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ユースホステルの思い出と掟

ユースホステルは宿ではない?

ユースホステル(以下、ユースまたはYH)をご存知ですか?

泊まったことのない人の方が多いと思いますが名前は聞いたことがあると思います。

簡単に言えば、「安価な料金で旅を楽しむための宿」で全世界にあります。

これは宿泊場所提供から始まったというよりも「旅を通して健全な青少年を育成する」という教育的見地が始まりの主旨であり発祥はドイツです。

日本ユースホステル協会のサイトはこちらです。

「ユース」という名前から若者向けの宿というイメージが連想されると思いますが、そんなことはありません。

家族連れからご年配の方まで誰でも泊まれますし、実際幅広い年齢の方が利用されています。

しかしユースが全盛期であった1970年代~1980年前半は若い人が圧倒的に多かったのは事実です。

 

ユースホステルの利用料金は施設によって多少異なりますが1泊2食で4000円代が多いようです。

私がユースホステルの利用していた時代は1974~1993年の間で、一番多く泊まっていたのは1976年~1987年頃までです。

つまり日本のユースの全盛期を少し過ぎたあたりという事になります。


北海道・支笏湖ユースホステル(2010年撮影)

この三角屋根は典型的な昔からのユースの建物。今はこの裏に新しい建物があります。

(クリックで拡大します)

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当時と今はユースホステルがずいぶんと変わってしまったようですが変わらない基本形ももちろんあります。

ユースの特徴の主なもの


男女別、4~10数人の相部屋

子供と一緒の家族連れでない限り夫婦であっても男女別部屋となる。

経営者(管理人)のことは【ペアレント】という。今のユースでも言うようだが最近は【マネージャー】というところも増えているらしい。

ユースのスタッフ(従業員)はペアレントの他に【ヘルパー】という人が数人いて、ヘルパーが実質的に食事の準備や受付けなどを行う。

なお従業員と言っても正式にユースに雇用されているのではなくてほぼ全てのヘルパーは学生アルバイトかフリーターだった。しかも報酬はほぼゼロまたは1か月で数千円とかが普通だった。

ユースに泊まる人の事は【ホステラー】という。最近は【ゲスト】というところもあるようだが決して【お客様】とは言わない。

就寝/起床時刻がきちんと決められている。夜間外出は正当な理由がなければ不可。

食事の時間は到着/出発時刻によって多少融通が利くが、事前にいう必要がある。

原則として飛び込みの宿泊は出来ない。

本来ユースホステル協会の会員のみが利用するものであるが、会員外でもプラス600円払えば泊まることが出来る。

最近はずいぶんと緩くなってきたが、原則として禁酒禁煙である。

ベッドメイキング、和室の場合は布団の上げ下ろしは各自が行う。

朝の出発が遅い人、連泊者で日中外出や用事が無い人は掃除の手伝いをさせられる事もある。


これら↑を見てどう思われますか? 通常のホテルや旅館と比べると堅苦しい、金を払うのに何たることか!とおっしゃる人もいらっしゃるかもしれません。

でもユースは単なる宿泊施設ではなくて、教育も兼ねている場所という事からすると当然だと思う内容です。

 

2008年撮影の旧斜里ユースホステル(1999年閉鎖)

「ユース」という名前を残していますが現在は日本ユースホステル協会から脱退して旅館として営業されています。

でも建物は昔のままです。2014年のストリートビューで見ると建物は残っていますが営業しているかは分かりません。

このようにユース時代の建物はそのままで協会を脱退して営業形態を変えているユースは全国にたくさんあります。

(クリックで拡大します)

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全盛期のユースホステル

ここでいう全盛期とはユースホステル協会としての全盛期ではなくて私が泊まりまくっていた時の時代です。

年代としては先に述べましたが1974~1993年が私の利用年となります。でもユースホステル全体としても1980年代半ばくらいまでは全盛期だったと言えると思います。

まず前述したユースホステルの特徴の基本形に加えて全盛期はさらに以下の特徴がありました。(例外もありますが)


とにかく徹底した禁酒。煙草に関しては殆どのユースが寝室以外の指定場所ではOKだった。(食堂、休憩室、その他灰皿がある場所)

宿泊の飛び込みは今は原則としてダメという程度のところが多いが、当時は「徹底して」ダメというユースが多かった。それどころか一部のユースでは往復はがき以外での予約は受け付けないというところまであった。

