札幌発函館行き普通列車(昼行・旧型客車)
乗り通す人が殆どいない札幌発函館行き普通列車
1980年代前半までは全国には非常に長い距離を走る普通列車が多くありました。
その中で私がよく利用したのは以下の2本の列車でした。
●東京発大垣行き 夜行普通電車 347M
●札幌発函館行き 昼行普通列車
347Mとは時刻表などに載っている列車番号のことで、特にこの列車は大変に有名で鉄道マニアの間ではこの番号だけで充分に通じていました。
今回ご紹介するのは後者の「札幌発函館行き 昼行普通列車」です。
この時代は同区間に夜行の普通列車も運転されていて、ネットで調べると言及されているのは殆ど夜行列車のほうですが、私は昼行のほうしか乗ったことがありません。
車両も大変に古い旧型客車で、オハとかスハフとかの名称だったと思います。
メモの記録と写真が見当たらないので詳細は忘れてしまいました。(でも写真は押入れにあるのですが)
さて、この列車は昼行と言っても札幌発は確か13:11発で、函館到着は23時過ぎ(発着時刻はうろ覚えです)という半日がかりのロングラン列車でした。全線の走行距離は約290kmもあります。
東京起点で考えると東京~豊橋、または東京~福島くらいの距離です。
前述したように車両はかなり古い旧型客車で、とても重心が高いのでスピードを出さなくても結構揺れました。
特に線路が脆弱となる小樽~長万部間では「こんなにゆっくり走っているのに、この揺れはなに?」と思うときもありました。
決して激しい揺れではないんですが、左右にゆらゆら揺れる感じでした。
でも重心が高いだけでなくて、実際の車内の天井も高いので圧迫感の無い車内でしたね。
以下に走行ルートの地図を載せておきます。
赤線が走行路線ですが、地図に対しては路線位置がアバウトなのはご容赦下さい。
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札幌発函館行き普通列車の車内の様子
札幌発車は13時過ぎですからお昼ご飯を食べた後、または駅弁を買って乗り込むとちょうど良い時刻ですね。
電化区間である札幌から小樽までは赤い色の電気機関車・ED76、小樽から終点函館までは非電化区間なのでディーゼル機関車・DD51が牽引していました。客車は3~4両だったと思います。荷物車両も1両付いていた気がします。
札幌を発車すると小樽までは買い物帰りや学生などが多く乗っていました。
普通の通勤通学列車みたいな感じでした。でもお昼過ぎなので大して混んではいませんでしたけどね。
そして小樽までは普通列車で旧型客車と言えども全線複線で、急カーブも小樽の手前の一部だけですし、何より強力な電気機関車ですから力強い加速と早いスピードで進んで行きます。
小樽では機関車を付け替えるために10分くらい停車していたと思います。
お客さんもここでドカッと降りて車内は急激に空くんです。でもここから約30分西の余市まではそこそこ乗客がいました。
余市を過ぎるとどんどん山の中へ分け入って行くのですがお客さんの数も1両に一桁くらいまで減ります。
↓2015年の函館本線・然別(しかりべつ)駅ですが、小樽~長万部間140.2kmの区間はほぼこの風景がずっと続きます。
冬に乗った時は私の車両には私1人だけということもありました。
何処の駅まで私だけかは忘れましたが、殆ど終点近くまで私1人だけだった気がします。
銀山、小沢と更に深い山中に入っていく頃には激しい睡魔も襲って来ます。
車窓をぼーっと眺め、時折目に入る駅名票の「倶知安(くっちゃん)」、「ニセコ」、「黒松内(くろまつない)」などをかすかな意識の中で感じ、気がつくと太平洋側の長万部駅に到着、という感じでした。
車掌さんは特に検札や乗り越し切符の精算などをするほどお客さんは乗っていないのに、車内を行ったり来たりしていました。
普通列車と言えども駅間停車距離が長いので車内巡回も兼ねているんでしょう。
長万部を過ぎるとずっと太平洋に沿って走り、ここも非電化区間ですが札幌行きの特急(当時も殆どが苫小牧周り)がビュンビュン飛ばしていて殆どが複線になるので当該列車もそこそこスピードが上がり、しかもがっしりとした線路になるので安定した走りになります。
でも時刻は夜の8時も過ぎていますから、窓に映った自分の顔を眺めながら時折目に入る街の明かりを追う、という夜行列車のような醍醐味を味わえます。
