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釧路駅2階にあった日本食堂

釧路駅2階の日本食堂レストラン

北海道・釧路駅ビルの2階に日本食堂のレストランがありました。

私が利用したのは生まれて初めて北海道旅行をしたときの1976年8月11日でした。

前日は帯広ユースホステルに泊まり、この日は釧路から釧網本線で弟子屈(てしかが)駅(現 摩周駅)に出て摩周湖ユースホステル(現存)に泊まる旅程でした。

関連記事: 帯広ユースホステルとその後 (北海道帯広市)

 

参考: 2010年撮影の摩周湖ユースホステル

1976年と建物は変わっていないし2016年も現存です。

(クリックで拡大します)

kushiro-kaiko_004

帯広からは確か8時38分発だったと思いますが(かなり曖昧な記憶)、急行「ぬさまい 釧路行き」に乗って釧路までやって来たのです。

(この「急行ぬさまい」の名前の由来は釧路市のシンボルでもある幣舞橋(ぬさまいばし)にちなんだもので、池田から池北(ちほく)線経由で北見まで行く「急行 池北」と併結でした。)

 

釧網本線への乗り換え時間が割とあり、ちょうどお昼前でしたので昼食をとる店を探すことにしました。

初めての釧路でしたが大変に大きな町であり、飲食店もものすごくたくさんあります。

でもなぜか駅中の店に入ろうと思い、目についたのが駅ビル2階の日本食堂だったんです。

「北海道らしい、釧路らしいお店を・・・」と普通は考えるかもしれませんが何分当時15歳の私はお金も無かったし、そんなこと考えもしなかったんです。

場所は駅を正面に見て建物の一番左側の2階になります。ちょうど改札口の手前左側に入り口があったんです。

 

場所の概要は以下の図です。

(クリックで拡大します)

kushiro-nisshoku

覚えているのは駅南側に面して大きな眺めの良い窓から釧路駅前の風景を楽しめました。

建物の2階なので「街全体を・・」は無理ですがゆっくりと食事するには良い場所でしたね。改札もすぐですし。

確かチキンライスを頼んだと思います。

ウエイトレスの制服は当時はまだ全国あちこちにあった食堂車のウエイトレスと同じでした。

同じ日本食堂ですから当然ですが、なんかちょっとだけ食堂車の雰囲気も味わえました。

 

その後の釧路駅日本食堂

私はこの後も釧路駅は数えきれないほど訪れていますが日本食堂に入ったのは最初の1回だけでした。

そしていつの間にか閉店してしまいました。何年年月かは分かりません。

でも生まれて初めて行った北海道の思い出の店として頭から離れないんです。

しかも15歳でしたから感受性もすごく強かったからだと思います。

2010年に訪れた時に撮影した釧路駅と日本食堂の痕跡の写真を載せておきます。

本記事基準だと6年も前ですが、釧路駅の駅舎はまだ変わっていませんので今訪れてもそのままだと思います。

(全てクリックで拡大します)

↓夜の釧路駅。改札口はビルの一番左側

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↓改札口。 いつの間にか自動改札になった。

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↓ここが日本食堂に上がる階段(奥の天井スロープ)

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↓階段のあった部分

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8 Responses to “釧路駅2階にあった日本食堂”

  1. はじめっち&ゆたか より:

    貴殿のブログを精査させていただくたびに、
    「なんじゃこら~・・・」ってのがありまして・・・

    自分らが釧路に来た時は「1984」年で、釧網線の旧型客車が亡くなった直後…ううっー(嗚咽)、
    (山陰のほうにハマっちまったので・・・)

    そうそう、2階にありました。入ったことはありませんでしたが、規模は
    藤沢市の「さいか屋」の最上階にあった「デパートレストラン」の小型かもしれませんね。
    栄町にあった(今でもあるけど)「丸三鶴屋」にも
    デパートレストランがあったんですが、そのころは
    ほぼ壊滅的で、蕎麦屋やあと一軒のほかは倉庫みたいになっていて…
    (ちなみに「鶴屋」エレベーターには「エレベーターガール」というには
    ちょびヤサグレた「エレベーターおばさん」が常駐してました)

    すんません、だいぶ話がそれました。そうでう、日食の階段上る途中には、
    養殖のおいしそうなサンプルや緑色のクリームソーダが飾ってあって、
    旅行者というよりも、地元の方々が使っていたのかな
    って感じました。
    自分らはむしろ駅地下のお店のほうが入りやすくて、
    中古レコード売ってたり、レアなお店が狭い空間の中に詰まってました。
    そこで買い物する方のための改札口もあったりして、
    買い物客はもちろん、北口通路から入ってくる利用者もここを使ってました。
    ・・・すんません関係ない話が多くって…はじめっち&ゆたか

    • kaikoshumi より:

      はじめっち&ゆたか 様

      こんにちは。コメントと「ブログの精査」ありがとうございます(笑)。

      釧網本線の客車、懐かしいですね。
      あの頃は「混合列車」と言って貨物が1~3両連結されていることが多かったんです。
      だから元々遅い旧型客車もさらにスピードが出せなかったんですね。

      「階段の途中のサンプル」→はいはい、はっきり覚えています。
      なぜかこの店に限らず同様のサンプルのメニューって一番最初に目に付くのがクリームソーダなんです。

