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練馬区石神井台の文具店・友美堂

練馬区・旧早稲田通り沿いの文具店・友美堂

私が幼少を過ごした練馬区上石神井。

通った上石神井北小学校と石神井公園の中間付近に文具店・友美堂(ゆうびどう)がありました。

旧早稲田通り沿いにあり、かなり曖昧な記憶ですが1968年(昭和43年)ごろに出来たと思います。

あった場所は以下の地図にあります。(クリックで拡大します)


【2017年8月27日追記】

本日、「約30年前の話です。」さまより友美堂の正確な場所をお教えいただきました。

上記地図の一番左側の〇の場所だそうです。

とてもスッキリしました。

「約30年前の話です。」さまには感謝申し上げます。

ありがとうございました。


付近は当時から住宅は多かったのですが、あちこちに空き地があり多くは鉄条網やロープで囲まれた放置された「野原・原野」状態でした。

旧早稲田通りも私のテリトリーの一部で、この道をよく自転車でブッ飛ばしていました(!)

そしてある日空き地の脇にいきなり文具店が出来たのです。

文具店は普通は学校近くや駅近くにあると思いますが、この場所は駅からも遠いし一番近い上石神井北小学校からもちょっと離れています。

つまりかなり中途半端な場所でした。でも文具店が出来るというのは子供にとっては嬉しくてちょっぴりドキドキすることでした。

文具店・友美堂は重宝したんだけど・・・

学校の友人の間でも友美堂の開店は話題になりました。

友美堂付近には殆どお店が無く(今も同じ感じ)、子供にとってはお菓子やアイスを売っている店の次に「あったらいいな」という店が文具店でした。

でも昔も今も子供にとっての文具店というのは必ずしも「学校で必要な文具を揃えるためのお店」ではないと思うんです。

男女学年問わず、何となく文具店というのはちょっと立ち寄りたくなる、プチドキドキとでも言うのでしょうか。そんな微妙な魅力がありました。

 

だから近隣にお店が無くて学校から離れていた場所に出来た友美堂は開店後しばらくは子供たちで賑わったのです。

皆このお店の事を正式名称である「ゆうびどう」と言っていましたがある男子と私は以下のような会話を何度も交わしました。

(彼のフルネームと家の場所は今でも覚えていて、その家は最新のストビューでも健在でした。)

 

ある男子: あれは「ともびどう」って言うんだよ。

私: 違うよ、「ゆうびどう」だよ。みんなそう言っているよ。

ある男子: 違うよ、「友」は「ともだちの友」であって、お店の名前では「ゆう」とは読まないよ。

私: そんなことないよ。お店の人に聞いたの?

ある男子: 聞いていないよ。でも「ともびどう」だよ、絶対に!

 

小学生の男の子らしい下らない会話ですが、彼はクラスでただ一人「ともびどう」と言い続けたのです。

なぜかこの会話が今も忘れられないのです。

 

そして私は1971年7月に新宿に引っ越してしまい練馬区を離れました。

しばらく上石神井の友人と親交があったのですが、いつの間にか友美堂が閉店したと聞きました。

閉店年は今でも分かりません。でも「え!もう無くなったの!」と驚いたのを覚えているのでかなり短命だったと思います。

 

何分上述したように学校からも駅からも遠く、付近にお店のない住宅地にポツンと1店だけ文具店があっても先は見えていたと思います。

また当時の上石神井北小学校前には「よろずやストアー」というちょっと田舎っぽいスーパーがあって、比較的物が揃っていたということもあったと思います。

ですので短命に終わった友美堂は今考えるとまるで幻のようなお店でした。

最新のストビューを見るとさすがに空き地は殆ど無く住宅がびっしりですが、道の幅や地形は全く変わっていません。

でも友美堂の大よその場所が分かる程度で痕跡は皆無となってしまいました。

 

ネットで調べても旧早稲田通りの友美堂は全く引っかかりません。

あまりにも昔、短命、マイナーすぎる話題ということでしょう。だからこそ本サイト・本記事を書いた意義があるのですが、驚くことに全国あちこちで友美堂という名称がヒットするのです!

しかも「文具店 友美堂」が多くあります。友美堂という名称は文具店に多く使われる何かしらの理由があるのでしょうか?

「友」は学校に関係してくるのは分かりますが、「美」となるとよくわかりません。

 

本記事をご覧になって旧早稲田通りの友美堂を思い出して下さる方が一人でもいらっしゃれば幸いです。

もし更なる詳細情報等ございましたらコメントまたはサイト上部の「お問合せ」から頂ければと思います。

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4 Responses to “練馬区石神井台の文具店・友美堂”

  1. 約30年前の話です。 より:

    友美堂のあった場所は、地図の一番左の丸印です。
    開店当時の事はよく知りませんが、隣には肉のヤマザキがあり、友美堂から旧早稲田通りを東に進むと、花屋、さくら堂(駄菓子屋)、美容室、越中屋(地元では有名な豆腐屋さん)、酒屋が連なってました。さらに進むと美容室、金物屋、クリーニング屋、新川(蕎麦屋さん)があったと記憶しています(店舗の順番はよく覚えてません……)。

    • kaikoshumi より:

      約30年前の話です。さま

      コメントありがとうございます。
      友美堂の場所、ありがとうございます。
      早速本文にも追記しておきます。

      私の記憶がそこそこ間違っていなかったということ、友美堂をご存知の方がいらっしゃったことで大変感激しております。

      「肉のヤマザキ」は名称だけ覚えています。
      その他も小さなお店がいくつかあったのも覚えていますが、記憶が薄いです。

      ぜひまだお出で下さいませ。
      どうもありがとうございました。

  2. より:

    ゆうびどうはそんなに短命ではありませんでした
    少なくとも1980年位まではあったと思います
    文房具屋でもありましたが日用品や食品やお菓子ジュース類も置いてありました
    栓抜きチェリオなども売っていた気がします

    • kaikoshumi より:

      あ様
      こんにちは。コメント、情報ありがとうございます。
      1980年ころというと私が練馬を離れてかなり経っていましたし、全然行っていませんので知る由もありません。
      でも一つの歴史を知ることが出来てうれしいです。ありがとうございます。
      日用品や食品は全く記憶にありません。もしかしたら私がいたときはなかったのかな?
      栓抜き式のチェリオ、これは各地のお店ににあったようですね。
      飲むとベロがジュースの色で染まりました。懐かしい思い出です。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
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