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釧路まきばユースホステル

2020年12月2日本年10月末の旧まきばYHの建物の写真をアップしました。本記事の下の方(コメント欄よりは上の記事本文下段)をご覧ください。

【重要 2024年6月29日追記】

本年6月26日にまきばYHの元ペアレントさんだった太田様がお亡くなりになられました。
以下情報を下さったカルトフェルト様からのメールの抜粋です。
本当に残念でなりません。私の青春の1ページがまた消えてしまいました。
太田様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
以下カルトフェルト様より


まきばYHの元Pの太田氏が6/26に逝去されました。
私にはまきばの開所記念日である6/11に電話したのが最後になってしまいました。
今までまきばYHを覚えていただいた方々、ほんの少し太田氏のことを思い出していただければうれしいです。

(以下も頂いております)

Tedさんって和歌山のジョーさんではありませんか?
お忘れかもしれませんが、旭川でもご一緒だったネルソンです。もしそうならご連絡を

【2024年7月21日 追記】

釧路まきばユースホステルの懐かしい写真 という記事を追加しました。

 

多くの人に愛された釧路まきばユースホステル

北海道・釧路市内に「釧路まきばユースホステル」がありました。

その名のとおりサイロを模した建物と味のある昔のユースホステル(以下YH)らしい木造の内装が魅力でした。

「まきば」と名がついていても実は住宅地のど真ん中にあったのです。

駅から確か15~20分くらい歩いたと思います。

ですから交通は不便であり朝早い列車を利用するときはちょっとなぁ、と思うこともありましたが私は大好きで何度も何度も泊まりました。

場所はこちらです。

2015年7月に撮影されたストリートビューを見ると建物はそのまま残っているようです。

↓2015年7月現在のまきばYH(跡) クリックで拡大します。

201507-makibayh_sv

出典元: Google map ストリートビューから切り出し。

 

開館は1972年(昭和47年、札幌オリンピックの年)で閉館は34年後の2006年10月31日だったそうです。

私がYH旅行を卒業して大分経った後に「星のまきばユースホステル」に名前が変わったみたいです。

ここのYHは夏でも冬でもいつ行っても混雑していましたね。

私が泊まりに行っていた時期はまだYHが人気の時代だったのかもしれませんが。

私の釧路まきばユースホステルの思い出

私が泊まりまくっていた時代は1980年代なのですが、以下のようなことを強烈な印象に残っています。


駅から遠い! 「まきば」と言っておきながら住宅地のど真ん中!

中は典型的な昔からのYHの構造。木貼りの床、スチールの2段ベットなど。

ペアレント(管理人)は細くて物静かなおじさん。私の記憶では冬はいつも毛糸の帽子を室内でも被っていた。

ペアレントは目立たない方だったが、若くてパワーのある学生ヘルパーよりも遥かによく働く方。

ヘルパーがしょっちゅう「明日は一番早く起きて朝食を一人で作ってやる!と意気込んでも目が覚めるとペアレントがすでに食事を作り終わっていた!」と嘆いていた。

食後に名物のデザートが出る。「アップル餃子」というもので餃子の皮で焼きリンゴを包んで油で揚げたもの。絶品と言えるうまさだった!

駅から遠いので早朝の列車利用の人は大変。でも朝早い人のためにも朝食を頑張って作ってくれていた。

夏はわりと騒ぐ系のミーティングを行い、ヘルパー(バイトのスタッフ)のギターで大声で歌い踊ったりもした。

ミーティングではよく「高石ともやとザ・ナターシャー・セブン」の名曲「街」をよく歌った。 本当に心に染み入る名曲。

実はこの歌は今でもカラオケにある。私はカラオケに行くたびに必ず歌います。


今地図で見ても本当に不便な場所にあったもんですね。

でもいつもにぎわっていました。

YH全盛時代のYHの評判というのは100%口コミでしたから、やはり「まきばYH」の人気はすごかったんですね。

 

ところで「まきばYH」の詳細のサイト様を見つけました。ぜひご覧ください。

写真も大変に豊富でYHの室内も映っています。

ペアレントのお写真とご挨拶も載っています。なんか「まきばYH」を思い出すと青春そのものだったので涙が出そうです・・・。

(リンク切れはご容赦ください。というかサイト様、閉鎖しないでね!)

まきばYHのサイト様はこちらです。

↑残念ながらこのサイトはサービス終了により閉鎖されたようです。
別途支援者が作ったサイトを探したのですが今日現在見当たりません。

発見したらここに記します。
またどなたかサイトの情報ありましたらご連絡下さい。(個人名が出なければ下のコメント欄でOKです)

(2018年8月19日追記)


●2020年12月2日追記
当記事へのご訪問者の「あのにます」様より本年10月28日現在の旧まきばYHのお写真をご提供頂きましたのでアップします。
外観は現役時代と変わらないように見えますが、あのにます様のコメントにありますように何か作業中だったようなので今後別の用途に使われる可能性もありそうです。

あのにます様には心よりお礼申し上げます。

今後の状況に注視したいのでもし行かれた方はお写真や情報をお寄せ頂ければ幸いです。

あのにます様のコメントの抜粋 
建物は昔のまま、玄関が開いており何か作業中の様子でした。外から覗いただけですが、2段ベッドが散乱している様に見えました。入り口の看板には「你好」の文字があり、外国人相手のホステルになっているのかなと思いました。
建物の周りも草ボーボー、荒れ果てているような印象でした。

↓クリックすると拡大します。

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109 Responses to “釧路まきばユースホステル”

  1. はじめっち&ゆたか&みならいかのん&つるみん より:

    すんません、また「いたずらくがき」します。

    自分らは基本的に「市立釧路YH」に泊まることが多く、
    そこが閉まっているときに限り、「まきば」を利用していました。
    その当時、川北町(駅裏)には一杯飲み屋がたくさんあったんですが、
    「まきば」さんの持ってる独特の雰囲気的に飲まれ、
    酒屋で買ったロング缶2本程度をYH内で飲むことが普通でした。
    それでも、常時数人入る旅行者と話をすることはとてもおもしろく、
    ランプが似合いそうなお宿でした。
    ・・・不良だったんでお酒ないと…はじめっち

    「まきば」には直接関係ないっすけど、「市立釧路」「まきば」に続いて、
    今年の3月31日いっぱいで、標茶町の「とうろYH」がなくなったのんす。
    市立釧路からの縁で何回か泊まりに行ってるうちに、
    「はりこみ」「ていさつ」「のぞき」の基礎を
    知らないうちに洗脳され、望遠鏡は買うわ、NikonEDは購入するわで、
    立派な変〇者になってしまったっす。
    んだども、おけげで在道中(25年間)はいい趣味が持てて楽しかったのっす。
    ・・・主に「つるぞう」ののぞきっすゆたか

    釧路管内のYHさんも本当になくなってしまいました。
    3軒とも思い出深いYHさんでした。
    ・・・これも時代なのでしょうみならいかのん

    あたいはむずかしいことはよくわかんないけども、
    ミーティングにおかしとかを持ってくと、すごく喜ばれたのだ。
    基本22時までだったけど、まきばのおっさんは
    話が盛り上がってると、ちょび見てみないふりして
    1時間近く伸ばしてくれたりしたのだ。
    ・・・厳しいことで有名だったはずなのだつるみん

    失礼をばいたしました(はじめっち)

  2. kaikoshumi より:

    はじめっち&ゆたか&みならいかのん&つるみん 様
    コメントありがとうございます。
    釧路付近のYHはなくなってしまいましたね。

    確かに時代、なのですが残念以外の何者でもありません。
    観光客は増えていますが全国的にYHの時代ではないのでしょう。

    「市立釧路」はかすかな記憶なのですが1回だけ泊まったような記憶があります。
    本当に相当前ですが、春採湖のほうではなかったでしょうか?

    「まきば」は確かに「きびしい」といううわさを聞いたことがありますが、何度も泊まりましたが全然そんな感じはしませんでした。

    しかし決してゆるすぎ、いい加減ではなくて本来の姿のYHだったのではと思います。
    何時行っても暖かい、繁忙期でも一人ひとりを大切にする、そんな素敵なYHでしたね。

  3. obrigado より:

    失礼いたします。
    まきばユース、懐かしいですね。1968年7月旭川ユースに宿泊していた際、ペアレントから元のヘルパーが釧路に新しいユースがオープンするので手伝いに行ってくれと言われ、開業前の一週間ほど掃除、造作、料理などサイロの上部にあった部屋に泊まりながら、色々面白い経験をさせてもらいました。
    離農した酪農家の建物を改築してユニークなユースで旧新釧路駅から徒歩5分位だったと記憶します。
    ペアレントは旭川ユースの頃から「トンボさん」と呼ばれていました。

    • kaikoshumi より:

      obrigadoさま
      コメントありがとうございます。
      旭川YHも泊まったことがあります。
      確か伊の沢スキー場の場所ではなかったですか?