またあるユースでは夜飛び込みで来たホステラーに「うちは一切の飛び込みは認めていない。ユースの前の公衆電話から予約を入れれば泊めてあげる。」なんていうペアレントがいてビックリしたことがあった。

食後は自分ですべての食器を洗い片づけるのが義務。「洗わなくてもよいですよ」というユースに当たったらそれは本当にラッキー!という状況。朝急いでいても食後は自分で洗わなくてはいけない。

ユースホステルの利用規則では原則として「3連泊まで」という事になっているが実際は1か所に1週間~数か月も泊まる人もいた(お金を払う宿泊者としてです。)

しかし厳しい規則のユースホステルだと「何が何でも絶対に3連泊を超える宿泊は認めない」とか、「ここに長く泊まりたいならば3連泊ごとに1泊別のところに泊まりに行ってまた戻って来なさい。」なんて言う理不尽なユースホステルもあった。

ベッドであろうと和室の布団であろうと、必ずユースホステル協会指定の【スリーピングシーツ】を使わなければならない。

これは封筒状のシーツの中に体を入れて寝るものであり、枕の部分には枕用のポケットがついているもの、ついていないものは長めに作られた枕部分のシーツで枕をくるんで使うというものだった。スリーピングシーツの利点は体が出ないので布団を汚さない(汚しにくい)、冬なども暖かく寝れるという触れ込みであったが寝心地は最悪で夏は暑くて寝てられないし、冬だって決して暖かいわけでは無い。無意識に寝ている間に封筒状のシーツの縫い目を割いてしまったりすることも多かった。

このシーツはユースホステル協会や一部のユースでも売っているが、持っていない場合は100円を払って借りなければならない。連泊する場合でも最初に1度だけ100円を払って使い続ければOKである。

最近のユースホステルはこのシーツを使わないところが多いようだ。

ユースに到着するとホステラーは【ただいま!】といい、迎えるユース側は【おかえりなさい!】という。出発時はホステラーは【行ってきます!】といいユース側は【行ってらっしゃい!】という。これはユースホステルは旅の我が家であるという主旨からである。

たいていのユースは夕食後にミーティングなるものがあった。大体19時半か20時から1~2時間行う。

ユース自体の違いや季節、宿泊者数などによって差があるのだが1/3くらいのユースはお茶やコーヒーなどを出してくれて、ペアレントやヘルパーたちと静かに語り合って旅の情報交換や周辺の観光地の案内などをした。

そして残りの2/3すべてとは言わないが特に夏場は全員で踊って歌って大騒ぎをするユースが多かった。

内容は様々で決まったものは無いのだが有名なところでは北海道・礼文島の桃岩荘などは全員で「ギンギンギラギラ夕日が沈む・・」などを全力で歌い踊るというのが普通だった。(桃岩荘は2016年現在も同様の事をやって騒いでいるようです。テレビで見ました。)

もちろんこれらのミーティングに「疲れている」、「好きじゃない」などで参加しなくてもOK。

夜大騒ぎをするユースは朝盛大に見送るところも多かった。手作りの旗などを物干し竿につけて列車に向かって行ってらっしゃい!などと騒ぐのは普通で、離島のユースなどでは港で出航の船に向かって全員(ヘルパーや連泊者)で踊って歌って見送り、場所によっては船が岸壁を離れたら港に飛び込んで海中から手を振っている人もいた。もちろん今はここまでは許されない行為だが。

参考記事: 帯広ユースホステルとその後 (北海道帯広市)


などなどほかにも書き切れないほどの思い出があります。

私にとっては忘れられない青春そのものであり、「その場所の風景を見に行く」とか「○○地方の旅を楽しむ」だけでなく「□□ユースホステルに泊まりに行く」というユースホステルが一番の目的であった旅も数多くありました。

ある程度の世代の方、またはお若い方でもユースホステルの楽しさを知っている人は私と同じように感じてくださる方もいらっしゃると思います。

でも今の時代は残念ながらユースホステルは多くの人には受け入れ難い存在になっているのも事実です。

それはユースホステルが変わったとか、厳しさや堅苦しさを敬遠されたというよりも【時代の流れ】なので仕方ないことなんでしょうね。



私のユースホステルの思い出

私が初めてユースホステルに泊まったのは1974年の12月で年末が近い時期だったと記憶しています。

同級生と二人で長野の方に1泊で旅行しようと話して【清里ユースホステル】に泊まったのです。

まだ中学生だったんですよ。

場所はこちらです(Google map)

