横浜・南日吉の思い出の商店
1980年前後の横浜・南日吉商店街
私は1980年前後の10年間横浜の南日吉地区に住んでいました。
日吉駅からはちょっと離れていましたが、住宅密集地でありながらちょっと古臭い、でも味わいのある街並みでした。
今でもあまり変わらない気がする街です。
↑地図を表示すると日吉台中学校前の交差点が表示されます。
特に思い出のお店について書いてみたいと思います。
今回取り上げる地域とお店は以下の図です。
(赤いマークが付いているお店が対象となります)
下手くそで汚い手書きですがご容赦ください。
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思い出の南日吉商店街のお店たち
早速上記の地図を元に書いていきますね。
なお写真は撮影年が2011~2012年ごろのものとなりますがご容赦ください。
当方現在北海道在住ですのですぐに見に行けません。
しかし状況はストリートビューや友人への問合せなどを駆使して、写真と現状が大きく変わっている場合は注記を添えることにします。
お店の説明の順番は以下の図をご覧下さい。
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今回は項目が多いので目次形式にします。
■目次
1.SKマンションにあった「フジパン」
2. OKストアー日吉店
3.第七コーポ前からの乗合いタクシー(番外編)
4.エビスヤストアー
5.旧OKストアー
6.喫茶店コロラド
7.金子電気店隣の灯油屋
8.東芝家族アパート
9.日吉台中斜め前の文房具店
10.南日吉の理髪店 ナカムラ
11.和菓子・若松と富士寿司
12.洋品店 アイチヤ
13.赤門坂を下り切った場所のコンビニ山西
1.SKマンションにあった「フジパン」
この記事を書いている段階でもまだ存在する「SKマンション」の1階端にフジパンのお店がありました。
しょっちゅうではないのですが、たまにお菓子やアイスを買っていました。
1980年前後は既に全国的にささやかなお菓子などでも大型店で買う時代になっていましたが、頑張って経営されていました。
いつ出来ていつなくなったのかは判りませんが、少なくても後述するOKストアが斜め前に移転して来る少し前には閉店されたようです。
多分1983年ごろではないかと思います。
OKが目の前に来られたらやって行けないとご判断されたのでしょうか?
お店では小柄な品の良いおばさんが対応してくれました。
↓一番手前の黒い看板のところがフジパンさんだった(はず)。
この写真は2011年撮影ですが最新のストビューを見ても変わっていないようです。
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2.OKストアー日吉店
毎日安売りで有名なOKストアーですが、実は日吉店は元々今の場所にあったわけではありません。
1983年~1984年頃に今の場所に移転したのです。
以前のOKストアの開店はうろ覚えなのですが1969年(昭和44年)だったと思います。
ですから出来て15年くらいで移転したということになりますね。
立地は今の場所の方が良いかもしれません。以前の場所だと車での買い物が出来ないからです。
横道に入った場所なので駐車場の確保も出来ませんし、業者の搬入トラックの出入りも大変でした。
なお「以前」の方のOKストアの情報は後日詳しい記事を書きますのでお楽しみに。
「なぜお前は詳しいんだ?」、「近所に住んでいてしょっちゅう買い物に行っていたからなのか?」
↑いずれも不正解です!
確かに私の親はしょっちゅうここで買い物をしていましたが、私は大して買い物をしていません。
でもなぜ詳しいのか?
それは私がOKストアーでアルバイトをしていたからです。
裏の裏まで知っています。記事にする時には当たり障りの無いように書きますが、でも大分年数が経っているから何書いても大丈夫かな?