      大変貴重なご経験をされたのですね。
      サイロの上部に部屋があったのは聞いたことがあります。
      でもホステラーは泊まれませんね。

      ぜひまた当サイトへお越し下さい。
      ありがとうございました。

  4. obrigado より:

    オープンの日時を勘違いしていました。1972年と書かれていますね。殻付きの牡蠣を処理した記憶がありますので秋だったと思います。

  5. こりゃりゃー より:

    駅から歩いて5分くらい、横に止まった車から「まきばユースに行くのかい」との声が。「そうです」と応えると、「乗って」と言われました。
    釧路駅着が午後6時を過ぎ、忙しい時間だろうし歩けない距離ではないので送迎を頼んでいなかったのですが、わざわざ迎えに来てくれたのかと思ったことがあります。
    1978年8月19日の宿泊当時のイメージでは、住宅街と言うより街の外れ、牧草地に隣接していたような気がしています。
    古いアルバムを整理・デジタル化をしていたなかでこのページにたどり着きました。

    • kaikoshumi より:

      こりゃりゃー様

      コメントありがとうございます。
      このYHは駅から歩くと遠いですね。
      特に冬は大変でした。

      住宅地の中ですが、昔は近隣に草ぼうぼうの空き地がたくさんあったとおもいます。

      また当サイトにお出でくださいね。
      ご訪問ありがとうございました。

  6. んにゃ より:

    評判の良いユースホステルだったと記憶していますが、何故閉館してしまったのでしょうか?。
    ペアレントは今、何をされているのでしょう?。
    文中でも跡と書かれているように、現在建物は廃墟と化しているようですが、ひょっとして施設の老朽化が原因だったとか?。

    ちなみに今年に入って閉館となった『釧路湿原とうろユースホステル』ですが、今も公式サイト上ではユースホステルの名前が残ってますよね。
    果たしてこれ、どういうことなんだろう?。

    • kaikoshumi より:

      んにゃ 様
      コメントありがとうございます。

      私は何度も「まきば」を訪れていますが、常連というほど行っていないので詳細はわからないのですが、知る限りではPさんがお歳もそれなりになられたようですので、それが理由なのかな?と勝手に思ったりします。

      記事の最下段に「このサイトは閉鎖されたようです」とまきばYHに関連したサイトのことを書かせて頂きましたが、そのサイト中でPさんのお顔を拝見できましたが、昔の面影はもちろんあるにせよ、かなりお年を召された感じでした。
      ただとてもお元気のようでしたが。

      『釧路湿原とうろユースホステル』は私は泊まったことがありませんが、YH協会のサイトを見ると本年3月31日に閉館した、と書かれています。

      んにゃ 様がご覧になった後に更新されたのかもしれませんね。

      ご訪問ありがとうございました。
      またお出でくださいませ。

  7. セラミックおじさん より:

    二十歳前半の頃、まきばに泊まってペアレントさんととても仲良くさせていただきました。
    放浪癖がなくなって、ただの大人になってしまった今。出張で釧路に来ました。
    ホテルの朝食バイキングでコーヒーを飲みながら検索してこのページに辿り着いて…なんか胸にこみ上げてきました…人生って面白いものです

    • kaikoshumi より:

      セラミックおじさん様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      利用されていらっしゃったんですね。
      様々な思い出がよぎったことでしょう。

      >・・このページに辿り着いて…なんか胸にこみ上げてきました…人生って面白いものです・・・

      →こういうお言葉を頂くと「このサイトを立ち上げてよかった」、「また記事を書こう」という励みになります。
      どうもありがとうございます。

      また当サイトにおこし下さいね。

  8. ゆたか ほか より:

    「まきば」の閉館についてはよくわからないのっすが、
    90年代の閉館1~2年前に泊まった時に、
    ここをよく使われる宿泊者さんによれば、
    「ペアレント(あるいはマスターって言ってたかもす)さんは、
    自分の定年は60歳だと決めていて、そこから先はYHはやめるといってる」って
    聞いたことがあるっす。そういう判断は、びしっと決められた方だったそうなす。
    ・・・何に起因してるかわからなかったっすが…ゆたか

    • kaikoshumi より:

      「ゆたか ほか 」様
      貴重な情報ありがとうございます。

      おやめになった時は60歳だったのでしょうか?
      YHのPはサラリーマンとは比較にならないほど過酷ですから、ゴールを決めていたのかもしれませんね。

      でも誰かに引き継いで欲しかったなぁ、と部外者だから勝手なことを言ったりします。

      またお出でくださいね。

  9. はな より:

    釧路湿原とうろユースホステルは、ユースホステル協会を脱退して宿を続けているようで、じゃらんで予約受付をやってました。公式サイトはそのままになっているようですね。

    • kaikoshumi より:

      はな様

      こんにちは。コメントと情報ありがとうございます。
      協会を脱退してもある期間(かなり長い事もあるが)公式サイトやYHとして情報が残っているところは多いようです。

      でもこれは私が知る範囲なのですが、YH協会脱退→しばらくYHという名が残る→YHの名を何時までも残せないのでまったく異なる名前の宿になる→いつの間にか閉館・・・、というところが多い気がします。

      YH協会に残るメリットが少ないのかもしれませんが、どっちみち今は昔からのYHを引きずる安宿路線では存続が難しいのかもしれませんね。

  10. なっちゃん より:

    はじめまして。
    1980年代後半よく北海道を一人旅したものです。釧路では春採湖のYHの方によく泊まりました。まきばYHには1回だけお世話になったのですが、その際とても印象に残ったのが掛けられている絵です。物憂げなアイヌの少女とか…その画家の名前が知りたいです。

    木造の古い細岡駅からてくてく歩いて大観望まで行ったのはいい思い出です。

    • kaikoshumi より:

      なっちゃん 様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      私は春採湖YHは知ってはいても泊まらず仕舞いでした。
      あそこは場所が不便ですね。

      「まきば」も駅から離れていますが、まあ徒歩20分強なので列車の乗り降りには大して不便でもありませんでした。

      でも残念ながら「絵」のことは記憶に無いんです。
      ごめんなさい。

      細岡からの展望台・・・→私も何度か行きましたがいくといつもどんより空で、快晴の写真が一枚もありません。

      でも野生のシカに出会えたりしました。

      ご訪問ありがとうございました。
      また当サイトにお越しくださいね。

    • 通りがかり より:

      もう見ておられないかもしれませんが
      常陸太田出身の『伊藤博』氏の絵です。
      まきばYHの油絵は99%彼の作です。

      • 小春 より:

        まきばYHに飾ってあった絵。 私も大好きです。  絵葉書より少し大きめの印刷した物もあり 何枚か所有しています。
        湿原の絵が好きです。

      • ミケネコ より:

        本当に久しぶりにこのサイトにお邪魔します。
        毎日の生活に追われ、ひと息ついてふと思い出し来てみました。
         
        まきばのヘルパーをやってから、はや約40年
        いつの間にやら還暦を迎えました。
        YHによく顔を出していた、ボーイスカウト活動をやっていた床屋の恵太君と釧路の成人式に行ったのが昨日の事の様です。
         釧路また行きたいです。
        和商市場いって、炉端行って、岩保木山登って、湿原見てビーフシチュー食べて…
        ヘルパー仲間とも会って見たいなぁ〜
        サクさん、ブリ子、元気ですか?
        このサイト 気付いて欲しいなぁ〜

        • kaikoshumi より:

          ミケネコ様
          コメントありがとうございます。
          恐らくミケネコ様と私はほぼ同じくらいのお年の気がします。
          和商市場、炉端、岩保木山・・・懐かしいですね。
          炉端は10年程前に行きましたが全く変わっていませんでしたし、最近の写真でも変わっていないようでした。
          私も釧路は大好きですが何分遠いですね。でも数泊して毎日あるくだけの滞在をしてみたいと思います。

          また当サイトへお越しくださいね。

  11. たけちゃん より:

    昔、35年くらい前ころよく泊まりに行っていました!
    朝早くからタンチョウの撮影をするため、釧路駅からバスに乗ってタンチョウの里に毎日出かけていました!
    ロッキングチェアに座りカムイ外伝の漫画を読み、おやつタイムにアップル餃子にシナモンティーが楽しみでした。
    そのあと年末になると浜小清水ユースホステルに釧網線に乗って行きました!まだあの頃は標茶で列車の半分が標津線に別れた記憶があります!