清里ユースホステルのサイト

このユースホステルが現存なのも驚きますし、何より写真を見ると恐らく私が泊まった時と建物は同じで建て替えられていないのではと思います。

でも外側はかなりきれいになっていますね。

JR(当時は国鉄 JNR)の清里駅から徒歩数分という近さです。

でも清里駅は当時は木造の非常に古い田舎の駅で、周辺は民家がポツン、ポツンとあるだけの何もない田舎町でした。

ペンションブームは1980年ころからですから、私が清里に降りたのはその数年前ということになりますね。

ユースの中も当時は古ぼけて薄暗い感じで、しかも寒くて大変でした。

石油ストーブを使っていて、ヘルパーが「どてら」を着ていたのを覚えています。

確かミーティングも特に何もしなかったと記憶しています。

翌日は真っすぐ帰っても家に早く着きすぎるし、冬なので寒い高原をうろうろするわけにもいかず、清泉寮を見に行ったのですがちょうど休みだったのか中は見れず売店も使えずでさっさと駅に戻りました。

清泉寮の説明はこちら

私は新宿まで乗って帰りましたが、同伴の友人は「せっかくだから」と一人で石和温泉で降りて「石和温泉ユースホステル」(現存)に向かいました。

 

翌年の1975年はどこにも泊まりに行かず、ユースに行きたいという気持ちも皆無でしたが1976年8月に初めて北海道をユースで一人旅をして北海道の素晴らしさだけでなくてユースの楽しさにハマってしまい、その後1993年ごろまであちこちを泊まり歩きました。

北海道から沖縄(本島のみ)までほぼ日本全国をユースで旅しました。もっとも行っていない場所もたくさんありますけどね。

おおよそですがユースは300泊は泊っています。

以前のユースの会員証は1泊泊まるごとに、そのユースの独自デザインのスタンプをもらえたのです。

でも1枚のカードに10泊分くらいしか押せなかったので足りなくなると、そのユースで新しいカードをくれてそれをセロテープでつなぎ合わせていくのです。

だから数十泊超えると会員証はかなり分厚くなり、300泊にもなると単行本2~3冊くらいの厚さになります。

今の会員証はラミネートのカードになってしまい、宿泊ごとにスタンプを押すということは無くなってしまったのですね。

昔を知る身からすると大変に味気ないです。スタンプが貯まるのもユースに泊まる楽しみの一つでもあったのです。

でもスタンプ貯めても何も特典は無いのですが・・・。

 

ユースの分厚い会員証は今でも持っています。

「押入れの手前の方」にありそうなので「発掘」しだい本記事に写真を追加したいと思います。

それまでは暫くお待ちください。

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9 Responses to “ユースホステルの思い出と掟”

  1. ゆたか&みならいかのん&はじめっち より:

    すんません、貴ブログ、癖になりそうです。
    失礼な「いたずらくがき」があれば、申し訳ありません(はじめっち)。

    最近、峡北・峡南の閉校した学校を見たり調べたり、
    そば・まんじゅう(は、つるみんの趣味っす)を食う短期間の徘徊で、
    清里ユースホステルにお世話になっているのっす。
    「いつものハンバーグで申し訳ないけど」とWさんはおっしゃるんすけど、
    うめぇっす!観光シーズンでないときに食事用意してくれるなんて天国っす!感謝っす!
    ・・・不良だけど感謝は忘れないっすゆたか

    古い建物で確かに「寒い」っていう人はいらっしゃるかもしれませんが、
    うちら元道民なんで、全くノープロブレムです。
    Wさんはしっかりとお客さんの相手をしてくれますし、
    いろいろな分野の話にも応じてくれます。
    当たり前といわれるかもしれませんが、そういう当たり前がうれしいものです。
    ・・・YHは施設の古さじゃないですみならいかのん

    昔のYHの話は、けっこう「おいしい」です。
    そして、みんなよかったとこだったかなと。
    ぜひ新しい話を更新していただければと待っています。
    会員になりたての頃、「北海道には『4大悪ユース』ってのがあるから」
    と、教えてくれた人がいました。でも、宿泊(一軒未宿泊)してみると、
    悪質どころか、「いいとこじゃん」でした。
    もう今は無くなっているか、解約していますが。
    ・・・研究会?のウワサはあてにならないはじめっち

