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紋別流氷の宿ユースホステル

隠れた憩いの宿・紋別流氷の宿ユースホステル

 

北海道のオホーツク沿岸の中核都市・紋別市に「紋別流氷の宿ユースホステル(以下YH)」がありました。

残念ながらこのYHは1988年(昭和63年)7月1日に閉館となりました。

何度も足を運んだ大好きなYHでした。理由は様々ありますが、

シンプルだけど清潔な建物

食事が大変に良い。YHの食事としては破格の内容で毎回工夫を凝らしたメニューで、しかも食器類は全て陶器。
YHの食器が全て陶器というのは大変画期的なことなのです。
(うろ覚えですが、一部プラスティック製もあったかもしれません。でも記憶は全て凝った和風陶器しか覚えていません。)

馬鹿騒ぎミーティング(夕食後の会合)は一切しないが、静かな一夜を過ごすことが出来る。

真夏でも大混雑とか、嫌な常連ホステラー(宿泊者のこと)がのさばっていたりしないので、居心地が大変に良い。

ペアレントさん(管理人)はあごひげを生やしたちょっとワイルドな感じの方だったが、とても物静かであまり前に出てこないタイプ。
でもとても親切で暖かい方だった。

などなどたくさんありました。

とても交通不便な紋別流氷の宿YH

何度も北海道を旅したホステラーに聞いてもこのYHについて悪いことを聞いたことは一度もありません。
でもとても地味で「あまり印象が無かった」というホステラーがいることも事実です。

私にとって、そして多くの旅人にとってこの紋別流氷の宿YHは「一度行ったらまた行きたくなる」素晴らしい魅力のあるYHなのですが、あえて悪い点を上げると「交通の不便さ」にあります。

(評価の高いYHほど交通不便な場所、というのも事実なのですが)

最寄り駅は国鉄(当時)名寄本線の紋別駅
この駅はオホーツクの外れであり、同じオホーツク沿岸でも網走や知床方面とは直接繋がっておらず(乗り換えなしで行けない)、遠軽や中湧別、名寄などの各駅で名寄本線に乗り換える必要がある。

紋別に行く名寄本線も「本線」とは名ばかりの超ローカル線で、日に数本程度の列車しかありません。
1970年代は札幌からも名寄経由の「急行 紋別」とかありましたが、札幌からだと確か6時間くらいかかったと思いますし、旭川からも3時間強はたっぷりかかるという遠さです。

(名寄本線は1989年5月1日に廃止されています。)

紋別駅からも遠い
紋別駅からも徒歩で20分はたっぷりかかります。
バスもあったとは思いますが、YHの目の前まで来るバスは無かったはずですし、私は一度もバスを使ったことがありません。

このように紋別流氷の宿YHまでは大変な遠路を移動しなければならず、道北と言っても旭川から稚内や網走に行く途中にある街ではありません。

だから中継基地として使うとかはまずありえませんし、YHはオホーツク海を見下ろす高台ですが、付近に観光地/景勝地というものはほぼ皆無で、単に「このYHに行ってみたい」とか「夏の混雑時にあちこちで断られて流れ着いたのがこのYH」みたいな人が圧倒的に多かったのです。

ちなみにYHがあった場所はこちらとなります(Google map)

また1978年(昭和53年)10月27日に高度1600mから撮影された、紋別市内におけるYHの位置関係が判る写真を載せておきます。
(クリックで拡大します)

引用元: 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 様
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1

 

さてYHへは駅からは一旦港方面に出て、海沿いを南下する住宅がたくさんある道をひたすら歩きます。
途中からゆるい登り坂になりますが、勾配は緩く坂の部分は大した距離ではありません。

でも左右は住宅や港湾関連の建物ばかりで、時折オホーツク海が見えるとはいえ、単調なつまらない道が続きます。

↓こんな道ですね(実際にYHに行く途中の道。2018年6月現在)

引用元: Google map ストリートビュー

この場所(Google map)