    • kaikoshumi より:

      たけちゃん様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      35年くらい前というと1983~1984年頃だと思いますが、その時期は私もガンガンYHに泊まっていた時期でした。

      もちろんまきばYHも何回も行きましたのでお会いしているかもしれませんね。

      そうです、アップル餃子ですよね。

      あの頃は(今は?)YHはマンガがずらーっと並んでいる本棚が必ずあって、早く着いた時、雨の日の連泊でも退屈しませんでした。

      標津線も乗りましたね。
      釧路から根室標津行きの急行「しれとこ」がありました。これは標茶までは急行「大雪」と併結で、「しれとこ」は標茶を出ると終点までは普通列車になるんです。

      この列車の事も本サイトでは記事に書いていますのでぜひご覧下さい。↓

      http://u0u1.net/PNpn

      また当サイトにお出でくださいね。

  12. ジープ より:

    ノンダクレーさん初めまして、山形県在住の者です。

    今から46年ほど前「牧場ユース」に泊まりましたが記憶は美化してしまうのでしょうか、綺麗な建物という覚えが残っています。

    釧路を訪ねる予定があるので、あの建物だけでも見てみたいものです。このサイトのお陰でそんな気持ちになりました、ありがとうございます。

    • kaikoshumi より:

      ジープさま
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      私より先輩ですね。
      私が初めて北海道を訪れたのは43年前の1976年となります。

      でも牧場は当時もきれいだったと思いますよ。
      全体に木を使っていましたが、手入れもよくて清潔でした。

      ぜひ行ってみてくださいね。

  13. ミケネコ より:

    宮城県仙台市在住
    まきばYH 懐かしいですね。ペアレント夫妻はお元気てしょうか… 38年位前にまきばでヘルパーをしていました。1年ちょっとお世話になりました。
    色々なホステラーさん達と出会い、本当に良い経験が出来ました。 あの時間を過ごせた事が 私の宝物です。
    今でも家でアップル餃子作ってますよ。

    • kaikoshumi より:

      ミケネコ様
      こんにちは。ご訪問とメッセージありがとうございます。
      38年前ですか。その年の夏ならば多分私もここに泊まっています。

      お会いしている可能性大です。

      ペアレントさんの数年前のお顔はネットで拝見しましたが、ずいぶんとふっくらされましたが面影はそのままでお元気でした。(この写真のサイトは現在閉鎖のようですが、探せばお顔の写真はあると思います。)

      アップル餃子、おいしいですね。私も妻に作ってもらいました。

      当サイトはYHはもちろん北海道の話題もいろいろありますので、ぜひまたお越しくださいね。

  14. 佐々木厚 より:

    まきばYH、懐かしい。1973年の3月に初めて宿泊したと記憶しています。その翌年も行ったと思います。今でも覚えているのは、馬蹄を打ち付ける釘を使ってアクセサリーを作っている人がいました。襟裳ユースも無くなりましたね。北海道は稚内ユース、知床ユース、浜小清水ユース、ウトロユース、函館ユース、白老ユース、などなど、思い出は沢山あります。

    • kaikoshumi より:

      佐々木厚さま
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      確かに北海道もYHが激減しましたね。(全国的ですが)
      近年も残っている、新設されたYHはどちらかというとビジネスホテル的なものが多いと思います。
      これも歴史なんでしょう。

      実は3日ほど前に所要で白老に行きました。
      私も泊まった懐かしい白老YHの痕跡を探しましたが、おおよその場所は分かりましたが、草がぼうぼうの空き地、そして会社の敷地となっており悲しいほどの時の流れを感じました。

      仕方ありませんね。

      また当サイトへお越しくださいね。

  15. レクサス乗りのオジサン より:

    1987年2月26日 高校卒業と同時に国鉄職員だった故人の父の勧めで 周遊券で北海道巡り父からYHを薦められ帯広yhに5泊 釧路まきばYHに3泊しました。たしかペアレントが太田さんだったと思います。アップル餃子懐かしい。今 50歳となりました。父は他界し娘が大学生となりました。娘にYHの話しをしたら お父さんゲストハウスも嫌だ。釧路に行くならビジネスホテル(東横 スーパー ルートイン)が候補らしい。
    私が 早稲田大学生だったころはYHのサークルもありましたが 娘み早稲田に通ってますが YHで何? 時代を感じます。 私は雄弁会出身のため新聞社勤務ですが 編集会議にてYHの取材をしたいと思います。きっと回顧録として共感を呼ぶと思います。

    • kaikoshumi より:

      レクサス乗りのオジサン様

      こんにちは。コメントありがとうございます。
      帯広に5泊とはすごいです。
      昼間は周遊券で遠くに出かけたのでしょうか?

      「アップル餃子」、釧路まきばの代名詞みたいでしたね。
      家でも作りましたが美味しいですよね。

      今の若い方にYHのことを説明したらきっと、

      「そんなめんどくさい宿に金払って泊まりたくない」

      と言うでしょう。

      しかし礼文島の桃岩荘YHは未だに数十年前と変わらず送迎の踊りをやったり、昼間から踊っていたりして驚きです。

      近年何度もTVで紹介されていますよ。
      YHの取材されるのであれば桃岩荘ははずせないと思います。

      何しろ半世紀近く前と未だにやっていること同じなんですから。

      また当サイトにおいでくださいね。

  16. ジープ より:

    ノンダクレーさんこんばんは。

    2016年にアップされた貴殿の記事に今、更にコメントがされるということに驚きがいっぱいです。

    • kaikoshumi より:

      ジープ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      私も多くの方からコメントを頂きとてもうれしいです。

      これはいかにまきばYHが愛されて来たか、という証だと思います。

      閉館されたことは残念ですが、泊まった方にとっては永遠の思い出となることでしょう。

  17. 名古屋403 より:

    はじめまして。
    1979~80年にかけてヘルパーをしていた者です。
    もう40年にもなるのですが、あの頃の記憶は鮮明委に残っております。
    令和になってにまきばの話題が見えるとは思っていませんでした。
    昨年約20年ぶりに釧路に行きまきばにまだ建物が健在で、ペアレントご夫妻も元気にしておられました。
    文中の『街』懐かしいです。当時各YHでオリジナルソングを持つ事が流行っていて、まきばYHでもと思いましたが才能も無く大好きだった高石ともやの『街』(京都の街を歌った名曲)を私が勝手に釧路の街に変えて歌っていました。
    貴殿歌っていた『街』はどちらかは分かりませんがゆったりとした本当に良い曲です。(もちろん原曲)
    まきばの替え歌は『街、釧路にて』と題してミーティングで歌っていました。

    • kaikoshumi より:

      名古屋403さま

      こんにちは。コメントありがとうございます。
      ヘルパーをなされていたのですね。

      1979年は3月下旬に初めて「まきばYH」に泊まりました。
      1980年は8月に泊まっています。
      名古屋403様とお会いしているかは分かりませんが、「あの時代」の「まきばYH」と共に知っている仲間ですね。

      Pさんにもお会いできたのですか。
      Pさんもお元気そうで何よりですね。

      確かに当時はYHのオリジナルソング、というかそのYH向けの替え歌みたいのが流行っていました。

      旅の終わりも各YHごとにさまざまあったようです。

      「街」のまきばYHバージョン何となく覚えています。
      確かまきばYHバージョンを最初に知ったと記憶します。

      この替え歌をお創りになったのは名古屋403様なのですか?

      すごいですね。まきばYHの歴史、というかまきばYHに泊まった人の人生の歴史に刻まれた記憶になるのですから。

      確かまきばYHで知って2~3年後にオリジナルの歌詞を知った気がします。

      カラオケではほんの数年前に何げなく「まさかあの街はないだろうな」と思い検索したらあったので、それ以来歌うようになったのです。

      時代は令和になり、まきば全盛の時代から長い年月が経ってしまいました。

      しかしこの記事のコメントを見ればお分かりのように今でも当時の思い出をたくさん語ってくださる方が大勢いらっしゃるのです。

      つまりそれだけ永遠であるということです。

      また当サイトにお越しくださいね。

      • 名古屋403 より:

        私がまきばのヘルパーをしていたのは79年5月から80年3月までなので残念ながらお会いはしていませんね。
        あれから40年の月日が経ってもこの期間の事を忘れる事はありません。
        今でも本当に時折ギターを出して動かなくなった指で弾き語っています。
        「街 釧路にて」原曲を壊したくなかったので、釧路の印象を何とかねじ込んだ感じです。

        その後まきばYHでいつまで歌い継がれたかは不明ですが、他のYHでもその土地に合わせて歌われたとか釧路の何処かの学校が合唱コンクールで歌ったとかを後年耳にしました。(真偽は定かではありません)

        kaikoshumi様の言われる「人生の歴史に刻まれた記憶」と言うのは大袈裟ですが、今でも覚えてくれている人が一人でも居た事を知り幸せに思います。

        これからも時々お邪魔します。

        • kaikoshumi より:

          名古屋403様
          コメントありがとうございます。
          私が宿泊した時には残念ながらお会いしていないようですが、でも同じ年に訪れている、ということから同じ場を共有した、と言って良いでしょうね。

          私も一つ思い出したことがあります。
          当時、YHの旅が好きで好きでたまらなく、四六時中YH(特に北海道)のことばかり考えていました。

          ですから一つ一つの旅がとても愛おしいものでしたので、毎日の旅程や出来事をノートに書いていたのです。

          その中ではっきりおぼえていることとして、初めてまきばYHに泊まって覚えた「街 釧路にて」が大好きになり、YHに合った歌詞の本?を見ながら歌詞を自分のノートに書き写したのです。

          そして帰宅後も覚えている範囲で歌ったりしていました。

          でもその後の幾度となる引っ越し、特に結婚時はかなり大掃除をしたこともあり、そのノートは紛失してしまいました。

          今なら歌詞のページをスマホで撮影して・・・、となるでしょうが、YHの食堂のテーブルで一生懸命書き写したことが懐かしいです。

          また当サイトにお越しくださいね。

  18. ジープ より:

    ノンダクレー様こんばんは!

