学園祭と学芸会
学園祭と学芸会も貴重な思い出
幼稚園/保育園~大学/専門学校に至るまで、様々な学校で学園祭と学芸会を皆さんも経験されていることでしょう。
運動会や遠足、修学旅行などに比べたらやや地味な思い出かもしれませんが、幼少期そして青春の一コマであり、永遠に胸に刻まれた思い出だと思います。
学校の思い出の中ではやや地味だからこそ思い出すと、「ああ!そうだったね!」とか感動もひとしおなのではないでしょうか?
学芸会の思い出
学芸会、という言葉を使うのは地域性と時代があるとは思いますが、やはり小学校で使われる名称だと思います。
幼稚園/保育園でも「がくげいかい」(平仮名)と言うところもありますし、「せいかつ はっぴょうかい」とか「○○はっぴょうかい」、「おゆうぎかい」などの言い方もありますね。
クリスマスシーズンはそのものズバリの「クリスマスかい」だったりもします。
そして幼稚園/保育園の場合は午前中ですべてが終わり、そのまま解散が多いようです。
でも「クリスマスかい」は最後にサンタクロースに扮した園長先生が子供たちにプレゼントを配ったりしますね。
小学校になると「学芸会」、「がくげいかい」と名前がグレードアップ(?)して内容も高度になって来ます。
「がくげいかい」と平仮名だけの表記にする小学校もあるようですが、これは低学年基準で親しみやすさを前面に出しているようです。
また学校により「合唱発表会」をやったり、「学校祭」(文化祭とも言う)など多彩になって来ます。
それとこれらのイベントとは別に「バザー」をやったり、「フリーマーケット」をやる学校もあり、学校祭と同時または別の日に行ったり様々なようです。
私が小学校時代は(練馬区と新宿区の2校)記憶の範囲では「学校祭」とかの名称のイベントはありませんでした。
覚えているのは「学芸会」、「合唱発表会」、「バザー」くらいでした。
でもそれとは別にクラスの中だけで年に一度、「お楽しみ会」なるものがあったのです。
これはクラスの中で仲の良い友人同士がペアまたは数人のグループを作り、「出し物」を皆の前で披露する、というものでした。
漫才の人もいれば、クイズ大会、踊って歌う、ミュージカルをするなど多種多彩でしたが、あくまでもクラス内のイベントなので、他のクラスや学校全体の前で発表することはありません。
通常の授業時間の一部を使って行うのですが、自分がはっきり覚えているのは6年生の時にクラスメート数人で「ウェストサイドストーリー」を踊ったことでした。
これは結構練習しましたね。
ラジカセから音楽を流しながら行うので、公園とかでおおっぴらにやるのはちょっと迷惑だし、恥ずかしかったので公園の端の目立たないところでは音楽無しで、音楽ありの時は戸山交通公園(新宿区)の事務棟(サービスセンター)会議室を借りてやったりしました。
この会議室を使ったのは多分「お楽しみ会」直前の最後の仕上げの時だったと思いますが、廊下から覗いていた小さな男の子がお母さんに、「このお兄さん達踊っているよ!」と言っていたのを今でも鮮明に覚えています。
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学園祭/学校祭の思い出
中学の時は殆ど覚えておらず、「確か学校祭ってあったかな・・・」くらいです。
この時の私は今で言う「中二病」で単なる生意気坊主、学校は病欠以外は完璧な出席だったのに学校が大嫌いだったからなのかもしれません。でも仲良しの友人はたくさんいて友人との一時はとても楽しかったです。
高校は私の人生の中で「学校」と名の付く場所では一番楽しい場所でした。
でも男子校で、最寄り駅もうちの学校しか高校は無かったという悲惨な3年間ではあったのですが・・・。
関連記事: 男子校の実態
一番はっきり覚えている学校祭は高校の時でした。
自分は特に出し物はしなかったので、見学オンリーでしたが当時も今思い出しても「青春」を感じる1日でした。
男子校だったのですべてがむさくるしい、お店も無表情のぶっきら棒、でも理屈無しに楽しかったのです。