紋別流氷の宿YHの様子

何度も泊まったのに手元に写真がありません。
(多分押し入れの奥の奥にはあるかも・・・)

ネット検索するとこのYHの名前は出てくるのですが肝心の写真が全然見つかりません。
仕方ないか・・・とあきらめていたところ一枚だけ見つかりましたのでアップしておきます。

↓クリックで拡大します。

引用元: MD馬鹿一代 様
https://blogs.yahoo.co.jp/md_baka_1dai

入口の場所は右側の分離したような部分の赤っぽい色の屋根の所だったと記憶します。
やや引いた位置からの写真だと白い壁がプレハブのように見えますが、実際は決してそうではありません。

シンプルな2階建てですが、黒や暖色系の木材などを使った内装は夏でも冷涼なオホーツクの旅に相応しい配色と言えました。

部屋は通常の2段ベッドですが、入口や食堂などと共通の配色デザインで落ち着いた一夜を過ごせました。

冒頭に「食器も食事も良い」と書きましたが、どんなメニューだったかははっきり覚えていません。

でも年がら年中同じメニュー(それがウリで人気のYHも多かったが)とかではなくて、食器の数も多かったので作る方も工夫が必要だったと思います。

鮭関連の料理だけはなぜか覚えています。湯飲み茶碗も和食器で好感が持てました。

またミーティングも馬鹿騒ぎは皆無で、ヘルパー(アルバイトの住み込みスタッフ)がギターを弾いてというのも殆ど(滅多に?)なかった気がします。

でも紅茶とコーヒーが出されて「お好きにお過ごし下さい。」という感じでしたので、時刻表片手に翌日のスケジュールを立てたり、他のホステラーと談笑したりして過ごしました。

紋別は昼間やることがない・・・

何度も泊まったのに連泊は1回しかありません。

ヘルパーに「昼どうするの?何処にも行くところないよ!」と言われました。

多くのYHは付近に見るものが全く無くても、バスが1日に1~2本しかないような場所でも、ホステラーをあーだこーだ口説いて連泊させようと必死になったりしますが、このYHは連泊希望者には(私以外にも)、「昼どうするの?」、「暇で死ぬよ!」とか言うヘルパーを何人も見ました。

もちろん連泊されると困るということではありません。
どんなYHだって(ヘルパー、ペアレントだって)たくさん連泊して欲しいのが本音ですが、紋別流氷の宿YHでこのようにヘルパーが言うのは、「連泊者の昼間を心底心配している」のです。

紋別は本当に何も無い港湾の町です。

YHの目の前はオホーツク海ですが一日見ているほどの場所ではありません。
周辺に観光地も景勝地もありません。あえて言えば町を離れて何も無い原野や果てしない海岸線が景勝地といえる、くらいです。

本当に何も無く退屈します。

車などがあればちょっと走れば原野の中にある小さな沼や湖、小高い丘から見下ろす街並みなども見れますが、「連泊してまで・・・」と言えるかどうか悩むところです。

結局私は昼間街中と港をぶらぶらして、早めにYHに戻り歩き疲れた身体を18時の夕食までベッドで昼寝をして癒したのです。

何も無い、とは言え幸い紋別は比較的大きな街なので、飲食店などもわりと多く、昼食や買い物などに困ることはありません。

確か紋別流氷の宿YHは後年レンタサイクルを置くようになりました。(ずっと前からあったかは記憶にありません)

 

余談:
「何処のYHでもホステラーを連泊させようと必死・・・」と書きましたが、これは決して「YHの売り上げを上げるための施策」ではありません。
雨が降るとヘルパーが「今日は絶好の連泊日和だな・・・」とか言ったりすることもありますが、連泊させようとするのはどちらかと言うと「学生のノリ」に近いおふざけなのです。

もちろん強制連泊なんてさせません。←冗談交じりでこういうヘルパーはいたが。
連泊すると割引とか2泊目は同料金で食事が良くなるなんてこともありません。




航空写真で見る紋別流氷の宿YH

紋別流氷の宿YHがあった時期と、2018年現在の同じ場所を航空写真で比べてみたいと思います。
宿泊経験のおありの方はどのように感じるでしょうか?