    長々と失礼をばいたしました。

    • kaikoshumi より:

      ゆたか&みならいかのん&はじめっち様
      コメントありがとうございます。
      YHでの夕食の一番の定番は「ハンバーグ」だと思います。

      理由は冷凍で手軽だからです。
      もっとも「業務用の安くてそこそこの味」だったのでしょう。
      凄く美味しいハンバーグを出すYHは多分手作りだと思いますが、大抵は冷凍で影でホステラー連中で「万年わらじハンバーグ」とか言っていました。

      >・・北海道には『4大悪ユース』・・
      知っています。でもYH(ヘルパー連中による)によっては3大悪とか色々言い方がありました。

      露骨に書くと不味いのでそのうち「お茶を濁した」書き方で記事にしますね。

      当サイトは「偏見はないけど独断を記事にする」のがモットーですので、ご興味ないものも多いかと思いますが、多少なりとも「あの時代はそうだったね」とか「へ~、そんなこともあったんだ」と思っていただければ嬉しいです。

      YHの記事お待ちくださいね。

      >・・貴ブログ、癖になりそうです。・・
      ものすごく嬉しいです。
      このようなお言葉があるからサイトを運営していけます。

      これからもよろしくお願い申し上げます。

    • キュア梅盛 より:

      その「4悪YH」とされる所の一つ(札幌のヨドバシカメラの近所にある公営YH)に何度か泊まったことがありますが、「何ゆえ悪いの?」と思いましたね。駅から近くて非常に便利(ヨドバシカメラもビックカメラも近いから買出しに便利。すすきのも近い)で、駐車場&駐輪場が目の前の有料パーキングだけなのが欠点ですが・・・。

      聞くところによると、これまた「北海道のYHの持つおかしな掟」が絡んだ理由・・・「ミーティングがないから」だと。

      大学時代にバイクサークルの合宿で集合前に積丹半島にあった某YHで非常に疲れて寝ていたにもかかわらず叩き起こしてミーティングに強制参加させられて不快な思いをした先輩の話(もし、その時私がいたら100%確実にブチ切れて大喧嘩をしていましたね)じゃないですが、そんなに大事な事なんでしょうかね?ミーティングって。

  2. キュア梅盛 より:

    はじめまして。
    「ユースの掟」で思い出した事ですが、自分が高校生の頃、夏休みに北海道に行く計画を立てた時、当時大学生で休みになると北海道のYHのヘルパーをやっていた姉に自分が立てた計画に対して物言いをつけられました。

    それは、「北海道に新幹線やましてや飛行機で行くなんて邪道!周遊券使うのならどうして急行八甲田や津軽で行かないの!」と・・・当時、上野まで開通したばかりの東北新幹線に乗りたくて盛岡で特急はつかりに乗り継いでいくルートで計画していましたが、姉は頑として反対意見を浴びせてきました・・・あまりにもくどいので理由を聞くと「夜行急行で行くのが当たり前、新幹線や寝台特急で行くなんて若者らしくない!YHのみんなはそれが常識だ!」と。

    さすがにカチンと来て行くのをやめました・・・その一件があったので大学時代はもっぱらバイクに乗って北海道に行きました。

    北海道のYHに最近まで「鉄道で来る奴が一番偉い」的なある種の掟みたいなものを感じられました・・・でも実際は「飛行機+レンタカー」が圧倒的に多かったですね。いわゆる「鉄道オタク」とされる方(私もそうです)であってもあそこまでカルト的な思考を持っているのはいませんでしたのに、何故か北海道のYHの「ある種の掟」と化していたのはなぜでしょうか?

    JR化以降、ローカル線がバンバン廃止になり、周遊券も消えた今でもそのような思考を持っている者がいる(知人の民宿で一緒になった若い子がボヤいていました)のには驚きましたが・・・

    • kaikoshumi より:

      キュア梅盛さま
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      仰るとおり「周遊券で青森までの往復も急行自由席」はある意味掟でした。

      当時の若者で飛行機を使う人はYHに泊まるよりもホテルを使う人が圧倒的でした。

      現在、北海道に飛行機以外の手段で行くにはフェリーのほか鉄道ですが、鉄道でも新幹線と特急以外にほぼ選択肢がありません。

      あとは各駅停車だけで行くしかないし、青函部分は新幹線かフェリーとなりますね。

      となると現在は昔のような鉄道旅は出来なくなってしまいましたが、それ以前にYHが激減し、残っている(新規も含め)YHも相部屋のビジネスホテルみたいになってしまったので周遊券片手に・・・という旅は出来ないだけでなく、存在し得ないと言うことになってしまいます。

      とても寂しいですけど・・・。

      「知人の民宿で・・・」というお話ですが、北海道に昔から多くある「ユース民宿」みたいなものではないでしょうか?

