン様
      こんにちは。コメントありがとうございます。先頭車両の最前列右側ですよね?
      であれば私の一つ前の席になりますね!
      おどろきです!こんなことがあってこのブログで再会できるとは!

      でも最終日とはお気づきになられなかったと・・・

      私は廃止前の最終列車に乗ったのはこれが初めてでした。
      すごく感無量で、しかも何度も乗った列車なので胸にこみ上げるものを今でも覚えています。

      本当にローカル線の中のローカル線、そして急行らしい列車でしたね。

      もうああいう列車には乗れないんですよね。寂しいです。

      また当サイトにお越しくださいね。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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