▼以下の2枚はクリックで拡大します。

▼現存時の写真は1978年(昭和53年)10月27日に高度1600mから撮影したものです。

引用元: 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 様
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1

▼2018年現在の写真はGoogle mapからの引用です。

 

↓1978年10月27日現在↓

↓2018年現在(跡地)↓

 

紋別流氷の宿ユースホステルは派手で賑やかなユースホステルが多い中で、大変地味なユースホステルでした。
私は10代の頃は若さゆえか馬鹿騒ぎミーティングが大好きでしたが、でも紋別のように静かにお茶を飲んで過ごすというユースホステルも同じくらい好きでした。

様々な理由があるにせよ、無くなってしまった紋別流氷の宿ユースホステルは今でも残念でなりません。
でも多くのYHが「出来ては消え・・」を繰り返し、全体数はどんどん減少しているのは事実です。

せめて忘れないように記憶にとどめておきたいと思います。

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14 Responses to “紋別流氷の宿ユースホステル”

  1. 会長どうぞ!!!! ビップエレキバン!!! より:

    私の年代では「北海道バイクツーリング」ブームあり,ライダー達が宿泊費の安いYHに泊まるのが流行っていました。でも,バイクブームが去ったあとはYHの名前を聞くことは殆どありませんでした。

    なお,私が北海道旅行で利用したのは,富良野プリンスと札幌プリンス 及び 中島会館だけです。

    • kaikoshumi より:

      会長どうぞ!!!! ビップエレキバン!!! 様
      コメントありがとうございます。

      バイクブームが去った後・・・
      →確かにこのあたりからYHも減少し、若い人でさえ「YHって何?」という人が増えていったと思います。

      でも昔から不変のこともあります。
      春(雪が融けた直後から)になると今でもバイクや自転車の旅人が初冬までいます。

      大きな荷物を前後につけて走っています。
      大昔から今にかけてバイク、自転車共通なのは後ろに「小さな三角の旗」をつけているのです。

      色や書かれている文字は様々で、

      ・北海道一周中!
      ・日本一周中!
      ・大阪からキタで!

      などなど。
      「すげー昔から全然変わっていないじゃん!」と思いながらいつも懐かしんでいます。

  2. はじめっち&みならいかのん&ゆたか&つるみん より:

    紋別ってば、道内一「閉校した木造校舎が一番残る街」だと聞いたことがあります。
    車持ってる自分らなら(おそらく自転車もOK)、このYH、使い倒しちゃいます。
    もちろん、現役木造校舎もだいすき!です。
    ・・・何もなくても何か見つける!はじめっち

    浜頓別がそうだったように、ここも鉄道がなくなってしまったのが大きかったんでしょうか?
    もちろん、元からある立地の不便さや経営者高齢化などの原因もあるでしょうが…
    ・・・行ったことないけど興味でましたみならいかのん

    連泊させるためにあるYHでは「バイク・自転車の空気を抜く」
    果てまた「パンクさせ」て連泊させたというのを聞いたことがあるのっす。
    そしてそれがもとで「営業停止になったYH」があったとも聞いたんすが、
    ある意味、噂が噂ば呼んで、話がでかくなった「伝説」でないかと思うんす。
    または面白がって、そんな「話」を広めたんかな…と。
    第一そんなことしたら、当事者間で許されても、
    報道されちまうんでねぇかなと思うっす。
    ・・・「三(四)悪YH」の話もそんな感じだったりかもすゆたか

    あたいはむずかしいことはよくわかんないけども、
    歌やゲームやどんちゃん騒ぎしなくても、会話が楽しめるシチュエーションがあれば、
    宿泊者も工夫して楽しむことはできるものなのだ。
    ・・・お菓子は必要だったりするのだつるみんでも最近「ダイエット」だの「お菓子は食べない」だのそういう人がすんげぇ増えたのだ

    • kaikoshumi より:

