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修学旅行の思い出

修学旅行は一生の思い出

 

誰でも経験する修学旅行。

何歳になっても忘れられない、忘れない思い出だと思います。
そして修学旅行が待ち遠しく、夜はクラスメートと肩を並べて語り合い就寝するという楽しさ。

もちろん人によっては「事情で行けなかった」、「良い思い出がない」という人もいるかもしれません。

「行けなかった」方へは本記事最後に触れますので、一読して頂ければ幸いです。

「良い思い出がない」という人は読まなくても良いし、その時から年月が経って、「やはりあの時を振り返ってみたい」と少しでも思ったならば最後までぜひお読みください。

本記事があなたの心に「何かしらのもの」を与えることが出来れば、それは私にとってそれ以上の喜びはありません。

修学旅行の楽しさは?

やはり友人たちと宿泊も含めてずっと一緒にいられる枕を並べて寝ることが出来るなど挙げたらキリがないですね。

もちろんクラスには嫌なやつもいるし、そういう人と修学旅行で同じ班になってしまうこともあるかもしれません。

でも修学旅行によってその人との仲が良くなることはなくても、それほど不快に思わず数日間が経過して、あとあとは「楽しい修学旅行だった」と振り返ることが出来るのではないでしょうか?

もちろん本当に嫌な奴とでは、「嫌なものはイヤ」だと思います。
(私は好き嫌いの激しい人間ですので理解出来ます。)

でもごく一部の方を除いて多くの方はそれらが埋もれてしまうほど全体では楽しい思い出になることが多いのでは?と勝手に思っています。

私も含めて多くの方が言う修学旅行の思い出として、

おいしい地元の料理をたくさん食べれたが、何が出たかは覚えていても「XXという地元名産の料理だった」とは覚えていない。

美しい海や高原の風景は素晴らしかったが、友人たちとずっと話しながら歩いていたので「きれいだった」以外はあまり印象がなかった。

バスや電車の中でもずっとしゃべったり、写真を撮り合っていたので長時間の乗車でもあっという間だった。

など、「その場の詳細は覚えていない」という人が多いようです。
私はもちろん、友人、私の子供も同様のことを言います。時を越えても修学旅行はこういう点では同じなんですね。

クラスメートと深夜まで先生の目を盗んで布団の中で語り合った、食事の時にふざけて怒られたけど美味しさと友人と食べる楽しさは完全に心身共に焼き付いていて何歳になっても忘れられない、というのが修学旅行だと思うのです。



私の修学旅行をご紹介

別の記事などで書いていますが私は幼稚園含めて学校と名のつくところはすべて東京都内でした。
私の修学旅行を簡単にご紹介します。もしかしたら東京在住(及び近県)の方は今でも私の行き先と殆ど変わっていないかもしれません。

小学校
小学校は6年生の時の「房総半島一周 1泊2日」でした。

当時は新宿駅から房総方面行きのディーゼル急行がたくさん発着していましたので、往復その列車を利用したのです。
(当時はまだ内房線、外房線共に殆どの区間が非電化で、電車ではなくてディーゼルカーが走っていました。)

学校が新大久保だったので新宿駅までは1駅です。
確か行きが勝浦経由(外房)で千倉か館山まで乗車し、そこからはバス。宿泊先は館山の南側の新宿区の研修施設の塩見臨海学園(既閉館)でした。

あまり詳細に覚えていないのですが塩見学園は如何にも研修施設という感じで、当時もあまりきれいでない雰囲気があった記憶がありました。

またなぜか食堂の端っこのほうだったと思いますが、近隣の海で採取された生物のホルマリン(アルコール?)漬けが並べてあり、その中に体を少し折り曲げないと瓶に入らないくらいの大きなシビレエイの標本があり、「うわぁ~!気持ち悪い!」と叫びました。

友人はその後私に向かって「あ、ヒラヒラシビレエイがやってくる!」とか意地悪なことを言い続けてくれましたね。
あの気持ちの悪い標本は今でも脳裏に残っています。

なおあちこち探してやっと塩見学園の写真を見つけました。2007年の写真のようです。
塩見学園の画像の引用元は以下のサイト様です。(リンク切れはご容赦ください)


旦那の呑み助日記 様

https://blogs.yahoo.co.jp/pikari2001113


以下はクリックで拡大します。

なお館山(千倉?)には海に面した立派な砂丘とも言える砂山があり、ここも訪れたのですが後にウルトラセブンやその他多くのドラマ・映画の撮影に使われる場所だと知りました。

東京からも近いので現在もかなりロケに使われているようです。

中学校
東京の学校の定番中の定番、「京都奈良2泊3日でした。
今でも京都奈良に行くのが普通なのでしょうか?

