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「士農工商」と「がんばこ」 (ボール遊び)

小学生の時に流行った「士農工商」と「がんばこ」

私が小学生時代を過ごしたのは1967年(昭和42年)~1973年(昭和48年)なのですが、休み時間の度に「士農工商」とか「がんばこ」という名前のボール遊びが流行りました。

 

地面に四角いマスを書いて4つに区切り(つまり「田」の字)階級があって(だから士農工商という)ボールを他のマスの人にバウンドさせながら渡して行くという単純で体力もいらないボール遊びでした。

 

使うボールはだいたいドッジボールなどの大きさのものでしたね。専用ボールというのはありません。

詳細のルールは覚えていませんが、一番上の階級の人(マスの部分)から始めていたと思います。

バウンド無しで別の人に渡したり、マスの外に飛び出させるのはアウトだったはずです。

「士農工商」、「がんばこ」は場所取りも大変なほど空前のヒット!

単純でドッジボールのような荒々しさ、激しさ、若さの(?)ぶつけ合いみたいな感じは皆無でしたが、昼休みは場所の取り合いになることもあったほど人気でした。

私は小学校入学~小5の1学期までは東京都練馬区上石神井、その後卒業までは新宿区の新大久保でしたが、いずれの学校でも本当に流行っていました。

練馬の小学校は校庭が広く(とは言っても一般的な小学校サイズ)、場所取りなどの問題は皆無でしたが新宿区の小学校は校庭というよりも「広めの駐車場」というくらいに狭くコンクリートの校庭でした。

それでいて当時は児童数が多かったので新宿では場所取りが大変だったのです。

もちろん昼休みに全員が全員「士農工商」、「がんばこ」をやっているわけではありませんし、女子でやっている人は殆どいなかったのではと思います。

 

個人的にはドッジボールの方が好きなんですが、練馬の時はともかく新宿の学校では場所をとるドッジボールを昼休みにやるのは大変に難しく士農工商で我慢した(?)のです。

放課後、外の公園でもボールを持って行って士農工商をやっていました。

ルールも単純なのですが、当時も今も思い出すとそれほど面白いものでもありません。

運動量から言うとエネルギーが有り余っている小学生のするものではなくて、失礼を承知で申しますと体力のない方やご年配が健康増進にやるような運動量なのです。

でもなぜ流行ったのか、どこが発祥なのかは全く分かりません。

ネットで調べても「そういうのあったね。うちはこうやっていた」という情報は結構出てきますが、詳細情報は殆どヒットせず何年頃まで行われていたのかもはっきりしません。

でも確実なのはほぼ全国で遊ばれていた、地方地域によって言い方が違うという事ははっきりしています。

参考までにマス目の様子を以下に載せておきます。

各マスは数十cm四方程度で、つまり小学生一人づつが立ってボールを打ち返すだけのスペースです。

(クリックで拡大します。)

地域によって名称、ルールが違っていた「士農工商」、「がんばこ」

私が練馬区上石神井の小学校にいた時はこの遊びの事を「がんばこ」と言っていました。

そして小5の時に新宿区の学校に転校すると「士農工商」と言いました。

東京なんて人口が多いだけでとても狭い地域なので上石神井と新宿なんて直線距離でも10kmくらいの距離しかありません。

でも名称が違うんです。

新宿に転校後、新たな友人が昼休みに遊びに誘ってくれました。

「士農工商」という言葉を聞いてびっくり仰天でした!

ルールは上石神井と同じで名称だけが違っていたのですが私が、「ああ、がんばこね。」というと新宿の学校の友人は「何それ?」と「がんばこ」という名称さえ知らなかったそうです。

 

都内の10km程度離れた場所でさえこうでしたから、もしかしたら練馬区でも西の方にあった上石神井と東の地域では名称が異なっていたのかもしれません。

もちろん東の足立区、江東区、南の大田区などでも違っていたのかもしれません。

でも「がんばこ」という名称を知らなった新宿の友人には本当に驚きましたけどね。

 

さてこの記事を書くにあたって調べたら地域によって様々なルール、そして名称があるのですね。

名称は「天下町人」とか「天大中小」などという地方地域もあるようです。

 

名称、ルールは違えど全国的に小学生の間でこれほど流行った遊びはドッジボール、高鬼(たかおに)などに堂々と並ぶほどの物ではないでしょうか?

