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井荻駅(西武新宿線) 今昔

【2018年8月29日更新】

井荻駅(西武新宿線)は一生忘れられない駅

西武新宿線の始発駅である西武新宿駅から各駅停車に約22分乗車すると井荻(いおぎ)駅があります。

(井荻駅は各駅停車しか停まりません。住所は[東京都杉並区下井草五丁目23-15 ] となります。)

私の生家は井荻駅から徒歩10分圏内にありました。

生まれたのは新宿区の今は無き「日赤産院」ですが、生家という事では井荻となります。

 

たった5歳少々しかいませんでしたが自分でも驚くほど鮮明に覚えています。

本記事の時代は1960~1966年頃となります。

当時行っていた幼稚園は「杉並ひまわり幼稚園」でした。(2013年3月閉園)

 

参考記事: 
杉並ひまわり幼稚園(東京都杉並区)

杉並ひまわり幼稚園(東京都杉並区)【その2】

 

5歳後半くらいで上石神井に引っ越したのですが、ひまわり幼稚園を退園したり転園したりはしていません。卒園しています。

最後の1年間は幼稚園児でありながら電車通園をしていたからです。幼稚園から井荻駅ホームまでは担任の先生が送迎、上石神井駅のホームでは母が送迎してくれたのです。

電車で2駅でしたが、電車内は私一人で乗っていました。

幸い一度たりとも駅を乗り過ごすとか迷子になるとかはありませんでした。

先生も母も往復ホームまで来てくれましたが、改札内なので毎回入場券を買う必要があるのですが、多分当時は「ホームまで子供を送るだけだから」とか言えば入場券を買わずに入れたのかもしれません。

関連記事: 西武鉄道の秘密(~1970年頃)

旧 井荻駅と周辺の様子

1960年前半の井荻駅は舗装道路が殆ど無くて、砂利と土、または土を固めたみたいな道路だったと記憶しています。

思い出せる範囲で書いてみましょう。

(注釈が無ければ駅南口側の様子となります。)


駅前はやや広い広場になっていた。でも土と砂利。駅周辺はもちろん少し離れた広い道でも舗装道路は殆ど無かった。

駅出入口は今のように北口と南口が無く、南口1か所のみ。

さらに改札から西武新宿方面のホームに行くには本川越方面の線路を構内の踏切を渡って行かなければならない。

特に駅の北側からの利用客は、線路を環八(東京都道311号環状八号線)の踏切で南側に越えて、改札に入り、西武新宿方面に行く場合はさらに構内踏切で北側のホームに行かなければならない、という大変な不便を強いられていた。

環八は近年のように大混雑とかはなくて、車の往来は少なくのどかだった。

駅周辺には空き地も多少はあったが比較的住宅が密集していて今の発展につながることは十分に予想できた。

駅前には1960年代半ば頃(正確ではありませんが)からお店の建直しや新築が急激に増えてきたと思う。

またこの頃から急速に道路の舗装が進んだ。しょっちゅう工事をやっていて溶けたアスファルトの独特の匂いと共に道を慣らすロードローラーを頻繁に見かけた。私や友人はロードローラーの進路に石を投げて粉々に踏みつぶされるのを楽しんでいた。でも作業員の人に強く怒られた記憶がない。気付かなかったのか、はたまた「子供だしこの程度なら・・」と思われたのかも?

まさしく高度経済成長期の波に乗っている時期であった。

覚えているお店などは駅前の「サカイヤ」というケーキ屋があった。比較的大きな縦文字の看板があった。

この場所だと記憶しています。

線路沿いの駅西側の商店街が商店の中心であったが(現在のPONTE IOGI)、ここに幼稚園同級生の家が経営する写真屋があった。

うろ覚えですがこの辺です。

「佐藤写真店」という名前だったと思います。小学校に入ってから(練馬区上石神井)、井荻を訪ねた時に親にこのお店でカメラを買ってもらいました。メーカ名は忘れましたが、ハーフサイズのフィルムの物だったように覚えています。恐らく現存するメーカではないと思います。

大変にお世話になったのが(お店ではないが)、【いずみ医院】という内科の開業医。(場所は覚えていない)

熱を出したとか腹が痛いとかで本当にお世話になった。夜中でも対応してくれた。祖母と同居していたが祖母も「いずみ医院」を大変ひいきにしていて今では少なくなった往診もよくやってくださった。また1966年頃に上石神井に引っ越したが祖母の強い希望もあり、井荻からわざわざ往診してくださった事もあった。

いずみ医院の院長は細面で、黒縁の(丸かったと思うが)眼鏡をかけていて、とてもハキハキした明るい方だった。

このいずみ医院はもう無くなってしまっているが、驚くことにいずみ医院のお嬢様が医師となり、現在井荻駅近くで皮膚科を開業されていた。

皮膚科 いずみ医院のサイトはこちらです。

現いずみ医院の院長のお顔を拝見すると幼少時にお世話になった先生のお顔が蘇ってくる感じがする。やはり親子。

また現在のサイトにも「来院できない方は往診します」と記されており、これはお父様の意志を継いでいらっしゃるのでは?と思った。

昨今、言えば往診をして下さる医者はいるだろうが自らの医院のサイトに「往診します」と堂々と書くのは勇気がいる事ではないだろうか?