中学校3年生の6月で、梅雨入りの季節なので最悪でもあるのですが、清水寺で途中から小雨にあったくらいで雨でひどい目にあったという記憶はありません。でもどんより空だったと思います。

往復新幹線で、現地からはすべてバス。京都の三条のホテルに2泊したと記憶します。

清水寺ではバスから降りたら自由行動、指定時間までにバス乗り場に戻りなさい、ということでした。
学ランを着て清水寺をぶらぶら歩いたことを思い出します。当時も大変な混雑であったことだけははっきり覚えています。

関連記事: 学ランの思い出

この修学旅行で唯一残念だったことは、東大寺がちょうど昭和大修理の時で、外側もシートで覆われて壮大なその全容を見ることが出来なかったことです。

東大寺昭和大修理」と書かれた大きな看板だけが非常に目立っていました。

でも帰りにはちょっと良いこともありました。
帰りの新幹線「ひかり」(のぞみが出来るのは相当後になる)は修学旅行専用列車だったのですが、人数の何らかの問題が生じたので私のクラスはグリーン車に乗ってください、と言われたのです!

普通修学旅行などの団体専用列車に通常の定期列車に使っている編成を使う場合は、グリーン車などの特別車両は使用不可にするのですが、この時は国鉄か旅行会社かわかりませんが、とにかく手違いがあり定員が足りなくなったので私のクラスはグリーン車を使うことが出来たのです。

座席幅もシートピッチも非常にゆったりしていて、もともと車幅が大変に広い新幹線は横5列なのにグリーン車は4列ですのでそれは広いわけです。

東京までちょっと豪華な気分でした。

高校
高校の修学旅行は高2の1977年10月第1週、「山陰山陽5泊6日」でした。

関連記事: 男子校の実態

行きは新幹線で東京から小郡(現、新山口駅)まで行き、あとは全部バス。帰りは姫路から新幹線でした。

往復の新幹線共に修学旅行の貸切ではなかったのですが、行きの新幹線にはちょっとした思い出があります。
それは以下の2つの出来事でした。

 

1、岡山駅で反対側ホーム(東京方面)にタータンチェックの服やスカートを身にまとった若い女の子が大勢で列車を待っていた。

実は彼女たちは当時大流行したイギリスのロックバンド、ベイ・シティ・ローラーズのファンだったんです。

彼らはタータンチェックのシャツがトレードマークでしたので、ファンはそれを真似たのですね。
人気絶頂期でしたので、たぶん彼女たちは大阪あたりでのコンサートにでも行く途中だったのでしょう。

そういえば東京でもタータンチェックのシャツやスカートを穿いた若い女性が街に溢れていました。

ベイ・シティ・ローラーズをご存じない方は以下をどうぞ。

http://urx3.nu/u3W6

当時熱狂的なファンだった彼女たちも今や50~60代か・・・。

 

2.隣の車両に歌手の新沼謙治さんがいた!

新大阪も過ぎたあたりで誰かが「となりの車両に歌手の新沼謙治が乗っている!」とか言い出したのです。
演歌歌手で1976年には「嫁に来ないか」が大ヒットした国民的歌手で、現在も歌手そして俳優としてもご活躍されています。

私の乗った車両の隣接車両はグリーン車でした。だから大物芸能人がいたのでしょう。
友人に誘われて隣の車両を覗きに行くと広いグリーン車の座席を思い切りリクライニングして、黒いサングラスの男性が通路側で寝ていました。

髪型などからすぐに新沼謙治さんであることはわかったのです。友人たちも誰もサインを求めたりせず一目顔を見たら自分の車両に戻ったのですが、すぐに横槍が入りました。

それは彼のマネージャーとかではなくて車掌さんでした。
「こちらの車両には来るな!」と(こんなにきつくは言わなかったが)注意を受けたのです。まあ当然でしょうし今だったら車掌さん以前にマネージャーや同行スタッフから追い出されていたでしょうね。