それと他校も男子校は殆どが入場券無しなので、女子高の女の子がたくさんやってくるのです。
彼女達を眺めるだけで楽しい一時でした。(でも私は不器用なので一度も知り合いになれませんでしたが)
余談ですが当時(今も?)女子高の学校祭は殆どの学校が「要入場券」でした。
しかもこの入場券はその学校の生徒が招待客との関係を明らかにしないと発行出来なかったりしたので、招待される人の殆どは親兄弟だったのですが、「兄です」と言って「同い年のお兄さん」も相当数いたのが実態ですけどね。
高校の学校祭で一番の印象は「柔道部のお餅屋」でした。
私は柔道部に入っていたわけではないのですが、ここのお餅はとても美味しかったのです。
その場で餅を搗いていたのではなかったと思うのですが、柔らかくて黄粉なども美味しく毎年楽しみでした。
学校祭が近づいて出し物のパンフレットやポスターが掲示されると、「今年も柔道部のお餅屋が開店します!」みたいなことが書いてあって、ちょっとしたメニューも出ていました。
確かに味は文句ないほど良かったのですが、とにかく店員(柔道部員)の愛想の中にはがっかりでした。
まあ男子高でそんなことを求めるのが無理なのですが、皆マスクをしていたので表情は全くわからず、でも食券出しても何も返答もなく、黙ってお餅を運ぶだけ、ありがとうございますすら言いませんでした。
まあ同じ学校の生徒なので「これでいいや!」としか私も思わなかったのですが、これが女子だったら・・・なんて毎年思ったのも事実でした。
定番の焼きそばもあった気がするのだけど。もしかしたら他校の学校祭に行った時と混同しているかもしれない・・・。
もう一つ、学校祭で忘れられないのは、フィナーレに近い時刻に校庭の端で行われた「ブラスバンド部」の生演奏でした。
これは本当に素晴らしかった。私は当時もコンサートや生の演奏が大好きだったので、ズシンと来るドラムと切れ味鋭いシンバルとトランペットの音、今思い出しても「あの悲惨な男子校で・・・」という思いが吹っ飛ぶほどの演奏でした。
特に覚えている曲は定番(今も?)とも言える「宇宙戦艦ヤマト」、「マジンガーZ」の2曲で、ブラスバンド用にアレンジした演奏は100点挙げても良いほどでした。
ブラスバンド部の中から音楽関連に進んだ人がいたのかは知る由もありませんが、活躍されていたら嬉しいです。
大ひんしゅくを買った出し物
学芸会/学校祭などでウケの度合いはあれど、見ているみんなはそれなりに楽しんで評価してくれたと思いますし、自分も友人の出し物を純粋な気持ちで評価していました。
しかし1度だけ大ひんしゅくを買ってしまった出し物がありました。
私が発案したものではないのですが(本当です)、見ている人たちから散々言われた出し物もありました。
それは高校の修学旅行(高校2年生)の時に、ホテルの宴会場で「各班ごとに出し物をしよう」という話しが旅行前からあって、友人達と何をしようか?と連日話し合っていました。
男子校の考えることは本当にろくなものではない、と今でも思いますが、ある友人が当時流行っていた漫画の「嗚呼!!花の応援団」をやろう、ということを言い出したのです。
画像もネットに数多く上がっていますのでご存じない方は検索してみてください。
詳細は忘れましたが、当時の私の高校の制服はこの漫画と同じ「ガクラン」でしたので、同作品を真似た茶番劇をやることになったのです。
そして悪乗りした某友人が、
「根性モノでもあるので、巨人の星の場面も被せよう」
とか言い出して茶番劇の、
「最後のほうで誰かAが「嗚呼!!花の応援団」の「クエッ、クエッ!」を言いながら舞台の端から端を行ったり来たりする、そしてもう一人の誰かBが巨人の星の「うさぎ跳び」を同時に舞台の端から端を使って往復しよう」
と発案したのです。
当時思い出してもあまりにも低俗でくだらない茶番劇でした。
そしてこの「誰かA」と「誰かB」は私達の班の中でも目だたなくて、どちらかと言うと「いじめられっ子」のある二人が選ばれたのです。
その二人も「いやだ!」と言えば良いのに、ニコニコしながら快諾したのです!多分修学旅行だからと気持ちも舞い上がっていたのでしょう。