まあもうちょっとお待ちくださいね。
【2016年12月9日追記】
旧OKストアー日吉店の記事を書きましたので是非ご覧ください。
3.第七コーポ前からの乗合いタクシー(番外編)
お店のお話しではないので「番外編」となりますがどうしても書きたかったのでご容赦ください。
第七コーポというマンション前から毎朝乗り合いタクシーがありました。
専用の乗り合いタクシーではありません。普段日吉駅前に止まっている普通のタクシーです。
実は南日吉地区は今でこそ横浜市営地下鉄の駅がありますが、地下鉄開業前まではちょっと交通が不便な場所でした。
日吉駅まで歩くとなると非常に急な赤門坂を上って徒歩で15~20分もかかり、バスはありますが途中東横線の踏切を渡り、朝は混雑の激しい綱島街道経由で日吉駅まで向かうのです。
バスは渋滞がなくて順調でも15分強、朝の酷いときだと30分以上かかるのです。
だから、ということでしょうか。第七コーポ前に自然とタクシーが集まってきて1台に4人のお客さんを乗せて日吉駅とピストン輸送をするのです。
もちろん第七コーポ前には「タクシー乗り場」なんていう看板もありません。
乗ったお客さんにも暗黙のルールがあります。
恐らく違法行為ではないかと思うのですが、全て「暗黙」で毎日行われていました。
お客さんの暗黙のルールというのは後ろに3人、前に1人乗るわけですが、まず後ろの左右の乗客が真ん中の人にお金を渡します。
料金は当時1人100円、途中から確か150円になりました。
真ん中の人は受け取ったお金に自分の料金を足して前席の乗客に渡す、その乗客も自分の料金を足して降りる時に運転手に4人分の料金を支払う、というものでした。
私もかなり利用しましたが、乗客は誰一人「いくらですか?」とか「お釣りありますか?」なんて話す人はいませんでした。
乗り込んで降りる瞬間まで誰一人喋らないのです。
また第七コーポ前から日吉駅までは裏道をずっと通るので特段のことがなければ5分くらいで着いてしまうという早さも魅力でした。
今は地下鉄も通ったのでなくなったかもしれませんが、実に危なさそうでカオスなタクシーでした。
4.エビスヤストアー
いわゆる酒屋さんです。
昔ながらと言えばそうですが、30年以上前も今も(ストビューで見たら)殆ど外見は変わっておらずなんか嬉しくなります。
1980年時点ではとても感じのよい店主が対応してくれました。明るくてとてもはっきりされた方でした。
うろ覚えですが当時で店主は40代半ばくらいだったのでは?と思います。
実は私は一時期連日のように「エビスヤストアー」さんからビールをタダでもらっていました!
しかも瓶ビールを一度に10本とかです!
なぜかと言うと本記事の「OKストアー日吉店」のところでちょっとだけ触れていますが、私がOKストアーでアルバイトをしていたときにOKストアーに出入りしている業者さんからしょっちゅう大量のビール券をもらっていたのです!
もちろん私宛にビール券をくれるわけでありません。あくまでもOKストアーに対してです。
とはいっても連日ビール券をくれるわけではなくて、業者さんのキャンペーン期間とかに大量にもらえるのです。
例えばですが、夏の暑い時期にはビール会社が、「店頭の目立つ場所に大量陳列してくれたらビール券あげます。」と言った具合です。
特に年末から4月頃は「ビール券の書入れ時」なのです!
12月はXマス商戦と年末年始の特売品の大量陳列、年が明けると今度は2月のバレンタインデー、3月はホワイトデーとひな祭り、4月は卒業と入学シーズンなどです。
もちろんビール会社さんだけではありません。お菓子の会社、ラーメンの会社、その他もろもろ・・・という感じです。
だからこの時期は店長や売り場主任が一番張り切る時期でした。
そして大量にストックされたビール券を使って閉店後に売り場裏で一杯やる、というのがしょっちゅうでした。
閉店と同時又は直前にアルバイトの私が社員の人から受け取ったビール券で「エビスヤストアー」さんに行くのでした。
大量の商品陳列でビール券を、というような商慣行が今でもあるかは判りませんが、1980年前後はごく普通にあったのです。
5.旧OKストアー
旧OKストアーに関しての詳細は別の一つの記事として書きますので少々お待ちください。
それまでは上記「2.OKストアー日吉店」をお読みください。
(ここは今はマンションになっています)
少しだけ触れておきますと、旧OKストアーは地下1階、地上2階建てでした。でもちょっと変な構造だったんです。
地下1階: 冷凍冷蔵や生鮮以外の食品と雑貨とレジ
1階: 生鮮食品、冷凍冷蔵品、パン屋、テイクアウトのすし屋など。
2階: 事務所と普段使わないものを置く倉庫
入り口は1階で、買い物をしながらスロープを降りて地下売り場へ行き、地下の出口近くのレジで会計をする、という構造でした。
地下に降りる時はスロープでしたが、地下から1階に戻る時は階段だけで、エレベータとかもありませんでした。
別に万引き対策としたわけでもないのでは?と今は思います。単に土地の都合上だったのではないでしょうか?
