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急行・八甲田の思い出

東北本線の名列車・急行八甲田

かつて東北本線を「急行八甲田」という列車が走っていました。

私は北海道に行くときはいつも八甲田に乗りました。

理由は1982年までは北海道ワイド周遊券では特急が乗れなかったことと、単にこの列車が好きだったということでもあります。

上野を19時過ぎに発車して青森着は明朝の6時過ぎでした。

つまり11時間もかけて青森を目指すのです。現在の「東北新幹線はやぶさ」でしたらちょうど3時間ほどですので約4倍もの時間をかけていたわけです。

しかも八甲田は寝台はなくて全て座席です。

(もしかしたら一時期でも寝台が併結された時期もあったかもしれません)

 

旧型客車を使っていたときは向かい合わせのボックスシート、後に14系のような新系列の客車ではボックスではない簡易リクライニングシートになりましたが、乗車時間を考えると14系でもシートピッチは狭く苦痛と感じたこともありましたね。

他にもたくさんの特急や、急行が走っていましたが八甲田北海道連絡用として重要な列車でした。

青森に朝6時過ぎに着くということは接続する青函連絡船は7時過ぎ(1970年~1980年頃のダイヤ)、函館到着は11時過ぎとなり、函館観光はもちろん札幌方面への列車の接続も非常に便が良いのです。

そのまま函館発の特急に乗り継げば札幌には夕方の4~5時前後に着くので1日を有効に使えます。

【2021年4月13日追記】
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急行・八甲田の客層

八甲田は指定席も付いていましたが基本は自由席です。

夏や年末の時期にはいつも私は上野駅で3時間以上並んで自由席を確保していました。

理由は特に無いです。単に「若さゆえ」のパワーがあったからだと思います。

客層ですが夏はやはり若い旅人ばかりで、多くは北海道を目指していたと思います。

だっていつも八甲田車内で見かけた人が青函連絡船、そして函館からの札幌行きの急行や特急でも見かけましたからね。

東北を最終目的地にする人は昼間の特急を使っていたと思います。

年末の八甲田は首都圏に働きに来ていた人が東北の実家に帰るという感じの人ばかりでした。

若者の乗客の過半数は北海道に遊びに行く人が多かったと思います。

高速列車! 急行・八甲田

八甲田は毎回車掌が違っても上野発車直後には以下のアナウンスが流れていました。

「この列車は高速で運転します。網棚の荷物が落ちないようにお気をつけ下さい。」

高速、といっても最高速度は95km/hなのですが、乗ってみると納得します。

旧型/新型客車に関わらずカーブもかなりの速度で進入していきます。

だからです。直線だったら100km/h以上出したって網棚の荷物を気にするほどは揺れませんからね。

確かに急行八甲田「高速運転」だったといえると思います。

重心の高い旧型客車でもかなりの速度で走っていましたが、旧型だと揺れはかなり酷く、「恐い」と感じたことすらありました。

急行・八甲田の車内はカオス!

車内はいつ乗っても雑多な感じで肘掛や窓側に頭をもたれて寝ている人、酒を飲んでいる人、夜汽車の窓に映る自分の顔をずーっと見ている人、トランプなどを楽しむ若者のグループなどでまさに「カオス」という感じでした。

郡山か福島発車あたりから車内アナウンスで、「これからの時間は深夜帯に入りますので車内の電気を暗くします。貴重品にはご注意下さい。」と流れて車内の照明が減光されます。

「カオス」的時間は仙台到着の少し前くらいまで続きます。仙台到着は0時半くらいだったと思います。

でも特に夏は仙台からかなりの乗客が乗ってくることがあり、「こんな夜中なのに!」と驚くことも多かったです。

仙台を発車してからは流石に殆どの人は寝てしまい、若者のグループでも起きている人は極端に少なくなります。

そして深夜の東北本線を北に向かってひたすら走り、八戸を過ぎたくらい(5時前後)から起きる人が増え始め、浅虫(現、浅虫温泉駅)では全員が下車の準備完了という感じで陸奥湾を眺めて青森到着を待ちました。