      単純に緑色で目立つからなのかもしれませんが、幼少の頃の憧れの飲み物という深層心理もあるかもしれません。

      北海道ではないけど、
      藤沢市の「さいか屋」→知っています。このさいか屋近くのホテルで先輩が結婚式を挙げて招待されたのです。

      でもさいか屋で買い物したことはなくて、小田急デパートは何回か行きました。

      実は小田急デパートは昔「江ノ電百貨店」と言っていたのですが、デパートが経営不振で(鉄道部門は黒字)親会社の小田急が買い取って名前が変わったのです。

      高校生の時に江ノ電百貨店の屋上で平日の夕方に、私のひいきのアイドルがミニコンサート&サイン会をやるとのことで、友人と学校帰りに猛ダッシュで藤沢に向かいました。

      当時高校は某山手線沿線だったので、藤沢は遠かったのですが、ちゃんと授業を終わらせてから頑張っていったら間に合いました。サインは20歳過ぎまで持っていましたが引越しでなくしてしまいました。
      懐かしい思い出でした。

      「地下街の話し」
      釧路の地下街って旧旭川駅の地下街にそっくりでしたよね。入っているお店は違いますが雰囲気です。
      それとご存知かどうか判りませんが、東京駅八重洲地下街は10年ちょっと前までは釧路や旧旭川地下街とそっくりでした。

      単に規模が大きいだけでした。
      今じゃおしゃれな地下街に変わってTVでも紹介されますが、ほんのちょっと前は東京駅地下街も田舎臭くて平日は閑散としていたのです。

      またお出で下さいね。
      懐かしいお話しありがとうございます。

    • NKFJ より:

      私は1980年代に北海道を乗り鉄していましたが昼に釧路にいたら和商市場や泉屋には目もくれず駅2階の日食でカツカレーを食べると決めてました。5-6回は行きました。緑色のクリームソーダのサンプルもはっきり覚えています。

      • kaikoshumi より:

        NKFJさま
        こんにちは。コメントありがとうございます。
        ほぼ同じ時代に旅をされていたようですね。
        この食堂を知ってる方が少く残念です。

        まさに食堂、レストランではなかったのが良かったです。

        遠い遠い日の思い出です。
        またあのようなお店で食べたいです。

        弊サイトへの再訪をお待ち申し上げます。

  2. はじめっちたちがまた、本文と関係ない話を持ち込んだのだ! より:

    はい、「小田急百貨店」って言われると、どうしても違和感があって、
    自分らには「えのでん」といわれるとしっくりきます。
    「さいか屋」「藤沢名店ビル(多分最古参)」、後から「西武」「(もうなくなったけど)東急ハンズ」「イトーヨーカドー」と、
    藤沢ってば、買い物するには困らないほど多くの施設があって、
    (それに慣れた感覚で釧路行った時には、ちょび「かるちゃーしょっく」だったかも。)
    そのなかでも、「ENODEN」はほかのデパートよりも、
    若干高級志向だったなぁって子供心に思いました。
    当時「切手ブーム」が到来していて、小学生の間でも収集が流行ってましたが、
    記念切手(古銭なども含む)を売っていたのは「ENODEN」だけでした。
    昭和28~38年くらいの切手はそこしかなくて、
    でも高すぎて手が出せませんでした。
    ・・・最上階のレストラン高級…?はじめっち&ゆたか

    • kaikoshumi より:

      はじめっちたちがまた、本文と関係ない話を持ち込んだのだ!様

      コメントありがとうございます。
      ずいぶん古い時代の藤沢をご存知なんですね。

      相当前からお住まいなんでしょうか?
      (つまりかなり前に北海道を離れた?それともその逆で元々が藤沢だったとか?)

      藤沢駅近くに「OKストアー」があった(今も?)と思いますが、そのOKストアーの日吉店で学生時代アルバイトしました。

      この記事もサイト内にはございます。

      また辻堂には一時期義姉が住んでいました。

      ローカルな話し懐かしいです。
      またお出で下さいね。

      • はじゆた より:

        高校まで藤沢、それから道東(途中1~2年藤沢)、
        6年前に藤沢に戻ってきています。
        実は今でこそ慶応藤沢校、附属病院がある一見学園都市にみられそうですが、
        藤沢北部(昭和40年代まで通称「藤沢のチベット」と呼ばれていた:差別意識はないですよ)
        「御所見地区」というところが実家です。
        むかしは病院がなく、「虫垂炎」で人が死んだ!と
        噂されました(実情は「腹痛」を我慢して病院に行った時には手遅れだったと思います)。
        車で便利になった今では、開発されつくした南部に代わって、
        いろいろな施設が誘致されたり、新幹線倉見駅・相鉄線延伸の話が出てきたりしてます。
        ・・・むかしのほうがよかったかもはじめっち&ゆたか

        • kaikoshumi より:

          はじゆた様
          コメントありがとうございます。
          元々は藤沢の方だったのですね。お生まれも北海道の方だと思っていました。

          本ブログで書いていますが、8年前まで私は横浜・洋光台にいましたし、義姉が辻堂(今は札幌)ですし、大船/藤沢はよく出かけましたのでもしかしたら何処かの駅ですれ違っているかもしれませんね。

          相鉄線延伸は素晴らしいことですね。
          新幹線も駅を作ろう!とか確かに運動はありましたがいつの間にか消えてしまいましたし、今更新横~小田原間に駅を増やすのは無理だと思います。

          また当サイトにお越し下さいね。
          お待ち申し上げます。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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