(今の時代はすぐに写真撮ったりしてトラブルが大きくなると思いますが)

渋々(当然)自分の車両に戻っていこうとしたらグリーン車のデッキには明らかに楽器とわかる大型の箱やケースがいくつも置かれていて、バンド関連の人も乗っていたのですね。

確か新沼謙治さんらも私たちと同じ小郡駅で下車したのでした。

 

小郡からはバスで長門市~松江(宍道湖湖畔のホテル)~浜坂温泉~姫路と移動し、最後は姫路城見学の後に夕方の新幹線で帰京しました。

東京駅での解散(出発時の集合場所)だったのですが、横浜方面に帰る私は友人と一緒に乗った横須賀線車中で、

これでもう二度と修学旅行という名の旅行は出来ないんだな・・・。

としみじみ感慨深く話したことを今でも鮮明に覚えていて一抹の寂しさを感じました。




仮に修学旅行に行けなかったとしても・・・

私はすべての学校での修学旅行に行けましたし妻も同様です。
また私の子供も行くこと(行かせてやること)が出来ました。

しかし何らかの事情で行くことが出来なかった人もいるかと思います。

確かに修学旅行は一生残る思い出ですが、生きている限り個人的な旅行は何度でも出来ますし、修学旅行よりもさらに思い出深い、時として人生を変えてしまうほどの旅行をすることが人生には何度もあるはずです。

私が高校1年生の時に経験した初めての北海道一人旅がそうでした。

15歳11ヶ月の夏にリュックを背負い北海道を18日間旅して私の人生は変わってしまったのです。

詳細については別途書きたいと思いますが、帰りの列車で自分自身と約束したことを実行したのです。それは、

●将来は旅先で出会った北海道の人と結婚する。
(北海道の人と結婚すれば帰省という理由をつけて北海道に遊びに行ける。)

●必ずいつの日か北海道に住む。

という2点です。

この決断の日から時間はかかりましたが、この2つを実現させました。

別にこんな目標を立てるような旅でなくても、ふらっと出かけた1泊の近所の一人旅、友人と馬鹿騒ぎをしながら1夜を過ごした温泉なども修学旅行に勝るとも劣らない一生の思い出となる経験を与えてくれるはずです。

修学旅行を経験した人、しなかった人、そんなこと関係なく思い立ったら近場の1泊でもぜひ旅に出ましょう。

そこからあなたの新たな人生の旅が始まるのです。

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4 Responses to “修学旅行の思い出”

  1. 4あほ より:

    高校の時、乗った観光バスのガイドさんが、
    ちょ~可愛くて、美人さんで、がんばり屋さん(ドジではない念のため)だったので、
    他学級から、「おまえんとこいいなぁ・・・」ってうらやましがられました。
    ツーショット写真の希望が多くって、バスの発車がホントに遅れたりしました。
    教員なんかは生徒の見学している最中に、職権乱用で待ってる駐車場で写真…。
    そのガイドさんが地元小豆島の出身で、醤油屋さんの娘だったっちゅうことで、
    「岬の学校」よりも、内海福田の醤油屋さんの見学を熱心にやっちゃいました。
    ・・・男子ってばそんなもんですはじめっち&ゆたか

    小学校の時は、消灯後男子が女子の部屋に来て一緒の布団に入って
    見回りの教員に見つかって…なんてことがありましたが、
    なしてか、男子だけ廊下に正座させられました。
    ・・・なしてでしょう?みならいかのん

    あたいはむずかしいことはよくわからんのっすが、
    高3になってからも、みなのカンパで後輩の就学旅行にもぐりこんで、
    初日の夜に見つかって強制送還させられたアホが2名ほどいたのだ。
    なんでも「後輩と修学旅行楽しみたかった」んだって…なのだ。
    ・・・カンパのお土産に八つ橋一つもらったのだつるみん

    • kaikoshumi より:

      4あほ様
      こんにちは。コメントありがとうございます。

      >観光バスのガイドさんが、・・・ちょ~可愛くて、・・

      →ありましたね! 私の時はバスガイドさんの他に宿泊先の旅館のお嬢さん(一従業員?)が可愛くて皆で「XXちゃ~ん!」と甘えた言い方で話しかけていました。

      当時はそのお姉さんより私たちは当然年下なので、お姉さんは苦笑いをしながらも「かわいい坊やたちね」みたいな扱いでした。

      もしそのお姉さんに今あったら、ご年齢は・・・

      >一緒の布団に入って・・・

      →これは小中学校とも無かったし聞かなかったです。
      うらやましいとも思えるけどみんな回りにいるしな~。(今頃想像してどうするんだ!)

