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青函連絡船 羊蹄丸

青函連絡船 羊蹄丸は一生忘れられない・・・

今は青函トンネルが出来たので国鉄/JRの青函連絡船は廃止されてしまいました。

廃止されてもう30年にもなります。

数えきれないほど北海道に行った私ですが(現在は道民になりましたが)、いつも往復は東北本線の夜行急行+青函連絡船というルートを使っていました。

理由は北海道ワイド周遊券を使える事と、上野を夜出発する列車に乗るので時間を有効に使える事でした。

社会人になっても仕事終わって一杯飲んでから列車に乗るなんてこともよくやっていましたね。

 

そんなわけで当時の私にとっては、「この船に乗らないとこの海峡は越えられないんだ」というまるで演歌の世界みたいでした。

青森~函館は3時間50分もかかっていました。廃止数年前からは3時間40~45分に若干スピードアップしたと思います。

 

さて青函連絡船【羊蹄丸】は絶対に、いや一生忘れる事の出来ない船なのです。

理由は初めて北海道に行った時に行きに乗ったのが羊蹄丸、航路廃止となる1988年の最後に乗った帰りの船が羊蹄丸だったのです。

最後に乗った時も羊蹄丸を狙って乗ったわけではありません。偶然だったのです。

他にも摩周丸、十和田丸、八甲田丸などいくつかの船がありいずれも旅客として乗ると船内や乗り心地に差はありません。

でもやはり羊蹄丸は私にとって最も思い出深い船となりました。

 

関連記事:

懐かしい切符と列車の話し(1)

青函航路を”飛んだ”超高速船ジェットフォイル

 

以下の2枚は2010年3月24日に東京の船の科学館に係留された羊蹄丸です。

(いずれもクリックで拡大します)

青函連絡船 羊蹄丸の思い出

数多くの思い出がある羊蹄丸ですが、先に述べたように旅客として乗ると他の船との差はほぼありませんので以下に記します内容は必ずしも羊蹄丸独自の内容ではないことを予めご承知おき下さい。

 

初めて乗ったのは、「1976年(昭和51年)8月7日」の函館行きの下り便でした。

私は函館から14:25発の「急行 ニセコ 札幌行」(函館本線経由・旧型客車)に乗ったのです。

ニセコの出発前、14:20にニセコの隣のホームから「特急 北斗 札幌行」(室蘭本線経由・キハ82)が先に発車するのを覚えていて連絡船を降りるとホームに向かって全力で走ったので、逆算するとこの連絡船の青森出航は10時くらいだと思います。

 

(当時の特急・北斗は函館を出ると次に停まる駅は室蘭本線の洞爺だったんですよ。函館出て2時間ノンストップです。でも数多くの駅に停まる今の北斗の方が札幌に早く着くんですけどね。)

 

その時の連絡船はまだ北海道ブームが続いていて、値段の高い飛行機よりも夜行列車を使っても鉄道で東京から函館、札幌に行く人が多かった時代だったので連絡船はまるで難民船のごとく物凄い混雑でした。

(飛行機も今のような割引があまりなくて値段が高かったんだと思います。)

 

青森からも座席は満席、カーペット席もびっしり状態だったので床に新聞紙を敷いて函館まで乗ったのを覚えています。

当日は快晴で波も無く全く揺れませんでしたが、唯一ちゃんとした座席に座れなかったのが残念でしたね。

 

その後も羊蹄丸を始め、連絡船は50回以上(往復で)乗ったのですが特に印象に残っていることを列挙してみます。


・海峡ラーメン: 食堂での名物メニュー。塩味が美味しかったです。連絡船廃止後も函館駅すぐ近くのお店で食べられたのですが、このお店もいつの間にか無くなったようでした。

 

・シャワールーム: 長旅ですし、特に夜行列車の後は非常に気持ちよかったです。

・座席室: 乗り始めた時はカーペット席を使っていましたが、混雑期に乗ると狭くて大変だったので座席(グリーンでない普通席)を使うようになりました。簡易リクライニングですが列車よりも遥かにゆったりとしたスペースで快適そのものでした。

・売店: 乗船口正面に売店がありました。大きな船にしてはこじんまりとした売店でしたが所狭しとたくさんの食べ物、お弁当、お菓子、お土産を売っていたので大変に重宝しました。

 

・喫茶室: 最初はなかったんですが、後期に一部船室をつぶして喫茶室になりました。乗客が減ったからなのでしょうか? 大変にゆったりとしたソファーも置かれていてホテルのロビーみたいでした。