では詳細記事をお楽しみに!
【2016年12月9日追記】
旧OKストアー日吉店の記事を書きましたので是非ご覧ください。
6.喫茶店コロラド
旧OKストアーのあった場所のほぼ正面に「喫茶店コロラド」がありました。
今は小料理屋になっています。
静かな住宅街、しかも駅から1km以上離れたちょっと田舎っぽい街にコロラドの存在は不釣合いでした。
でも近隣の人からはとても愛されていたと思います。
連日満員とまでは行きませんが平日でも席はわりと埋まっていて、やはり家とは一味違う雰囲気のコーヒーを楽しんでいたのだと思います。
いつこのお店が閉店したのかは判りませんが、静かな住宅地の憩いの店でした。
今(2016年1月現在)は小料理屋さんになっているようです。
なおコロラドには忘れられないものがあります。
一番窓際に置いてあったと記憶していますが、不思議なカラクリの置時計がありました。
記憶をたどって以下にその図を載せておきます。1980年に確認したものなのでかなり曖昧ですが、そこそこ正しいと思います。
時計の上に突き出た棒に先端に錘の付いた紐が巻き付いていて、その棒が左右に反転しながら回るのですが、それにつられて紐も棒に巻きついたり解けたり、また逆方向に撒きついたりと非常に不思議な動作をする飾りが付いていました。
コーヒーを飲みながらこの時計をいつまでも見ていても全然飽きませんでした。
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7.金子電気店隣の灯油屋
旧OKストアー前にある金子電気店さん(2016年現在でも現存)の隣には灯油屋さんがありました。
金子電気店さんに向かって左側です。
ちょっとうろ覚えなのですが、確か金子電気店さんの左側は駐車場か空き地で、その端に灯油屋さんがあったのです。
でも灯油だけじゃなくてお米とかも売っていたかもしれません。記憶が相当曖昧です。
ただはっきりと覚えているのはガソリンスタンドの給油機のような機械があって、それで灯油を売っていたのです。
更に申し上げますと、実は旧OKストアーでも灯油を売っていました!
旧OKストアーには灯油の給油機が設置されていたのです!店頭に!
それぞれのお店には給油機が1台づつしかありませんでしたが、実は冬になると両店で灯油販売のバトルがあったのです!
旧OKストアーでの灯油販売、つまり給油機の操作も私たちアルバイトがやっていましたが、1980年当時の旧OKストアーの店長さんは結構売りに対して攻撃的な人だったので、連日のように値下げ合戦をしていました。
スーパーで値段を書いた張り紙がありますよね?
色の付いた紙にちょっと派手目な色使いとおどけたような文字で商品名と値段が書いてある紙です。
この紙をポップというのですが、店長さんはよく自分で灯油のポップを書いて「これに張り替えろ」と私たちのところに持って来ていました。
もちろん値下げです。相手の灯油屋さんが値下げした直後にOKストアーも値下げです。
多い日は1日に3回くらいポップを貼り直していた気がします。
そしてある日、灯油屋さんの店主が怒って抗議に来たのです。
でもアルバイトの私たちは何も言えないので店長を呼んで対応してもらっていました。
それにしても凄いバトルでしたよ。
学生でしたから「これが社会というものか。あーこりゃこりゃ!」と思いましたね。
ところで当時の旧OKストアーの店長さんは本当によく働く人で、店長席に座っていることは閉店後だけだったと思います。
朝10時開店なので店員やアルバイトは9時出勤なのですが、8時には出社して店の前を箒で掃いたりトイレ掃除もしていました。
道のゴミも拾っていましたね。
また各売り場が忙しいとか主任が休みの日とかは進んで鮮魚・青果・精肉など問わずにもくもくと働いていました。
名前は覚えていますがあえて書きません。その後藤沢店とかに行って最終的には役員までなられたと思います。
お元気でしょうか?