    今年は残念ながら釧路へは行けませんでした、もう冬ですしね。季節が変わったら行こうと思っています。

    • kaikoshumi より:

      ジープ 様
      こんにちは。
      コメントありがとうございます。

      釧路は季節を問わず素晴らしい街ですし、冬は雪原のタンチョウを見れたりも出来ますね。

      ただ冬の釧路はその美しさと裏腹にあまりにも過酷です。

      やはり3月とか落ち着いてからの方が安全面とかでは良いですね。
      札幌とは比較にならないほど厳しい自然があります。

      また当サイトにお越しくださいね。
      そして良いお年をお迎えください。

  19. お父さん より:

    まきばYHには僕が19歳でした1976年の3月に摩周湖YHの次に利用しました。とても懐かしいですね。
    勿論、釧路駅から歩いて行きましたが凄く近かった様に記憶しています。
    僕にとっては、恐縮ですがYHそのものよりも、2日目にホステラー達と一緒に登った岩保木山や3日目に訪れた鶴居村で見た丹頂鶴が印象に残っています。
    岩保木山なんて全く知らなかったですが、前夜のmeetingでヘルパーさんから紹介されて5~6人で行ったと思います。朝早い列車に乗り、YHで作って貰ってお握りのお弁当を持って、遠矢駅で降りてテクテクと線路沿いの道を歩いて、途中から右に折れてせっせせっせと登りました。
    太陽に照らされ、雪に覆われてキラキラと輝いていた釧路湿原の、頂上からの眺めは今でも瞼に焼き付いています。
    YHの壁に凄く素敵な丹頂鶴の写真が沢山飾ってあって、PさんにこれはPさんが撮られたのですか、とお訊きしましたら、ホステラーさんが撮ったものだとの事でした。
    その後、少し時が経って、僕の友人となった男性Sさんの家にお呼ばれした際に、全くおんなじ写真が飾られている事に気が付きました!思わず、これって釧路のまきばYHで見た、と云ったら、そのSさんがまきばYHを常宿にして丹頂鶴の写真を撮っていたホステラーと判りました。何と云う偶然なのかと、お互いにビックリした事を懐かしく思い出しました。
    Sさんは今もご健在で、写真を趣味にされています。
    人生は邯鄲の枕ですね。

    • kaikoshumi より:

      お父さん様
      コメントありがとうございます。
      当時釧路まきばYHはYH旅行の定番でした。
      北海道をYHで1周をする旅人は必ずここに泊まったと思います。

      まきばYHは釧路駅から歩くと遠いですよ。
      本記事でも再度ご確認頂きたいのですが、しばらく線路沿いに歩いてから線路反対側に渡り、住宅地の中を歩くのです。

      岩保木山や鶴居村にも何度も行きました。
      また久しぶりに行きたいのですが、何分釧路自体がとんでもなく遠いです。
      札幌~釧路の距離も350㎞くらいありますので東京~名古屋の距離です。

      そして岩保木山や鶴居村はさらに遠い・・・。

      既に無くなったまきばYHは大好きでしたが、今でも釧路の町自体が大好きです。

      数年前に泊まりに行ったことがありますが、のんびりと街を歩いて夜は美味いものを食べて飲んで、とまた出かけたいです。

  20. ジープ より:

    ノンダクレーさん、こんばんは!

    このように長くコメントが続くサイトは初めてです!
    本当に驚いております。自分はといえば最近まで移住の地を(北海道に)探しておりましたが今は叶わぬ夢となりそうですが後悔はありません。いずれその機会があれば良し、消え去っても良し。趣味のムックリを鳴らし彼の地を想う日々を過ごしましています。

    • kaikoshumi より:

      ジープ 様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      長くコメントが続く、私もとてもうれしいです。

      もっともコメントが全くつかない記事もありますし、たった1つか2つのコメントだけだけど物凄く心に染みるコメントを頂ける事もございます。

      いずれもご訪問下さるだけで大変に感謝しております。
      これらが私への励みであり、日々の喜びでもあります。

      ジープ様も北海道への移住を考えていらっしゃったのですね。

      私は叶えることが出来ましたが、多くの条件が揃わないと移住、Iターンというのは難しいです。
      私の場合は妻が北海道の人だったという事が最大の味方だったと思います。

      いずれ記事を書こうと思いますが、ジープ様も含めて地方の都市にIターンをお考えになるのであれば、田舎暮らしはお勧めできません。

      TVや雑誌では田舎暮らしは最高!と紹介しますが悪い部分は一切触れていないからです。

      私が住む札幌市は大都会ですが、ほんの30分も離れれば大自然がありますので、こういう所が良いと思うのです。

      都市の良さは医療体制が整っている事ですね。

      まだまだ夢をあきらめずに頑張ってください。
      思い続ければ必ず夢は叶います!

  21. masaru より:

    たまたま釧路まきばユースで検索してたどり着きました。東京在中のmasaruと申します。実は釧路まきばユースホステルで1989年の夏ヘルパーをしていました。当時学生で125ccのオフロードバイクで初めて行った北海道ツーリングでした。ヘルパーと言っても何もできないし料理が作れるわけでなく、いつもジャガイモを裏の公園でむいていたこと覚えています。あれから30年以上たち50すぎのおやじになりましたが、今でもオートバイ好きで妻とツーリングを楽しんでいます。今年は長い休みが取れそうなので夏に釧路まきばユースの前に行ってみたいと考えています。つい嬉しくなって長々と書き込みしてしまい申し訳ありませんでした。

    • kaikoshumi より:

      masaru 様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      1989年のヘルパーさんですか。私はその頃はYHから少し遠ざかりつつある時でした。

      YH全盛、北海道全盛時代に旅をしまくった我々は皆いい年になりましたね。
      でもそれだけ中身の濃い旅行を楽しんだと思います。
      何歳になってもこの思いは変わりません。

      masaru さんもまた北海道を旅して下さいね。

  22. ジープ より:

    ノンダクレーさん、お久しぶりです。

    コロナで北海道も大変だなと見ておりました。大丈夫ですか?それにしても更なる書き込みに私もうれしくなってしまいました。

    私はこの季節になると決まって「気違い風」と自分で呼ぶ南風が吹くのです。そう北海道に向かって吹くのですよ。
    でも今年はその風に乗れそうにありませんが、いつかつかみたいと思っています。

    • kaikoshumi より:

      ジープ 様
      こんにちは。こちらこそご無沙汰です。
      札幌はコロナ騒ぎがこのところ落ち着いて来ていますが小樽がひどいですね。

      札幌も夜の街に行かなければ多分問題ないと感じます。
      もっとも昼もスーパーとコンビニしか行きませんが。

      今夏の北海道は難しいでしょうか。
      でも秋口は落ち着くかなと勝手に思っています。
      私もあちこち出かけたいしとても良い季節になりつつあるのですが。

      でも先週からの札幌は蝦夷梅雨と言って毎日雨が降って蒸し暑くちょっとイライラします。
      北海道に梅雨がないというのはじつは嘘なんですよ。

      ただ本州ほどひどくはない、という程度です。
      もっとも道北、道東は札幌よりはるかに快適ですが。

  23. Ted より:

    いやあ懐かしい。 私が泊ったのは1968年だったと思います。 まきばYHはまたどこか新しい匂いがあって皆さんでコンクリート工事などやっていました。 そこの作業の指導者は松井さんと言う若い大工さんで私は翌日から松井大工さんの実家の幌呂村上幌呂の松井牧場のバイトに3か月行きました。 時折ペアレントの引率で宿泊者の方が大勢来られました。 今は放浪の果てに米国に移民して孫もいるおじいさんです。 

    • kaikoshumi より:

      Ted様
      こんにちは。
      コメントありがとうございます。
      1968年宿泊とはだいぶ先輩ですね。
      3か月もバイトされたのですか!すごいです。
      牧場のバイトは数多くあるバイトの中で一番きついと聞いたことがあります。

      今はアメリカとのこと。
      でもネットは本当に世界を狭くしてくれますね。
      また当サイトへおこしくださいね。

      • Ted より:

        kaikoshumi様、  返信ありがとうございます。
        ハイ、牧場でのバイトは他のみんなはツブレましたが私は体力だけは自信があったので無欠勤で勤めあげました。
        いつか幌呂村の松井牧場に行ってみたいのですが地図を見ても思い出せません。 残念です。
         米国は北海道の雰囲気があって好きになったので永住を決めました。 

        • kaikoshumi より:

          Ted様
          コメントありがとうございます。
          何かの本で牧場のバイトは体育系学生でも3日で逃げ出す、と聞いたことがります。特に夏は地獄だと。
          やり遂げるとはすごいです。

          「幌呂村の松井牧場」とは以下のことでしょうか?
          地図を表示するとこの牧場が含まれている個所が範囲として表示されます。
          ご確認いただければと思います。

          情報URL:
          https://houjin.j-bdb.com/14600020030297748

          場所については上記サイトの「法人基本情報」の中の「地図」をクリックしてください。

    • カルトフェルト より:

      Tedさんって和歌山のジョーさんではありませんか?
      お忘れかもしれませんが、旭川でもご一緒だったネルソンです。もしそうならご連絡を

  24. Ted より:

    kaikoshumi様。 情報ありがとうございます。 思わず探しまくりました。  が、記憶が朧なのと地名変更とかもあったように思い、見つけることはできませんでした。  なにせ毎日その牧場から外に出ることは無かったのですから。 確かに重労働ではありましたが音を上げなかった自信がその後の米国での極貧の移民生活でも生かされたように思います。 上幌呂、松井旭様。  生涯の恩人です。 未だご生存なれば100歳超です。 これも「まきば」が取り持つ縁です。 

  25. Ted より:

    幌呂村字上幌呂には数軒の松井牧場がありました。 私がバイトしたころのご当主は旭さんと言う方で、今もご存命なら100歳超です。 ご長男が後継したと思われます。  ご次男さんが釧路に出て大工さんになってまきばYHの建設に協力したと聞いていました。
    今はコロナ騒ぎで日本への旅行もできませんが’行けるようになったら釧路にも行ってみたいと思っています。

    • kaikoshumi より:

      Ted様
      コメントありがとうございます。
      松井牧場という名称は数軒あったのですか?
      広い土地でしょうし、親戚とか共同でやっていたのでしょうかね?

