懐かしい切符と列車の話し(2)
懐かしい切符と列車の第二弾です。
【本記事内の写真はすべて友人からご提供頂きました。この場を借りてお礼申し上げます。】
(関連記事)
今回も懐かしい切符に印字された列車についての記事です。
私が乗っていない列車もありますが、知りえる範囲でお伝えしたいと思います。
「特急 さくら」とその他東海道山陽の夜行列車
戦前からの名門列車「さくら」の1972年(昭和47年)4月30日の特急券・寝台券です。
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寝台列車は今も昔もすごく値段が高い、というイメージがありますがこの切符も今から45年も前(2017年2月基準で)で5000円もしていたんですね。
さらに別途乗車券の料金がかかりますからやはり「寝台は高い」ですね。
発行箇所が「新宿伊勢丹」とありますので伊勢丹の中の旅行会社発行でしょうか?
「特急さくら」と聞くとお若い方は、或いは鉄道に興味のない方は「新幹線さくら」を思い浮かべると思います。
新大阪から鹿児島中央まで最速でわずか4時間で走っている列車です。
でも私の頭の中では真っ先に浮かぶのは九州新幹線開業前の「寝台特急さくら」です。
この切符↑がまさにその列車です。戦前は鉄道省が東京~下関間で運転されていた「櫻」で、戦後に東京~大阪間で臨時不定期特急「さくら」となり、1959年から2005年まで寝台特急さくらとして東京~長崎間に運転されていたのです。
1965年から1999年までは佐世保発着の編成を併結していましたが今でも「佐世保」の文字の入った行先表示を鮮明に覚えています。
この時代は東海道・山陽方面の夜行列車が大変に賑やかな時代でした。
「さくら」の他に関西地区発着を含めると「あさかぜ」、「みずほ」、「富士」、「銀河」、「なは」、「あかつき」、「彗星」などなど・・・。
以下、クリックで拡大します。
東京~西鹿児島(現:鹿児島中央)をロングランする「霧島」という急行列車もありましたね。
あと私的に絶対外せない東海道の夜行列車は何と言っても東京~大垣間の夜行普通列車「347M」ですね。(通称大垣夜行とも言いました)
静岡県内は深夜帯という事もあり通過する駅も多くありましたが、名古屋方面に旅行に行く時によく使いました。
シーズン中は席を確保するために東京駅で3時間くらい並びましたし、座れても通路も立ち客でいっぱいでトイレに行くのも一苦労というほど盛況でした。
でも小田原~熱海あたりで特に週末はたくさんの人が降りるんです。理由は長距離通勤の人が週末に飲んで家まで帰る電車として使うんですね。普通列車なので定期券でOKでしたし。
(違う言い方をすると小田原~熱海までは車内が酒臭かったりします・・・)
347Mは多くの変革の歴史があり、現在は臨時快速「ムーンライトながら」となりました。
現在は新しい新幹線が開通すると並行在来線は第三セクター鉄道になる、またはJRとして残っても特急列車は大幅削減または運転区間短縮がお決まりとなってしまいましたが、東海道山陽新幹線が開通した後も夜行列車は驚くほど本数が多くて元気だったんですね。
東海道メガロポリスというべき地域を走るとは言えすごかったと思います。でも今はサンライズとかだけで空前の灯になってしまいましたが。
東北夜行急行
以下は「急行 十和田」の急行・寝台券です。
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上野から青森方面に向かう夜行列車は数あれど【夜行長距離急行天国】というルートでした。
こちらも東海道山陽方面と同じで特急、急行が昼夜を問わず走っていましたね。
「急行 十和田」は上野発青森行きですが常磐線経由でした。車両は旧型客車時代を経て20系客車→12系客車と変わっていきました。
そして十和田と双璧を成す列車が「急行 八甲田」でした。私は両列車ともに乗っていますが特に八甲田は多く乗っています。
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八甲田は東北本線経由で上野~青森までは約11時間、十和田が約12時間でしたから1時間の差がありました。
八甲田についてはこちらの記事をご覧ください。
他にも青森行き夜行急行は秋田経由の「急行 津軽」が14時間もかけて走っていました。
私は「話のタネ」に津軽も乗りましたが、座席で14時間はさすがに疲れましたね。
もっとも昼の走行時間がもっと長ければ何度も乗りたいと思ったかもしれませんが結局は1度しか乗りませんでした。
↓こんな列車もありましたね。(クリックで拡大します。)
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