なお列車の旅に詳しい方は判ると思いますが、この列車に付いている設備はトイレだけで飲料の自販機なんてありませんし、ましてや車内販売なんていっさいありません。
そして暗闇の中を走りに走って、23時を過ぎやっと終着の函館です。
札幌から約10時間もかかりましたが、「乗ったぞ!」という満足感と達成感がありました。
この列車は2~3回乗っていますが、全線乗りとおしたのは私と他の車両に数名しかいなかったようなので、車掌さんも通路を通る時に一言だけ、「お疲れ様でした」と声を掛けてくれました。何か粋な計らいを感じます。
函館に着いてからは0時過ぎの青函連絡船に乗って帰宅というパターンでしたので、一路連絡船乗り場に急ぎました。
冬のこの列車の様子
前述したように冬は特に小樽から函館方面は乗客が極端に減ります。
二重窓の車両とはいえ、非常に古い客車なので窓の隙間から粉雪が入ってきます。
特に内側の窓は建て付けが悪いことが多く、ほんの少しでも斜めになっていたりすると北海道の粉雪は容赦ありませんでした。
だから座席を変わったり自分で調整したりしました。
また旧型客車なので車掌さんは暖房をかなりこまめに調節していたようです。
長さ20mの車体に私1人だけの時も、暖房の調節をして頂いて今でも恐縮に思います。
古い車両なので車掌室でスイッチ一つで一括管理、なんてありません。
1両ごとに暖房を調整しているのです。しかもこのような旧型客車は電気暖房や灯油を燃やす暖房ではありません。
機関車にSG(Steam Generator)という蒸気発生器がついていて、各客車に引き通された蒸気管に高温の蒸気を送って各車両の暖房を行うのです。
だから冬場は旧型客車が駅で停車中に白い煙を出しているのを見ることが出来るのです。
(なお夏場がどんなに暑くても冷房は付いていないので扇風機と窓を開けるしか涼を取る方法はありません。)
また北海道のような豪雪地帯では台車が雪の塊と化してしまいます。
↓以下は最新型特急(2016年5月現在)の台車の冬の様子ですが、旧型客車などだと雪がこの写真の3倍くらい付くことがあります。
新しい車両は台車のスプリングに耐寒耐雪用のカバーが付いていたりしますが、旧型客車や旧型気動車の台車にはそのようなカバーがついていませんので、スプリングの間に雪が詰まり走行風で冷やされてスプリングごと氷の塊になります。
だから真冬の北海道で旧型車両に乗って「やけにガツンとした硬い乗り心地だな・・・」と感じたら、その車両の台車は氷の塊になっていてサスペンションが全く効かない状態になっているのです。
ですから急行(当時)で本来ならばスピードを出す区間であっても、車掌が運転士に速度を落とす要請をする事があったそうです。
そうしないと激しい縦揺れで網棚の荷物が落ちてきたりして車内は大変なことになってしまうのです。
この旧型客車の普通列車はそれほどスピードは出しませんが、でも極寒期に乗ると「硬い乗り心地だな」と感じることもありました。
10時間も乗って自販機や車販もなし、椅子はクッションが薄くて腰が痛くなる、冬は窓から粉雪が入ってくることもある、トイレもかなり古い和式のみ、と良くないことばかりに感じますが、機会があればまた乗りたいと思わせる「実に味のある」列車でした。
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自分らもそんなに揺れは感じませんでした。
ディーゼルのような振動はありませんし、むしろ、
ニュートラルで走る車みたいなもので快適!
そりゃまぁ、昔の優等列車の車両使ってるから「14系」とか「12系」よかも、
ガタガタいわないし、どっしりしてました。
「12系の八甲田」は速いのもあったですが、建付けの悪い家みたく、
細かく、時に大きく揺れました。
・・・いい車両使ってますはじめっち
「列車待ち合わせ」で飲食料品や「トンネル餅」とかを購入したり、
酸素吸いに外出したり、「一服」したりと、
速達列車にはないゆるさがよかったのっす。
・・・「からまつ」もよかったのだゆたか
はじめっち&ゆたか様
コメントありがとうございます。
あの茶色で背が高い客車は完全になくなってしまいましたね。
鋼製客車と違い乗り心地が独特でした。
この車両で札幌~函館という長丁場で、しかもボックスは独占でしたから鉄道ファンにとっては夢のような場所です。
なつかしいな・・・