      どなたが継承されたのか分からないと思いますが牧場が存続していればいいですね。

      ぜひそのうち北海道、そして釧路においで下さいね。

  26. あのにます より:

    42年前、大学2年生になる春に、広島から、国鉄パスを使い北海道をユースホステルに滞在しながら周遊旅行をしました。
    来週から、釧路で10日間滞在するツアーに参加するため、42年前に1泊した牧場ユースはまだあるかなぁとネットで検索し、このサイトに辿り着きました。
    42年前のアルバムを出してみたところ、ひらがなで「まきば」だと思っていたのですが、ユースホステルの写真は漢字で「牧場」となっていました。サイロのような建物が写っています。
    先月は旭川に行ったのですが、42年前に泊まった旭川ユースホステルも既になく、その場所も分からず残念でした。

    • kaikoshumi より:

      あのにます様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      写真は漢字で「牧場」でしたか。でもYHの名称は「まきば」ですね。

      旭川YHですが、現在跡地は社会福祉施設になっているようです。伊の沢スキー場前ですね。

      場所はこちらのはずです。

      ↑別ページでGoogle mapが開きます。
      でもですが、もしかしたら上記施設の道路挟んだ北側の部分だったかもしれません。
      並びであることに間違いはありませんが。

      • あのにます より:

        旭川の観光案内所で尋ねたところ「カムイの辺にあった」と教えてくれました。その通りですね。駅から歩いたのかなあ〜
        外国種見本林のある美瑛川も、42年前と雰囲気が変わっており、なんと言っても旭川駅が素晴らしくなっていました。
        釧路の記憶はほとんどないのですが、米町公園の写真が残っているので、再訪してみようと思っています。

        • kaikoshumi より:

          あのにます様
          こんにちは。再訪ありがとうございます。

          旭川YHは駅から歩くと1時間以上かかるのでは、と思います。私はバスに乗った記憶があります。
          伊の沢スキー場前で降りるんです。

          旭川駅は本当にすばらしくなりましたね。
          駅前広場も恐らく北海道で一番広いと思いますし、全国的にもトップクラスに入る広さだと思います。

          釧路は駅も街も昔と殆ど変わっていません。
          「昔」というのは私が初めて北海道を訪れた1976年当時の事ですが、駅舎は全くそのままですし、北大通なども昔のままの姿です。

          米町公園は私も行きました。高台でちょっとだけ港が見えますね。
          釧路で一番変わったのは幣舞橋ほとりにフィッシャーマンズワーフが出来た事くらいです。

          また当サイトにお越しくださいね。

  27. ジープ より:

    ノンダクレーさん、こんにちは。

    コロナも少しは落ち着いてきたようですが、その影響が大きく皆さん苦労されていることと思います。

    さて新しいコメントが継続し楽しく拝見していますが、makibaかbokuzyouかの話題で思い出しました。私は最初に行く時にてっきり広大な前者のような土地にあるのかと思っていたのを憶えています。とても思い出深い場所に変わりはなく同様の方がたくさんおられるのがうれしいですね!

    寒さもこれから一段と厳しくなりますでしょうからお体ご自愛下さいませ、さようなら。

    • kaikoshumi より:

      ジープ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      >広大な前者のような土地にあるのかと・・・
      →実は私もそう思っていました。
       広い原っぱに建っていると勝手に想像していたのですが、住宅密集地の中で発見するのも大変でした。
       ましてや最初に行ったのが夜だったんです。

       でも建物は外も中もとっても素敵でしたね。

       最近記事のペースが落ちていますが元気にやっております。他に忙しいことが多いのですが頑張って記事を書いていきますね。

       またお越しくださいね。

  28. あのにます より:

    Gotoトラベルで、10月下旬に釧路長期滞在の旅に行ってきました。

    1日レンタサイクルをして釧路牧場ユースにも行きました。
    建物は昔のまま、玄関が開いており何か作業中の様子でした。外から覗いただけですが、2段ベッドが散乱している様に見えました。入り口の看板には「你好」の文字があり、外国人相手のホステルになっているのかなと思いました。建物の周りも草ボーボー、荒れ果てているような印象でした。写真も撮ったのですが、ここにアップすることができるのですか?

    釧路駅は、非常にクラシックなままでした。JR北海道は無人駅も多く、経営難のようですね。1日かけて網走まで往復しましたが、わずか1両の車両に色々な人の生活が垣間見られ、楽しかったです。

    米町公園にも行きました。コンクリートの白い展望台が出来ていました。当時はここが結構名所だったと思うのですが、今はもっと眺めの良いところがあり、あまりPRされていないようです。

    釧路再訪、とっても良かったです。

    • kaikoshumi より:

      あのにます様
      コメントありがとうございます。
      訪問されたのですか!
      行ってみたいですが釧路は遥か彼方…

      写真アップしたいです。
      まず当サイトタイトル直下の「お問い合わせ」からご連絡下さいませ。

      その後私からお返事しますので写真をその後送って頂く事になります。
      手順は後ほどお教えします。

      とりあえず「お問い合わせ」からのご連絡お待ち申し上げます。

  29. ジープ より:

    ノンダクレーさんこんにちは。

    あのにますさんが投稿された今のまきばユースの写真拝見しました、ありがとうございました。

    新たな施設として活用されるのなら、外観だけでも残ってうれしいですね、朽ち果てていくのを見るのは寂しいものですから良かったですね。

    釧路には私の好きな口琴の工房があり、今のムックリが壊れる前に是非製作者にお会いしたいと思っているのです。

    • kaikoshumi より:

      ジープ様
      こんにちは。朽ち果てる・・・、これだけは勘弁ですね。
      仮に中が大きく変わっても外観などは昔のものを残してほしいです。

      いずれにせよ今後の動向を注視となります。

      ムックリの製作者様にお会いできると良いですね。

  30. ジープ より:

    新年あけましておめでとうございます。

    昨年はいろいろ有意義な情報を頂きありがとうございました。日本全国コロナ感染で一喜一憂する毎日ですが如何お過ごしでしょうか。

    お元気に過ごされますように。

    • kaikoshumi より:

      ジープ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      今年もよろしくお願い申し上げます。
      こちらこそ弊サイトのご愛顧どうもありがとうございます。

      今年もマイペースでのんびりですが面白い記事がかけるように頑張りますのでどうぞよろしくお願い申し上げます。

  31. ジープ より:

    kaikoshumi さん、しばらくです。

    新年のご挨拶からもう半年ですが、いかがお過ごしですか? コロナのせいで不自由な暮らしが続いていますがいずれ落ち着くまでご注意くださいね。

    北海道への憧れは止みませんがいずれ行けることを信じ日々を送っています、こちらは梅雨を通り越して初夏のような気候です、お元気で!

    • kaikoshumi より:

      ジープ様
      こんにちは。ご無沙汰ですね。
      幸いこちらは家族全員元気で暮らしております。北海道の感染は大変な事ですが、
      中心部は人が激減とはいえ観光客もそこそこいます。多分今年いっぱいは厳しいでしょうね。
      これは全国的と思いますが。
      北海道はこれから一年で最高の季節になります。遠出は厳しくても田舎の風景でも見に行こうとは
      思っています。
      また当サイト、そして北海道にお越しくださいね。

  32. ジープ より:

    kaikosyumiさん、ご無沙汰でしたお元気ですか?

    コロナ終息が見えないこともあり、今年はとうとう北海道へ渡れずに時間が過ぎてしまいました。

    最近牧場yhと共に思い出深い岩尾別も閉館になったのを知りました、時代なのかと思うしかありませんがどうやらライダーズハウスがその肩代わりをしてくれているようで心強く感じたのでした。

    来年こそは、と思っています、ではお元気で!

    • kaikoshumi より:

      ジープ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      緊急事態が続いていますが、道内は本州からのライダーは多いです。
      またレンタカーを多いですね。札幌中心街もキャリーバッグを持った観光客が闊歩しています。

      でももちろんコロナ前に比べると物凄く少ないのですが。
      今月の大通公園のオータムフェストや雪まつりも中止になりました。
      残念ですが観光客はいるところには結構いますね。

      来年は良き年になるように祈念いたしましょう。
      またお越しくださいね。

  33. 武蔵鉄道 より:

    kaikoshumi 様 初めまして昭和47年に自転車日本1周をした時、7月11日にまきばYHに泊まりました。それ以前に各地のYHで知り合った自転車仲間が3人泊っていたのがまきばYHの泥沼?に嵌まった切っ掛けです。丁度開所1ヶ月だったので夕食時会がありました。10周年の会を東京銀座のレストランに、太田さんご夫妻をお迎えして開催したのも懐かしい思い出です。先程太田さんに電話してこの掲示板をお知らせしました。後から見るとの事なので書き込みが有るかも?