ざっとこんな感じですが、サイトをあちこち見ても当時の井荻の情報はほとんど出てきません。古すぎるんですね。

昔の井荻駅・駅舎の写真を見つけましたので載せておきます。いずれも昔、とは言っても1990年6月に撮影された物ですがまさしく私が幼少期を過ごした井荻駅の駅舎なのです。

(クリックで拡大します。)

↓屋根の「井荻駅」の看板は幼少時は無かったが、三角屋根の真下の西武鉄道のマークは昔のまま。

↓構内踏切側から見た改札口。昔のまま。

上記2枚の引用元: 吊り掛け電車をもとめて 様

http://tsurikakedensha.blogspot.jp/2015/01/blog-post_91.html

 

2枚目の写真で改札口の手前側には小さな池があったと記憶していて金魚などがいました。

それと改札口右側の柱(灰皿が付いている柱)の下あたりには当時「びっくりするもの」が置いてあったのです!

びっくりするもの」とは以下の記事をお読み頂ければお分かりになりますのでぜひどうぞ。

1960年代の駅などには●○壷があった・・・

 

さて当時の井荻駅の線路配置は以下のようになっていて現在とは違っています。

でも1998年まで使われていた配置なのでそれほど昔の事でもありません。

(クリックで拡大します。)

西武新宿方面は構内踏切を渡らなくてはいけないという不便さでしたが、今のように階段を上り下り(エスカレーターはあるが)しなくてすむので構内踏切が閉じていなければ移動時間は短くて楽だったと思います。

また今思い出しても不思議なのは[中線]は通過列車専用ではなかったんです。

例えばですが、西武新宿行きの普通列車が[中線]で退避して、準急や急行の西武新宿行きはわざわざポイントの曲線側を通る一番端(上図だと一番上)の線路をゆっくりと通過するのです。

せっかく直線の線路があるのにわざわざ速度を落とす方の線路を通過するんですね。

これは[中線]を通過するとその間構内踏切が使えないし、退避する普通列車は一番上側の線路に入るわけです。そうすると構内踏切が閉じた状態ですので乗客の安全に支障が出る可能性がある、ということからだと思います。

本川越方面の通過列車も同様の考えで、駅本屋側のホームで普通列車を退避させて通過列車はポイントの曲線側に進入して[中線]を通過するという運用でした。

 

もちろん全列車がこうしていたわけでは無いでしょうし、線路配置変更前でもダイヤの変更で優等列車は直線側を通るように変更されたようです。

でも乗客の安全を守るためとはいえ、おかしな運用だと思いましたね。まあ西武新宿線は23区内はとにかく曲線と踏切が多いので、井荻通過のポイントで速度を落としても(恐らく35~45km/h制限)ダイヤ上は大きな影響はなかったんだと思います。

今でもカーブと踏切の多さは変わっていないですね。

以下に現在の井荻駅の線路配置を載せておきますが、昔のようにポイントの曲線側に優等列車を通すという運用はしていないようです。

(クリックで拡大します。)





1962年の井荻駅前の風景

1962年(昭和37年)9月30日の井荻駅前の風景をご覧に入れましょう。

いずれも私の両親が撮影したものです。白黒ですがカメラはミノルタの二眼レフを使った6×6サイズのフィルムなので今見ても解像度は比較的高い高画質です。

残念ながら駅舎の写真が写っておらず、環八側を見た写真となります。

いずれも写っている自動車にも注目してください。

(全てクリックで拡大します。)

 

↓左奥の踏切の道が環八。

踏切奥の黒い建物は多分踏切番の待機小屋と思う。

↓これも奥の道が環八

↓線路奥の看板にも注目

↓大きな木の横に入る道が現在の「PONTE IOGI」付近

いかがでしたか?

駅を始めとして驚くほど変わった部分もありますが、大昔と比べても変わってない、痕跡がたくさん残っている部分が多いのが井荻です。

私自身本記事を書くことによって思い出に浸ることが出来ましたが、近年の井荻のみしか知らない方はちょっと驚きでしょうね。


【2018年8月29日追記】

本年(2018年)8月4日に私は井荻を訪れる機会がありましたので、その時写した駅の写真をご覧に入れます。
普段利用されている方にはなんともない風景ですが、井荻を遠く離れて暮らしている方もいらっしゃると思いますのでぜひ前述の1962年の写真と比べながらご覧下さい。

以下全ての写真はクリックで拡大します。

↓最初の2枚は南口。
高架施設は都道311号線(環八は地下)。踏切があった場所。

↓跨線橋から見た高田馬場方面

↓跨線橋から見た上石神井方面

↓ホーム(右奥が上石神井方面)

 

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
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