そして青森に着くと、連絡船に乗る人は駆け足でホーム先端方向に向かいました。

連絡船に乗る人(私も含め)はとにかく列車を降りると乗り場のほうに走るので、夜行列車で本州最北の街にたどり着いた、なんていう旅の余韻を楽しむ人は少なかったです。

連絡船乗り場に走るのは、出航までに時間があっても良い席(カーペット席含め)を確保したいからです。

繁忙期は少しでも後になると、カーペットの端のぎゅうぎゅう詰めの場所に追いやられてしまったりします。

お盆の時期は最悪の場合甲板しか身を置く場所が無いこともあるんです。

また乗船前には1人一枚の「乗船名簿」を書かなくてはなりませんのでこの時間も考慮していたんです。

急行・八甲田MOTOトレイン

JRになってからだと思いますが、八甲田の最後部にMOTOトレインというバイクを運ぶ車両が付いていた時期がありました。

これにはライダー用の寝台車も含まれています。

八甲田は青森止りですが、MOTOトレインは津軽海峡線を通って函館まで直通します。

「快速・海峡」に併結されるのです。

ですから乗ったまま津軽海峡を越えられるという大きなメリットがあるのでライダーたちには大好評だったようです。

でも1990年代の前半~半ばにはなくなってしまいました。

 

以上、急行八甲田の思い出でした。

恐縮ながら当記事では載せられる写真がありません。

でも乗ったことのある人ならば共感していただけたのではないかと思います。

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28 Responses to “急行・八甲田の思い出”

  1. Morris_1979 より:

    はじめまして。高校2年の夏休みに一度だけ、北海道ワイド周遊券を利用した旅行の往路で八甲田号(旧客)に乗車しました。期待と興奮であっという間に11時間が過ぎてしまいました。ノンダクレー様は何回も乗車経験がおありで、羨ましい限りです。
    拙い出来ですが当時の録音と写真をYoutubeにアップしましたので、お時間あればご笑覧ください。

    • kaikoshumi より:

      Morris_1979 さま

      こんにちは。コメントありがとうございます。動画早速拝見しました。素晴らしい!の一言です。昨日のように記憶がよみがえってきました。上野駅の雰囲気最高でしたね。
      私も多分探せば押入れの奥に写真はあると思います。
      なお私も鉄道YouTubeやっております。よろしければ・・・

      https://www.youtube.com/user/TKTK43

      あとそちら様のYouTubeチャンネルを登録させていただきました。
      「懐古趣味で何が悪い!」ともどもYouTubeもごひいきに!

  2. Morris_1979 より:

    ノンダクレーさま、チャンネル登録していただき、ありがとうございます。貴チャンネルも登録させていただきました。
    私が乗車したのは盆休み前で八甲田号の車内はほぼ満席でしたが、カオス状態までは行ってなかった気がします。私の動画で、あの頃の上野駅を思い出していただければ嬉しい限りです。各ホームのアナウンスやターレットの走り回る音、寝台車とグリーン車からはディーゼル発電機の音が聞こえ、人々のざわめきと混じり合って非日常的な空間と化していた。あの空間が恋しくなり、夜の上野駅地上ホームをカメラ片手に徘徊しに行ったことが何度もありました。

    • kaikoshumi より:

      Morris_1979さま  登録とコメントありがとうございます。
      上野駅のターレット、懐かしいですね。今はさすがにもうないんでしょうか?
      あの時代の上野駅ほど昭和を感じさせる駅は無いと思います。

      そして「八甲田」も。
      私の生活の拠点は東京・横浜から札幌になりましたがYouTubeともどもよろしくお願い申し上げます。

  3. ななしの函館 より:

    懐かしい話ありがとう。
    自分も平成に入ったばかりの頃、盆と暮れにはお世話になりました。
    当時は函館ー都区内の乗車賃が約1万、青森ー上野の急行券が500円で航空券の1/3でしたから。しかも真冬の飛行機は当てにならない事も多かったし。

    • kaikoshumi より:

      ななしの函館 さま

      ご訪問とコメントありがとうございます。
      やはりこの列車は多くの方が使って数々の思い出を作っていらっしゃっていますね。

      本当に八甲田は「夜行らしい」、「急行らしい」名列車でした。
      真冬にも何度も乗りましたが雪による遅延は無かったと記憶しています。

      この度はありがとうございました。
      またお越しくださいませ。

  4. ねこの山 より:

    急行八甲田…青春の思い出です。
    中学校時代に青森・十和田ミニ周遊券を使って一人で旅した時に乗車して以来、廃止になるまで格安の移動手段として利用していました。私が乗った時には14系になっていましたが、混雑時には背中合わせになった椅子の下にできた空間に新聞紙を敷いてそこに横になって寝ていることもありました。いろいろな人が乗り合わせ、雑然とした雰囲気がまた夜汽車らしい列車でした。もうあのような列車は走らないのだろうと思うと、とても残念な気持ちでいっぱいです。

    • kaikoshumi より:

      ねこの山様

      こんにちは。コメントありがとうございます。
      確かに八甲田は夜行急行の王者だと思います。

      >・・椅子の下にできた空間に新聞紙を敷いてそこに横になって
      >寝ている・・

      →そうそう、こういう人もたくさんいましたね。
      上野で八甲田を外から見ると「席は埋まっているけれどそれほど混雑ではないのかな?」と思って乗車すると椅子の下、通路、デッキなど物凄い人が窓から見えない場所に溢れていました。

      まるで戦後の混乱期の列車みたいでした。
      とても重宝したし、思い出をたくさんくれた列車でしたね。

      この度のご訪問ありがとうございました。
      またお出で下さいませ。

  5. おっさん より:

    幼少期に両親の故郷北海道の帰省は八甲田、連絡船、急行宗谷がお決まりのパターンでした。目的地の倶知安に着く頃は疲労困憊でしたが60近くなっても鮮明に記憶に残っています。現在は効率性、利便性、ばかりを追及され鉄道の長距離移動は新幹線を使わなくてはならなくなり単なる移動手段になってしまい風情は消えて無くなりました。時間が掛かっても最低限の運賃で移動時間に様々な体験が出来た良き時代が懐かしく映像でしか振り返れませんが懐かしく見させて頂きました。庶民には縁遠い豪華列車等に活路を考える庶民の大切な足である鉄道には邪道な事を思い直して欲しいのです。

    • kaikoshumi より:

      おっさん 様

      コメントありがとうございます。
      (先日お問い合わせのメールでも頂いた方でいらっしゃいますよね?)

      日常の鉄路、帰省への鉄路として残ってほしい路線や列車はたくさんありますが、今は望むこと自体が間違っているのでしょうか?と言いたくなる時代ですね。

      豪華列車の存在は否定しませんが、庶民はどうしたら良いのか?としみじみと思うことが多々あります。

      せめて身近な各駅停車は無くしてほしくないな、と。

      またおいでくださいね。

  6. より:

    2019年夏
    『イベント列車として7月27、28日に秋田-青森間に臨時急行「津軽」を計4本運行し、うち1本は夜行列車。』とのこと。「八甲田」を、思い出し検索、こちらの文章を読ませていただきました。感情が溢れて来て、浸っています。あの時期がどうであったかと言う事は無く、ただ押し寄せてくるイメージとか、更に遡って幼少期に見た東北本線旧駅舎、駅の匂い、汽車の音。文章から、色々と膨らんできました。ありがとうございました!

    • kaikoshumi より:

      い様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      今夏に津軽が臨時で復活ですか!びっくりです。
      「1本は夜行」って秋田~青森なのかな?近すぎますね。
      それとも上野発?