はこだてワインを始め4時間近い時を過ごす船には欠かせなかったと思います。特にコーヒーが美味しかったです。深煎りの大変にコクのある味でした。そしてコーヒーに付いてくるミルクが今もってしても「これほど美味しいコーヒー用のミルクはない!」と思うほどで、味的にはミルクと濃いクリームをブレンドしたような味で、普段ブラック派の私もこのミルクを入れて飲むのが楽しみだった程でした。

 

・出航時のドラの音と蛍の光: 昔は出航時に船員さんがドラを慣らしながら出航を伝えていたそうですが、私が利用し始めた時点で既にテープに変わっていました。何の前触れもなしにドラの音が鳴り始め、続いて蛍の光が流れます。演出ではありますが、船旅に出るという感激がありました。誰に見送られなくても出航時の蛍の光はちょっと胸に来るものがありましたね。船旅しか味わえない感覚だと思います。

 

・夜行便到着前の小鳥のさえずり: もちろんスピーカからですが、夜行便が目的港に到着する1時間か30分前になると小鳥のさえずりが流れていました。その後に朝を思わせるような心地よい音楽も流れていたと、かすかに覚えています。「いよいよ到着」と気分を高揚させてくれました。


その他にも書き切れないほどの思い出があります。

青函連絡船はかなり大きな船ですが、津軽海峡が時化ればそれなりに揺れて船酔いも経験しました。揺れが予想される時はさっさと寝てしまうのが一番でしたね。

また昼行便で快晴の時はデッキに出て景色を楽しむのも最高です。海と言っても常に青森側と北海道側の半島が見えていますので退屈しません。

それに運がよければ船に並走して来るイルカを見ることも出来ました。

また波間を見ていていつも思ったのですが、青函連絡船って結構早いんです。もちろん高速船とかではないので陸上の乗り物よりは遅いですが、でも船体の大きさを考えるとかなりスピードが出ている感じがしました。




 

青函連絡船 羊蹄丸のその後

詳細は別サイトに譲りますが、改装して日本政府のフローティングパピリオンとかでイタリアに遠征したりもしました。

そして東京の船の科学館で未来永劫展示が決まったのです。

 

外観や色も青函連絡船当時のものに戻されましたが、内部は見学用として思い切り改造されてしまいました。

通路などは面影がありましたがエスカレーターが設置されたり、昔の青森、函館港の様子を再現するコーナーを作ったりもしていました。

歴史を学ぶという観点からは間違ってはいないと思いますが、この船に数えきれないほど乗った身としてはちょっと残念に思いました。

しかし外側は昔の状態に戻してくれましたし、煙突には日本国有鉄道を表すJNRマークが付けられたのは感動でしたね。

青函連絡船は最後は国鉄ではなくてJRだったので煙突にはJRマークが入っていたのですが、国鉄時代の方がずっと長いのであえてJNRマークにしたのでしょう。

 

船の科学館でも「永久保存する」と書いてあったのですが、しかし見学者の減少や保守管理費用の高騰などで保存できなくなってしまい2013年4月に香川県で解体されてしまいました。

解体の様子の写真もネットには出ています。本記事でもそれらの写真を引用して載せようかと思いましたが、私にとってはあまりにもつらい写真でありますので載せることはしません。

私が初めて北海道に行った時に乗った船、そして最後に乗った青函連絡船も羊蹄丸、彼女から与えられた影響によって私が北海道に移住するきっかけになったのですから解体の写真など見たくもありません。

(注: 船の事を一般に”彼女”と言います。飛行機も同じでこれは全世界で共通だそうです。)

 

羊蹄丸に心からの感謝とお礼を捧げ本記事の終わりにしたいと思います。

 

2010年3月24日に東京・船の科学館で撮影した写真の一部を以下に載せますのでご覧ください。

(全てクリックで拡大します。一部の写真は拡大すると手振れが目立つものがありますがご容赦ください。)

 

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2 Responses to “青函連絡船 羊蹄丸”

  1. IloveHappy より:

     再び投稿です。大学生の時に周遊券を握りしめて、急行八甲田→青函連絡船で北海道に初めて行きました。その後廃止されるまで乗ったのは4、5回だと記憶します。連絡船での往復8時間弱はしんどいので、帰りはスカイメイトで飛行機を使ったり、大間に行くフェリーを使ったりで回数は稼げませんでした。
     海峡ラーメン、懐かしいですね。私は塩味ばっかりでした。カニ味の出汁だったように思いますが、身は入ってましたっけ? ワカメは必ず入ってましたね。
     一番印象に残っているのは新入社員の研修でブリッジを見せてもらったことです。客室からは前方の海はあまり見えなかったと記憶しますが、ブリッジからは進む方向の海が広々と見渡せて、これなら衝突はせんわいと思いました。
     非効率かもしれませんが、こんな味のある交通機関が次々と無くなってしまうのは寂しい限りです。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
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