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一番痛い思い出・・?

一生で一番痛い思い出・・・

皆さんは今まで生きて来た中で一番痛かったことはなんでしょうか?

冒頭からいきなり変な話になっていますが、痛いというのは恥をかいたとかではなくて身体的に痛いということです。

今回本記事を書くのをかなりためらいましたが、一応自分の人生の中で大変に強烈に残っている事なのであえて書こうかな、と思った次第です。

(本記事のために「イヤな思い出」というカテゴリーを作りました。)

特段グロな内容ではないと私は勝手に思っていますが、苦手と思う方はスルーしてください。少なくてもグロな画像はありません。

誤診と日帰り手術!

時は1975年1~2月頃でした。私は14歳の中学生だったのです。

ある日首の両側面がポコッと数㎜盛り上がっていることに気が付いたのです。

直径にしたら1㎝くらいでしょうか?

別に痛くもかゆくもありませんが、明らかに目立つほど盛り上がっています。気になりますし親にも勧められて近所のかかりつけの開業医に行きました。

 

医者は触ったり問診をして、

「これはリンパ節が腫れているんです。ケガをしたり体調不良などで熱が出たりでも腫れます。しばらく様子見にしましょう。」

と言って薬も出されることもありませんでした。

私はケガもしていないし熱も出ていないのだけれど、「まあそんなものか・・」くらいに思って帰宅したのです。

 

でも日に日にほどではありませんが、その後2週間程度経つとその膨らみはさらに大きくなって来ています。

自分でもこれはおかしい!と思いましたし父も「大きな病院へ行け!」と言い出して、父の知り合いの紹介で東京都内の某国立病院に行きました。

あえて病院名は伏せますが、全国的にみてもトップクラスのマンモス病院です。

 

最初は外来に行き、医者が触診をしたりした後に「色々と検査させてね」といい、その日のうちに血液検査や肺のレントゲンなどを撮りました。

巨大な病院であれこれ検査されるので段々不安になって来たのですが、1週間後に再度検査結果を聞きに行くことに・・・。

そして「〇〇くん(私の名前)、片方切らしてくれないかな?」と言うのです。

「え~」っと思いましたが前回の検査ではよくわからなかったとか。

30~60分以内で終わるし、大したことないからさ、と説得されてさらに1週間後くらいだったと思いますが、「日帰り手術」をすることになったのです!

当日はまず外来に行き、説明を聞いてから別のフロアの手術室の控室に一人で行きました。(親も付いてこなかった)

看護師さんから、「全部脱いでこれに着替えてください」と言われて白衣に着替えました。

そして20分くらい待っていると、「〇〇さん、こちらへどうぞ」と呼ばれたのですが、大きなドアが開くと長い廊下になっていてその両脇に小部屋がいくつもあります。この小部屋一つ一つが手術室なのです。

言われとおりに手術台にあがり確か左側面を上にして寝ました。

執刀医一人と看護師さん二人だったと思います。

 

そして直径が20㎝そこらの穴の開いた白い布を首の所に被せられました。布の端は頭の方まで覆うので状況は全く見えません。

そして「〇〇さん、麻酔を打ちますね。あと途中で痛かったら言ってくださいね。」と。

麻酔注射は何と首に打つのです!

グサッという感じではなくてチクッという感じでした。

そして直後に医者が注射あとを念入りにマッサージするのです。そうすると自分でも首の側面が張るというかしびれるような感じになり触られても重い感じであまり感じなくなりました。

 

そしてその後手術が始まりますが、「あ、今はメスだな」とか「今度はハサミで切っているな」という刃物の違いが感覚で分かるのです。

でも痛くはないのですが、重~い不思議な感じでした。恐いことに変わりないのでさっさと終わってほしかったです。

45~60分くらい経過したでしょうか? 今度は糸と針で縫う感覚があります。布を縫っているのと同じ感じが自分の首で起こっているのです。

 

「終わりました。大丈夫ですよ」と言われてホッとして、看護師に支えられながら控室に行き、しばし休んでから服に着替えます。

着替え終わると看護師さんから、「〇〇さん、これを外来に持って行ってください。外来の看護師さんから説明受けたらお帰り下さい」と言われました。

その「持って行く」というものは高さ10㎝、直径5㎝くらいの金属キャップの付いた透明のガラス瓶でした。

中には透明な液体が入っていて、1㎝ほどの白い肉片が2、3つ浮いています。

直ぐに自分の首から摘出したものだ、と分かりました。

 

外来にそのビンを提出して帰宅したのです。

今じゃ考えられないと思います。摘出した検体をその患者に外来に運ばせるなんて・・・。途中で転んで割ったりしたらどうするんでしょうかね?

しかも全国的にもトップクラスの国立の大病院が、です。



結局3週間弱の入院・・・

その後は結局、「よくわからないので検査入院して!」と言われてしまいました。

当時は春休みに掛かっていたのですが、どうしても新学期は多少学校を欠席しなくてはなりませんでした。

2~3週間程度と言われたのですが長いな、と不安でした。今じゃかなりの手術をしても数日でさっさと退院させられますからね。時代を感じます。

 

入院したその日に医者が3~4人と看護師数人がぞろぞろとやって来てレントゲン写真やカルテなどを見て「あーだ、こーだ」言っています。

この時私の不安は最高潮に達しました。

そして「〇〇君、ちょっとうつ伏せで寝てくれる?」と言うので言われた通りにすると、いきなりパジャマのズボンを膝くらいまで降ろされて背中を捲られました。

ほぼ同時に看護師3~4人に両腕と両足を押さえつけられて、「〇〇君、ごめんね、ちょっとチクッとするけど。」といい、返事をする間もなく医者がヤットコのやや小さい物みたいな器具を取り出して私の背中の腰のあたりをつまみ上げたのです!