      はじめっち&みならいかのん&ゆたか&つるみん 様
      コメントありがとうございます。

      >道内一「閉校した木造校舎が一番残る街」・・
      →これは知りませんでした。
      というか紋別市内はそんなにあちこち行ったわけでもないのですが、港以外はどんどん寂れていく感じがします。
      ローカル線がどんどん廃止されて実際に乗客は殆ど乗っていなくても鉄道がなくなると確実に街は廃れますね。
      悲しいことですが。

      (先月に釧路で行われた釧網本線存続会議でどこかの市議だか誰かは「この会議に鉄道で来る奴なんていない!」と暴言はいて大問題になりました。網走から来た市議か役所の方は「俺は早朝のJRで来た!」と反論したそうです)

      >連泊させるためにあるYHでは「バイク・自転車の空気を抜く」・・・

      →ここまでの話しは知りませんでした。
      ヘルパーは連泊させようと必死でしたが、実際にこのようなことをやったら昔でも警察沙汰になるので風の噂だとおもいます。

      >お菓子は必要だったりするのだ・・・
      →判りますよ(笑)
      お茶を出してくれてもささやかなお菓子でもあると嬉しいですね。
      YHではダイエット忘れましょうね。

      皆さんありがとうございました。
      またお出でくださいね。

  3. 左馬之助 より:

    こんばんは。紋別流氷の宿に高校生の頃1泊してるんですけどYHについては全く記憶にありません(^_^;)ただやはり駅から歩いて行ったんでしょうなぁ、途中あまりに寒くて寒くて「高校生入場禁止の店」と書かれた喫茶店にビクビクして入った記憶があります(笑)

    • kaikoshumi より:

      左馬之助さま
      コメントありがとうございます。

      「高校生禁止の店」ですか、そんなのあったのですね。
      でも喫茶店とのことなので、中はごく普通のお店だったのでしょうね。

      このYHは駅から遠いです。しかも歩くのが唯一の手段でした。

      季節によりオホーツク海からの吹きすさぶ風で寒いと思います。

      こういう素晴らしいYHほど人知れず無くなるということが多い気がしますね。

      また当サイトにお越し下さいね。

      • 左馬之助 より:

        もちろんフツーの喫茶店でした。地元高校生がたむろしてタバコ吸ったりするのを防止するための貼り紙かと思います。紋別も清水沢ほどではないものの当時に比べたら寂れましたね。

        • kaikoshumi より:

          左馬之助様
          コメントありがとうございます。
          やはりタバコの対策なのですね。東京や横浜の喫茶店ではさすがにそのような「・・・おことわり」表記は見たことがありませんね。

          紋別は炭鉱も鉄道も無くなったとは言え、大きな漁港ですし空港もあって東京便があるので清水沢よりははるかにマシということなのでしょう。

          でも東京便もいつ臨時便格下げまたは撤退になるかわからないと思います。

          これは完全個人的感想なのですが、紋別は寂れて衰退しているのに観光を打ち出していない感じがします。
          悪い言い方だと努力不足かな?と。

          清水沢よりは訪れてもよい、と思わせる資源はありますから今のうちに手を打つべきだと思います。

  4. んにゃ より:

    『紋別流氷の宿ユースホステル』って『網走流氷の丘ユースホステル』と名前が似ていて紛らわしいですよね。ペアレントが親戚同士だったりして。

    こちらのユースホステルってペアレントの自宅を開放したものだったのでしょうか。
    あと閉館した理由は何だったのでしょう。立地が不便な地にあるために経営が成り立たなかったとかでしょうか。

    元あった建物が取り壊され、空き地と化した情景を見ると寂しいものがありますね。

    • kaikoshumi より:

      んにゃ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      >ペアレントの自宅を開放・・・
      →こればかりは判りません。でもPさんは確かにここに住んでいましたし、典型的な個人経営のYHでした。

