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小学校の部活動

小学校の部活動はけっこういい加減??

どなたでも小学校の時に何かしらの部活動を経験されていたのでは、と思います。

もちろん6年間「帰宅部」の人もいたことでしょう。

学校によっては高学年になると課内クラブとかの名称で「ある日の6時間目は全員が必ず入る部活動」として行われることもあるようです。

 

私は5年生の時に写真部に入っていました。

低学年の時に親に買ってもらったハーフサイズのフィルムのカメラを持っていたのでそれを使うつもりだったのです。

(カメラ持っていなくても興味だけで入部できたが)

 

5年生になった直後に入部したのですが、大した活動をすることもなく私は2学期からは別の学校に転校したので「ほぼ何もやらない状態」でそのクラブにはさよならとなりました。

 

でも転校先の学校でまた写真部に入ったのです。その時は先生も含めて結構活動は活発でした。

しかし今のように写真展入選を目指すわけでもなく、学校内で発表することもなく単に放課後や日曜日など近隣の公園などに集まって好き勝手に写真を撮っていました。

クラブというよりも趣味人のちょっとした集まりみたいなものでしたね。

でも割と楽しくてその時に撮った写真は今でも家のアルバムにあります。

 

担当の先生も特に写真やカメラが好きだったわけでもない感じで、何となく部活を押し付けられた感じだったのかもしれません。

ですから非常に緩~~いクラブだったのです。(所詮小学生ということもありますけどね)

あまりはっきりと覚えていないのですが6年生の1学期まで入っていたと思います。

 

ちょうどその頃親に新しいカメラ(コニカC35 )を買ってもらって嬉しくて仕方ない時期だったんです。

このカメラは一眼レフではなくて、レンジファインダーカメラというもので形状は今のコンパクトカメラのやや大きい形ですが、マニアも納得の本格的なものだったのです。

今も所有しています。関連記事もぜひご覧ください。

関連記事: コニカC35は私の永遠の名機

よく死ななかったと思う科学クラブ

その後理由は覚えていませんが、「科学クラブ」に移ったのです。

私が科学実験とかが大好きだったので選んだクラブで、割と人気があって女子も何人もいました。

当然というかクラブを行う場所はいつも理科室です。

 

担当の先生の指導の元、最初の頃はちゃんと薬品を混ぜて反応させたり授業では行わない磁力に関する実験などをやっていました。

でも、ある時から担当の先生が殆ど来なくなったのです。

来なくなる前に、「これから先生は〇□で忙しいことが多くなるのでクラブに来れないこともありますが、皆さん高学年が中心になって安全にやってください」とか言っていたと思います。

 

でも本当に先生が来なくなったんです。代わりの先生も来ないし見回りの先生も来ません。

 

大学の研究室ではなく部員は全員所詮小学生ですので、部活をサボる児童もどんどん増えていきました。

確か当初は20人くらいいたと思いますが、その頃には私も含めて5~10人弱しか出てこなくなりました。

ちゃんとクラブが運営されていた時には、各自クラブ用の実験ノートとか図書室で実験用の本を借りて来るとかの準備をきちんとしていましたが皆それをしなくなりました。

 

クラスメートのある男子と私の会話は毎回以下の内容でした。

私: 実験ノートや図書室から借りた本持って来た?

友人:  持って来たのは自分の体だけ!

私: ワハハハ! そうだよね。俺は体と魂も持って来たけど!

私と友人: ワハハハ! そりゃそうだ!

 

毎回こういう↑会話だったんですよ!

こんなんだったからクラブサボってもいいんですが私とその友人は毎回真面目に出ていたんです。というのは先生が来なくなってから面白くて仕方なかったからです。

(余談: その友人は東京大学に進み、某外資系大企業の研究所に入りました。実はすごい奴だったんです。)

 

面白かった理由は毎回出て来る人の中にものすごく薬品に詳しい男子がいました。

先に述べた「持って来たの体だけ」という友人とは違う人です。

今思い出してもとても小6とは思えない知識でした。多分幼少の頃から化学関連が好きだったんでしょう。

 

先生が来なくなった、(多分)もう学期末まで来ないとみんな決めつけていたのでやりたい放題でした。

午後の部活の時間は職員室も結構先生方がまばらになるのです。部活に出る先生、放課後外出する先生などが多かったのかもしれません。

そして毎回誰かが職員室端の「理科準備室」のカギをこっそり持ってくるのです。

その時間は職員室もまばらで、6年生が準備室のカギを採りに来るのですから誰も悪さの事を疑わなかったと思います。

 

カギさえ手に入れればもうやりたい放題です。

準備室に入ったその薬品に詳しい男子は毎回いろんなショーを開催してくれました。

ガラス瓶に水と何やら複数の薬品を入れるとシュワシュワと泡があふれ出て来て皆、「お~すげー!」と大興奮で見ていました。

 

極めつけはその男子が「部屋のカーテン全部閉めて」というので電気はつけて黒の遮光カーテンを全て閉めました。

そして準備室にあったのかどうかわかりませんが50㎝四方くらいの焼けた後のある鉄板を床に置いて、こぶし大の量の赤い岩石を砕いたような薬品を鉄板中央に撒いた(置いた)のです。

そして「電気を消せ」というので部屋を真っ暗にして彼がその赤い薬品に火をつけるとまるで火山の噴火のように火が上がり1mくらいの高さまで吹き上がったのです!

大袈裟に言えば火山ですが、まあ花火みたいなものでした。

その薬品が何かは今でも分かりませんが、よく火事にならなかった、怪我人や死者が出なかったなと思います。

部屋はすごい煙がこもったのですぐに窓を開けましたが当時は煤煙検知器が付いていなかったんですね。

 

この科学クラブでは「今日の根性賞」とか「根性丸出し」とかの言葉が流行っていました。

先生が来なくなってからやりたい放題なので、危険を顧みず滅茶苦茶やった人に「お前今日の根性賞だ!」(実際は何ももらえないが)とか、「すげーな、お前根性丸出しじゃん」とか言って大笑いしていました。

 

火山の噴火ショー(?)をやった男子は当然その日の「根性丸出し賞」に認定されました。

これほど過激なことは滅多にやりませんでしたが、しょっちゅうやっていたのは理科室の机の上(重厚な木の机)にアルコールを20㎝四方くらいに撒いて火をつけるんです。

当然火が出ますが、これを手で叩いて消すんです。

上手く消せると「お前今日の根性賞だ!」となるわけです。不思議なことに私も含めて火傷や怪我人は出なかったのです。

 

こんな馬鹿な事を毎回やっていて、それは楽しかったんですが「よく命が持った」と今は思います。

結局担当の先生はその後学期末まで来なかったんです。

薬品管理とかもずいぶん適当でしたね。楽しい思い出というよりもやってはいけなかった思い出ですね。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します妻子持ちの普通のクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道札幌市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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