      八甲田は本当にカオス、そして急行らしい列車の真打でした。

      私も関連した数々の思い出が蘇ってきます。
      また八甲田で旅に出たいな、と思うのです。

      このたびのご訪問ありがとうございました。
      またお越しくださいね。

  7. 異邦人 より:

    鉄道オタクではないてすが、東北人にとってこの列車は廃止された今もってなお、望郷のシンボルになっているのではと思います。その昔、親父が出稼ぎで上京した時乗ったのがこの急行八甲田。東北の短い夏、お盆の訪れと共に八甲田で帰って来てお盆の終わりと共にまたこの八甲田で行く。正月も同じ。それから十数年後、今度は自分が見送られながらこの八甲田に乗って上京するとは。ただ違うのは、それから数年後、この急行八甲田が廃止になった事。年代層にもよるかと思いますが、この列車は、紛れもなく望郷のシンボルです。

    • kaikoshumi より:

      異邦人さま
      コメントありがとうございます。
      昔、北海道ワイド周遊券を使って旅していた人は100%「八甲田」を知っているし、95%くらいは乗ったことがある人のはずです。

      もちろん東北への帰省、上京にも数多くの人に使われたと思います。

      おっしゃるように「望郷のシンボル」、まさにそうだと思います。

      「ゆうづる」、「はくつる」、「ひばり」、「十和田」でもなくてやはり「八甲田」が東北の「汽車」のシンボルです。

      またおいでくださいね。

  8. 1965稚内 より:

    モヤモヤが解けました。
    ありがとうございます。
    高2の秋、皆様とは反対の青森から上野まで乗りました。
    当時住んでいた稚内の高校から修学旅行で始めて内地に行く際に利用しました。
    稚内駅を朝6時ごろ出発、札幌で乗換え、更に函館で青函連絡船に乗船。八甲田(だったような)に乗ったのは夜中の12時過ぎだったような。
    日が明ける頃、多分栃木県辺りの始めて見た田んぼに感動したことを覚えています。
    上野到着まで24時間移動しっぱなしでしたが、担任の「二度と内地に来ない人もいるだろうから、良く見ておくように」なんて言葉に割と真剣に納得したものでした。
    そんな自分も今では、東京に住んで、出張三昧で日本中・・・やはり移動しっぱなしの人生です。

    • kaikoshumi より:

      1965稚内さま
      こんにちは。
      コメントありがとうございます。

      稚内から上野まで列車とは恐ろしい距離ですね。
      多分旭川到着で「まだまだ」、札幌到着で「やっと札幌・・・」という気分でしょう。

      飛行機だったら稚内~羽田が1時間55分くらいですね。

      これほどの長距離・長時間列車にお乗りになることはほかになかったかもしれませんが、高校生という多感期であれば一生忘れられないですね。

      今は出張三昧とのことですが、ご自愛されながら青春の旅を思い出していただければと思います。

      また当サイトにお越しくださいね。

  9. 懐かしい より:

    懐かしいですね。
    中学生の時周遊券で北海道巡りした時行きに利用しました。
    別料金払って乗ったか記憶にないですが凄く乗りたかったのと雰囲気を楽しみたかったのを覚えています。
    いままで北斗星などを乗りましたが、やはり八甲田が一番懐かしい良い思い出です。

    • kaikoshumi より:

      懐かしい様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      八甲田にお乗りになった方がたくさんコメントをくださるのでとてもうれしいです。
      ありがとうございます。

      やはり昔の北海道に行く時に使う列車は定番の八甲田となりますね。

      周遊券があれば八甲田の自由席は追加料金無しです。

      私は古い茶色の客車の八甲田も乗っていますが、あれは向かい合わせのボックスシートで背中は直角、これに11時間はかなりきつかったですね。
      足も延ばせず、前の方と足を互い違いにして、とかでした。

      後年八甲田は青色のブルートレインと言える客車になり座席も進行方向を向いたリクライニングシートでしたが、リクライニングと言ってもグリーン車ではないので簡易型の座席で大して背もたれを倒せず足元も狭く体を左右に斜めにしながら乗っていました。