8.東芝家族アパート
この場所に東芝家族アパートがありました。
(お店ではないのでこれも”番外”となりますが私としてはどうしても外せない場所なのです)
今はマンションの「アリュール日吉本町レジデンス」になっています。
このマンションが建ったのは2011年9月だそうです。
その前は「東芝日吉本町家族アパート」でした。
4階建てのかなり古い建物で、階段の頭上高も低くもし廃墟になって放置されたら恐いかな・・・と思う感じもしました。
居住者には失礼ですが。
なぜこの東芝家族アパートを取り上げるのかと申しますと、さあ!ここでも個人情報出血大サービスです。
実は私はここに10年ちょうど住んでいたのです。
つまり私の父は東芝の社員でした。
青春時代を過ごしたとても懐かしいアパートです。
でも最初引っ越し前の掃除で来た時にはあまりのボロさにびっくりしてしまいました。
トイレも和式でしかも一段高くなっているんです。
不思議だな、と思いつつもこの和式に洋式の便座アダプタ(正式名称は?)を乗せるとちょうどよい高さの洋式になるんですよ。
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しかもこのアパートはゴキブリがよく出て困ったものでした・・・。
まあ関東というか北海道以外はどこでも出ますけどね。
(北海道でも札幌の地下街などでごくまれに見ることもありますけど。)
間取りは以下のようなものでした。
図は位置関係がかなりアバウトです。
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ここのアパートは私の記憶が間違いでなければ、もともとは東芝所有ではなかったと聞いたことがあります。
一番最初はNEC所有とか聞いたのですが、真意はわからないです。
特徴として建物に対して敷地がすごく広いんです。
一部を駐車場にしていましたし子供向けの簡単な遊具も確かありました。
今考えるとなぜこんなに贅沢な敷地なんだろう?と思いますね。
2004年に撮影した東芝家族アパートの写真を載せておきます。
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9.日吉台中斜め前の文房具店
日吉台中前の交差点に文房具店がありました。
今はマンションの【グランノエル日吉本町】になっています。
場所はこちらとなります。
交差点の一番バス通り側にあって奥に細長いお店でした。
このお店のバス通りと反対側は当時舗装がされていない駐車場だったと思います。
隣接した建物はなかったはずです。(かなり曖昧な記憶)
口数の少ない40代後半くらいのおじさんが店主でした。
普段ちょっとした文房具を買う時はいつもここで買っていました。
小さな町の文房具屋さんですが何も不便は感じませんでした。
恐らく日吉台中学校の生徒で賑わっていたのではと思います。
(私は中学校は東京の新宿区だったので日吉地区では地元の学校には行っていません。)
日吉を離れた後も何度か付近を散歩しましたが、やはり時の流れかいつの間にかこのお店も無くなってしまいました。
さみしいですね。
でも何でもかんでも大型マンションになってしまうのはどういうことなんでしょうか?
それほどマンションが売れていた時代なんですかね?
さすがに当時のこのお店の写真はないのですが、お店が無くなった後の状況とマンションの建設中の写真は持っていましたので添付します。
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・お店が無くなった跡(2004年2月撮影) 駐車場になったようです。赤信号の電柱のすぐ左側にありました。・建設中のマンション(2008年4月撮影)
10.南日吉の理髪店 ナカムラ
いつも行っていた床屋さんがここ「ナカムラ」です。
私が通っていた時代はご夫婦と息子さんがおやりにやっていました。
メインは店主のおじさんですが、小柄でとても清潔感のある紳士でした。
殆ど話さず黙々とお仕事をされていましたが、まさに職人で腕は抜群だったと思います。
このお店のホームページがありました。(万一のリンク切れはご容赦ください)
「営業のご案内」というページは現店主、私の存じている息子さんです。
変わっていないな・・・と思いましたよ。お元気そうで何よりです。
「中村家」というところを拝見すると私の知っているマスターや奥様のお写真が出てきます。
なんだか日吉の思い出が蘇り私自身が涙が出そうです。
当時の店主はすでに他界されているようで時の流れとはいえ残念でなりません。
このお店は家族ぐるみでお世話になったのです。
92歳で他界した祖母もいつもこのお店でした。丁寧なマスターの対応に祖母も大満足だったようです。
そして一つだけどうしても忘れられないのが、私が二十歳くらいの時に会計をしようとしたら所持金が100円足りなかったんです。