      YHでヘルパーをやっていた、長期間ホステラーとして利用していた人がYHを作りたい、でもYH協会に縛られたくない、ということで独自の民宿をやっていますね。

      そこに泊まる人はやはり「独自」の人ばかりでした。

      まあこれからは時代を受け入れて個人的に満足出来る旅を楽しむしかないのでしょうね。

      またお出でくださいませ。
      ご訪問ありがとうございました。

  3. はじめっち&ゆたか より:

    貴ブログ主催者様とキュア梅盛様のやり取りを興味深く拝見させていただきました。

    道〇〇会館が「〇悪」とは初めて聞きましたが、
    いいところです。研修?で2週間滞在しちゃいました。
    学園前の市立留学生交流促進センターと比較しちゃあだめですよね、あははは…

    自分らが根室管内に住んでいたころ、近くの「初〇牛」の駅ノートには、
    「駅ノート見に、バイクや自転車で来るんじゃねえよ、バカ!」
    「うっせぇ、鉄オタ!キモいんだよ、死ね」
    など、内地の方々?の「ののしりあい」が殴り書きされていました。
    徒歩・自転車・汽車・バイク・自動車などは、
    あくまでも旅・散歩の移動手段であって、なして移動手段で争わなければならないのか、
    バイク以外はかじったことがある自分らには理解できませんでした。
    なるほど、「掟」に置き換えたら、そういうものなのか… って理解します、あはっ!
    ・・・フルネームは「牛田初(うしだはじめ)」だってりしてはじめっち

    なんか、自分らみたいな「いたずらくがき」でなく、
    しっかりした方がコメントされると、ブログさんにも
    「格式」が保たれるみたいっす、えへへ…
    ・・・反省して精進するっすゆたか

    • kaikoshumi より:

      はじめっち&ゆたか様
      コメントありがとうございます。

      2週間滞在されたとのこと。
      私も良いYHだと思います。とにかく交通が便利でキャパが大きいので繁忙期も泊まれる可能性が大でした。

      「学園前の・・」はとっても綺麗ですがさっぽろ駅から地下鉄に乗らなければいけませんね。
      夜はともかく早朝のJRはちょっと不便です。
      (ここの前はよく車で通ります)

      「初〇牛」の件、思い出ノートがこれだと悲しいです。
      純粋に思い出だけを書いて欲しいですね。

      ご訪問ありがとうございました。
      また来て下さいね。

  4. んにゃ より:

    ホステラ―に対して理不尽なまでの規則縛りを強要していた背景には『日本ユースホステル協会』からの同調圧力があったのかもしれませんよね。さすがに今のご時世、そんな訳わかんない縛りはなくなってますでしょうが。

    『斜里ユースホステル』は現在、兼営の旅館も閉業しているのではないでしょうか。あくまでもインターネットで検索した情報を見る限りの話ですけど。

    『清里ユースホステル』は1984年9月に建て替えてますから、現在の建物は宿泊された建物とは別の者かと思いますよ。

    • kaikoshumi より:

      んにゃ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      >理不尽なまでの規則縛り・・・

      →協会側からは「YHはホテルではない。教育施設の一つ」などの説明もあると思います。
      それはそれで間違ってはいないと思うのですが、今の衰退を見るとやはり時代についていけなかったとも思います。
      こればかりは良い悪いではなくて大変に難しい問題ですね。
      ただ一ついえるのは圧倒的多数のYHは一生の思い出を与えてくれた、ということではないでしょうか?

      >斜里YH

      →旅館なのですか?でもあのままの建物だとかなり厳しいですね。私が泊まった20数年前でさえ「え~?」というくらい古かったですから。

      >清里YH

      →まだ残っているのでしょうか?建物は変わってもYHとして存続しているだけですごいことです。

      ご訪問ありがとうございました。
      またお出でくださいませ。

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管理人について

管理人

こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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