    • kaikoshumi より:

      武蔵鉄道さま
      コメントありがとうございます。
      北海道のYH遍歴では私より先輩ですね。
      「まきばの泥沼」→分かりますね。私は別のYHの泥沼にはまりましたが
      それほど魅力があり惹かれるということです。
      太田様からの書き込みがあるといいですね。
      また当サイトにお越しくださいね。

  34. 武蔵鉄道 より:

    開業当時すぐ横に新釧路駅の駅舎がありました。炭鉱のための鉄道だったと記憶しています。釧路駅からの道路が線路跡です。当時の写真アルバムは押入れの中にあるのですが、すぐには出せないので見る事は出来ません。

    • kaikoshumi より:

      武蔵鉄道さま
      コメントありがとうございます。
      釧路界隈は炭鉱関連の鉄道が多かったのは聞いたことがあります。
      最後まで残った太平洋炭鉱の路線は走っている時に見に行きました。
      でも他にも多くの路線があったのでしょうね。
      私はああいう小さな専用線を見るとなんかドキドキします。
      乗れるわけでもなくても何か旅情を誘われます。
      もしお写真が出てきたらぜひお知らせください。
      ご訪問ありがとうございました。

  35. ジープ より:

    kaikoshumiさん、あけましておめでとうございます。

    年が明けてもなかなか安心できる日は来ないようですがいかがお過ごしでしょうか。

    少しでも希望に近つけるように努力しないといけないと思っております、良い年にしましょう!

    • kaikoshumi より:

      ジープさま
      こんにちは。明けましておめでとうございます。
      こちらこそ本年もよろしくお願い申し上げます。
      幸い私も家族も体調は万全で元気に過ごしております。
      しかし世間の暗いニュースは悲しくなりますね。
      とにかく少しでも笑えるように、そうだったね、と楽しめるように頑張ります。
      どうぞ弊ブログをよろしくお願いします。

  36. ジープ より:

    kaikoshumiさん、こんばんは。

    第6波が来て日本中大変なことに、こんな時に悪さを仕掛ける国があるとは信じられませんがお元気で過ごされていますか?

    当方も予定を変更せざるを得ない状況ですが、できるだけ早く御地を訪れたいものです。そうそう、最初に投稿した当時ジープという名前でしたが今はジープを降りたので新しい名前「凍人」を名乗っております、そのままでいいのですが(笑

    今後小さいバイクを入手し思う存分北海道を走り回りたいというのが今の夢です、50年前のように。

    • kaikoshumi より:

      ジープ様
      こんにちは。
      当方は家族ともども元気です。私は昨日(3/10)3回目接種を受けました。
      しかし親戚の方がコロナに感染し、肺炎まで誘発しました。38度後半の熱が下がり「もう大丈夫」と
      思っていたら再び熱が上がり喉が痛く呼吸も苦しいというので診てもらったら肺炎でした。
      幸い肺炎も治りかけで入院とはにはなりませんでしたが、その方は基礎疾患は無いけど体が弱いので
      ワクチンを敬遠していて一度も受けていなかったのです。それが仇になったようです。
      重症化しにくいと言われるオミクロンも舐めると恐いですね。

      ぜひバイクで北海道を走り回ってください。絶対かないますよ!
      私も「いつか北海道の人と結婚し、そして北海道に住む」と強く願い続けていたら現実になったのです。
      夢はかないます!

  37. カルトフェルト より:

    ノンダクレー様
    初めまして。
    たまたま,まきばYHで検索をかけたらここに辿り着きました。
    最初の方で紹介されていました、まきばの画像いっぱいのHP を作って管理していたのは私です。
    残念ながらサイトは運営側の都合で閉鎖してしまいました。
    HPを見に来ていただいてたのですね。
    気にかけていただいてありがとうございます。

    実は今日(6月11日)はまきばYHの開所記念日です。
    電話で元Pの太田氏と話しました。
    彼ももう80歳ですが、元気に過ごしているとのこと。

    また機会あれば何らかの形でまきばを紹介するサイトを立ち上げたいと思っています。

    • kaikoshumi より:

      カルトフェルト様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      まきばのサイトをお作りになった方ですか!
      びっくり、偶然の出会いと言えますね。
      お世話になりありがとうございます。

      それとペアレントさんはもう80ですか。
      でもお元気でいられるのであればお会い出来なくても嬉しいです。

      ペアレントさんの印象はあまり目立たなかったけど、とにかく黙々としかもテキパキよく働くというものでした。

      あの頃懐かしいです。

      また当サイトにお越し下さいね。

  38. ジープ より:

    ノンダクレー様、お久しぶりですお元気でしたか?

    最近はコロナや天災が賑やかで自分の時間を忘れそうで困ったものですがこちらのサイトで「確かに過ごした過去」を思い出させてくれます。

    カルトフェルトさんからのコメントではペアレントさんはお元気そうで何よりですがもう80歳なんですねえ・・・
    当時わたしは18歳でしたから皆老いたわけです。

    過去を楽しむのはノンダクレー様のモットーと承知しております、皆さんもっともっと楽しませて下さいお願いいたします。

    • kaikoshumi より:

      ジープ様
      こんにちは。お久しぶりです。
      私はまきばのPさんのお若い時しか知らないのでお年を聞くとビックリです。
      というか自分も含めて皆年取ったわけですから、これは仕方ないですね。
      時の流れは当然だけど残酷です。

      弊サイトのネタは実は下書きがたくさんありますが、調査したりしてからアップしていますのでけっこう溜まっています。
      また今週は泊りで親戚の家に行かなくてはなりません。出先でネタをまた仕入れたいと思っております。
      また弊サイトにお越しくださいね。

  39. ジープ より:

    ノンダクレー様、お元気でしたか?

    コロナもそうですが、なかなか人生思うようにはいかないもんですねえ。それは決して悪い意味だけではないのですが不思議なものだと思っています。

    希望を先送りばかりしていますが、その分生きる楽しみを取ってあるのだと言い聞かせる日々が続いています。

    どうかお元気でお過ごしください、そして来年がより良い年でありますように。

    • kaikoshumi より:

      ジープ様
      ご無沙汰です。お元気でしょうか?
      私と家族は健康に何も問題はなく元気で過ごしております。ただ「生活に満足か?」と言われると疑問符は付きますが、「いつも通りの生活」が出来ているのでこれ以上を望むのは贅沢なのかもしれませんね。

      年末は別に忙しく振舞おうなんて考えていないのになぜか忙しくなり、記事ネタが下書きにたくさんあるのにアップできていない物が多く焦ってもおります。
      ともあれ年末年始は家族でのんびりと楽しい日々を送れそうです。
      こちらこそ来年もよろしくお願いいたします。

  40. ジープ より:

    ノンダクレーさん、ご無沙汰してしまいましたがお元気でしたか?

    また夏が近ずき地元でお会いするバイカーさんの目的地が北海道と聞くと、素直にいいなあ、私も行きたいとなってしまいます。嗚呼自分の不甲斐なさを悔いてみてもしかたがないのですが。

    でもいつか行くと決めたのですから、諦めずに目標に向かって進むのみですね(笑

    • kaikoshumi より:

      ジープ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      札幌は本州に比べると大して気温は高くないですが雨が多く、湿度がやや高いです。
      これを蝦夷梅雨といいます。つまり北海道も梅雨があります。
      でも本州に比べればかなりの快適さで、ゴキブリが出ないのは良いですね。

      札幌だけ見ても春から観光客が激増で、今は特にインバウンドがめちゃくちゃ多く、幹線道路もレンタカーだらけです。
      地下鉄乗っても大きなキャリーバッグだらけで乗り降りが大変です。

      バイクのツーリングも激増で大きな荷物を積んでいますが、必ずしも道外ナンバーではなくて、札幌ナンバーのツーリンググループもかなり多いです。

      私もジジイになりつつあり、体はポンコツで治し直しながら使っている状況ですが(笑)、でも「あそこにこんな花畑がある!」、「あの路線に臨時の特別列車が走る!」とかの情報を知るとすぐさま出掛けます。

      最低限の体力があれば何とかなりますよ。
      険しい山を登るわけではないのですから。
      必要なのは資金はもちろんですが、「行きたい」という気持ちだけです。

      基本はこの気持ち以外は不要かと思います。

      ぜひ北海道を旅して下さい!
      2泊で飛行機&札幌だけでも存分に楽しめます。

  41. ぴょん より:

    初めまして(なつかしさで長文失礼)
    数日前NHK72時間で礼文島の桃岩荘YHをやっていて,「まだ桃岩荘やっているのか」と驚きました.その勢いで,大学生のころ一番通った釧路まきばYHを検索したら,この掲示板を見つけ,さらに驚きました.

    まきばYHに通っていたのは,1978~1982年ころで,50泊以上はしています.若いころの思い出で,まきばYHも,太田Pさんも,釧路の街も,釧路湿原も,YHにいつも居た地元の恵太くんも,アクセサリー作りやってYHで販売していたタクローさんも,すべてが懐かしいです.