      北斗星は実に快適でしたがやはり夜汽車となると八甲田が一番夜汽車らしかったと思います。

      • 懐かしい より:

        kaikoshumi さま
         
        コメント頂きありがとうございます。

        その時の小型版の時刻表や駅員さんに記念に押してもらったスタンプがいっぱいの周遊券をまだ大切にとってあります。

        時間が出来たらまた電車旅をしたいです。

        恥ずかしい話ですがショップで八甲田のプレートを購入しようとしたら本物では無く新たに作った物と店員さんに言われショックでした。
        よく考えればこんなに皆さんに愛されている汽車のプレートが5000円程度で手に入る訳ないですね。
        やっちゃいましたね。

        周遊券で別料金がかからなかった事がわかりました。
        ありがとうございました。
        感謝です。

        • kaikoshumi より:

          懐かしい 様
          コメントありがとうございます。
          スタンプだらけの周遊券は私もほんの数枚残っていますが大変貴重な財産だと思っています。
          それを見ると旅行した日々が思い出されるようです。

          列車名のプレートは今や鉄道ショップでも希薄な商品になって来ていますが、昔からプレートなどは「ぼったくり」というほど高いものばかりでした。

          本来は廃棄、鉄くずをわざわざお店に並べているわけですが、いくら何でもあまりにもという値付けが多いです。

          SLの機種銘版などは5~10万円超なんて普通でしたし客車や電車のサボ(車体側面の取り外し可能な行先プレート)も本物は1万円以下で入手は難しいと思います。

          一見本物っぽいものもたくさん出回っていますが、5000~1万円以下で売られているものはほぼ全てコピー品、もしくはサイズや書体自体からして違う模造品です。

          さて周遊券は今や過去の切符となってしまいましたが、先に書いたように急行自由席は追加料金無し、指定席や特急(新幹線も)は別途料金必要でした。

          しかし1982年からは特急自由席(新幹線除く)も追加料金なしで乗れるようになったのです。

          理由は当時の国鉄が急行列車の殆どを廃止として、優等列車は快速と特急二本立てにするという現在の基礎を作ったので、これでは周遊券で乗れるのは各駅停車と快速だけになってしまい、あまりにも不便なので特急自由席も認めたというものでした。

          でも今も急行が無いのに「特別急行列車」というのはおかしな話ですね。

          • kaikoshumi より:

            良い思い出の話ありがとうございます。

            共有出来て嬉しく思います。

            感謝します。

  10. 懐かしい より:

    kaikoshumi さま

    2020.3.12のコメント

    名前をkaikoshumiさまと誤ってしま

    いました。

    訂正しお詫びいたします。

    申し訳ありませんでした。

    →管理人です。わざわざご丁寧にありがとうございます。
    問題ありませんよ。またお越しくださいね。

  11. 岳麓 より:

    八甲田懐かしいですね。 新幹線が開通する前、昭和50年代の頃でしょうか、宇都宮で飲んだ時は午前過ぎの最終を利用して、黒磯で降車して帰宅していました。 年末は青森県の出稼ぎ農家の方や帰省客が多く、座ることができず、デッキで立ち話をしていたのを覚えております。あれは夏のお盆前のことでしょうか。 暑苦しく、かなり混んでいたのですが、大宮あたりで乗った妙に落ち着きない風体の男が段ボールを抱えておりました。 すると宇都宮をしばらく過ぎてから、車内でアイスクリームの販売を始めたのには驚きました。

    • kaikoshumi より:

      岳麓さま
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      昭和50年代というと私が乗り始めた時です。
      初めて乗ったのは昭和51年3月でした。

      八甲田が一番輝いていた頃ではないでしょうか?

      >車内でアイスクリームの販売・・・
      →はっきり覚えています。
       実はこの販売員は「ほんもの」と「にせもの」がいました。最初は本物から始まったはずですが便乗して許可を得ていないド素人が売りに来た人もいたのです。
      逮捕されたかは覚えていませんけど。

      今回はご訪問ありがとうございました。
      またおいでくださいね。

  12. アバランチ より:

    はじめまして 私は札幌から神奈川県内の大学に進学して、急がない限り、帰省の時は当時の国鉄を利用していました。
    わけあって、大学には長く在学していたのですが、夜行急行の十和田とか八甲田は、1983年から1986年くらいまで利用していました。冬休みや大学の後期試験後の帰省は、上野ー青森を急行八甲田を利用していました。
    想い出に残ることとして、12月のクリスマス以降や大学の後期試験のあとに上野から乗車したときは、最初はまずまずの人が乗っていても、盛岡以降は人が下車するばかりで、車内が寒かったのと、臨時列車に乗った時は、予備車をひっぱりだしたのか、雪の積もる地域に入ったら、なんと暖房が故障して寒いおもいをしました。
    まあ、後続の寝台特急より青森駅に早く着いた分、改札を出て、駅向かいの日本食堂で和式の朝定食をいただきました。
    そして、札幌から神奈川県に戻るとき、ちょうど、正月の3日か4日だったんですが、青森駅発 0:05 くらいの発車でしたかね? 当然、青森走りはあったのですが、けっこう首都圏に戻る帰省客が多くて、始発から混んでいました。12系で運転されていた時、ボックス席の下の空間に2人が寝て、さらにボックス席に4人が対向して寝るとか、通路に新聞紙を引いて寝るとか、めちゃ混みで、停車するたびにお客が乗るという事態で大変でした。
    夜行急行が14系にグレードアップされたのは、わたしにとって逆に、座席で寝るのが難しくなりました。たしか、12系のボックスシートの場合、腰かける部分に、250㎖の鉄のコーラの空き缶とかを差し挟むと、座席が片側だけ持ち上がり、手すりが枕代わりになって按配が良かったのですが、14系座席車だと、そういう芸当ができなくなったので、本音を言うと、レベルダウンだと感じていました。
    いま、私は還暦を迎える年になりましたが、20代の鉄道の旅は、青春時代のよい旅の想い出です。

    • kaikoshumi より:

      アバランチ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。恐らく私とほぼ同年齢なのかな、と思いました。
      八甲田は当時は長距離夜行なのに大盛況の列車でしたね。
      確かに冬は寒かった思いがあります。旧型客車は隙間風もあり暖房も弱いのか確かに寒いです。
      ボックス席の下に寝る、そういう人いましたね。
      ボックス席は4人乗ると足を投げ出す方向を交互にしてぶつからないように、そしてなるべく長く伸ばせるようにと工夫しました。
      しかも4人全員他人なのに。変な連帯感が生まれたと思います。
      なつかしいですね。また当サイトにお越しくださいね。

  13. 麻田 より:

    この歌の歌手と音源を探してます。
    どなたかご存知の方いらっしゃいますか?

    いろんなところを旅回り いろんな町で歌い続け
    歌を歌う度に客が減る この辺りが潮時と悟ったわけ

    夕べあの娘に電話した あの娘は泣き声になってたな
    あんなにあの娘が喜ぶなら も少し早く気付くべき

    北向く線路は東北線 走るは急行八甲田
    色んな女を見てきたが あの娘が俺には一番さ

    やけに懐かしいぜあの話し方あの響き 男たちが酒を飲んでいる
    このまま朝着くまで呑む気なら 俺にも少し分けてくれ

    俺にもひとつ歌わせてくれ 静かな声で歌うから
    手拍子つけるのやめてくれ でもこんなに受けたの初めてだ

    北向く線路は東北線 走るは急行八甲田
    色んな女を見てきたが あの娘が俺には一番さ

    家を出る奴 戻る奴 追いかけられる奴 追いかける奴
    手を取り駆け落ち決める奴 恋に破れて旅する奴

    東京の闇夜を突き抜ける 田舎の朝を箱に詰め
    俺たちの夢乗せ走ってく 俺たちの小さな夢乗せて

    北向く線路は東北線 走るは急行八甲田
    色んな女を見てきたが 青森女が一番さ

    • kaikoshumi より:

      麻田様
      コメントありがとうございます。
      私もこの曲について調べてみましたが、どうしてもヒットしません。
      各フレーズを分解して検索してみても全然ダメでした。
      私の探し方の問題とも思いますが。

      ぜひ他の方のご協力を頂きたいです。

      皆様よろしくお願いいたします。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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