マスターにその旨を話して自分の住所と電話を伝え、「家は徒歩1分です。すぐに来ますのでお店あけておいてください。私の財布ごと取りあえず置いていきますから!」と顔を真っ赤にしながら話すとマスターは、「いいですよ。いつでも」と仰ってくれましたが自分自身を許せませんので家まで猛ダッシュでした。
お店は閉店時間直前だったので私としてはマスター以上に焦っていました。
そして5分も経たずにお店戻り100円を払い、「申し訳ありませんでした」というとマスターは笑顔で「いいんですよ・・」と仰ってくださいました。
あの時の受け答えは一生忘れられません。
本当に申し訳なかったと思います。でもマスターの人柄に触れることが出来たことは良かったです。
それ以降はどのお店に行くにしても必ず財布の中身を確認するようになりました。(当たり前なんですけどね)
私が2011年10月に映したお店の写真です。↓
ストリートビューを見ると今でも変わっていないようです。なんかうれしいです。
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11.和菓子・若松と富士寿司
日吉台中学校前の交差点に並んで「和菓子・若松」さんと「富士寿司」さんが今でもあります。
場所はこちらです(Google map)
この2店は私にとっては常連とかではないのですが、母御用達だったと思います。
それに私が日吉に初めて引っ越してきた1974年から2016年に至るまで変わらずに営業されているようでちょっと嬉しいですね。
曖昧な記憶ですが若松さんはお店の外側をだいぶ改修されたことがあったような気がします。
母は来客があると若松さんをよく利用していました。
今や全国的に希少となりつつある昔ながらの和菓子屋さんですね。
南日吉商店会のホームページを拝見すると今このお店の店名は「新若松」と「新」が付くようです。
富士寿司さんは家族で食べに入った記憶はありませんが、こちらも来客時には出前を取っていたお店です。
私は一度酔っぱらった帰りにこのお店にふらっと入ったことがありました。
遅い時間ではなかったと思います。
カウンターに座り寿司をつまみながら熱燗を飲んだ記憶があります。
懐かしいとともに何という贅沢なのか、と今でも思いますよ。
両店とも今後も頑張って続けて下さいね。
以下は2011年10月撮影のものです。
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12.洋品店 アイチヤ
上の記事で書いた富士寿司さんのお隣に洋品店の「アイチヤ」さんがありました。
場所はこちらで、富士寿司さんと同じ建物だったんですね。
現在は空き家(?)のようですが、かつてお店であったことを物語る入口・風貌ですね。
いつアイチヤさんが閉店されたのかは分りませんが、私が何度かここで買い物をしたのは1977年~1979年くらいだったと思いますので1980年以降の閉店なんでしょうか?
閉店されてからは「南日吉商店会会館」として使われていたようですが、2008年の写真では商店会会館の文字が消されています。でもうっすらと文字の跡は読めますけど。
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商店会会館として使われていた時の写真は文房具店の記事で載せた写真と同一で2004年2月撮影です。
以下は2011年10月に撮影したものです。
ここは昔ながらのお店という感じでカーテンや手芸用の布などを売っていました。
私が何を買ったのかはっきり覚えていませんがレースのカーテンかまたはカーテンを吊る金具みたいなもののいずれかだったと思います。
上品で小柄なおばさんが対応して下さいました。
せめて閉店した年月くらいは知りたいなぁ・・・と思ったりします。
ここも一つの思い出のお店です。
13.赤門坂を下り切った場所のコンビニ山西
これは私が作った南日吉の地図に出ていない番外です。
というか地図を作っただいぶ後に思い出したお店です。
場所はこちらです(Google map)
2016年現在は駐車場になっています。
私はいつも学校への生き帰りにこのお店の前を通っていたのです。
殆ど買い物をしたことはありません。たまにアイスを買うくらいでした。
母もここは殆ど使わずに普段の買い物はOKストアーでした。
でもいつも行き帰りに通るという事もありますし、当時でもあまり見かけなくなった古いタイプのお店だったので頭から離れないんです。
以下の写真は2004年2月に撮影したものです。
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名前はコンビニですが、とても味わいのあるお店だと思いませんか?
ここはOKストアーやその周辺のお店から少し離れていてしかも赤門坂を下り切った先、つまり日吉駅への往復の途中にありますので割と重宝されていたのではないでしょうか?
