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1960年代の東京の街角で見た戦争の爪跡

1960年代の東京の戦争の爪跡

幼少期を過ごした1960年代は高度経済成長真っ盛りで、全てがイケイケ状態でした。

大人になってから振り返ると多分景気の良い話しかなかったのでは、と思います。

1963年に日本はGNP(当時はGNPを用いていた)世界第二位になり翌年の1964年は東京オリンピックと東海道新幹線開通、1970年には大阪万国博覧会開催ですので悪い話など聞くわけがありません。

その時代は私は杉並区と練馬区に住んでいましたので親に連れられてデパートに行く時はいつも新宿か池袋でした。

しかし何度も私は新宿や池袋の繁華街で「戦争の爪跡」を見たのでした。

もちろん街には爆弾の跡や、焼け野原の跡などは皆無で、基本的な街並みは2016年現在と大して変わっていないと思います。せいぜい高層ビルが増えたくらいでしょう。

新宿・池袋の繁華街の戦争の爪跡

繁華街の人通りの多い歩道には兵隊さんがいました

信じられない!という人が多いかもしれません。

でも本当の話です。旧日本軍の制服を着て帽子を被った兵隊さんです。

その方はほぼ例外なく、足か腕のいずれか片方または両方を失っていました。

歩道のアスファルトに座布団か何かを敷いていましたが、ある人は膝を立てて座り、ある人は足が不自由なので両腕を前に出して手で体を支えていました。

一部の方はテープレコーダで軍歌かそれらしき曲を流していました。

そしてほぼ全員が空き缶などを横に置いてお金を募っていました。

これらの光景を初めて見たのは多分5~7歳くらいの時だと思います。

余りの衝撃にびっくりしました。

親は「戦争で大変な思いをした人よ。」としか話しませんでした。

そしてこの光景は何度も何度も見たんです。

多分東京の他の繁華街、例えば銀座や渋谷などでもあったのではと思います。

幼少の頃は驚きだけでしたが、大人になってから戦争の悲惨さを伝える番組を見たりすると当時のことを思い出して悲しくなります。

彼らがその後どのような人生を送ったのかは知る由もありません。

でも今となっては「彼らのその後の人生が幸せでありますように。」、「世界中で戦争などがなく平和でありますように。」と祈るばかりです。

今の若い方々には信じられないと思いますが、東京で実際にあった話しなのです。

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2 Responses to “1960年代の東京の街角で見た戦争の爪跡”

  1. 浜のヨースケ より:

    管理人様は、終戦から9年後に生まれた私より何歳も若いのに、街にたたずむ傷痍軍人の記憶がお有りなんですね。

    私も、地元の横浜駅前や伊勢佐木町の路端で見かけましたが、強烈な印象は上野の地下通路でした。

    我が家では年に一度の成田山詣でが恒例で、
    父親が横浜の私鉄本社に勤務していたため、国鉄の直線ルートではなく、当時は近隣私鉄間は無料で乗ることが出来た家族パスを利用して東急東横線~営団銀座線~京成本線という大迂回ルートを乗り継いで行きました。その銀座線から京成上野駅への薄暗い地下通路にいた傷痍軍人たちの姿が、子ども心に怖かったことを覚えています。

    • kaikoshumi より:

      浜のヨースケ様
      コメントありがとうございます。
      覚えています、今でも鮮明に。

      当時はもう高度成長真っ盛りで、あらゆる面でとても豊かな社会でした。
      だからこそ腕や足が欠損した人が軍服姿で、というのがあまりにも強烈だったのです。

      「今の時代にこんな人がいるとは」と子供心に思ったのです。

      今後もこのような人が生まれない世界になってほしいですね。

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管理人について

管理人

こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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