      建物の基本はYHで一部Pさん家族が住むスペースがあった、ということではと思います。

      >閉館した理由は・・・
      →これも判りませんね。ただコアなファンがいるといっても非常に不便な場所ですし、客単価が激安なので儲からないでしょう。

      しかも年々利用者は減っていますから経営的に支えられなくなったのだと思います。

      殆どのYHの閉館理由は経済的なもののようですが、一部のYHは(紋別は?ですが)、YH協会と意見が合わなくなり閉館したというところも多々あるようです。
      (あるYHでPから直接聞いたことがあります。)

      ともあれ素晴らしいYHだったのに今でも残念でなりません。

  5. とし より:

    昔の写真を整理していたら、
    何故か紋別流氷の宿のことを想い出したので
    ネットで検索して、ここにたどり着きました。
    来年60歳になるオジさんです。

    1977年の夏にバイクでツーリングしていたのですが、
    少し疲れて連泊しているとクマのようなペアレントさんに
    「ヘルパーしないか?」と誘われて
    1週間ほどお手伝いしたことを懐かしく思い出しています。

    当時、私は高校生。大学生の男子のヘルパーさん1名と、
    女子のヘルパーさん2名に可愛がってもらいました。

    静かで食事の美味しいYHでお気に入りでした。
    ペアレントさんの奥様も美人で、
    2~3歳の娘さんも可愛かった記憶があります。

    昼間は暇なので、浜に降りて、
    ホタテを焼いて食べたりしていました。
    今は、浜はなくなったのかなぁ。。

    近くに「あんるる」という喫茶店があったのですが、
    今は「とあんくる」となっているのでしょうか?
    「あんるる」の思い出ノートに
    いろいろなことを書いたような気がします。

    いつか、流氷の季節に
    再度訪れたいと思っていたのですが。。。。

    • kaikoshumi より:

      とし様
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      1977年の夏も私はここに泊まっています。
      恐らく私はとし様の1学年下のようです。

      >クマのようなペアレントさん・・・
      →そうです、そうです!顔を思い出しました。
      でも物静かで温厚な方でしたね。

      ここの娘さんは覚えていないんですが、奥様の顔はなんとなく覚えています。
      お若くてどちらかと言うと「かわいい」タイプではなかったでしたっけ?

      裏の喫茶店は入ったことが無いのです。
      現存するお店は昔から今も続いているのでしょうか?

      Google mapでこのお店の名称をクリックすると、店の中や食事の写真がたくさん出て来ます。

      いつかふらっとYHのあった場所を歩いてみたいです。

      ご訪問ありがとうございました。
      またお出でくださいね。

  6. いら かおる より:

    68歳のじいさんです。学生時代を含めて、昭和53年まで流氷の宿をたびたび利用していました。
    この2月末、41年ぶりに紋別を訪れましたが、流氷ははるか沖にあって見ることはできませんでした。
    南ヶ丘へ行ったら「とあんくる」というレストランがありました。店で話を聞いたら「旧あんるる」の建物を別の人がそのまま受け継いでいるそうです。「あんるる」はユースと同じSさんの経営でしたが、いつ引き継いだのかまではわかりませんでした。
    ユースのペアレントだったSさんは紋別出身ですが、もともとホステラーで、福岡のルノワルYHを理想としていました。食器に九州の小鹿田・小石原焼が使われていたのもその影響です。お元気なら古希は越えられたはずですが、紋別には住んでいないようです。
    ユース定番の「旅の終り」ですが、一般的には白老YHに昭和46年に伝わり、翌年礼文島から広まったことになっていますが、私の記憶ではユースを開く以前のSさんたちが、ルノワルなど全国をまわって、すでに歌っていたような気がします。(いわば別ルート)
    いずれにしても若き日の大切な、よい想い出です。

    • kaikoshumi より:

      いら かおる様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      大変貴重な情報をありがとうございます。
      ルノワルYHとの縁があったりなどは初めて知りました。

      私も数十年ぶりに様々な謎や疑問が解けた感じもします。
      このサイトを作ってよかったです。

      ぜひまた当サイトにおいでください。
      ご訪問ありがとうございました。

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管理人について

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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