そして当日夕食後にその茶番劇は始まりました。
全員の衣装は普段着ているガクランそのものです。
そして最後に上記の「クエッ、クエッ!」と巨人の星の歌にあわせて「うさぎ跳び」が始まったのです。
皆は大笑いすると思っていましたが、かなり覚めた目線で舞台を見ていました。
そして終わると同時「あいつがかわいそうだ」、「あんなひどいことやらせるなよ」とブーイングでした。
私を始め参加した全員は普段バカしかやらない男子校だから、と高を括っていたのだと思いますが、予想外の皆の反響に驚いてしまいました。
いくら男しかいない節操のない学校で、普段バカばかりやっていてもやはりやりすぎだったようでした。
これを機に反省をしましたが、やらされた二人は全然気にしていなかったようで「楽しかった」と言っていました。
アホですね。
学芸会、学校祭、学年や呼称が違ってもやはり忘れられない「あの日」が誰にでもあります。
それは大勢での劇や合唱、演奏かもしれないし、数人でのコントかもしれない、いやそんな人に見せるものではなくて特に何もしなかったけどバザーに出した下敷きや筆箱が売れて嬉しかった、ということかもしれない。
でもどんなささやかなものでも、あなたの青春を彩った1ページであった事は紛れもない事実なのです。
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北海道の小中併置校の学校祭(学芸会)ってのは、両方の出し物をやる関係で、
小学校低学年が中学校の見学しているのが退屈になって、
いろいろと大変で…でも、がんばって視聴することがマナーを学ぶってことで、
みなさん、苦労していたようです。
・・・ご苦労様ですみならいかのん
小学校のマンモス校になると、チェック&リハーサル名目で、
水曜日か木曜日に1~6年全員が、体育館に集まり「児童公開」が行われて、
土曜日までに細部などの修正を施して、日曜日に「保護者公開」を行ってました。
その日は、保護者で体育館がいっぱいになるので、
児童は出し物によって、時間差登校をして演目終了後下校してました。
兄弟姉妹がいる家庭は大変だったはずです。
・・・これは東京(内地)も同じでは…?はじめっち
うん、それは今の「いじめ(リンチ)」とは全く違うベクトルだったからだと思うっす。
・・・でもアホっすね!ゆたか
あたいはむずかしいことはよくわかんないけども、
たしかに女子高生の写真(制服・体操着・スク水等)入りで「この子がこねました!」
ってコメントが付いた御餅があれば、供給が需要に追いつかないかもしれないのだ。
・・・やっぱしアホなのだつるみん
みならいかのん&はじめっち&ゆたか&つるみん 様
コメントありがとうございます。
>小学校低学年が中学校の見学しているのが退屈・・
→これは私が9月17日に書いた「運動会の思い出」の中にあります、「高学年は低学年の競技を見るのが苦痛」というのと同じですね。
でもこういうことで忍耐をつける、という授業なのかもしれません・・・。
>小学校のマンモス校・・・
→仰る通りと思います。私が幼少を過ごした頃は子供たちが溢れかえっていましたが、東京は土地がありませんので、校庭を潰してプレハブの校舎をたくさん作ったりしていました。
だから運動会も校庭の一部だけでひっそりとやったりもあったのです。
それと最近知ったのですが、2018年現在日本一のマンモス小学校は確か函館の何とかという学校で、あまりにも巨大なので運動会も学年別に集まったり、午前で帰る学年は「弁当不要。自宅で食べること」とか近隣のスーパーが保護者のために駐車場を特別開放したりするそうです。
少子化なのに驚きでした。
>「この子がこねました!」・・・
→そのアイディア、わたしが高校の時に知っていたら柔道部に100万円で売っていました(笑)!
でも私の高校は男子校だったので、柔道部の誰かが女装することになります!
もし今そういうことをしたら大混乱になるほど売れると思いますし、事前告知したら全国から来客があると思います。
このアイディア、鋭いですね!
皆様、ありがとうございました。
またお出でくださいね。