    2019年10月に書き込みのある,元ヘルパー「名古屋403さん」は,あの方だなとわかりました.『街』釧路バージョン,「北おおどおり,啄木の道・・・」でしたっけ? 懐かしいな~

    まきばYHが大好きで,釧路湿原が大好きで,釧路に通い続けました.まだ国立公園でもなんでもなく,今の細岡湿原展望台も無い時代です.釧路湿原を展望する岩保木山の入り口に,YHの人たちと案内看板を建てたりもしました.
    春夏秋冬釧路湿原に何回行ったことでしょうか.今も名所で残る「岩保木水門」から,釧路川沿いの道をまきばYHまで15kmくらい歩いて帰ったことも何回かあります.

    その後,1987年とつぜん国立公園になり,すごくビックリしました.会社人になってからも,釧路湿原好きは変わらず,何回か行っています.しかし,まきばYHとも太田Pとも40年間ご無沙汰しちゃいました.
    太田Pには「おまえは,就職してからもここに来ないとダメだよ」と言われていたのですが,年賀状だけで足が遠のいてしまいました.ごめんしてね.

    こんな掲示板を作ってくれているkaikoshumiさんに感謝です.

    • kaikoshumi より:

      ぴょん様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      凄いまきばファンですね。私も釧路の街は大好きで何度行ったか分かりません。
      今は札幌に住んでいますがあまりにも遠くて簡単に行けないです。

      まきばも何度も泊まりましたが、ぴょん様には到底勝てませんね(笑)

      成人してある年からユースは泊まらなくなりましたが、私のお決まりパターンは釧路のホテルに泊まり夜散々1人で飲んで、幣舞橋付近をウロウロする、というのが大好きでした。

      まきばユースは駅から遠かったですが、それを含めても行きたくなるユースでした。

      年代的にもしかしたらまきばでお会いしてる可能性大です。

      また釧路に行きたいです。

      そして弊サイトにもまた来てくださいね。

  42. ジープ より:

    ノンダクレー様こんにちは!

    今年の夏と言ったら暑くて干からびそうでした、という理由を付けて今年の北海道は私から通り過ぎていきました。

    しかし体調復活を目指し50年続けた飲酒を止め、手元にある旅用自転車を再整備する気持ちでいます。

    という訳で気持ちは前向きでおり、目的地を釧路からサロマまで延長いたしました、机上の空論で終えないように禁酒も続けますよ(笑

    • kaikoshumi より:

      ジープ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      今年の夏は本当に暑かったですね。でも札幌は1週間くらい前から少し秋めいてきました。
      とはいえ日中はまだ28~32度になり、この時期では異例の高温です。
      10月になっても高温は続くと言っています。冬が遅く来るのは良いのですが、こういう年に限って
      冬の雪の量が多かったりして、それも困ります。

      飲酒をおやめになったとのこと。ストレスにならないようにおやめになれば良いのですが。
      私はノンダクレーと名乗っている割にはそんなに飲まないのです。
      居酒屋にも2ヶ月に1度ほど、普段も毎日飲まないし飲んでも缶ビールか酎ハイ1本です。

      自分も大病して調べたところ、一番悪いのはタバコなのですね。
      嗜好品でこれほどの悪者は無いようです。特に心臓や血管関係の病気の場合は
      「即やめてください」と医者から言われるとか。
      私は元々タバコは吸わないので問題ないのですが、そんなに”猛毒”とは思いませんでした。

      ぜひ自転車旅行頑張って下さい。サロマに延長なんて言わずに全道1週を!
      時間をかける、2分割にすれば出来ます。ぜひ!

  43. ぴょん より:

    kaikoshumiさま,早速の返信ありがとうございます.
    今は札幌在住ですか.

    私は札幌生まれ育ちで,高校まで札幌市真駒内に居ました.中学2年生の1972年札幌オリンピックは,家の隣がオリンピック村(選手村)でした.伝説のジャンプ金銀銅メダル独占も,宮の森ジャンプ競技場で生で見ました.

    大学で東京に出て,それから国鉄北海道周遊券で北海道のYHを回るようになりました.最初にお気に入りになったのが釧路まきばYHで,それから北海道に行くと必ず,まきばYHに数泊~10数泊するようになりました.

    浜頓別YHや,えりも岬YHでは,1週間以上連泊でいつも来ている「目立つ常連ホステラー」必ず居ました.まきばYHでは,1週間以上の連泊者はそんなに居なく,目立ちもしなかったと思います.私も目立っては居なかったと思うのですが,他の人から見てどうだった?

    そんな釧路まきばYHが好きで,のんびりYHや釧路湿原を楽しんでいました.

    就職してYHに泊まらなくなった後も,釧路(=釧路湿原)に4~5回行きました.宿泊は市内のホテル.家族で3回,釧路から西に100kmほどの浦幌町での仕事ついでに1~2回ですか.
    まきばYHの前まで行ったこともあるのですが,なんとなく「ただいま~」と入っていけませんでした.

    • kaikoshumi より:

      ぴょん様
      お返事ありがとうございます。
      恐らくですがぴょん様は私の3つくらい上では、と思います。
      1972年のオリンピックは全国が湧いた日々でしたね。特にジャンプの上位3賞独占は
      素晴らしかったです。

      今も彼らが活躍した宮の森ジャンプ台の下には彼らの名前を刻んだ碑がオリンピックマークと共に
      誇らしげに建っています。笠谷選手、すごかったですね。
      このジャンプ台の真下に選手の合宿所があり、これがのちの「札幌ライオンズユース」となりましたが
      10数年前に壊されて今は空き地のまま放っておかれています。

      また弊サイトにお越しいただき、様々な思い出に浸って頂ければ幸いでございます。
      ありがとうございました。

  44. 2あほ より:

    別の記事(「ウィンナーコーヒーにウィンナーは入っていない件」…朝の国営放送で
    青森県の「ぷれ・すりぃ」さんが出てたんで、懐かしくってそっちを見たついでに…)を見たついでに、
    「まきば」の記事も見たんですが…。「まきば」「塩狩温泉」「帯広」は7年くらいたってるのに、
    コメントがまだまだ成長してるんですね。こういった記事は大変珍しいと思います。
    しかも記事投稿から、1~2年経って、ジワジワ、ひょこひょこコメント投稿されるってのは、
    なんだかんだ言われても、YHを懐かしむ声の多さやそういった記録を残したい欲求・需要ってのがあるんだなぁ…って思います。
    ・・・まぁある程度自由に書き込める貴ブログの許容範囲の広さもあるんですが…はじめっち

    しょっぱなにも書いてある通り、うちらは「市立釧路」「釧路湿原とうろ」派だったりしたんで、
    そっちのほうの思い出話がぶっちゃけられるブログねぇかな?ってば思ってるっす。
    でも過去コメント精読してみて驚きっす、太田Pさんがご存命とか…、
    「60歳でユースやめる」(伝聞)と聞いていて、やめた後どうされているか、
    閉館されたユースの建物や経営者についてその後などにも多少の興味があるんで(ヘンな拘りっすが)、
    そういった「資料・史料的な意味合い」も含めて、貴ブログは貴重だと思うっす。
    ・・・下ネタばかしでなくタマにはいいことも書くっしょ?ゆたか

    • kaikoshumi より:

      2あほ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      確かに弊サイトの記事はジワジワと時間が立つにつれて書き込みが増えるようです。
      どんな書き込みでも嬉しいですし、皆様から自由に書き込めると仰って頂きこれも嬉しい限りです。

      中には弊サイトの記事を読んで「あの日」が蘇り涙が出たというご感想も頂きます。
      本当にご訪問者様には感謝申し上げます。

      しかし実を言いますと心無いコメントも大雑把に言って200通に1通はございます。
      全て承認制なので表示されることはありませんし、しつこい人にはソフトウェアでのブロックを掛けて、弊サイトを見ること自体出来なくすることもしております。
      (そういう仕組みも準備していて何時でもスイッチ入れればその人は閲覧さえ出来なくなります)

      悲しいですが品を保つためには仕方ありません。

      ところで古いユースに関しての話しは皆様大変ご興味があり、懐かしんで頂いていますが、近年のユースの話題についてのリクエストとかは1軒もありません。

      やはり昔と今では違いますし、今のユースは本当に単なる安宿の感じですね。
      客離れが進むのもわかります。

      これからも弊サイトでは私が無い頭を搾って記事を書きますのでよろしくお願いいたします。

  45. 名古屋403 より:

    今日まきば関連の出来事が有り、久々「釧路牧場ユース」で検索して4年振りの書込みです。
    その後の書込みに知った顔が浮かび懐かしさに浸っています。
    『カルトフェルトさん』ドイツ系のネームで直ぐ分かりましたよ。
    是非サイト復活させて下さい。
    『ぴょん』これ見たらFacebookから連絡して欲しい。
    『kaikosyumi』さん継続に感謝です。

  46. ジープ改め凍人 より:

    ノンダクレー様しばらくぶりです、お元気ですか?