      >後輩の修学旅行にもぐりこんで、・・・

      →こんなことできたんですか!
      いくら途中で強制送還でも驚きます!本人のやる気もすごすぎるし!
      青春のパワーなんでしょうか?

      皆様、ご訪問ありがとうございました。
      また独断に満ちたしょーもない記事を少しづつ書いて行きますので今後も当サイトをよろしくお願いいたします。

  2. 誤解なきようの註です 4あほ より:

    註:「ふとんもぐりこみ」は1対1ではなく、
    7~8(女子)対6~7人(男子)の互いに示し合わせた
    所謂小学生の悪ふざけ…的なものです、念のため。
    誰かが、「ちちさわっちゃったぁ~、やだーエッチィ~!」
    (んで、女子も触り返す…どこかはわからんけど)
    と、声が出て…それが何分?も続いちゃったんで、
    さすがに気付かれて、先生さ入ってきたときには、
    一部屋に何人も布団(押し入れ)に隠れて、そりゃバレるわけです。
    女の子は罰せられなかったんで、翌日「ごめんねぇ」って
    部屋の女子が謝ってきた…という軽い話です。
    ちなみにこの顛末の一部が、「修学旅行の思い出」の作文として書かれ、
    (もちろん文章表現のうまい女子によって)、
    それが(添削されてないと思うが)F市の作文集「わかF」に選ばれて載った…
    その当時は別に不思議でもなんでもなかった…
    けど、今考えるとおおらかな時代…って言っていいのかなって。
    ・・・40年以上も前の話ですはじめっち

    少しは先生方もあわてたのかなぁ・・・っす。なら文集に推薦しなかったと思うっす。
    参考までに、教室で男女混合で「馬乗り」やった時も、
    叱られてビンタ食らったのも、男子だけだったっす。
    けっこう女子もノリノリで「つぶすぞぉ」って息巻いてたっすから。
    ・・・あくまで男子の感想っすが…ゆたか「つぶす」って意味わかるっすよね!

    だから、弁護するわけではありませんが、「性的」なことに発展するのは、
    その当時はなくて、あくまで「仲のいい集団の男女」
    ということで認識していただければ…幸いです。
    ・・・弁護人買って出ちゃったエヘッみならいかのん

    あたいは聞いた話だから詳しいことはよくわかんないけども、
    後輩の修学旅行の件も停学とかにはならず、「しょんないなぁ」で帰ってきたみたいで、
    自由な校風?だったらしいのだ。そういう人方が
    「同窓会の発起人」とかやっちゃうというほうが笑えちゃうのだ。

    • kaikoshumi より:

      誤解なきようの註です 4あほ 様

      こんにちは。コメントありがとうございます。
      詳細なご説明、心より感謝申し上げます。

      でも・・・、詳細な説明をするほど・・・・ですね。

      私の小学校でこんなことやったら女子は固い人が多かったので直ぐに先生に報告されて大騒ぎになります。

      また普段でしたら「帰りの反省、悪いことの報告」でつるし上げになってしまうと思います。

      >F市
      F市? えー?どこかな? おじさん全然分からないな?
      困ったな難しい問題だな・・・。

      おじさんの勝手な想像では東海道本線の大船駅の一つ小田原方面に行ったところにある駅名の「F」かな?

      JRの他に小○急線と、江○電が乗り入れていた気がするなぁ~

      修学旅行でのさまざまな問題はその場の注意だけで済んでしまうことが殆どだと思います。
      (程度によりますが)

      やはり子供にとっては一生の思い出ということを先生方は気にかけているのかもしれません。

      同窓会の発起人、確かに卒業後にこういうことに旗を振る人ほど学生時代にワルだったりする傾向はあると思います。

      学級委員、成績優秀の人ほど卒業後にこういうことはしないものです。

      再訪ありがとうございました。
      また来てくださいね。

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こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。
もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。
東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。
色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。

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