でも2008年に市営地下鉄が開業して日吉本町駅が出来ると一挙に人の流れが変わったと思いますので営業継続は難しかったのかもしれません。
以下は2011年10月に撮影したコンビニ山西の跡地です。普通の駐車場になってしまいました。
(クリックで拡大します。ブラウザの「戻る」ボタンで記事にお戻り下さい。)
以上ですが、また思い出した時に懐かしい南日吉の街のことを書きたいと思います。
青春のど真ん中を過ごした町でしたからね。
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私も1980年前後の2年間だけですがこの辺り(第七コーポそば)に住んでいたので、よくわかります。特に旧OKストアは、時々、利用していたので、バイトをしていた管理人様に会っていたかもしれませんね。
日吉台中学校の隣に大塚製靴の工場があった(昨年閉鎖)のですが、そこで一部の関係者に年2回ほど靴を格安で販売していて(日吉駅から送迎バスも出ていました)、数年前にそこで靴を買いました。その時、この辺りを散策して、変わったなあと思っていたのですが、このサイトを見て、当時の記憶がよみがえりました。
しん様
こんにちは。コメントありがとうございます。
私の青春真っ只中を過ごした南日吉の思い出を共有出来てとても嬉しいです。
(今、気持ちが舞い上がっています!!)
・第7コーポ
ここは現存の建物ですね。私の友人が住んでいましたがすっかり疎遠になってしまいました。
・OKストアー
恐らく確実にお会いしていると思います。当時は土曜日だけ休みを貰って学校帰りの僅かな時間でさえバイトに精を出していました。
日曜日、祝日は終日いました。一般食品なのでいつも売り場をウロウロしていました。
OKストアーの記事も本サイト中にありますので見てくださいね。
・大塚製靴
安売り販売をしているのは知っていましたが一度も買いに行かずに終わってしまいました。
さらに工場そのものがなくなりちょっと寂しいです。
この度のご訪問ありがとうございました。
またぜひお出でくださいね。
OKストアの記事からこちらに来ました♪
乗合タクシー ありましたね!
子供の頃は坂の上住民でしたので、朝、坂下から次々にとばして来る「乗合専用」の札つきタクシーを朝よく見てました。
乗合専用札つきは、でも時期としては日吉本町駅が出来る前の数年だったようですね。それまでは非公認で乗合してたのですねえ。
今でもあればいいのにと思います。日吉本町駅があるとはいえ、商店街のあたりだと微妙に歩くし、地下深いし、高いし(一区間なのに210円)本数も少ないんですよねー
バスもどんどん減便されて、日中は一時間3本しかないんですよ。日吉駅のバス停も綱島街道一番外れに設置されて、東急としては不採算路線なので潰したいのかなあと勘ぐっています。
エビスヤストアーは去年くらいになくなってしまいました。
金子電機さんのところは今塾になっています。
コンビニ山西のところは、コンビニだけでなく八百屋さんとか何件か商店があった記憶があります。今も変わらず駐車場です。
ひよこ様
コメントありがとうございます。
私が記憶に残っている乗り合いタクシーには「乗り合い」の札は無かったと思います。
利用していた当時でも心中で「多分これは違法だ」と思っていました。利用客は皆同じ事を思っていたのでしょう。
ただ白タクではないですからある意味グレーゾーンだったのかもしれませんが。
日吉駅付近は昔も今も非常に道が狭いのでかっ飛ばそうにも出来ませんでした。
第7コーポの前で待っていても時間帯によってはいつまで待っても来ないという事もあり大汗をかいたものです。
バスは1時間に3本ですか!そんなに少なくなったとは・・・。
やはり地下鉄の影響ですね。
バスは東横線の綱島側の踏切を渡り綱島街道~箕輪町を通るので非常に時間がかかりましたね。
エビスヤストアーさん、無くなったのですか。
寂しいな。あそこの愛想の良いおじさんには良くしてもらいました。
金子電機さんも無くなったのですか?
実はあそこでうちのテレビなどを買いました。
本記事にあるように私の父は東芝の社員で東芝家族アパートにいたのですが、テレビなどの東芝製家電を社優販で申し込むと一部製品除いて金子電機さんから届けられていたのです。
随分長いこと営業されたお店ですね。
コンビニ山西も懐かしいな・・・
しみじみと思い出に浸れました。
ありがとうございます。
また当サイトへの再訪お待ちしております。