    「名前」を変えたのはしばらく前でそれまで乗っていたジープを降りてからも名乗るのは躊躇いがあったからです。

    去年の12月に高齢の母を見送り、何の制約もなくなったかと思いきやそう簡単にはいかないですね(笑

    新しい名前で今暮らす土地より寒い彼の地への想いをより強く持てたらと願っています、どうぞ良い一年を。

    • kaikoshumi より:

      ジープ改め凍人様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      私もですが長く生きていると様々な事が起きますが、決して悪いことばかりではありませんね。

      「最近ずっと悪いことばかり… 俺の人生はこんなものなのか…」

      なんて思っていたら、その真逆な事がある日起きて素晴らしい光が照らしてくれることもあるんです。

      それは何かは人それぞれですが、取り敢えず思い出の地、例えば紋別でも札幌でも訪れてみると昨日までの生活や人生観が大きく変わると思います。

      直ぐには無理でも旅に出てみて下さい。
      ではこれからも弊サイトをよろしくお願いいたします。

  47. カルトフェルト より:

    ご無沙汰しています。
    2022年6月11日に書き込ませていただきました。
    少しでも皆さんに届くようここの掲示板をお借りさせていただきます。
    実はまきばYHの元Pの太田氏が6/26に逝去されました。
    私にはまきばの開所記念日である6/11に電話したのが最後になってしまいました。
    今までまきばYHを覚えていただいた方々、ほんの少し太田氏のことを思い出していただければうれしいです。

    • kaikoshumi より:

      カルトフェルト様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      太田様がお亡くなりになったとは・・・

      お年という事もありますが、まだまだ長生きされる方が多い時代です。
      まきばYHのPさんと言えばやはり「どのヘルパーよりも精力的に働く」、
      「冬は毛糸の帽子をよく被っていた」などが思い出されます。

      まきばYHは私の青春の1ページでもありますので、また思い出が消え去った
      という感じがしてとても寂しいです。

      本件はこの記事の冒頭に追記で書いておきます。

      その後の太田P様のこと、まきばYHの事など新たな情報ありましたら
      ぜひお教えいただければ幸いです。

  48. カルトフェルト より:

    kaikosyumi様
    太田元ペアレントの事をトップに掲載していただいてありがとうございます。
    太田氏とは1971年に昭和新山YHでしりあいました。
    自転車で日本一周していた私がひょんなことから、
    そのYHでヘルパーになり、そこにサブペアレントとしていたのが太田氏です。
    その後太田氏は旭川に行き、まきばYHを始めました。
    またこちらに楽しい話があれば書き込ませていただきます。

    • kaikoshumi より:

      カルトフェルト様
      こんにちは。再訪ありがとうございます。
      太田さんも色々な経歴がおありだったんですね。

      1971年と言えば私はまだ小学生で初めて北海道を訪れるのはその5年後となります。
      昭和新山YH予約したけど泊らず終いでした。
      1977年8月8~9日頃に予約したのですが、確か7日あたりに昭和新山が大爆発を
      起こしたのです。
      それでYHと電話もつながらなくなり宿泊断念しました。

      今でも函館発札幌行きの「急行すずらん」の車中から噴火湾沿いに昭和新山が
      激しく噴煙を上げていたのを鮮明に覚えています。

      色々と懐かしいです。
      また当サイトにお越しくださいね。

  49. 4あほ より:

    確か、YH発足当時(1972)最年少ペアレントさんと聞いていました。
    「『厳しい』けど激高したり説教したりということはないよ」って、
    釧路ユースのヘルパーさんが話していました。そのヘルパーさんも、
    「毛糸の帽子」を着用していて、その帽子をお盆の上にふわっと乗せて、
    「ハラが減った時に安くてたらふく喰える『いなり小路の天津飯店大盛チャーハン(¥450)』がおススメ!」と、おもしろおかしく紹介していました。
    太田Pさんに初めてお会いした時に、そいえば同じような帽子かぶってたかも…
    もしかしたら、ヘルパーさんも「まきばユース」で研修…?つんだのかも。
    当時の釧路ユースの田中耕三P(茅沼の元「旅の宿 六花経営者さん)さんも、
    「『まきば』に泊まれなくてあぶれた泊り客がここに来るから…」と、
    気負ったりライバル視したりするような素振りは全く見せませんでしたが、
    そのような話をされたのには、「期待を裏切らないように」とがんばっておられるように見えました。
    自分らは、リピーターでも常連でもないので語る内容の濃さも資格もないのですが、
    訃報の知らせを聞いて、なんか忘れていたそんなことが40年ぶりに思い出されたりして…。
    釧路湿原及び道東自然探索等の先駆けの一翼を担われたであろう故人に対して、
    元一道民として、感謝と「お疲れさま」と申し述べておきます。お疲れさまでした。
    ・・・はじめっち

    「YH大阪協会」発行の「北海道YH情報(2003)」という冊子を数年前に手に入れましてぇ、
    その中の「YH語録」ってのの中に、「アップルぎょうざ」の欄が「道東某YHの名物、今じゃ食べれない」って…
    なにそれ!ちゃんと説明しろやぁ!ってば思いましたぁ、晩飯のおかず…じゃなかったんですねぇ。
    食べた人もいるらしいなら、レシピもちゃんと説明してやぁ…ってつるみんがむかし申してましたぁ。
    ・・・みならいかのん

    今では「釧路湿原の探索コース+野生動物」なんてものがたくさんあって、
    土地の所有者さんとも話し合って、「宮島岬」「キラコタン岬」「ザルボ展望台」など、
    いろいろな角度から湿原を眺めることが可能になったし、注目もされるようになったのっす。
    それでも原点は、列車で行けて何の標識も案内板もない細い木が生えてるだけの、
    「湿原大観峰(って呼んでたっす)」や「茅沼駅のつる」だった気がするのっす。
    そういったところを開拓したのは、地域の観光課なども協賛したと思うっすが、
    一見何も育たない価値のないと思われがちな湿原に着目して価値を見出し、札幌や内地からの旅行者に見てもらえるようにしたのは、
    大資本のリゾート観光業者ではなく、地元の動植物研究者・カメラマン(は人のあまり来てほしくない…って人もいるっす)、「釧路シャケの会」とかのNPO、
    そして太田Pなど零細の宿泊業者のミーティング・観光案内による情宣、自然との接し方・態度・マナーの呼びかけがあったからではないかと思うっす。
    ・・・ゆたか

    あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、「飲酒厳禁」と情報誌には書いてあったけど、
    2じじぃは、ビールを持ち込んでいたのだ。「ビールくらい飲んでもいいんだけどね…。」
    なんて穏やかにおっしゃってたのを思い出した…と2じじぃがしみじみしてるのだ。
    ・・・つるみん

    すんません、「偲ぶ会」で酒飲んでくっちゃべってる部外者のオッさんみたいで見苦しいので、公開しなくていいです、ってかしないでください…

    • kaikoshumi より:

      4あほ様
      こんにちは。お久しぶりです。
      コメントありがとうございます。

      直接でなくても皆さまもまきばYH、そして太田Pさんへの思い出がおありなんですよね。
      今回の訃報は残念、悲しい以外の言葉がありませんが、昔北海道のYHが全盛だった頃を
      思い出すと当時のPさんの多くはお亡くなりになった、もしくはお元気だけどかなりの
      ご高齢におなりになっていらっしゃる、時の流れだから仕方ありませんね。

      私も年を取りましたし・・・

      でも当サイトを通じてこのような懐かしい人の情報を頂けるとはネットのすごさです。
      また思い出したことをいろいろと書いていきたいと思います。
      今後もよろしくお願いいたします。

      PS:「・・・公開しないで・・」→手が滑って公開してしまいました事を後悔しております。

  50. おやじ より:

    まきばユースホステルを検索していて辿り着きました。
    私が泊まったのは、1983年12月24日25日、そして1984年3月6日でした。※スタンプ帳で確認済みです笑※
    いずれもひとり旅なんですが、クリスマスになぜ釧路に立ち寄ったのか今となっては記憶も曖昧ですが、クリスマスプレゼントに手作りの毛バリを頂いたのは覚えています。
    拙い文書ですが、足跡を残しておきますね!
    追伸
    たぶん、探せば当時の写真も出てくると思います^_^

    • kaikoshumi より:

      おやじ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      手作りの毛バリですか。それは知りませんでした。
      YHの会員証にはスタンプを押してもらえるのが記録になり良い事ですね。

      本当にまきばYHは懐かしいです。でもどんなYHや思い出もいつかは・・・となるのは仕方ありませんね。

      もし懐かしい写真等出て来ましたらぜひご連絡ください。
      本サイトタイトル直下の「お問合せ」からご連絡いただければ幸いです。

  51. コキ より:

    先ほど15年ぶりに釧路駅に着いて、時間もあるので昔々泊まったまきばYHはどうなってるんだろうとネットを見るとこのページに出会いました。もうないんですね。昔も昔、1974年前後に3度ほど長逗留させてもらったので50年も前のことです。逆に言うと、できてから間のないときに泊まったとも言えます。20年前にたまたま釧路出張の機会に建物だけでも見に行こうと、朝タクシーを飛ばして訪れたことがありましたが、それが最後でしたか。

    • kaikoshumi より:

      コキ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      50年ぶりですか! 北海道旅行者としては私よりも先輩です。
      まきばYHは残念ですね。今年の6月にはPさんもご逝去されてしまいました。
      まさに時の流れを感じます。

      でも初秋の北海道の旅を存分にお楽しみください。
      50年前に戻った気分になれるかと思います。
      また当サイトへお越しくださいね。

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管理人について

管理人

こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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