↓ヤットコとはこういう道具です。(以下は医療器具ではありません)

私は「うわ~!」と叫んだのですが、その直後激しい激痛が来ました。

なんとつまみ上げた部分に注射を刺されたのです!

よく見えませんでしたが、ものすごく針が太いものだったと思います。

 

一瞬で顔が真っ赤になるのが分かり、物凄い脂汗が噴き出します。

「うわ~! ギャー~!」とか言ったかもしれません。

 

この時の激痛が私にとって今までの人生の中で最大の痛みでした。

麻酔注射なしです。この痛みを例えるならば、「工事用の大型ハンマーで背中を殴られる感じ」とでも言うのでしょうか?

とにかくこれ以上の痛みであれば「ショック死」するか「気を失う」と思います。

 

恐らく30秒程度で終わったのかもしれませんが私は5分くらいに感じました。

医者はその後さっさと出て行きましたが、看護師さんが注射の部分に薬を塗ってばんそこうを貼ってくれて「ごめんね」と言ってくれました。

私はその日しばらく仰向けに眠れませんでしたし、起き上がることも出来なかったです。

これは骨髄液の採取だそうです。これをやると血液検査では分からない色々なことが分かるとか・・・。骨に針を刺すわけですから針が太くて痛いわけです。

 

その後の入院生活も散々でした。

2日目の早朝、4~5時くらいですが、「火事でも起きたか?」と思うような勢いで起こされて何事かと思ったら「血採ります。」と早朝の血液検査でした。

そして3~4日目には「今度は反対側切らせてくれる?」と言われてまた首からリンパ節を摘出する手術、何枚ものレントゲン、1日2回もの採血などなど悲惨という字が現実になったような毎日でした。

また飯がまずかったんです。国内トップクラスの病院なのに。私が14歳という成長期を考慮されていたのかもしれませんが、毎日なぜか牛乳がビンで2本付くのです。

米も不味くて「朝はパンになりませんか?」と言ったらパンを出してくれましたが、なぜかその日からみそ汁が1回の食事で2杯付くようになりました。

パンは分厚いのですが、ビニールに密閉されていてもパサパサで学校の給食の方がよほど美味しかったです。

 

そして極め付けが夕食が16時半頃だったんです。

当時はどの病院も似たような食事時間だったそうで、16時ちょうどに夕食なんていうところもあったらしいですね。

これは厨房の職員の帰宅時間が優先されていたとか後に聞いたことがあります。

飯はまずいのに量が多い、だから食べたくない、夕食は早すぎ、若くてエネルギー余っている、検査入院なので基本は院内散歩自由でしたので腹が減って仕方なく売店でいろいろ買ったり親に食べ物をリクエストして持って来てもらったりしていました。

 

そして入院2週間過ぎ頃に外来に呼ばれて説明を聞くと、「反応性リンパ節結核」と言われました。

何じゃそれ?って思いますが、リンパ節のみ感染する結核みたいなものらしく、肺には出ないし血液検査でもわかりにくいそうです。(当時は)

そして2~3日で退院してよい、と言われました。

退院後は1~3ヶ月薬を飲んで1ヶ月に一度検査に行き、3ヶ月ほどで病院と縁を切ることが出来ました。

 

今では前述のような検査はしないようです。

もちろん骨髄液の検査はありますが、麻酔もするしもっと安全な方法です。当時のようなやり方だと下手したら半身不随や命の危険もあると思います。

二十歳過ぎて父から聞いたのですが、実は入院直後の検査で医者から父に「万一検査結果で癌細胞が発見されたら小児癌なので命の保証が出来ない」と言われて父は血圧が200以上に上がり気を失いかけたそうです。

 

今の時代は状況が全く違うと思います。

何しろこの記事の内容は今から42年も前(2017年基準)のことなので、医学の水準はまるで別物です。

しかも医学は日進月歩ですので、医者のコメントや実際の医療・治療の部分は全く現代にあてはまらないことをご承知おきください。

 

さて私は予定よりも早く退院出来て飲み薬だけで済みましたが、あの時の痛みは生涯忘れられませんし、あれ以上はあり得ないと思います。

何十年後かにお迎えが来るときも痛みと苦しみだけは勘弁してね、素行をよくするからと今から神様にお願いしておきます。

 

下らない話にお付き合いありがとうございました。

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2 Responses to “一番痛い思い出・・?”

  1. 左馬之助 より:

    こんにちはー。ハイペースで更新されてますね、GWでお仕事お休みですか?

    真偽は定かではありませんが、人(動物)は死に向かう痛みは特殊なホルモン?が分泌されてあまり痛みを感じない、と何かで読んだ事あります。言われてみれば私が交通事故に遭った時、結構な時間(2~3時間?)痛みを全く感じなかったですねー。病院に担ぎ込まれてひと通り検査されて、腕の骨折のみだから明日手術です、と言われてほっとしたのか急に激痛を感じました。

    また小学生の時虫垂炎でT大付属病院に2週間ほど入院しました(知り合いがいたらしい)が、確かに飯は学校給食より不味かったですね。廊下の天井が高くて照明は白熱電球で薄暗く、夜洗面に用足しや歯を磨きに行くのが凄く嫌でした。まだ馬のいる便所のがマシ(笑)

    • kaikoshumi より:

      左馬之助さま
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      左馬之助さんも色々と「痛い」思いをされたのですね。
      私も本やTVで極限状態になると脳からドーパミンが大量に放出されて痛みや苦しみを緩和すると聞いたことがあります。

      言い換えるとそういう状態はかなりヤバくて、痛いと言っている方が安全なのかもしれません。

      ともかく入院や手術はもう結構でございます。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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