北海道・夕張駅
夕張駅は多くの思い出も作った駅・街
【当記事のカテゴリーは2018年11月に作成した”あなたの懐かしい駅”という新しいカテゴリーです。】
【本記事中の写真は全てクリックで拡大します。引用元が無い写真は全て私が撮影したものです。】
夕張駅は多くの人々に無数の思い出を作ったことでしょう。
以前は国内屈指の炭鉱の街として栄え、わざわざ遠方の札幌などに出かけなくても市内で全てが揃ってしまい、生活も大変に便利でとても活気ある街でした。
しかし残念なことに2019年3月31日をもって夕張駅は路線と共に廃止となるのです。
夕張駅は夕張線(現名称 石勝線夕張支線)の終点という事もあって、「この駅から旅立つ」、「この駅に帰って来る」という感覚が非常に強い駅だったと思います。
つまり人生の中で起点であり、どんなに遠くに離れてもいつも心にあり、一時たりとも忘れえぬ母親のような駅のはずです。
私は観光でしか同駅を訪れたことがありません。
しかし故郷の駅から遠くに旅立つという気持ちはすごく判りますし、ましてやまもなく駅が、鉄道が無くなるという事態に夕張出身の方は「遠く離れているのですぐには行けないが、気が気でない」とお思いの方が多いと思い本記事を書くことに致しました。
3度の変革のあった夕張駅
夕張駅は知る限り3回場所が変わっているようです。
Wikipediaでざっと調べると以下の年、場所のようです。
(下線のついているリンクをクリックするとGoogle mapが開きます。)
・初代
1892年(明治25年)11月1日
北海道炭礦鉄道が現在の石炭の歴史村付近に建設、開業。
↓2003年8月当時の残存ホーム
(引用元:Wikipedia )
引用元: 夕張市に期待する 様
http://www.geocities.co.jp/Colosseum-Acropolis/4117/tetudou/yubari/yuutetu.htm
↓1984年の営業時の駅の様子
引用元: 亜洲鉄道日記 様
http://blog.livedoor.jp/asianrailroad/
・2代目
1985年(昭和60年)10月13日
夕張市役所及び夕張市民会館裏の夕張鉄道旧夕張本町駅跡地に移転。
↓2代目駅 奥に夕張市役所が見える。
引用元: 風来梨のブログ 様
https://blogs.yahoo.co.jp/furai58
・3代目(現在の駅)
1990年(平成2年)12月26日
ホテルマウントレースイ前に駅を移転。
3代目駅の写真は以下の「夕張駅フォトギャラリー」をご覧下さい。
夕張駅フォトギャラリー
以下の写真は3代目(現行駅)の夕張駅の写真で、2018年11月11日に全て私が撮影したものです。
クリックで拡大します。(当然本サイト内全ての写真、動画等は無断転載・利用は禁止です!)
売店は駅舎内にあり、駅後ろの巨大な建物は「ホテルマウントレースイ」です。
「ゆうばり屋台村」は駅すぐ脇にある、夕張のグルメなどを楽しめます。でも廃駅後の動向が心配です。
以下はやはり同日に私が映した夕張駅の動画です。
同チャンネルには夕張線・鹿ノ谷駅などもありますのでよろしければ合わせてご覧下さい。
*夕張市 清水沢地区
夕張駅近辺と並び、夕張市内では共に栄えた清水沢駅及び近隣の記事もございますので、ぜひご覧下さい。
スポンサーリンク
こんばんはー。夕張もいよいよですね…清水沢のとこにも書きましたが私夕張の隣町にいたので、寂しい限りです。私が北海道に移住して来た時は夕張をはじめ空知はまだまだ活気がありましたー閉山間際だったと思いますが、夜中のドライブ(20代でしたから(笑))で歌志内だったと思います、行った時、真っ暗な街に「躍進する空知炭鉱」というネオンが今でも目に焼き付いてます…
左馬之助さま
コメントありがとうございます。
夕張や隣接都市に住んだことはありませんが、同市の繁栄ぶりはたいていの日本人は写真などでも知っているのではないでしょうか?
訪れると寂れてはいてもかつての繁栄がよくわかりますね。
それと夕張は多くの著名人・芸能人を輩出していますね。
多くの支援の輪が広がっているのがよくわかります。
それにしても財政破綻の原因が単なる炭鉱の衰退ではなくて、いわゆる「闇金」に市が手を出したのが原因、というのは驚きます。