かなり地味な遊びだったとも思いますが、やはり小学生時代の思い出で絶対に忘れる事の出来ない美しい記憶の一コマなのです。

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8 Responses to “「士農工商」と「がんばこ」 (ボール遊び)”

  1. totto川崎市 より:

    川崎市中原区出身昭和36年生まれです。たしか『原爆』と言った遊びと同じように思います。

    • kaikoshumi より:

      totto川崎市さま

      こんにちは。コメントありがとうございます。
      私とかなり近いご年齢ですね。

      「原爆」ですか! 首都圏という非常に狭い範囲であってもいろいろな呼び名があったんですね。
      ネットでざっと調べても全国的には無数と言えるほどの名称があるようです。

      この度はご訪問ありがとうございました。
      またお出でくださいませ。

  2. 新宿区の小学校でした より:

    士農工商というボール遊びを検索して、こちらのページにたどり着きました。(昭和40年生れです)
    神楽坂近辺の小学校です。
    男子と一緒に激しく遊んだ女子でしたので、ボールをワンバウンドさせるときに、回転をつけたり低い位置からスライスさせるように地面に当てたりしていました。
    なので結構激しい戦いだったと記憶しています。
    私の学校もアスファルトの校庭でした。
    コンクリートの屋上で良くやる遊びでした。

    そのほかに流行っていたのは「ケードロ」
    刑事と泥棒に見立てた鬼ごっこのようなものでした。

    とても懐かしくてコメントさせていただきました。

    • kaikoshumi より:

      新宿区の小学校でした 様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      同じ新宿区ですね。
      だから士農工商なんでしょうか?
      「ボールに回転を付けて」というのは私の学校でも流行りました。
      でも上手く出来ないとボールが変な方向に飛んで行ったりしました。

      あとボールの下側を掌で水平に切るようなしぐさをして跳ね返したりなど工夫をしていました。

      あとケードロも名前は覚えていますが、あまりやった記憶がありません。
      士農工商とドッジボールの両輪で忙しかったからかもしれません。

      この度のご訪問ありがとうございました。
      ぜひまたお出で下さいませ。

  3. たぶんはじ〇っちかゆ〇か より:

    うちらのころは、「士農工商」と呼ばれる遊びは、
    単に「テニス」と呼ばれていました。
    グランドのような広いスペースがなくても、
    4マス描ければできましたし、仲の悪い男女とも混合でも遊ぶことができました。
    もちろん仲が悪いので、男子はみんな女子を泣かせようとしたり、
    女子は集団で仕返ししたり(バレー少年団とかコワかった)報復合戦でした。
    ・・・4匹のうちの誰か

    • kaikoshumi より:

      たぶんはじ〇っちかゆ〇か様
      コメントありがとうございます。
      「テニス」って言う呼び名もあったのですね。

      調べると全国実に様々な呼び名があったようですが、基本ルールはあまり変わらないみたいです。

      >女子を泣かせようとしたり、・・
      →これをやると大人になってから必ずしっぺ返しがあります。(経験者より)

      また来て下さいね。

  4. 板橋区のしおぱん より:

    昭和34年生まれです。
    万博の頃小学6年でその頃は休憩時間といえば女子はゴム段、男子は「原爆」でした。
    打ち込みは禁止、下側をスライスして、バウンドした後V字で戻るのを「切る」とか言ってた気がします。
    一段ずつ階級を上って行くけど、中央の円内(原爆)に触れると一気に圏外(失格)だったような。
    もう50年近く前のきおくなのでさだかではないですが。
    この遊びを書いたサイトがないかググってここにたどり着きました。
    ガンバコと原爆は語感が似てるから、どちらかが派生語かもしれませんね^_^

    • kaikoshumi より:

      板橋区のしおぱん様
      こんにちは。ご訪問とコメントありがとうございます。

      >バウンドした後V字で戻るのを「切る」・・・
      →この言い方は何となく記憶にあります。確かに「切る」と言っていた友人がいました。

      名称は異なってもこの遊びは全国的に行われていたようです。
      ドッジボールと比べて場所をとらないということもあったのでしょうね。

      >ここにたどり着きました。・・・
      →このお言葉はとてもうれしいです。
       今後も「偏見はないけど独断だらけの記事」を書いて行きますので、どうか今後も当サイトをよろしくお願い申し上げます。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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